第77話『岩槍の広場、再び』
インフル、本当に苦しいですね。
コロナにならなかったので油断していましたが、罹患するときはするもんですね。健康には気を使っているつもりですが、こればっかりはどうしようもありません。
皆さんも健康には気を付けて、健やかにお過ごしくださいね。
その後は、拍子抜けするほど順調に岩槍の広場へたどり着くことができた。
もっとも、足を踏み入れたのはまだ外縁部であり、かつて私たちが溶岩蜥蜴と死闘を繰り広げた中央付近までは、かなりの距離が残っている。
視界の先には、干からびた大地を突き破るようにして無数の岩槍が立ち並んでいた。
太陽に炙られた岩肌は鈍い赤茶色を帯び、ところどころ黒く焼け焦げたような斑が浮かんでいる。遠目には鋭い槍にも、獣の肋骨にも見えるそれらが、荒野の熱気の中でかすかに揺らいでいた。
これが蜃気楼か、なんてくだらないことを考えながら歩く。
足元の土は固く締まり、踏むたびに細かな砂が足底の下で砕けた。風が吹くと、乾いた粉塵が低く流れ、岩槍の隙間を抜けて甲高い笛のような音を鳴らす。
私はその異様な景色にしばらく目を奪われながらも、とりあえず例の戦闘跡地へ向かうことにした。モリアと合流するにしても、向こうが目印にしやすい場所はそこだろう。ロヨンもそれに異を唱える様子はなく、ガスマスクの奥から周囲を確かめるように首を巡らせながら、私の少し後ろを歩いている。
ぼんやりと辺りを確認しながら進んでいると、不意にロヨンがこちらへ声をかけてきた。
「意外だったのですよ。あなたが、私たちの宿願を果たすことに前向きであったことが。ルイス殿、あなたは旅人でございましょう?何故サクスザント様の宿願を果たすことにそこまで前向きなのか、私には推し量れなかった」
ガスマスク越しの声は、乾いた風に混じって少しくぐもって聞こえた。ロヨンはどこか遠くの岩槍を眺めている。問い詰めるような響きではなく、長く胸の内に引っかかっていた疑問が、歩調に合わせてふと零れ落ちたような調子だった。
態々あんまりなことを言うつもりはないが、私の内にあることなんて、きっと彼らが持つものとは釣り合わないくらい下らないことなんだが……。
うん、思ったことをそのまま口にすれば良いか。
「まあ、それは至極当然の疑問だと思うよ。もし私が君と同じ状況にあっても、きっと同じように疑うだろうからさ」
私は足を緩めずにそう答えた。岩槍の影が地面に細長く伸び、その間を縫うように歩く。
まずひとつ大きいのは、サクスザント様が提示したゴールが、私自身のプレイスタイルを貫いた先に見えるものと重なっていたことだと思う。
私は思うままに好き勝手やって、派手に暴れるのが大好きなのだ。整えられた道を素直に歩くより、道そのものを踏み荒らして、そこにどんな反応が返ってくるのかを眺める方が性に合っている。我らが主神の求めた絶望と混沌というものも、言葉の重さこそ違えど、私にとってはそこまで遠いものに感じられなかった。
根本的に意地悪が好きなのだ。慌てふためいて、罵詈雑言を浴びせてくるあの梅みたいな顔を眺めるのが、なんとも言えない心地良さを沸き上がらせてくるのだ。
そして意外にも欠かせないと思ったのが、結果的に世界の敵に成れるかもしれないという点だった。そんなものに何の意味があるのか、と言われれば返答に困る。困るのだが、これはもう生来の癖のようなものだから仕方がない。
子供の頃に読んだ物語や、ゲームの中で出会った圧倒的な敵役。理不尽で、強大で、主人公たちの前に立ちはだかる存在。ああいうものに対して、私はずっと妙な憧れを抱いていた。
悪を成したいというより、盤面を動かす側に立ちたい。誰かに用意された英雄譚の中で称賛されるより、世界のど真ん中に巨大な傷をつけて、全員の視線をそこへ向けさせたい。そういう幼稚で、歪で、しかし妙に捨てきれない願望が、私の中には昔から居座っている。
そんなことをツラツラと語ってみせた。口から出任せというほど軽くはなく、かといって事前に組み立てていた理屈でもなかったが、歩きながら言葉にしてみると、自分の中でも妙に腑に落ちるものがあって、それが少しおかしかった。
「失礼つかまつった。以前にも何度か聞きましたが、やはり少し特異なようで」
ロヨンの声には、困惑と納得が半分ずつ混ざっていた。ガスマスクのせいで表情は分かりにくいが、こちらを見る角度に、どこか珍獣を観察するような慎重さがある。
なんだよ、何が言いたい。
それは私が一番分かっているさ。でも、VRMMOって本来そういうものだろう? 自分じゃない誰かになって、第二の人生を送るってコンセプトが、その根底にあるじゃないか。好きにやって、BANされたらそこで終わり。それまでは、好き勝手やったって良いではないか。
我ながら酷い理屈だと思った。だが、酷い理屈であっても、本当にそれがこの世界の面白さでもある、と少なからず私は思っているのだ。
