番外編4 昼食後はやけに眠くなる時がある。
「……ろーくん、なんか滅茶苦茶眠いんだけど」
「……奇遇だな、俺もだ」
ある日の休日、俺は由佳とともに彼女の部屋で勉強に励んでいた。
しかしそこで俺達は急激な眠気に襲われることになった。昼食後で気温も温かく、眠くなる条件が揃っていたからか、その眠気には抗えそうにない。
こういう時にどうするべきかは、いつも考える。いっそのこと一眠りするべきなのかとも思うが、寝過ごしてしまう恐怖というものは計り知れないものだ。
「……とりあえず寝た方がいいかもしれないな」
「うん。今回は私もそう思う。だって、もうすぐにでも寝転がりたいもん」
「その方が効率は良いはずだ……まあ、勉強前にコーヒーも飲んだからな。寝過ごしてしまうなんてことはないはずだ」
今回俺達は、一旦休憩することを選ぶことにした。多少の眠気ならまだしも、今日のは瞼が落ちそうなくらいだ。この場合、勉強を続けた所で成果はない。ただなんとなく手を動かしたということになるだけだ。
ここは三十分、いやニ十分くらい仮眠を取るべきだろう。多くの場合、それで集中力が戻ってくるものだ。
「……それじゃあろーくん、ベッドに行こうか」
「ああ……」
由佳がベッドに寝転がったので、俺も彼女の隣に寝転がる。すると良い匂いが鼻をくすぐってきた。由佳のベッドで彼女本人も目の前にいるため、俺はそれを色濃く感じてしまったのかもしれない。
しかし俺を襲ってきた眠気は、それで覚醒できる程に生易しいものではなかった。むしろ今は由佳の匂いさえも、安心感によって眠けを加速させるものでしかないといえる。
「……勉強中断しちゃうのは、少し罪悪感みたいなものがあるよね」
「……そうだな。でも、仕方ないさ。これで勉強したって……多分、無駄になるだろう……」
「そうだよね……ふわあっ……んっ……ごめん」
「別に、謝ることでは……ふあっ……俺だって……」
「んっ……私のが、移ったの、かも……」
俺と由佳は、あくびをしていた。そろそろ眠気が限界ということかもしれない。
俺は由佳の体に手を回し引き寄せて、温かさを感じながら目を瞑る。その最中、由佳の方も目を瞑っているが薄っすらと見えた。
そのまどろみは、実に心地よいものであった。そうやって眠りにつけることのありがたみをかみしめている内に、俺の意識は薄れていった。
◇◇◇
「……うっ」
ゆっくりと目を覚ました俺の目に入ってきたのは、由佳の顔だった。
相も変わらず、実に可愛らしい顔だ。起きてこの顔を見られるなんて、なんと幸福なのだろうか。
それになんだか、安心感がある。由佳が傍にいてくれる。体温も心も温かくなるその事実に、俺は再び目を瞑った。
「……いや、駄目だ駄目だ」
そこで俺は、なんとか意識を保つことができた。
実に危ない所だったといえる。そのまま目を瞑っていたら、多分本気で寝ていた所だ。
いやそもそもの話、俺はどれだけ寝ていたのだろうか。それを確かめておかなければならない。
「……寝ていたのはニ十分くらいか。予定通りだな」
「すー……」
「俺の方は大丈夫……だな。目は覚めてきた。問題は由佳の方か……」
「すー……」
目の前の由佳は、寝息を立てている。可愛らしい寝顔だが、今はそんなことを考えている場合ではないだろう。
由佳からは起きる気配が感じられない。どうやら本気で眠ってしまっているらしい。
「このまま眠らせてあげたい所ではあるが……それは駄目だよな。由佳、起きてくれ」
「んんっ……」
俺は心を鬼にして、由佳の背中をぽんと叩いた。
すると彼女からは、可愛らしい声が返ってくる。ただ起きてはくれない。軽く叩いただけでは、効果が薄かったようだ。
「由佳、起きてくれ」
「んー……んっ? ろーくん……?」
「ああ、俺だ。そろそろ起きてくれないか。このまま寝ていると危険だぞ? 日が暮れてしまうかもしれない」
俺の呼びかけに、由佳はゆっくりと目を開けてくれた。
彼女は寝ぼけ眼でこちらを見つめている。それを見ていると、起こさない方が良かったかと思ってしまう。
