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第20話:私だけが我慢すればいい

 アモン国王は暗殺された。


 翌日、ヒヨリは王血学校から呼び出され、ガスポールと二人きりで向き合うことになった。

 目の前に現れたガスポールの姿は、いつもの穏やかさとはかけ離れていた。肩は重たげに落ち、目の下には濃い隈が浮かび、瞳には深い疲れと後悔の色が滲んでいる。


「ヒヨリ君……本当にすまんの。すまんの……」


 途切れ途切れに紡がれる言葉。


「ヒヨリ君の言葉を、もっと真剣に受け止めるべきじゃった……。これは……全てワシの愚かさが招いた結果じゃ……」


 ガスポールは何度も頭を下げ、何度も謝罪を繰り返した。

 その姿を目の当たりにした瞬間、ヒヨリの胸に広がっていた悲しみや痛みが、どこか遠くへ薄れていくのを感じた。


 目の前で肩を震わせ、深い後悔に押し潰されそうになっているガスポールの姿。

 その姿に、ヒヨリの胸の奥で小さな炎が静かに揺れるのを感じた。


「大丈夫ですっ、ガスポール先生! 私、もう一度過去に戻って、ガスポール先生を説得してきますねっ!」


 ヒヨリの声には、これまでにない力強さが宿っていた。

 その言葉に、ガスポールはわずかに目を見開き、すぐにほっと息をついた。暗さの残っていた表情にも、ようやく安らぎがにじむ。


「ありがとう……ヒヨリ君。君に頼むばかりですまんの……じゃが、どうか頼むの」


 ヒヨリは、自分が背負う役割の重さを改めて噛み締めながら、その場を後にした。

 胸の奥で灯っていた小さな覚悟が、再び、静かに燃え上がる。それは冷たい闇の中で揺らめきながらも、ヒヨリの心を照らし、背を押してくれる確かな光だった。


 ――未来を変える。

   どれだけ失敗しても、諦めない。


 恐れを抱えながらも、ヒヨリは再び歩みを進める。



――二回目――


「先生、本当に聞いてくださいっ! ……アモン国王が暗殺されるんですっ!」


 ヒヨリの声が研究室に響いた。

 実際に時間を巻き戻してみても、非情にもガスポールの態度は変わらなかった。ヒヨリの話をまともに取り合う様子もなく、研究室で魔法科学の実験データを確認する手を止めようともしない。


「ヒヨリ君、今は忙しいんじゃ。そんな話に付き合っとる暇はないの。もっと現実的なことに集中せい」


 淡々とした声と冷たい視線が、ヒヨリの胸を鋭く突き刺した。

 信じてもらえない――その現実が、再び目の前に突きつけられる。

 それでも、ヒヨリは諦めなかった。


――これはきっと私の責務なんだからっ……!


 そう自分に言い聞かせながら、ヒヨリは必死に食い下がった。

 これまでの経緯を何度も繰り返し説明し、未来が変わらなかったことを懸命に訴え続けた。しかし、ヒヨリがどれほど真剣に訴えても、ガスポールの反応は冷たく変わらないままだった。やがて、ヒヨリが繰り返し訴える言葉に、ガスポールの表情が険しく歪んでいった。そして、ついにその怒りが爆発した。


「いい加減にせんか!」


 怒声が研究室内に響き渡り、ヒヨリの全身を震わせた。

 振り返ったその顔には、いつもの穏やかさは影もなく、険しい表情が浮かんでいる。


「同じ話を繰り返すのは時間の無駄じゃ! ヒヨリ君がどう思おうと、未来なんぞわかるはずがないんじゃ!」


 その言葉は、鋭い刃のようにヒヨリの胸を貫いた。

 幼い頃の記憶が一気によみがえる。ミロたちに嘲笑され続けたあの日々――“嘘つき”“頭おかしい”という冷たい言葉が、胸の奥に疼く。


 ヒヨリの視線は床に釘付けになり、喉の奥が詰まるような息苦しさに襲われた。

 胸が締め付けられる痛みに耐えられなくなったヒヨリは、ガスポールの顔を見ることもできずにその場を後にした。


 足取りは重く、涙が浮かんで視界が歪む。

 再び未来を変えられなかった現実が、ヒヨリの胸に冷たく重くのしかかる。


 そして夜――アモン国王は、やはり暗殺された。

 未来を変えることなど、本当にできるのだろうか――そんな疑念がヒヨリの脳裏をよぎり、心を沈ませていく。


 翌朝、ヒヨリは王血学校から呼び出され、ガスポールと再び向き合うことになった。しかし、前日のやりとりが重く心にのしかかり、ガスポールの顔を見ることを想像するだけで憂鬱でたまらなかった。


 それでも、この終わらないループを断ち切るためには、ヒヨリの能力を正しく理解している現在のガスポールの知恵を借りるしかない――そう自分に言い聞かせながら、重い足を引きずるように研究室へ向かった。


