第九話
メルは森の入り口で、言いようのない不安を覚えていた。
ゼノがナターシャ村に入ってから数刻は経っている。
「そこで待て」と言っておきながらなかなか帰ってこない。いったい、何があったというのか。
村は静けさに満ち溢れていた。
もともとのどかな村ではあったが、その静けさがかえって不気味だった。
メルは意を決して一歩足を踏み出した。ここにこうしていても仕方がない。
ゼノはああ言ったけれど、ここはもともと自分の村なのだ。
(そういえば……)と、メルは思い返した。
ここに来る途中で出会った血まみれの兵士。あれはなんだったのだろうか。返り血にしてはおびただしいほどの量をあびていた。狩りで獲物をしとめたとしても、あれほど浴びはしない。
どくん、と心臓が大きな音をたてる。
考えたくない、想像もしたくない事実が頭をよぎる。
(まさか……村のみんなの……?)
そう思った瞬間、身体がガクガクと震えだした。おぞましい恐怖が一気に押し寄せてきて彼女の身体を包み込む。
(お父さん、お母さん……!?)
青ざめた表情で一歩ずつ歩いていくメルだったが、次第にその足は速まり、ついには駆け足になっていった。
(嫌だ、嫌だよ……!!)
ナターシャ村の入り口に差し掛かったメルの目に飛び込んできたのは、見るも無残な光景だった。
崩壊した家々、焼き尽くされた畑、そこかしこに切り裂かれた村人の死体と、血の海が広がっていた。
「いや……、そんな……」
顔を覆いながら、メルは泣き崩れた。
嫌な想像が当たった。
のどかで平和だった村が、一夜にして蹂躙されている。
信じがたい、信じたくもない光景だった。
誰がやったのかなど、目に見えている。今朝会ったパルメラの兵たちだ。ということは、まだその辺りにいるかもしれない。
メルは近くにあった角材を拾うと、物陰に隠れた。震える目で、そっと様子を伺う。パルメラ兵はおろか、動いている者すらいない。村はまさに静寂に包まれていた。
(お父さん、お母さん……)
両親の安否を気遣いながら、村の奥へと慎重に歩を進める。目を覆いたくなるような惨状に吐き気がこみあげた。額から嫌な汗が流れてくる。
「ゼノ……」
一人、村の中に入っていった中年の戦士。彼はどこへ行ったのか。
パルメラ兵をこともなげに寸断したあの男の力量は計り知れない。メルは自然と彼の姿を求めた。
やがて、中央広場に差し掛かった。
教会の前にある、村の集会所だ。多くの村人たちがここに集まり、談笑をしたり、遊びまわったりしている。そんな中央広場から、むっとした血なまぐさい臭いが漂ってきた。見ると、他の場所の比ではないほどの死体が転がっている。
その真ん中、血に染まった噴水の前でゼノが巨大な剣を地面に突き立てながら立っていた。その足元には、首のない巨漢が倒れている。
「ゼノ!!」
メルは思わず声をかけた。ピクッと反応したゼノが声のほうに視線をうつした。
「待てと言っていたはずだ」
メルにとっては、もはやそんなことなどどうでもよかった。
いったい、何があったのか。父と母は無事なのか、知りたくてたまらない。
「これは、なんなの!? お父さんとお母さんはどこなの!?」
「落ち着け」
「こいつらがやったの!? お父さん、お母さんは生きてるの!?」
涙を流しながら辺りを見回すメルを、ゼノはぐいとつかんで引き寄せた。
「落ち着くんだ」
自分よりも二回りも小さいメルの身体を胸に押し付けて、優しく頭をなでる。
「ここの連中は片づけた。落ち着いて、生き残った村人を探そう」
「……………」
声にならない嗚咽を漏らして、メルはコクリとうなずいた。かたい胸板が、まるで父のように思えた。
「メルか……?」
その時、教会の入り口から懐かしい声が聞こえてきた。
はっと振り向くと、そこには父と母の姿があった。
何度も殴られたのか、その顔は赤く腫れ上がってはいたが、その頑固そうないかつい顔は紛れもなく自分の父だった。
「お父さん!」
「メル!」
二人は駆け寄ると、二度と放さないとばかりにきつく抱き合った。
「よかった……、ほんとによかった……」
「オレも、心配したぞ……」
母も、涙を浮かべながら駆け寄ると二人の肩に腕をまわして抱き寄せた。
教会の入り口からは、ぞくぞくと村人たちが出てきた。
殺されずに捕まっていた人々だ。
彼らは、静寂に包まれた村の状況を不審に思い、意を決して出てきたのだ。
「こりゃ、ひどい……」
「なんてむごたらしい」
村人たちは中央広場に転がる無数の死体にむせび泣きつつ、絶命しているパルメラ兵たちを見て安堵した。
「あなたが、この連中を倒してくださったのですか?」
村人の問いに、ゼノは無言でうなずいた。
「グラン各地で虐殺が相次いでいると聞く。これは、ほんの一握りだろう。元凶を絶たねばならん」
その言葉にメルはハッとした。
「ゼノは、もしかしてそれでグランファシルに行こうと?」
メルの発した名前に、生き残っていた情報通のルワンダが声を上げた。
「ゼノだって!?」
ルワンダが目の前の巨剣を携えた中年戦士の顔を覗き込む。
「も、もしや、あなた様は、魔神殺しのゼノ!」
「魔神殺し……?」
メルが、聞いたこともないといった風な顔を向ける。
「魔王を倒した勇者の一人だよ! グラン国王とともに客将として暗黒大陸に渡った人物で、そこで手に入れたオリハルコン製の巨剣でそこに巣食う魔神を倒した豪傑……。まさか、生きていたなんて」
噂では、グランファシルが燃え尽きる際、国王と共に死んだとされていた。
多くの国民は、その噂を信じ、絶望に打ちひしがれたという。
「見ての通りだ。この国にいなかったから、死んじゃいない」
ルワンダの言葉に、メルがきょとんとしていた。
(魔王を倒した勇者? この人が?)
確かに、計り知れない力量がある。ものすごい腕力と、強靭な肉体を持っている。
しかし、類まれなる方向音痴さと、口下手でコミュニケーションがうまくとれないこの中年男から勇者の要素は微塵も感じられなかった。
「ほんとに? ほんとにあなたが魔王を倒したの?」
半信半疑で尋ねるメル。とても信じられない。
「魔王と戦ったのは事実だ。とどめをさしたのはオレではないがな」
目の覚める思いだった。
世界中から伝えられる偉大なる英雄。その一人が、今、目の前にいる。
「そ、その、伝説の勇者様が、なんでグランファシルに……?」
「グラン王との約束だ。この国に破滅が訪れしときは、この剣に誓って阻止してやるとな」
「まさか、その剣をくれた友人て……グラン王なの!?」
「そうだ」
一介の村娘にとって、縁もゆかりもない王家の人間。そんな王族と関わっている人物が目の前にいる。思わず、メルはめまいで倒れそうになった。
「ゼノ様!」
一部始終を聞いていたメルの父ガジェが、地面に膝をついて頭を下げる。
「どうか、この国を……、グランを救ってください!」
ガジェにならって村人たちが膝をついて頭を下げる。
「ゼノ様、お願いします!」
村人たちの真剣な頼みを彼は無言で受け止めて、巨剣を背中に背負った。
「古き友人との約束だ。頼まれなくとも、救ってやるさ」
そう言うと、ゼノは足を一歩踏み出した。




