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メノウの話 6(sideメノウ)

……力が戻ってきた。いや、さらに溢れている。悪魔の力を表に出すとこのようになるのか。


「あ、赤い目……」


誰かの怯えたような声が聞こえてそちらを向くと、驚愕の表情をしていた騎士の男と目が合った。その途端、滑らせた口をバッと押さえ目を逸らしたが。


どうやら今私の目は赤くなっているらしい。髪色にしか幻術をかけていなかったからな。赤い目は魔獣の特徴であるから、人間には恐ろしいのかもしれん。


……髪も伸びているな。これらは悪魔族が悪魔と同化した時の特徴だ。そうすれば一時的に魔力や筋力が跳ね上がる。悪魔を呼び戻す為にそうしたが、今はもう必要ない。


解除(パヴォーレ)


全身に行き渡らせていた悪魔の魔力を、以前と同じように内へ押し込める。契約の印が残る心臓辺りまで。私が受け入れたことで契約が完全なものになったようで、悪魔は大人しく内に収まった。髪が元の長さに戻ったので、目の色も緑に戻ったのだろう。


「陛下!」

「陛下……!」


悲痛な声に後ろを振り返ると、アイリスを囲み臣下たちが涙を流して叫び、震えている。


「アイリス」


血の気が引く。

アイリス、まさか。


人垣を掻き分け、アイリスを抱き起こし首筋に触れる。まだ温かいのに、命の鼓動は感じられない。少し怪我をしているが、ただ眠っているだけのように見えるのに。


「嘘だ。アイリス、嫌だ。行かないでくれ。いくらなんでも、早すぎるだろう? 私を置いて行かないでくれ」


揺すっても頬を軽く叩いても、何の反応もない。手が震え、理解するのを拒否するように頭にガンガンと耳鳴りが響く。


ぽたりとアイリスの頬に雫が落ちた。

拭っても拭ってもそれは落ちてくる。


「アイリス……嫌だ、アイリス……っ」


初めて、ぎゅっとアイリスを抱きしめた。


こんな風に誰かを抱きしめることすら初めてだったが、その体には全く力が入っていなかった。だらりと流れ落ちる腕はもう上がることはないのだということが受け入れられない。


どうして私はあの男を殺しておかなかったのだ。

どうして初めから悪魔を抑えておけなかったのだ。

どうしてちゃんとアイリスを守ってやれなかったのだ。


頭に様々な後悔が押し寄せてぐるぐると回るが答えなど出るはずもない。


嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。アイリスがいない世界に何の意味がある? アイリスがいたから私にも感情があったと知ることができたのに。生きることが楽しくなったのに。

私は、お前に礼を言ったこともなかった。


私のせいだ。私があの時一緒に行くなどと言ったから。


周囲が何か言っている気がする。

全く耳に入らない。

私からアイリスを引き離そうとするいくつかの手がある。

嫌だ。絶対に離すものか。



「メノウ」


覚えのある声で名を呼ばれて、我に返る。


……ここはどこだ? 真っ白な空間が広がっている。先ほどまで波打って壊れそうだった心が今はなぜか少し落ち着きを取り戻している。


目の前にはシスイがいた。いつも笑っているシスイが今は悲しげにアイリスを見つめ、私の腕からアイリスをそっと引き取る。


「アイリスは、無茶をしたようだね」


そうだ、私はシスイからもアイリスを奪ったのだ。シスイは怒っていい。私を詰るべきだ。


「ごめんね、アイリス。大変な時にそばにいてあげられなくて……」


シスイがアイリスを抱きしめながら悲痛な声を出す。

……シスイはどこまでもアイリスしか見ていない。こうなった理由も原因も、どうでもいいと言うかのようだ。


「……アイリスは、逃げなかったのだ。なぜだ? 自分だけなら助かることもできたのに、魔力を使いきってまで、他の奴らを守って……」


女王であるのだから、逃げてもよかったはずだ。王族とは、そういうものだろう? 少なくとも、私が見てきた人間の王族たちはそうだった。影武者を立てたり隠れたりして、危機には身を潜めていた。


なのにアイリスは私が作った安全な場所から飛び出して、最前線へ向かっていった。

その結果、命を落とすことになるかもしれないと分かっていたはずなのに。


「……メノウは、アイリスと出会った時、大切な人はいないと言っていたそうだね。でも、今は違う。そうでしょう?」

「……」

「君にとって大切な人間はまだ一人だけかもしれないけれど、一人でもできたなら、もうアイリスの気持ちがわかるはずだよ。アイリスにとって、それは国民全員だというだけなんだ」


……私は、アイリスが大切だった。死んで欲しくなかった。

アイリスも、国民全員に、死んで欲しくなかったということなのか? だから、アイリスは逃げなかった。


……そうか、アイリスを守ろうとするならば、アイリスの大切なものも守らなければならなかったのだな。


私がゆっくりと頷くと、シスイはアイリスに視線を戻した。


「……でも、アイリスもひどいよね。精霊たちに伝言だけ残して、一人で行っちゃうんだもの」

「……精霊たちに?」


伝言とは、どういうことだろうか。精霊たちと会話できるのは、精霊王の加護を受けたアイリスだけのはず。まさか、シスイも加護を受けていたのか?


