第70話・閑話『林隼人、闇のゲームへ』
信じられないくらい多忙でした。
少し余裕ができたので、何話か投稿します!
目を開けると、白い石の天井が見えた。天井は思ったよりもずっと高く、視界の遥か上にある。しばらくそれを見上げたまま、ぼんやりとしていた。
「……いやあ、すごいな」
なんとも間の抜けた声が出た。
足元を見ると、如何にも駆け出しといった風の革ブーツを履いた人間の足がある。腕も、胴も、少なくとも見える範囲ではすべて人間のものだった。
まずそこに、私は少し安堵した。
ゲームを開始した直後のことを思い出すと、尚更だ。
GoAへログインした私は、ルイス君から聞いていた通り、どこか奇妙な空間に立っていた。足元も天井も分からない暗がりの中で、一部分のみがスポットライトを浴びているかのように光に包まれている。
そこにいたのは、キャラクターメイキングを補助する存在だった。
名は確か、【獣哭を宿す歪み右手】のヴェルガロウ。
うん、名前からして嫌な予感はしていた。
そして、その予感は割と正しかった。
見た目は、人間と獣を無理やり同じ袋に詰め込み、外から揉んで形だけ整えたような姿だった。痩せた人型の胴体に、毛皮のようなものと湿った皮膚がまだらに張り付き、顔は人に近いのに、頬の片側だけが獣の顎のように突き出ている。
何よりひどかったのは右手だ。
肩から先だけが異様に大きく、腕というより、巨大な肉の枝だった。その掌には顔があった。目も鼻も口もある。だが、それぞれの位置が少しずつずれていて、笑っているようにも、泣いているようにも見えた。
ブチャっと膨らんだ指は、もはや何本あるのか分からない。五本に見えた次の瞬間には七本あるように見えたのは、その指の輪郭が肉によって変形していたからだよろう。曲がった骨の隙間からは、細い獣の爪のようなものが覗いていたのはいっそう恐怖を唆る。
私はあれを見た瞬間、素直に気味が悪いと思った。
仕事終わりに触るゲームとしては、かなり胃もたれする重さだ。モンバトの牧場で、相棒モンスターに餌をやっていた方が、精神衛生上は間違いなく良いに違いない……。
私は王道ファンタジー好きの、ただのライトゲーマーなのだ。このポラリスなんていうキワモノゲームメーカーが生み出した至高の傑作は、本来なら交わることすらなかった世界の話だ。人生、分からないものである。
ただ、ここに来てむざむざとあの世界に戻るのもなんだか悔しかった。
だからこそだ。
種族選択の表示では、ヒューマンに【中庸にして賢愚の民】という見出しが付いていた。この世界で最もオーソドックスな人類で、特別な強みは薄い代わりに、環境への適応力と恩寵の受け皿の広さを持つ種族らしい。
うん、こういうのでいいんだよ。
というわけである。先程念の為手や足を確認してみたが、おかしな点はない。このゲームのことなので、なんだかんだ異形が生えていたりすることも考慮に入れていたが、幸いそこまでズレてはいなかったようだ。
クラスはテイマーにした。
理由は単純で、私は昔からモンスターを仲間にするゲームが好きだった。相棒を育て、共に歩き、戦って、たまに負けて、また育てる。絵に派手な新しさはなくても、そういう王道はこの荒んだ心に妙に染みるものがある。
そして、なんやかんやを経て、気づけばここにいたというわけだ。ここはどこだろうか。
私は改めて周囲を見回した。
広間は円形で、床には白い石が敷き詰められている。中央へ向かって伸びる金色の線が、巨大な獣の足跡のような模様を作っていた。部屋の縁に聳える柱は一本一本が太く、表面には人、獣、鳥、魚、そしてそれらが混ざり合った存在が浮き彫りにされている。
その壁際には大小さまざまな祭壇が並び、それぞれ異なる神の像が置かれていた。人型のものもあれば、完全な獣にしか見えないものもある。中には、石像なのに、こちらをジッと見ているかのような妙な迫力を持った像もあった。
