9 デライラ
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青い空を雲が悠々と流れていく。
何度か瞬きして、幻ではないかと起き上がった。
なぜだか、私は道の真ん中で寝ていたらしい。倒れていたというべきか。
「ここは……」
ネルソン村だ。
先ほどまで王宮にいたはずなのに、どういうことだ?
見慣れた木造の家が間隔を開けて立ち並ぶ。
でも、奇妙だ。
教会が建っている。復興の際に教会は建てなかったはずなのに──。
なにせ、再建について問い合わせをしてもあちらは返事すら寄越さなかったのだ。それならば、教会なんて要らないだろというのが私の本音だ。だからこそ、再建しなかったのだ。
それに、日中なのに人っ子一人通らない。しぃんと静まり返っている。
この時間なら子供が走り回っていて、皆仕事をしていて音が溢れている時間なのに。
ここはネルソン村の形をしたなんだ? 私の思い出か? 走馬灯?
警戒しながら教会へと足を進めた。
腰に手をやるが、あるはずの剣がなくなっていた。
おかしい、私なら絶対に持ち歩くはずだ。さっきまで持っていた。
まさかこれが死んだ後の世界なのか?
何かが蠢いていたはずの腹をまくってみるが、何の傷跡もなかった。
教会の扉を押して入る。
天井にはめこまれたステンドグラスを透かして入った日光が、並べられた長椅子を柔らかく照らしていた。
そういえば、私は教会は好きではなかったがこの光は好きだった。
「あぁ、来たかい。デライラ・エストラーダ」
気配を探るのには長けているはずなのに、私は声がかかるまで何も感じなかった。
ぎょっとして声の出所を探して構えていると、一番前の長椅子に横たわっていた人物が起き上がった。
金色の長い髪を後ろに流した若い男性だった。
髪の色だけでなく、細身であることも夫と同じなので親近感をなんとなく抱く。
「あなたは誰だ」
「レッドは元気?」
私と若い男性の声が重なる。
男性は友好的な笑みを浮かべて、白いゆったりした服に身を包んで柔らかく笑っている。敵意はないようなので、私も少しばかり警戒を解く。
「レッドとはなんだ?」
「不死鳥だよ。赤いからレッド」
「まさか、レッドという名前なのか? あのピヨが?」
「え、ピヨって……レッドが小さい時そのままだね。その名前、ダサくない? 今回の聖人は名づけのセンスがないみたいだ」
レッドだって見た目そのままでダサいじゃないか。何を言っているんだ、この人は。
「レッドも十分センスがないと思うが……ちなみに、ピヨは私がそう呼んでいるだけで不死鳥の名前はライラックだ。ピヨと呼ぶと怒られる」
私はピヨが呼びやすいからそう呼んでいただけだし、私がそう呼ぶから領民も「ピヨ様」なんて呼ぶ。ライナーは黄色なんたらという変な名前で呼び、サムエルなんて食べ物扱いしていたが、夫がつけた名前は「ライラック」だったはず。
「ライラックか、いいね。でも、レッドは赤いのであってどこにもライラック色なんてないけど……ライラック色のリボンでもお洒落に巻いているのかな? 今回の聖人はライラックの花が好きとか? まぁ、いいか。ん? そういえば、君の名前はデライラか。ふぅん、じゃあ、そーゆーことか」
男性は座ったまま、なにやら一人で納得している。
「ところで、あなたは誰だ」
「私は聖人と呼ばれた存在。君の夫の前の聖人だよ。すっごい先輩だよ?」
長椅子に座って顎に手を当ててふんふんと勝手に納得している男性は私の話を聞いているか怪しかったが、意外にもしっかり答えが返ってきた。
「へぇ…………?」
夫の前の聖人とは、何年前の人物だろうか。先輩という言い方には引っかかるが……。
疑うのは簡単だったが、このよく分からない状況で私の目の前にいるのは彼だけのようだ。もしかしたら聖人なのは本当なのかもしれない。
「君、信心深くないでしょ。私の姿ってもしかしてもうどこにも記録で残ってない感じ?」
「さぁ……確かに私は信心深くないし、この教会にあなたの姿を模したものは何もなかったから。私はこれまでエストラーダから出たこともなかったし」
「もしかして、すっごい美形にされてる? だったらいいなぁ。もうちょっと君みたいにカッコいい均整の取れた筋肉が欲しかったから、細くてマッチョな美形になってたら最高かも。ほら、真っ白なほっそい体だとねぇ……お見せするのは恥ずかしいから」
なんだか、聖人が思っていたのと違う。軽々しくないだろうか。
夫のことも別に聖人だと思っていなかったから何とも言い難いが。
「細くてマッチョな美形になっているかは知らないが……あなたはかなり昔の人で、すでに死んでいるんだろう? ということは、ここはどこだ? ドラゴンにやられる前のネルソン村のようだが……」
「ここは君の心を映した世界だよ。私は聖人だからそこに入り込める」
「天国なのか? 地獄か?」
「どっちも違う。あの世に行く前の世界だね。君はまだ正確に言えば死んでいないが、生きてもいない」
「へぇ、何やらややこしいな」
「冷静だね、デライラ・エストラーダ。悪魔に腹を裂かれてここに来たというのに。あと一歩で君は死ぬ」
細かいことは今気にしても仕方がない。
最後見えたのは腹から飛び出てきた黒い何か。そして私に駆け寄る夫。
周囲を見回したが、夫はいないようだった。
今はどういう状況だ? 夫は悪魔に襲われているのか?
