第54話『広場を抜けて・後編』
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最初は低い丘程度に見えたが、近づくほどにその大きさがはっきりした。うん、とてつもなく大きいな。なんだこれは。
赤砂が長い時間をかけて積み重なり、なだらかな斜面を作っている。頂の線は風に削られて殊更に滑らかで、曇った空を背景に、赤い刃のような稜線を描いていた。
「これを越えるのですな」
ロヨンが愕然とした様子で砂丘を見上げた。うん、私も全く同じ気持ちだよ……。
「あー、水鏡の窪地とやらが本当にあるとするなら、この向こうにあるのか」
《砂丘の反対側に低地が存在する可能性があります。視界遮蔽により詳細は不明です》
「まあ、登る価値はあるか」
砂丘の麓には、これまでより多くの遺構が埋もれていた。
低い石壁が砂に飲まれ、円形の台座が半分だけ顔を出している。柱の根元らしきものもいくつかあった。まるで、かつてこのあたりに広場か門のようなものがあり、それを砂丘がゆっくり飲み込んでしまったかのようだ。
風が吹くと、斜面の表面をサラサラと赤砂が流れ落ちた。こういう風景を耳に優しいBGMと共に流しておけば、どこかに需要がありそうな風景ではある。
この赤砂の様子は、その滑らかな動きがほぼ水 のように見えた。砂の粒は細かく、光を受けて鈍く輝く。赤いはずなのに、角度によっては銅色にも、紫がかった茶色にも見えた。
自然物でありながら、どこか金属的な冷たさを感じさせる不思議な色だ。
私たちはそのまま砂丘の斜面に取りついた。
ロヨンは杖で砂の様子を確かめながら、斜めに進む経路を選ぶ。その理由はよく分からないが、真っ直ぐ登るよりも距離は伸びる代わりに、斜面の急な箇所を避けられるらしい。彼の杖先が砂を突くたび、乾いた粒が波となって小さく崩れた。
「この砂、なかなか厄介ですな」
「見ている分には美しいんだけどね」
まあ、たしかにかなり厄介だ。足を構成する際に生じてしまう隙間や機構の一部に、小さな砂粒が流れ込んできているのが分かる。それが原因で動けなくなるほど甘い作りではないが、嫌な感覚は止まない。
まあ、この点は我らが機神様に感謝だね。しっかりと作り込んでくれて助かった。エクス・マキナ・アポカリプスよりもグレードが下がる絡繰兵・一兵卒であるとはいえ、この機体もかなり精巧に作られているのだ。
「ふむ、やはり足場としては、あまり信用できませぬな」
「まあ、どこまで行ってもこれは砂だからね、仕方あるまいよ。砂の上で自由気ままに動ける奴なんて、そうそう居ないさ」
私の言葉にロヨンが笑う。
斜面を進むにつれて、景色はゆっくり変化した。
視界の下に広がる赤砂の原が、少しずつ低くなっていく。さっき通ってきた柱や土台が、点のように見え始めた。岩槍の広場はさらに遠く、黒い針の群れとして地平に刺さっている。あの中での戦いが、ずいぶん前の出来事のように見えた。
いや、実際にかなり前の出来事で間違いないか。あの戦闘からどれだけの時間が過ぎたのだろうか。システムを起動して現在時刻を確認すると、あの激戦より丁度五時間ほどが経過していたようだ。
長時間のフルダイブはオススメされていないのだが、楽しいから仕方ないね。
そんなこんなで登り続ける最中にて、この斜面の周囲には、風で露出した古い石材が点々とあった。
「この下にも、何か埋まっていそうだね」
「ええ。砂が隠した遺跡というものは、学者にとっては大変魅力的ですぞ」
「いつか掘るかい?」
「今すぐ、と申し上げたいところですが」
ロヨンは砂丘の上を見た。
「まずはそのオアシスを目指すべきですな。儂にも、ルイス殿にも、その方がよろしい」
「そうだね、その方が賢明だと思うよ」
「後ろ髪を引かれる思いではありますが」