室内には何人かの人が居て、思い思いに祈りを捧げているようだ。
ずっとそこでぼっ立ちしていると、視界の端に薄い表示が浮かんだ。
アルラン王国第一都市【アルラス】。
「いきなり第一都市か。随分と立派なところに落としてくれるんだねえ」
誰に言うでもなく呟く。
しばらく沈黙していると、どこからか人々の賑やかな声が聞こえた。石畳を踏む靴音、荷車の車輪、遠くで鳴る鐘、どこかの屋台から流れてくる香ばしい匂い。神殿らしき施設の中にいるのに、外の街がすぐそこにあることが分かる。
ただ、問題は出口が分からないことだった。
部屋が広すぎる。
私は少し迷った末、近くを歩いていた住人らしき男性に声をかけた。灰色の外套を羽織った、穏やかな顔の中年男性だった。
「あの、すみません。外に出たいんですが、どちらへ行けばいいんでしょう」
男性は私を見て、すぐに旅人だと察したらしい。慣れた様子で足を止め、柔らかく頷いた。
「旅人様でしたか。それなら、まずは信仰される神へ祈られるとよろしいでしょう」
「祈る、ですか」
「ええ。この大聖殿は、アルラスに降り立つ旅人様を導く場でもあります。神へ祈れば、ご自身に授けられた恩寵の真なる姿も見えましょう」
外への道を聞いたつもりだったのだが、先に祈れと言われてしまった。
色々と話しながら歩く。
「人魔神ロメルガ様の祭壇でしたら、あちらです」
男性が示した先には、人と獣が混ざったような神像があった。
その彫刻を見る限り、上半身は人に近い。だが、肩甲骨あたりから大きな二対の羽根が生え、宙に尾が何本も伸び、腰から下は四つ足の獣に似ている。足元には狼、鹿、蛇、小さな鳥、何かの魔物らしき生き物が寄り添っていた。
最初に見たヴェルガロウほど生理的にきつくはない。むしろ、不思議と落ち着いた顔をしていた。人と獣と魔物の境目に立ち、それらを一つの輪へ入れようとしている神。そんな印象だった。
テイマーというクラスを選んだ私がこの神を信仰することになったのは、たぶん偶然ではないのだろう。
私は祭壇の前へ進み、辺りでそうしている人が居るのを見て、同じように膝をついた。
白い床石は冷たい。両膝に硬さが伝わり、日本の古い姿を再現したVRで体験したプールタイルを思い出した。
いったい何を考えているんだろうね、私は。
とりあえず、両手を胸の前で重ねて頭を下げた。
しばらくそのままにしていると、視界の前にウィンドウが展開される。
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▼基礎情報▼
♦名前:ヤト
♦種族:《ヒューマン》
♦属性:人
♦位階:1
♦レベル:1
♦クラス:テイマー
♦所属:なし
♦信仰:人魔神ロメルガ
▼ステータス▼
♦HP:80/80
♦MP:30/30
♦筋力:10
♦魔力:8
♦装甲:3
♦物耐:8
♦魔耐:8
♦速度:9
♦器用:12
♦精神:11
♦運気:7
▼状態▼
■獣臭過多/獣・魔獣系存在からの警戒上昇(大)
■小獣威圧/一定距離内の小型獣が逃走しやすくなる
■接触拒絶/獣・魔獣系への接触時、拒絶反応を誘発(中)
■調伏不全/捕獲・調伏行動の成功率低下(中)
■餌付け不和/餌付け、対象の警戒上昇
■初縁難航/初回契約判定に強い不利補正
■命令遅延/興奮状態の対象へ指示が通り難くなる
■群外認定/群から異物として認識されやすくなる
■孤影の壁/従魔を持たない間、獣系存在との関係構築難度上昇(大)
▼恩寵▼
■獣も避ける人臭
■手綱を持たぬ乾いた掌
■叫ぶも届かぬ声
■溢れ者の影
▼称号▼
♦【動物に嫌われし者】
♦【孤独のテイマー】
♦【群れの外より手を伸ばす者】
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「……うん」
私はしばらく黙って、それを眺めた。
テイマーである。