とはいえ、今日という一日をこのまま終わらせてしまうのは惜しいものだ。今の俺達にとって、時間は貴重である。きちんと勉強しておかなければならない。
「ふふっ……ろーくん……」
「由佳? ああ……」
目を開けてから数秒後、由佳は俺の胸にその顔を埋めてきた。
それは要するに、俺に甘えているということなのだろう。その非常に可愛らしい様に、俺の思考は少し止まった。
「んんっ……ろーくん……」
「由佳……頼む、頼むから起きてくれ」
由佳とともにこのまま眠りにつくのも良いのではないか、俺の思考はそう傾きかけていた。
勉強はもちろんしなければならないのだが、今日一日――いや夕食までの三時間四時間くらい良いのではないか、俺はそう思い始めていた。
ただ、そうやって一度甘えを許してしまうと、次も同じ過ちを繰り返してしまうのではないかということが頭を過る。
そうだ、俺達は事前に仮眠を取るということで眠りについたのだ。それ以上眠ってしまうのはやはり良くない。
「ろーくん……」
「うっ……」
しかしながら由佳の可愛らしい声を聞くと、誘惑に負けてもいいのではないかと思えてきた。
ことここにおいて、俺の意思は実に弱かった。しかしそれは仕方ないことである。由佳がこんなにも可愛いのだから、それはもう無理というものだろう。
「……あっ」
「え?」
俺がゆっくりと体から力を抜いていると、由佳が先程までと比べて一際大きな声を発した。
彼女は、ゆっくりと俺の胸から顔を上げて周囲を見渡す。その視線は時計の方に止まり、その後こちらを向いてきた。
「……ろーくん、ごめんね。三十分も経っちゃった」
「え? ああ、いや、別にそれは気にすることではないさ。俺だって、今起きたばかりだし……」
由佳の覚醒は、実に唐突なものだった。何がきっかけだったのか、よくわからない。
ただ由佳も確実に、時間は気にしていたということなのだろう。彼女の体内時計は、俺達の仮眠の上限である三十分に合わさっていたのかもしれない。
「というか、俺は自身の意思の弱さというものを実感していた所だ。また眠りそうになっていた」
「そうなんだ? あ、えっと、それって私が寝てたからだよね?」
「ああ……まあ、寝てたからだけではないが……」
「え? あーあ、あはは……そうだね。なんとなくわかってきたかも……うん。私にもぼんやりと記憶があるかも。多分、甘えていたんだよね?」
「そうだな……」
俺の言葉に、由佳は頬を赤らめていた。耳まで真っ赤になっていて、それは少し珍しいような気もする。
由佳は普段から甘えてくることはあるし、その時だって多少の照れはあるように思える。ただ今回の場合は、状況が状況なだけにかなり羞恥しているようだ。
そんな様まで、可愛らしく思えてくる。こういった表情をもっと見てみたいと思うのは、少々意地悪だろうか。
「……由佳は可愛いな」
「え? ろーくん? きゅ、急にどうしたの……?」
「いや、そう思ったから言ったまで、で……」
「ろーくん? ……あ、そうだよね。こんなことをしている場合じゃないというか……」
由佳を褒め称えていた俺だったが、今の状況を思い出した。俺達は未来のために勉強しなければならないのだということを。
由佳と他愛もないことで話し合うのは幸せな時間ではあるが、今はそうしている場合ではない。せっかく眠気も飛んだのだから、勉強し始めなければならないのだ。
「由佳、気持ちを切り替えて勉強を始めよう」
「うん、そうだね……でも、その前に一つだけ」
「え? あっ……」
そこで由佳は、ゆっくりと身を乗り出してキスをしてきた。
そっと触れるだけのキスであったが、俺は少し呆気に取られてしまう。
「それじゃあ、勉強始めようか」
「……ああ」
固まった俺に対して嬉しそうに笑みを浮かべながら、由佳は言葉をかけてきた。
それを見ながら、俺は思う。まだまだ由佳には敵わないと。
それから俺達は、勉強を再開するのだった。