たしかにここらを発掘するのは大変楽しい作業になるだろう。出土したものを見てあれこれ考えるのも、きっと魅力的なことだ。ただ、私たちの目標はここらで機神様の祭壇を見つけることで、その前に火属性耐性低減のの緩和を目指すことだ。
たしかに機神様の祭壇がこの下に埋まっている可能性もあるにはあるが、ここらを掘り起こす前に全体的な下調べは不可欠だろう。ここらを苦労して掘り返した後に、実はあっちに丸々露出してました、なんてことになれば、本当に笑えないからね。
砂丘の上へ近づくにつれ、幾分か風が強くなった。
地表を這っていた風が、稜線を越えるところで一気に速度を増しているのだろう。赤砂が薄く舞い、空気の中に細かな粒が混じる。
視界の端で、砂が霞のように流れた。空は相変わらず曇っているのに、その砂の膜だけが淡く光り、世界全体を赤い薄布越しに見ているようだった。
頂上の稜線は、もうすぐそこにある。
赤砂が風に運ばれ、滑らかな曲線を作っている。当然のように稜線の向こう側は見えない。ただ私たちの遥か上を灰色の空だけがどこまでも広がり、その境目に赤い丘の線が引かれている。
私たちは最後の数歩を進み、やっとこさ砂丘の頂へ出た。
パッと途端に風景が開いた。その瞬間、赤い世界の中に青が現れた。
砂丘の向こう側は、広い窪地になっていた。赤砂の斜面がなだらかに落ち込み、その中心に大きな水溜まりがあった。
それは湖というには慎ましく、池というにはあまりに存在感がある。丸みを帯びた水面が、曇った空を映しながら静かに揺れていた。
あれこそまさにオアシスだ!
雲越しの鈍い陽光が、水面で細かく砕けている。風が吹くたびに小さな光の粒が移動した。赤砂の中に置かれたその水は、まるで乾いた大地が隠し持っていた宝石のようだ。
そして水辺には、低い緑があった。
背の低い草、細い葉を持つ灌木、砂に半ば埋もれた根。どれも慎ましく、風に揺れるたびにその水面へと淡い影を落としている。赤と黒と灰色ばかりの土地を歩いてきた後では、その緑が驚くほど鮮やかにに見えた。
加えて、湖の周囲には柱が立っている。
先ほどの赤砂の原にあった柱より、いくらか形を保っているようだ。数本はまっすぐに立ち、数本は水辺へ向かって傾き、いくつかは倒れて半分ほど水に沈んでいる。
うむ、大変絵になる光景だ。これを絵画にして家に飾っておきたい。
柱の配置は、湖を囲む円の一部のようにも見えた。水面の下には、石畳らしき線が沈んでおり、浅瀬では四角い板の継ぎ目まで見えた。
オアシスの中に何かが有るのか?ここからではよく分からないが、近付けば詳しく調査できるだろう。
「……水鏡の窪地」
ロヨンが小さく呟いた。
その名は、確かにこの場所にふさわしいと思った。その呼び名通り、あの湖は空を静かに映している。曇天でさえ、水面に落ちると少しだけ柔らかく見えるから不思議だ。
「これは、見事だね」
素直にそう言った。
ロヨンは何度か頷き、杖を握り直した。
「ええ。古い記述も、誇張ばかりではなかったようですな」
「赤い乾きの先に、空を映す水。なかなか詩的じゃないか」
「旅の神官というものは、時に目に映したものを学者よりも美しく描くものです」
そうなのか?ふむ、そうなのか。
私はふと湖の中央に目を向けた。
水面から、小さな黒い石のようなものが覗いている。島というほど大きくはない。崩れた台座の上部か、沈んだ構造物の一部だろう。そこだけ水の流れが違い、周囲に細かな波紋が生じている。
《中央部に人工物らしき反応。詳細解析には接近が必要です》
「焦らなくていいさ。まずは湖畔を目指して、だ」
私たちは砂丘を下り始めた。
下りの斜面では、赤砂が足元からスルスルと流れ落ちる。砂粒が滑り、細い線をいくつも作りながら下へ向かう。その線の幾つかが途中で合流し、小さな砂の滝のようになった。風が横から吹くと、流れ落ちる砂がふわりと舞い、赤い霞となって消える。
近づくほど、水の色が変わった。
