第102話『第一回イベント⑧双星』
お久しぶりの投稿となってしまい、申し訳ありません。
以前にも活動報告でお知らせしたとおり、入院が必要な病気にかかってしまい、しばらく病院のお世話になっていました。幸い、現在はこうして更新を再開できる程度まで落ち着いております。
入院生活で得たものといえば、健康の大切さを実感したことと、病院食のおかげか、元々そこまで多くなかったはずの体重がさらに減ったことでしょうか。
冗談はさておき、更新を楽しみにしてくださっていた読者の皆様を長くお待たせしてしまったことを、心苦しく思っています。お休みしている間にも作品を読んでくださった方、感想や応援を寄せてくださった方、本当にありがとうございました。皆様の言葉に何度も励まされました。
まだしばらくは体調と相談しながらの更新となりますが、無理をして再び長く休むことのないよう、少しずつ物語を進めていきたいと思います。
改めまして、これからも本作をよろしくお願いいたします。
白灰色の操作盤に置いた左手の下で、光がすっと細く絞られた。
次いで、選択した二つの星を起点として淡い波紋が広がり、操作盤の縁から床へ流れ落ちていく。埋め込まれた線が順番に明滅し、その光は正面に漂う靄の根元へフワリと吸い込まれた。
前回と同じ流れなら、これで曖昧な形の入口が肉を帯びるはずだ。
私は左手を離し、わずかに傾いた姿勢を整えた。床を踏み直し、正面へ意識を向ける。そこに浮かんでいるのは、未だ輪郭の定まらない門だった。
霧とも煙ともつかない白い揺らぎが、空間へ縦長の穴を穿っている。奥を覗いても景色は映らず、濁った光が奥へ手前へと行き来するばかりだった。
その靄が、下端から静かに固まり始めた。
最初に現れたのは石の敷居だ。キラキラと濡れたような光沢を帯びた煉瓦が、一つ、また一つと空間から押し出されるように並び、足元に白灰色の段差を作る。続いて両端が持ち上がり、歪な煉瓦を積み重ねた柱へと変わっていった。
馴染みある赤煉瓦ではなく、白煉瓦なのが不思議だ。
よくよく観察すると、それ等の煉瓦は均一な形をしていなかった。角が丸く摩耗したものや、表面が浅く抉れたものが混ざり、目地には細い影が沈んでいる。生成されたばかりの入口でありながら、長い年月を湿った土地で過ごしてきたような古び方だった。
白さの中へ、黒い汚れが筋となって入り込んでいる。
雨垂れにも煤にも見える染みは、煉瓦同士の隙間から下へ伸び、場所によっては今も濡れているような艶を残していた。柱の上部では石材が見事な弧を描いて繋がり、アーチの中央に小さな鐘の意匠がフッと浮かび上がる。
鐘も周囲と同じ素材で作られているが、その内側は底を覗けないほど黒く染まっていた。とても軽やかな音を奏でそうには見えない。
最後に、門の内側を満たしていた靄が薄れる。
中途半端な揺らぎが静まると、先程見た門と同じような風貌へと変わった。きっとこの門を潜れば、この白煉瓦が指し示すインスタントダンジョンへと入場出来るわけだ。
前回のダンジョンには【彷徨う醜鬼の腕試し】という名前があった。攻略後の表示で初めてそれを知り、入口の時点で空間そのものを鑑定しなかったことを少し悔やんだばかりだ。
同じ見落としを二度繰り返すほど、私は愚かではない。この状態で鑑定できるのかという検証も含めて、一旦挑戦だ。
「マリー、簡易鑑定」
《実行します》
数秒後、半透明のウィンドウが開いた。
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【水没礼拝堂の巡礼路】
境界迷宮踏破戦において生成された小規模インスタントダンジョン。水没した礼拝堂と巡礼路を中心に構成され、水路、鐘、罠、複数戦闘、最奥領域の敵性存在との戦闘を通じ、基礎的な探索能力と継続戦闘能力を確認するための巡礼を目的とした領域。
難易度:☆☆
攻略状態:未攻略
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「水没礼拝堂の巡礼路」
前回よりも随分と情緒のある名前だった。
腕試しという分かりやすい言葉が、今度は巡礼に置き換わっている。ダンジョンの具体的な構成まで教えてくれているが、まあポラリスを素直に信じるかと言われると……。
色々と予想外なことを想定しておくべきだね。
「さて」
ここで長々と時間を浪費するつもりはない。私は出来上がった門へ向けて足を進める。白く整えられたその門は、絶妙な汚れによって妙な完成度を得ている。清らかな場所の上から時間と腐敗だけを丁寧に塗り重ねたような佇まいだ。
「まあ、なんでもいいか。行こう」
いい加減見飽きた。
《はい》
私は一思いに敷居を跨いだ。