 研究室の扉をゆっくり開けると、ヒヨリの視線は自然と床へと落ちた。

 ガスポールは、ヒヨリの気配に気付くと、一瞬だけ口を開きかけ、言葉を探すように視線を泳がせた。そして、低く掠れた声で、絞り出すように言った。


「ヒヨリ君……言葉もないの……本当にすまんかったの」


 ヒヨリは恐る恐る顔を上げ、ガスポールの表情を伺った。

 そこにあったのは、いつもの自信や余裕ではなく、深い疲労と後悔が浮かんだ顔だった。ヒヨリの言葉を信じなかった結果、取り返しのつかない未来を迎えたという現実が、彼の心を蝕んでいるのが伝わってきた。


「……えっとね……過去のガスポール先生……説得できますか?」


 ヒヨリは小さな声で恐る恐る尋ねた。

 その問いに、ガスポールはふっと息を吐き、机の上に視線を落としたまま、しばらく考え込んでいた。


 やがて、静かに口を開いた。


「ワシのような人間を説き伏せるには、理屈だけではどうにもならんの」


 そう言いながら、自分の性格や考え方を冷静に分析し始める。

 ガスポールの言葉は穏やかだったが、その奥には、自分への厳しい評価と後悔が滲んでいた。


「じゃが、未来の“証拠”を突きつけられれば、きっと過去のワシも信じるじゃろう」


 そう言うと、ガスポールは静かな決意を込めて机から紙を取り出した。

 その横顔には、深い悔恨と同時に、二度と過ちを繰り返さないという揺るぎない覚悟が滲んでいた。


 一通の手紙を書き始める。ペンを握る手はわずかに震えていたが、その字には確かな力があった。


「この手紙がそれじゃ。未来からのメッセージとして、過去のワシに届けるんじゃ」



――三回目――


 過去に戻ったヒヨリは、震える手でガスポールに手紙を差し出した。

 ガスポールは最初、ヒヨリを訝しむような目で見ていたが、手紙を受け取り、中身を確認し始めた瞬間、その表情が一変した。


「な……なんじゃこれは!」


 ガスポールの目が大きく見開かれる。手紙に記されたデータを一つひとつ確認するうちに、その表情は驚きと困惑で硬直していった。


「このデータは、今まさにワシが実験で取得した数値そのものじゃ。いや、それだけではないの……まだ計測を終えておらん数値まで、全て正確に記されておる……!」


 ガスポールは驚きのあまり言葉を失い、手紙を見つめたまま立ち尽くしていた。

 やがて深く息を吐き出し、ゆっくりとヒヨリの方へ視線を向ける。紙を持つ手がわずかに震えているのが見える。


「……未来から来たという話、信じるしかなさそうじゃの」


 その言葉を聞いた瞬間、ヒヨリは胸の奥が軽くなるような安堵を感じた。

 ようやく、未来を変えられる――そんな希望が心に灯る。


 これまでとは全く違う形で話が進み、ガスポールはヒヨリの言葉を受け入れ、アモン国王の暗殺を阻止する計画を練り上げた。

 そして、その計画は見事に成功を収め、ついに悲劇を未然に防ぐことができた。


 計画の成功を見届けた後、ガスポールは熱を込めてヒヨリの能力について語り始めた。


「ヒヨリ君の時空を操る能力こそ、大賢人が予言した“光属性”そのものじゃ! このような力はどの文献にも記されておらん。未来を変える力――それはまさしく光そのものじゃ。我が国はついに光属性を手に入れたんじゃ!」


 ガスポールは確信に満ちた表情で、歓喜の声をあげた。ヒヨリの肩を掴むと、新たな希望を見つけたかのように興奮した様子で目を輝かせた。


「これで魔女の恐怖に怯える必要もなくなるの。これから急いでデータを取得し、論文にまとめんとの!」


 そう言い残し、ガスポールは足取り軽く研究室を後にした。その背中からは、あふれ出すような希望と期待が感じられた。


 しかし、一人残されたヒヨリは、ガスポールの背中を見送りながら、胸の奥に複雑な感情が渦巻いているのを感じた。


 “光属性”――それは誰かにとっては希望の光なのかもしれない。


 けれど、ヒヨリにとってはその光は影となり、胸に重くのしかかる存在だった。

 自分の力が魔女を打ち倒す“唯一の希望”だと言われても、その言葉を素直に喜ぶことはできなかった。この力を使い続ける限り、幼い頃に経験したような孤立や痛みが、これからも繰り返される――そんな予感が心を締め付けていく。


 ――どうしていつも……私じゃなきゃダメなの……?


 シングウ王国の人々にとっては希望であっても、ヒヨリにとっては逃れられない鎖のように感じられた。


 胸の中で何かがじわじわと壊れていくような感覚がした。それでも、ヒヨリにはその重みを背負う以外に選択肢はなかった。

 自分がその鎖を受け入れれば、シングウ王国の人々の未来を守れる――ヒヨリはそう信じるしかなかった。


 「私だけが我慢すればいいんだよぉ……」


 諦めにも似た覚悟が滲んだその小さな声は、まるで誰かに届くことを拒むかのように消えていった。

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