現実の私は、多分ここまで開き直れない。けれどルイスという身体と、この異様な機械の身があるからこそ、私は自分の中の物騒な憧れを、遊びとして外へ出せている。
ロヨンは少しだけ黙り込み、それから低く喉を鳴らした。笑ったのか、呆れたのか、その判別はつかなかった。
まあ、他人の評価で私のこの旅路を変えるほど生半可な思いじゃないのだから、最終的にはどうでも良いことだが。
そんなこんなで戦闘跡地に辿り着いた。やはり、そこには今もはっきりとした傷跡が残っていた。地面は広い範囲で抉れ、赤黒く固まった溶岩の名残が波打つように広がっている。岩槍のいくつかは途中で折れ、切断面には高熱で炙られたような艶があった。あの時の爪痕と熱と咆哮が、形だけを残して乾いた大地に沈殿している。
当然、ここにモリアの姿は見当たらなかった。さてどうしたものか。とりあえずメッセージでも送ってみるかと思案し、メニューを開こうとしたところで、ふと視界の奥に妙なものが映った。
ずっと向こうに聳える岩槍の影から、ドス黒いオーラのようなものが漏れ出ている。
それは煙のようであり、霧のようでもあった。黒というより、光を吸い込んで濁らせた闇の塊が、岩陰からじわじわと滲み出している。見ているだけで、喉の奥に乾いた苦みが広がるような、不快な圧があった。いかにも邪悪で、触れれば装甲ごと腐り落ちそうな雰囲気がある。
ん?
ただ、周囲の環境そのものには目立った変化が見えなかった。岩は溶けておらず、地面も腐食していない。草木の乏しい土地だから生命反応で判断するのは難しいが、少なくとも見える範囲で地形が歪んだり、熱を帯びたりしている様子はない。
あれだけ不吉な見た目をしていながら、その黒い霧はただ重力に従うように地面へ薄く広がり、岩槍の影の内側でゆっくり流れていた。
これ、やばいモンスターがいた感じか……?
ここまで来てデスポーンするのは面倒だし、隠れてやり過ごすのが得策だろうか。そう考えて、私は岩槍の陰に視線を走らせた。身を潜められそうな亀裂はいくつかある。ロヨンを連れて下がることもできる。相手の正体が分からない以上、まず観察に徹するのは悪くない判断だ。
けれど、足が自然と止まった。
いや、隠れるのはなんだか性に合わない。一度はやり合うか。
その結論に至った瞬間、私は姿勢を低くし、いつでも踏み込めるように重心を整える。腕の関節が小さく鳴り、指先に力が通った。ロヨンも私の変化に気づいたのか、背後で息を呑む気配を見せる。
「ルイス殿、あれは……」
「分からない。だから、とりあえず確かめよう」
黒い霧が、岩陰の向こうでふわりと揺れた。次の瞬間、その奥から何かが姿を現した。
それは、一見すると枯れ木を人の形に編み込んだような異形だった。細い枝を何本も束ねて胴体にし、節くれだった根を手足のように伸ばしている。肩や肘にあたる部分は妙に角張り、頭部らしき部分には乾いた蔓が絡み合っていた。肌にあたるものは樹皮とも骨ともつかず、赤茶けた荒野の中に立つその姿は、この乾燥した大地に妙なほど似合っていた。
なんか、マズくないか?これ……。
不気味だった。見た目だけなら、岩槍の広場に潜む呪われた木霊か、干上がった死体が大地の魔力を吸って立ち上がったように見える。しかも、あの黒い霧を纏っているせいで、初見の威圧感はなかなかのものだった。
だが、すぐにおかしな点に気づいた。
動きがすごくコミカルなのだ。
異形は岩陰からひょこっと顔を出すと、左右を忙しなくキョロキョロと見回した。警戒しているというより、迷子が集合場所を探しているような仕草だった。かと思えば急にしゃがみ込み、地面に落ちていた小石のようなものをつまみ上げ、しばらく観察してから、どこかへしまうような動作をした。インベントリに入れたのだろう。枝の指先が空中を軽く払うと、その小石はすっと消えた。
さらに異形は、別の方向へ数歩歩いて、今度は岩の欠片を拾い上げる。持ち上げた瞬間に首を傾げ、少し考えたあとでまたしまう。何かを採集しているようにも見えるし、初めて来たフィールドで素材を片っ端から拾っているプレイヤーのようにも見えた。
私は構えたまま、思わず目を細めた。
あー、うん……。
どうも、人類種ではあるらしい。少なくともモンスター特有の殺意や、こちらへ即座に襲いかかってくる気配は薄かった。では、あんな種族があったか。枯れ木の集合体みたいな見た目のプレイヤー種族など、私の記憶には引っかからない。とはいえ、このゲームの種族幅は妙に広い。私自身だって、他人から見れば大概な姿をしているはずだ。
そう考えながら観察を続けているうちに、遅ればせながら、ひとつの特徴に気づいた。
あの特徴と仕草、モリアにそっくりじゃないか。ファーストインプレッションの衝撃に、失念していた……!