境界を越えた瞬間、視界の縁が水面のようにプルプルと揺れた。足裏から返る硬さが変わり、周囲の温度も一段下がる。ほんの一歩で操作盤の置かれた特設領域は消え、私はチロチロと水の流れる広い回廊へ立っていた。
最初に目を奪われたのは、頭上の群青だった。
高い天井を想像していた場所には、薄雲の浮かぶ鮮やかな色を湛えた空が広がっている。太陽の姿はどこにも見当たらないのに、どこからか柔らかな光が降り注ぎ、濡れた石材の表面を明るく照らしていた。
どんよりとした色の空に慣れた私としては、些か面食らったと言わざるを得ない。今までプレイしてきたフィールドの多くは、曇り空がデフォルトだからね。
ただ、光には確かな温かさがある。
「思っていたより、随分明るいな」
《照度は十分です。視界を阻害する霧や暗所も、現在地点には確認されません》
回廊は十人が横に並んでも余裕がありそうな幅を持ち、その中央を浅い水が流れていた。底まで透き通った水面の下には白灰色の煉瓦が敷かれ、ところどころに刻まれた細い溝が流れを奥へ導いている。
水深は踝以下程度だ。足を進めるたびに小さな波が生まれ、頭上から落ちる光を白く瞬くように細かく砕いた。
「うーん」
道に沿って、巨大なアーチが規則正しく連なっている。左右を遮る物と言えば、そのアーチの柱くらいだろうか。
一つを潜れば、その先に次の曲線が待ち、さらに奥にも同じ形が重なっていた。白の石壁に遠近が刻まれ、視線を自然と回廊の先へ引き込んでいく。
アーチとアーチの隙間からは、外庭を思わせる段状の空間がハッキリと見えた。丸く刈り込まれた低木が石縁の内側に並び、細い水路から小さな滝が流れ落ちている。光を受けた水は銀色の帯となり、下の溝へ注いで澄んだ音を鳴らした。
青い空。柔らかな陽光。整えられた緑。透明な水。礼拝堂へ向かう者の心を落ち着かせるために造られたのだとすれば、よく出来た景色だった。
「綺麗だね」
戦闘用のダンジョンに足を踏み入れて出る言葉としては、少し気が抜けているか。それでも、あの窖とは雲泥の差がある。
暗い洞穴や血臭い祭壇を予想していたところへ、穏やかな庭園を差し出されたのだ。警戒を解くつもりはないが、感心まで抑える必要もないだろう。
アーチの隙間から庭へ出ることも叶うだろうが、先へと続く順路が正解は此方だと訴えて仕方がない。とりあえず進むか。
アーチの表面には文字か紋様が刻まれていたものの、摩耗と黒い汚れによって形が崩れ、読み取ることはできなかった。
アーチの上からは細い蔦が垂れ、湿った葉が影を落としている。水の流れる音に混じり、遠くから鳥の囀りまで聞こえてきた。
ピチャピチャと水音を奏でながら歩くも、どこか緊張感が無いな。
「ここまで穏やかだと、かえって落ち着かないよ」
鑑定結果には、罠と複数戦闘が有るとハッキリ明記されていた。
暖かな光も、透明な水も、手入れされた庭も、見方を変えれば攻略者の足を止めるための仕掛けとして使える。ふと美しさに気を取られた瞬間、足元から槍を突き上げるくらいのことは、ポラリスなら喜んでやるだろう。
そう考えると、この景色への好感も少し増した。善意だけで作られた無垢なる美しさより、底に悪意を沈めた景色の方が眺め甲斐があると思っているからだ。
そんな調子でしばらく歩く。
幾つ目かのアーチを抜けると、水路は緩やかに右へ曲がっていた。光の差し込む角度が変わり、曲がり角付近の壁だけが薄暗く沈んでいる。とはいえ、それがなんだという話ではあるが。
私は歩幅を狭めた。
その時、澄んだ水音へ正体不明の硬い音が混ざった。
カツ、と。
機械の脚を止め、水面へ広がった波が消えるのを待つ。
少し遅れて、同じ音が二度続いた。
カツ。カツ。
石へ硬いものを打ち付けている。規則に従った一定の間隔ではなく、片足を引きずる者が身体を支える度に杖をついているような音だった。
《前方の曲角より移動音。接近しています》
「うん、そうみたいだ」
私は左手を軽く開き、指の動きを確かめた。
明るい場所だからこそ、曲がり角から伸びてくる影がよく見える。細長く歪んだ影は一歩ごとに角度を増して傾き、一部が上がっては下がってを繰り返す。
カツ。
最初に姿を現したのは、木製の杖だった。
湿気を吸って黒ずんだ杖の先端に、末広がりの飾りが付いている。扇を開いた形にも、雑に削り出した花弁にも見えた。歩行を助けるだけの道具にしては、妙な意匠だ。
続いて、杖を握る手が角の向こうから出てきた。
皮膚は深い紫へ変色し、膨れた指の関節から赤黒い肉が覗いている。濁った黄色の爪の下には黒い汚れが溜まり、指先から粘り気のある液体が細い糸を引いていた。
その手に引かれるようにして、持ち主が姿を現す。
宗教装束をまとった、不死者だった。
白かったはずの長衣は水と汚物を吸い込み、灰色と黒と赤褐色の染みに覆われている。重く濡れた裾を引きずる度、濁った液体が澄んだ水路へ落ち、透明な流れを汚していった。