頂上からは青く見えた水面が、斜面を下りるにつれて、灰色、銀色、淡い緑を帯びていく。水辺の浅いところでは底の石が透け、赤砂が水中へ溶け込むように広がっていた。深い部分は暗く、曇った空をそのまま沈めたような色をしている。
上から見るとただ空を映していたその鏡が、赤や緑を映していたことに思わず息を飲んだ。
湖畔の柱群も、近くで見るとさらに奇妙だった。
柱の表面には、縦溝が刻まれている。溝の中には赤砂が詰まり、ところどころに苔のようなものが薄く張り付いていた。柱の根元には丸い台座があり、その周囲には水路の跡らしき浅い溝が走っている。かつて、この水を何らかの形で巡らせていたのかもしれない。
「自然のオアシスにしては、随分と整っているね。まるでつい先程掘り起こされたみたいだよ」
「ええ。水場を中心に、何かを築いたのでしょうな。祈りの場か、休息地か。それは詳しく観察せねば分かりませぬが」
ロヨンは水辺へ近づくと、まず杖の先を湖面へ向けた。
青い光がほんの少しだけ水へ触れ、波紋が広がる。湖は静かにそれを受け入れ、反射した光を柱の影へ投げた。
「毒は感じませぬ。瘴気の濁りもない。もちろん、飲むならさらに確かめますが、少なくとも近づくだけで害を成す水ではなさそうですな」
湖のそばには、平たい石がいくつも並んでいた。
崩れた階段の名残か、かつての岸辺の舗装か。石は水に濡れ、テカテカと表面に薄い光をまとっている。赤砂に覆われていない部分は灰色で、端には細かな文様が残っていた。波が触れるたび、文様の溝に水が入り、すぐに引いていく。
私はその一つへ腰を下ろした。
目の前に湖が広がる。
水面の向こうに、倒れた柱が半分沈んでいる。その柱の上を、小さな葉が一枚流れていった。細く、くすんだ緑色の葉は、波に揺られながら中央の黒い台座の方へと漂っていく。
ああ、やはり水は美しいな。とても怖いけれども。私の命を度々脅かしてきたからこそ、蠱惑的な感覚があるのだ。入りたいとは思わないけれど、祭壇を探索するという名目でなら、思わず入れてしまいそうだ。
周りに残る柱や石畳が、この場所の時間の長さを伝えてくる。誰かがここを見つけ、石を置き、柱を立て、水辺に意味を与えた。その誰かはもういない。残ったのは、赤砂と水と、半ば沈んだ遺構だけだ。
私は湖面を眺めたまま、しばらく黙った。辺りを静寂が包み込む。ロヨンは少し離れた位置で柱を調査しているらしい。
岩槍の広場の熱と騒音が、遠くに置き去りにされたようだった。柱の影が揺れ、雲の光が水面でほどけている。
ああ、これほど静かな場所にたどり着いた直後に、溶岩蜥蜴の素材を解体し、火に耐えるための機構を作ろうとしているのだから、我ながら風情の壊し方が上手い。
「ここでしばらく休むのは如何かな?」
ロヨンが近付き、そう言った。
「そうだね。称号の確認も、素材の整理も、それからだ。まずは一休みか」
このゲームをプレイする中で、美しい水辺でのんびりとする時間があるとは。思いもしなかったな。ボンヤリとしながら、ふと浮かんだことを特に考えもせず口に出す。
「せっかくの綺麗な景色だ。汚すなら、意味のある汚し方をしたいな」
ロヨンは一瞬黙り、それから困ったように笑った。
赤砂の窪地に隠された水鏡は、私たちの影を静かに受け止めていた。これから始まる作業がどれほど血生臭く、熱を帯びたものになるとしても、今この瞬間だけは、ただ美しい場所としてそこにあった。
そんなわけで。
私はインベントリから溶岩蜥蜴の死骸を無遠慮に取り出した。それはドスンという重い響きを伴って、この美しい湖畔の一つのアクセントとなった。
オアシスの中央にあるらしい何か。果たして……
お次は蜥蜴の腑分けですね。なお、この溶岩蜥蜴くんはファンタジーの存在なので、その臓器の位置や身体構造は、もちろん現実の物を再現しておりませんので、その点は悪しからず!