「まさか、今回は神官が悪魔を召喚するとはね。びっくりだよ。神殿はそこまで腐敗したのか」
「あなたは事情をよく知っているな」
「見ていたからね」
聖人だというからにはそうなのだろう。
不思議な雰囲気の人間だが、この柔らかさは夫にやや似ている。
「今回は、というのはどういう意味なんだ?」
「私の時は、巨大な二国間の戦争だったんだ。聖人という役割を持つ人間が地上に押し付けられた時、必ず起きるのが聖戦だ。地上では聖人と対極のものが必ず存在し、この二極が出会って起きるのが聖戦。これはね、避けようがないんだよ、そういう決まりだから」
巨大な二国間の戦争なんてかれこれ百年以上はないんじゃないだろうか。あったとしたらかなり昔だ。
「聖戦か……それには悪魔も絡むのか?」
「今回は悪魔が聖戦に利用されただけだよ。私の時はいなかった。基本人間が起こすことだから。悪魔は悪魔で人間を恐怖で支配して勢力を拡大したいという目的があるしね」
「聖戦と言われても私にはピンとこないな」
言われてみれば、悪魔はあの神官に召喚されたから地上にやって来たわけなので、あの神官が聖人と対極の存在ということか。
「渦中にいると分からないものだよ。簡単に言えば、勇者と魔王だ。魔王がいるから勇者と呼ばれる存在がある。勇者がいるから魔王が存在する。ドラゴンがいれば必ず竜殺しが存在し、竜殺しがいるからこそドラゴンは現れる」
滔々と喋る姿は先ほどよりも聖人らしかった。
なぜ、彼はここまで私に教えてくれるのだろう。真実かどうかも確かめようもないことを。聖人というのはよく喋る。
「……私が竜殺しになることは決まっていたのか?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える。竜殺しは君の父であったかもしれないし、兄であったかもしれない。決まった運命を自分で否定して拒絶することもできるからだ。間違いなく言えるのは、君はあの場で竜殺しになると決めたということ。受け入れたんだ。何をやると決めて受け入れるか、それがすべてで運命だ。元からの運命を捻じ曲げる力と言ってもいい」
そんなことを聞かされたところで、すべて今更だ。
私は父を目の前で殺されて、皆で協力してドラゴンを殺しただけだ。
今回は悪魔を殺し損ねた。夫は大丈夫だろうか。
「ふふ。私から見て、君はとても思い切りがいい。今回の聖人にも見習ってほしいほどに、いつも清々しい」
「それはどうも。まぁ、夫が私のようだったら嫌だが」
夫の性格が私のようになったところを想像してみた。一瞬で気持ち悪くなったので想像をやめる。彼は彼だから素晴らしいのだ。
か弱くてピヨよりもよほどヒヨコみたいで、それでも必死で私に縋りついて一緒にいてくれるから好きなのだ。一緒に死んでくれると言っていたのに今ここにいないけれども。
それでも、竜殺しと呼ばれた私の横に彼は立ってくれた。守ってあげなくてはいけないほど弱いのに、一緒にいてくれた。
父は死んで、兄は呪いを解くためにいなくなった。ライナーは弱いけれども私の斜め後ろにしかいなかったから。
「君は何度も何度も決めてきた。竜殺しを二度。アステア王国の王子を迎え撃つこと、国王軍に立ち向かうこと、そして今回状況がよく見えない中で王都までやって来て悪魔にも臆せず戦うこと」
「別に普通だろう。弱ければやられる。強くなければ守れない。私はエストラーダと夫を守るためにやっただけだ」
「己は正義を行ったと言いたいのかい?」
正義か。聖戦なら正しくなければいけないのかもしれない。
でも、私はこの戦いに関しては迷った。正しくないのかもしれないと心の奥底で思ったかもしれない。それでも、私は夫を守ると決めたのだ。夫を煩わせる過去は断ち切らなくてはいけないと。
「正義だの悪だの、そんなものは分からない。周りが後で勝手に定義するだけだ。ただ、私は私のすべきことをしただけ。魔物とドラゴンを殺すのはエストラーダを守るため、悪魔を殺すのは夫を守るため」
正義という言葉を使った時はやや皮肉げだった男性の表情が、柔らかな笑みに変わる。
「そう、今回君は初めて、エストラーダのためではなく自分のため、今回の聖人のために行動したわけだ」
男性は長椅子の上に三角座りをして喋っているので、真面目な話なのだが体勢のギャップがすごい。
「だから、今回こそは聖人が決めなければいけない。私は結婚していなかったんだけど、今回の聖人はまさか結婚するとはねぇ。面白いよね」
「面白いのか?」
