第一話
ナターシャ村──。
森に囲まれた小さな村。人口も少なく、田畑を耕してつつましく暮らす人々の住む村。
たいした特産品もなく、目立った名所もない。
それでもメルにとって、生まれ育ったこの村は世界で一番の場所であった。
「気をつけてな」
今年18歳の誕生日を迎える彼女は成人の儀を執り行うため、村から少し離れた森へと出発しようとしていた。
白装束を身にまとい、長い黒髪をさらりとかきあげる。
小ぶりな顔つきは村でも美人だと評判である。
「心配しないで、お父さん。たった一晩だけなんだから」
「そうは言ってもな。一晩、家をあけたこともないお前が森の中で一晩過ごすなんて……」
身体の大きないかつい顔の男が、心配そうな顔で見送っている。村では威厳のある父が、成人の儀に向かう娘に対しては人前では見せたことのない顔をしていた。
「大丈夫よ、あなた。村中の女なら誰もが経験してるんだから。今まで問題があったことなんてないでしょ?」
「それもそうだが……」
この村では男は成人の儀はしない。そのため、その儀式がどんなものか村の男たちにはわからないのだ。
不安そうな顔を見せる父の隣で、母は優しい笑顔を向けてメルに言った。
「頑張ってね、メル。帰ってきたらお祝いの料理、うんと作っておくからね」
「ありがとう、お母さん」
メルは母を抱きしめ、頬にキスをする。
「じゃ、いってきます」
「いってらっしゃい」
「何かあったら、すぐに帰ってくるんだぞ」
娘のことが心配でたまらない父は、いつまでも不安そうな顔を見せていた。
メルは笑顔で手を振り、家をあとにする。
目指すはナターシャの森の奥深く、聖なる泉。村から歩いて半日ほどの距離。
そこで一晩、村の乙女たちは水に浸かり身体を清める。
それがナターシャ村の成人の儀だ。
ただ水に浸かる、それだけなのだが季節は初春。夜になればまだ肌寒い時期でもあった。
(凍えちゃうかな)
メルは少し心配しながらも、軽い足取りで森を目指して歩をすすめた。
その日、ナターシャの隣の村では悲劇が訪れていた。
業火をあげる家々。多くの村人が殺され、燃え盛る炎に包まれている。
生き残ったわずかな村人たちも、村の広場に一か所に集められ、冷酷な笑みを浮かべるパルメラ兵に囲まれていた。
「お許しを……、お許しを……」
村人たちは肩を寄せ合い、手を合わせて懇願している。
「許すも許さないも、オレら、ただの兵士だしなぁ」
「そうだよなぁ、オレらの一存じゃ、決められねえよなぁ」
パルメラ兵たちは笑いながら、怯える村人たちを眺めていた。
そこへ、羽飾りを肩につけた巨漢がやってきた。兵士用に配給されている鎖かたびらが、はちきれそうなほどに膨れ上がっている。息も荒い。
「ふぅふぅ、なんだ。もうこれしか残ってないのか」
「隊長、来るのが遅いっすよ」
「もう大半はオレたちが殺っちまいました。残ってるのはこいつらだけっす」
巨漢は「チッ」と舌打ちをしながら言った。
「このばかもんが。ワシの楽しみを減らしおって」
言うなり巨大な鉄の斧を背中から取り外す。
ズシン、と地響きをたててそれを地面に置いた。
その圧倒的なまでの威圧感に、村人たちの顔が恐怖でひきつった。
巨漢は言う。
「虫けらどもよ。助かりたくはないか?」
その言葉に村人たちは涙を流しながら必死にうなずいた。
「よかろう、助けてやる。ただし、ワシの身体に指一本でも触れられたらな」
どよめく村人たち。目の前には悪鬼のごとき大男が斧を携えて立っている。戦うことも知らない村人たちにとっては、近寄ることさえ出来ない。
「ほれほれ、どうした。かかってこないのか?」
巨漢は、あえて両手を広げて隙だらけの状態で待ち受ける。
しかし、誰も動こうとはしない。それもそのはず。恐怖のあまり、足が動かないのだ。
巨漢は「フン」と拍子抜けした顔を見せた。
「なんだ、つまらん。誰も向かってこんではないか」
言うなり、巨大な斧を片手で持ち上げた。見るからに重そうなものを軽々と肩に担ぎ、村人たちに近づいていく。村人たちの顔は恐怖でひきつっていた。
「貴様らのような腑抜けた虫けらどもに生きている価値などないわ!」
巨漢が、ブン、と斧を振り回すと前にいた村人たちが紙切れのように飛ばされていった。
絶叫、悲鳴があたりにこだまする。
「ぐはははは!!」
巨漢は醜い口を大きく開けながらさらに斧を振り回した。その一振りで、何人もの村人が犠牲になる。
巨漢は笑いながら斧を振り回し続けた。ふき飛ばされ、斬り裂かれ、つぶされる。一気に広場が血の海に染まった。
逃げ出そうとする者も、まわりを取り囲む兵たちにつかまれて、巨漢の前に投げ出されていった。
まさに逃げ場のない殺戮の場。広場は地獄と化していた。
気が付けば、生きている村人は一人もいなくなっていた。たった数分の出来事である。
「お見事です、隊長」
兵の差し出す布を受けとり、返り血を拭う。巨漢は血まみれになった布を兵に返すとつまらなそうにつぶやいた。
「ふん、暴れ足りんわ」
すると、地図を眺めていた兵の一人が言った。
「隊長、すぐ近くにナターシャって村があるみたいっすよ」
その言葉に、巨漢はニヤリと笑う。
「よし、そこでもうひと暴れしてやるか。てめえら、今度は勝手に殺すんじゃねえぞ」
そう言うと、巨体を揺らしながら広場をあとにした。のっしのっしと歩くその後ろを、兵たちも肩をすくめてついていく。
後に残されたのは、焼かれた家々と、無残に殺された村人たちの屍だけであった。