モンスターを仲間にして、育てて、戦うことができる在り来りな一職業である。
その最初に表示された恩寵が、獣も避ける人臭、手綱を持たぬ乾いた掌、叫ぶも届かぬ声、溢れ者の影だ。我ながらマズい物を選んだ気がしないでもない。
うむ、これは嫌な予感しかしないぞ。
続けて、祭壇の光が少しだけ強まった。神像の足元に彫り込まれた獣たちの輪郭が、淡い金色に浮かび上がる。表示されていたウィンドウが一度薄くなり、今度は別の情報へ切り替わった。
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▼恩寵詳細▼
■獣も避ける人臭
┣♦濃すぎる人の匂い/獣・魔獣からの警戒上昇(大)
┣♦近づけば立つ毛/一定距離内の獣系存在が逃走しやすくなる
┗♦馴染まぬ体温/接触時、対象の拒絶反応を誘発
■手綱を持たぬ乾いた掌
┣♦空回る指示/捕獲・調伏行動の成功率低下(中)
┣♦強張る掌/餌付け時の対象警戒上昇
┗♦結べぬ縁/初回契約判定に強い不利補正
■叫ぶも届かぬ声
┣♦通らぬ呼び声/獣・魔獣への意思疎通難度上昇(中)
┗♦遅れる命令/興奮状態の対象へ指示が通りにくい
■溢れ者の影
┣♦異物の気配/群から敵対視されやすくなる
┣♦乱れる群れ/群れの近辺で異常が発生しやすい
┗♦初縁の壁/従魔を持たない間、獣系存在との関係構築難度上昇(大)
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「いやあ」
思わず声が漏れた。
あまり意識せず、ひっくり返したら強力なバフになると思って選んだ恩寵たちが、今になって酷く面倒なものに見えてくる。
「どうせろくな目に遭わないとは思ってたけどさ」
私は祭壇の前で、ゆっくり息を吐いた。
「これは、なかなか丁寧にろくでもないねえ」
テイマーである。
モンスターを仲間にする職業である。
その職業に、動物や魔獣から警戒され、近づけば逃げられ、触れば拒絶され、声をかければ威嚇され、群れには異物扱いされる恩寵が綺麗に四つも並んでいる。
私に何をさせたいんだ、このゲームは。モンスターをテイムできないテイマーに、いったいどれ程の需要があるというのだろうか。
いや、分かっている。選択肢にあったどの恩寵からも、簡単に懐いてくれる相棒など用意するわけないだろうが、というメッセージを感じたのだ。こちらから手を伸ばし、拒まれ、それでも距離を測り、どうにかして最初の一匹へ辿り着く。そういう遠回りをさせたいに違いない。
悪意は間違いなくあるんだろうなあ……。
けれど、ただの嫌がらせだけで作られているわけでもない。最初から懐いてくれるモンスターを探して、餌をやって、はい仲間になりました、という王道からはかなり脇道に外れている。
外れているが、もしこの恩寵を抱えたまま最初の一匹に出会えたなら、そのことはきっと忘れられない思い出になるだろう。素晴らしいゲーム体験云々は横に置いておくとして、だ。
そういう作りなのだと思う。
仕事だけで十分疲れているんだよ、こちらは。
それでも、ここであれこれ投げ出すにはのは違うんだよね。なんたって、あのルイス君に誘われたのだ。
あの子がわざわざ声をかけてきた。たぶん今頃、この陰鬱な世界のどこかで、本人だけは楽しそうに碌でもないことをしているのだろう。正直、そこに混ざる自分を想像すると胃が重くなる。
「まあ、始めたら教えるって言ったしねえ」
私は膝に手を置き、ゆっくり立ち上がった。
神殿の外から、街の喧騒が流れ込んでくる。アルラスという街は、すでにこちらを待っているようだった。
「まずは……逃げない動物を探すところからかなあ」
うーん、かなり情けない目標だった。どうするべきか。
私は祭壇へ軽く頭を下げ、とりあえず画面端に表示されているチュートリアルを熟すべく、大聖殿の出口へ向かって歩き出した。
ということで、テイム不全テイマー、ヤトです。