胸元には刺繍らしきものが残っていた。幾つかの線が一箇所に重なり、鐘か花かを象っているようにも見えるが、布地の大部分が腐り落ちているせいで形は判然としない。
ヌッと現れた顔はさらに酷かった。
頭部の右半分が水を含んだ肉のように膨れ上がり、眼窩から押し出された眼球が頬へ垂れている。残った片目も白く濁り、その縁から黄色い膿が途切れることなく流れ続けていた。裂けた唇の奥には崩れかけた歯が乱雑に並び、口をパカパカと開く度に黒ずんだ舌が覗く。
一歩一歩進む度にその身体から何かが零れる。
膿。血。粘液。腐った肉片。
それらは眩い陽光を受けてなお生々しい艶を浮かべ、白い巡礼路へ点々と痕跡を残していた。整えられた庭と澄んだ水の中で、その腐敗だけが過剰なほど鮮明だった。
「これはまた……」
声と一緒に、僅かな嫌悪が漏れる。
暗い墓所で出会ったなら、よく出来た死体だと感心する程度で済んだかもしれない。暖かな日差しの下へ置かれたことで、紫色に腐った肉も、流れ続ける膿も、余計に目へ焼き付いた。
美しい装飾が施された銀皿の上に、腐肉を丁寧に盛り付けたような趣向だ。ビジュアル自体は嫌いではないが、かといって進んで近付きたいとも思わない。
不死者の残った眼が、ゆっくりと私へ向いた。見えているかも分からない濁った目が、同じくこの場に不釣り合いな我が身を捉える。
焦点の合わない濁った瞳が僅かに揺れ、裂けた口から空気の抜ける音が漏れる。祈りの言葉を口にしようとして失敗したのか、それとも腐った肺が勝手に鳴っただけなのか。
どちらでも構わない。
「マリー。簡易鑑定」
《実行します》
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▼基礎情報▼
♦名称:腐敗の呪いに冒された神官
♦属性:不死/腐敗
♦レベル:16
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「相変わらず簡素だけど、まんまだ……」
腐敗の呪い……、これ、神罰とかではないだろうか?詳しいアレコレは分からないが、何か大きな力によって歪められているように思えてならない。
《体液の性質は不明です。近接および直接接触を非推奨》
「流石の私も同意見だよ。斬ったら中身が飛び散りそうだ」
腐敗神官は杖をつき、先程よりも幾分か早いペースでこちらへ歩いてくる。
膝はほとんど曲がらず、片方の足首も固まっているらしい。身体を前へ傾け、倒れる寸前に杖で支え、残った足を引きずって進む。動き方を忘れた死体が、無理やり動いているかのような。
カツ。
濡れた裾が水を掻く。
カツ。
杖の飾りがゆらりと揺れ、黄色い液体が顎から落ちる。
……遅い。
こちらへ辿り着くまで、考える時間はいくらでもある。あの杖から魔法を放つ可能性は捨てきれないが、少なくとも今は射撃の構えも、詠唱らしき動きも見せていない。
私は左手を持ち上げた。
「うん、押し潰そうか」
水路の底へ意識を沈める。
流れる水の下に敷かれた石材から、硬く密集した感触が返ってきた。それを直接剥がすのではなく、性質だけを手がかりにして空中へ新たな塊を組み上げていく。
腐敗神官の進路を確認、そしてその頭上。
左腕を通して魔力を押し出すと、陽光の中へ灰色の粒が集まり始めた。初めは砂粒ほどだったものが互いに結びつき、小石となり、拳ほどの塊へ膨らむ。
まだ軽い。
腐った頭蓋を砕くだけなら足りるだろうが、どうせなら胴ごと床へ縫い付けたい。
私は注ぐ魔力を増やした。右腕のない身体が魔力の放出に引かれ、重心が僅かに崩れた。左脚を一歩引いて支え、生成される石塊の輪郭を保つ。
岩は人の胴ほどまで膨らんだ。
角張った表面に浅い亀裂が走り、下を歩く不死者へ濃い影を落とす。周囲の明るさから切り取られたその影が、紫色の頭部をゆっくりと覆っていった。
それでも腐敗神官は足を止めない。あるいは、この異常を認識できていないのか。
カツ。
杖をつき、腐った片足を運ぶ。
カツ。
頭上の岩にも気づかず、濁った眼をただ私だけへ向けている。
「そのままおいで」
私は左手を更に僅かばかり持ち上げ、それから神官の方へ滑らせるように動かす。
清らかな巡礼路を歩く不気味な者の頭上に、無骨な石塊が滑るように進む。
「綺麗な場所なんだ。あまり汚さないでくれよ」
私はまるで他人事のように呟くと、左手の指を勢い良く振り下ろした。私との魔力による繋がりを失った岩が空気を押し退け、腐敗神官へと落下した。
もしよろしければ、評価などしてくださいますと励みになります。
また、しばらく見なかった間に誤字報告が溜まりまくっているので、今週末にまとめて修正する予定です。