「うん、面白い。ねぇ、聖人がなぜ聖人と呼ばれるか知っているかい?」
「不死鳥を従えて強い回復魔法を使えるからだろう? ドラゴンの呪いさえも解けるような」
「それは単なる後付けだ。やっぱり、私の記録はもう全部ないのか、あるいは隠されちゃったのか。神殿が聖人・聖女を安売りするためだろうな。聖人・聖女なんてそうそう存在しないはずなのに、権威のために利用したかったんだな。聖人というのは、死んで復活するからこそ聖人と呼ばれるんだ」
「あなたは死んでいるじゃないか」
「そりゃあ、人間としての寿命があるから。私は聖戦の最中に殺されて三日後に生き返って聖戦を終わらせたんだよ。それで聖人と呼ばれた」
「じゃあ、夫も死ぬのか?」
「いや、多分今回は違う。おそらく──」
彼はそこでわざとなのか、言葉を止めてあざとく首をかしげた。
続きを促そうとすると、私の足元が淡く光り始める。
「あぁ、やっぱり」
男性は三角座りをやめて立ち上がると、満足げに頷いた。
「何がやっぱりなんだ?」
「今回の聖人は愛する妻を生き返らせる。君はすでに決めていたが、私から見れば彼の方はずっと決めているようで決めきれていなかった。自己否定が強くてね。彼は妻の死に接してやっと決めたわけだ。君がずっと前から決めていたように」
意味が分からない。
私は神官や信心深い人間とはどうも相性が悪いかもしれない。なんだ、この回りくどい表現は。
「君は今回、エストラーダよりも夫を取った。そして、聖人は世界よりも君を取った」
「スケールが大きくないか?」
「本当のことだよ。女性の理想じゃないかい? 君だって誰かに言いたかったはずだ。エストラーダと私、どっちが大事なのって。魔物が出る過酷な環境だから押し殺して諦めて言わなかっただけ。その押し殺したものは残念ながら心の奥底で決して消えない」
足元の光はだんだんと強くなってくる。
「そんなことは思ったこともない」
「それでも、君は何よりも大切なエストラーダよりも夫のことを取ったよね。なぜ? エストラーダが大切なら今回は王都まで出てこなくても良かったはず。騎士たちだけ無理やりエストラーダから叩き出せば良かったのに。君の武力ならそれができたよね」
「そうだな」
「なぜ?」
足元の光は強くなって、いつの間にか私の腰まで届いていた。
いつまで戦えばいいのか、そんなセルヴァみたいな問いが沸き上がってきたこともある。でも、言わなかった。魔物がいる限り一生に決まっているからだ。
そんなこと、言ってはいけないことだと分かっていた。
私とエストラーダのどっちが大事なのなんて、言ってはいけないことの筆頭だ。エストラーダの辺境伯たる父が魔物を狩りに行くのは当たり前だったから。
父がドラゴンによって死んで、私や兄まで死ぬことは許されなかった。生き残って戦うのが、エストラーダを守るということで責務だった。
だからこそ、私は夫と一緒に戦って死にたいと思ったのだ。
「夫こそが私の黄金郷だからだ」
「押し付けられても?」
「押し付けられたからこそだ。明日死ぬのだとしても一緒に生きていたい相手だからだ。私たちの関係のその先にエストラーダの未来がある」
夫なくしてエストラーダはあり得ない。
「それなら、もう恐怖は持たなくていいよ。君が心の奥底に隠しきった恐怖もね」
男性は歩いて私の前までやって来て、顔を覗き込む。
立ち上がったから分かったが、私よりもかなり背が高い男性だった。
相変わらず回りくどい表現だが、不快感は不思議となかった。
「レッドには新鮮な野菜を食べさせてあげてね」
「……エストラーダではなかなか難しい、ピヨには冬場は我慢してもらわないといけない」
「あの子、大人しくて寂しがり屋だからさ」
それは一体、誰のことだ? 夫か? ピヨが大人しかったことなんてあったか?
「いや、かなり図々しくて態度も大きいが……? よく夫に飛び蹴りをくらわしている」
「不死鳥も一回燃えて生まれ変わると性格が変わるのかな」
この男性とはもっと話すことがあったような気もした。
でも、これ以上は野暮なので私は口を閉じる。
「君に会えて良かったよ、竜殺しのデライラ・エストラーダ。これは聖人のための聖戦のはずなんだが、案外君のための聖戦だったのかもしれないね。なにせ、聖人を夫にしているんだ。君も同じだよ。同じものだからこそ夫婦になるんだ」
その言葉が終わる頃に、とうとう光が私の全身を包み、男性は光の向こうで見えなくなった。
ここまできたら分かる。これは夫の魔力だ。
「悪魔殺しになり損ねてしまったな」