周囲を確認する時の首の振り方。珍しいものを見つけると、とりあえず拾ってインベントリへ入れる癖。警戒しているのに、好奇心が勝って一歩前へ出るあの感じ。外見だけを見ていたせいで気づくのが遅れたが、動きの端々に覚えがありすぎる。
界隈では有名ではないか、好奇心が天元突破したデータマンチだって。何でも調べなければ気が済まない面倒な奴だって……。
私は構えを解き、警戒を残したままゆっくりと歩み寄った。いきなり近づきすぎれば驚かせるかもしれないので、手を見える位置に置き、敵意を示さないようにする。ロヨンが背後で困惑したように身じろぎしたが、私は軽くそれを制した。
そして、試しに小さく手を振ってみた。
枯れ木の異形は、こちらの動きに気づいてぴたりと止まった。頭部の蔓がわずかに揺れ、こちらを見ているらしい角度で固まる。数秒の間があった。やがて向こうも何か得心がいったように、控えめに片手を上げ、枝の指をぎこちなく振り返してきた。
ああ。
全身から力が抜けた。どうやら本当にモリアらしい。外見が予想外すぎて一瞬身構えたが、動きと反応が一致すれば疑う理由は薄くなる。
私はさらに近づこうとした。だが、そこで足が止まった。モリアの周囲を覆っている、闇を押し固めたような霧が問題だった。今は特にこれといった影響はないが、この体が溶けたりしたら面倒だ。さて、どう近寄ったものか。近づける距離には限界があった。
私はその場で足を止め、モリアへ向けて身振りで伝えた。黒い霧を指差し、自分の胸元を指し、次に左手で押し返されるような動作をする。あまり優雅なジェスチャーではないが、なんとか意味は通じたらしい。
モリアは「ああ」とでも言いたげに頭部を傾けた。枯れ枝の腕を組み、しばらくその場でじっと立つ。何かを念じているのだろうか。周囲の黒い霧が、ゆっくりと彼女の足元へ吸い込まれるように縮み始めた。地面を這っていた闇が薄くなり、岩陰の濁った空気が少しずつ晴れていく。
やがて、それはぱっと消えたように見えた。
私は慎重に一歩踏み出した。今度は先ほどの刺すような違和感が来ない。二歩、三歩と近づき、ようやく普通に会話できる距離まで辿り着く。
「ルイスです。後ろのガスマスクはロヨン。たぶん分かっていると思うけど、一応改めて」
「お久しぶりですね、ルイス。ええと、ロヨンさん?も、どうぞよろしくお願いします」
そう言うと、ペコリと頭を下げる。枯れ木の異形モリアは、少し照れたように身を揺らした。表情が分かりにくいぶん、その仕草が妙に可笑しい。ロヨンは私の後ろで完全に固まっていたが、やがて礼儀を思い出したように深く頭を下げた。
それにしても、あれはなんだ。あの黒い霧は何なのか。その姿は種族特性なのか、スキルなのか、特殊な装備なのか?ギリースーツみたいな。聞きたいことは山ほどあった。枯れ木を人型に編んだような姿で、あんな不吉な霧を纏いながら、やっていることは素材拾いなのだから、情報量の落差がひどい。
だが、ここで立ち話を続けるのも具合が悪い。岩槍の広場は見通しが良いようで、意外にも死角が多い。先ほどの霧ほど分かりやすくなくとも、何かが近づいてくる可能性は十分にある。
「詳しい話はアイランドに着いてからにしよう。ここで長々と聞くには、いろいろ濃すぎる」
私はそう言って、来た道を振り返った。
ロヨンがまだモリアをちらちらと見ている。モリアはそれに気づいたのか、控えめにまた手を振った。枯れ枝の指が小さく揺れ、パチパチと乾いた音を鳴らす。その姿は相変わらず不気味なのに、動作のせいで妙に人懐っこく見えた。
こうして私たちは、岩槍の広場の中央へさらに踏み込むことをやめ、来た道を今度は三人で戻ることになった。乾いた風が背後から吹き、岩槍の影が長く地面を横切っている。その中を歩きながら、私は隣に加わった新しい異形の気配をちらりと見た。
世界の敵を目指す旅の仲間としては、なかなか悪くない絵面かもしれない。
二人目の仲間、モリアの合流です。もっとじっくりと描いても良かったのですが、この章のメインはイベントにしようかと考えているので、そこと帳尻を合わせるために軽めの表現に留めました。
一度アイランドに戻るようですね。