シスイが手をかざすと、アイリスは先ほどまでの戦闘など何もなかったかのように綺麗な姿に戻った。但し、その目が開くことはない。


「メノウ、アイリスは君にはすでに言葉を遺していたのかな。伝言はなかった」

「……何を言っている?」

「君は薄々気づいていたようだけど、正解だよ。僕は人間じゃない。アイリスに加護を与えた精霊王なんだ。だからもちろん精霊と会話もできる。アイリスは命を使って国民を守ると決意した時、精霊たちに伝言を頼んだんだ。僕と子供たちにね」

「……精霊王、だったとは。今まで隠していたというのに、言ってよかったのか」

「知られると色々面倒があると思ってね。でももういいんだ。子供たちに伝言を伝えたら、僕も行くつもりだから。アイリスのいない人間の世界に留まるつもりはないからね」


やはり、この男はアイリス以外の人間はどうでもいいらしい。


「子供たちのことは少し気になるけど、人間の僕が死ぬ時はアイリスが死ぬ時だって決めていたからね。この体はずっとアイリスと一緒にいさせてあげたいから」

「……まるで、他人のもののような言い方をするのだな」


私がそう指摘すると、シスイは曖昧に微笑んだ。


「私を責めないのか。私は、アイリスを守れなかった。それどころかアイリスは私のせいで死んだようなものだ」


ぐっと手を握りしめる。


「僕は君への伝言を聞いていないけど、アイリスが君を大切に思っていたことは知っている。アイリスが最後に何て言っていたか思い出すといい」

「最後に……」


『私の大切な友人であり、二人目の弟。あなたに会えてよかったわ』


「……」


アイリスはそう言っていた。だから、シスイは私を責めないのか。アイリスが私に残した言葉が、恨み言ではないとわかっているから。


「じゃあね、メノウ。もう会うこともないと思うけど、元気で。アイリスはきっとそう願っていると思うから」


シスイがそう言った途端、消え始めたのは私の方だった。


気がついた時には元の場所に立っていた。


アイリスとシスイが、そばで抱き合うようにして倒れている。

二人とも、もう起きることがないということを私は理解していた。



それからの記憶はあまりない。


ただ無意の時を過ごしていたようにも、暴れ回っていたようにも思える。


ただ、もうあのように自分の無力を嘆くようなことはしたくないと、魔術の研究だけはしっかりとやっていたことは確かだ。



私はあの日まで、死んだようにただ生きていた。


「お前、まさかとは思うが……精霊が見えるなどと言うのではあるまいな」


四百年以上経ったある夜、アイリスと雰囲気が似た少女に出会った。


アイリスと同じ髪と目の色をしていて、アイリスと同じように、いやあの頃より強力になっているはずの私の幻術を見破った。


それは私の幻術より強力な魔術によるものか、アイリスと同じく、精霊王の加護によるものか。


だがあのシスイがアイリス以外に加護を与えるなど考えられない。


それなのに、なぜわかったのかと驚いたように少女が目を見開く。


……まさか、アイリスなのか?


そうか、転生。この少女はアイリスの魂が再びこの世に生を受けた、アイリスの生まれ変わりなのだ!


そう確信した時、私は思わず少女を抱きしめていた。


「わあっ!? なにするのっ、離して!」


少女は抵抗するように動いている。一度だけアイリスを抱きしめた時は、もう二度と動くことはないというように力の抜けた状態だった。だが、今腕の中にいるアイリスの生まれ変わりは、私を押すように力を込めている。弱いが、おそらく精一杯に。


また会えた。アイリスの生まれ変わりが、また私の前に現れて、生きている。


アイリスだった時のことを覚えておらず、アイリスの生まれ変わりは私を闇の大魔術師などと呼んだ。


「メノウと呼んでくれ、アイリス」


もう誰も呼ばなくなった私の名前。

また忘れかけていた私の名前。

いつもお前が思い出させてくれる私の名前。


「ごめんなさい、私は、あなたのことわからない。私はアイリスじゃなくて、ナディアなの」


……ナディア。ナディアか。


申し訳なさそうにそう言われて、それもそうか、と苦笑する。

生まれ変わりとはいえ、この少女はアイリスではないのだ。顔も違うし、声も違う。このように謝ってくるなど、アイリスはしない。

だが、この少女にとって私の印象がいいはずはないのに、しっかりと私を見て話してくれるところは変わらない。


……やはり、生まれ変わっても根底は変わらないのだな。


「そうか。そうだな。ではナディア。私はメノウだ。どうか名前で呼んでくれ」


色褪せていた世界が再び色づいたような気がして頬が緩む。

お前がいてくれれば私はいくらでも笑えるのだ。


「わかった。メノウ」


ナディアに名前を呼ばれ、久しぶりに胸を喜びが満たす。


もう二度と離れたくなくて一緒に亜空間にある私の屋敷に住もうと誘ったが断られてしまった。

ナディアは孤児院に住んでいて、そいつらと離れたくないらしい。


ちゃんと人と関われば私にも他に好きな人間ができるとナディアが言うが、五百年近く生きてきてできないのだし、そんなものはいらない。


お前がいてくれればそれでいいのに。


不満を露にすると、ナディアが握り拳をごんと私の頭に落とした。アイリスと違ってほとんど力が籠っていない、優しい拳だ。


「そうやって決めつけないの。私も一緒に探してあげるから」


そう言って私を叱るナディアがアイリスと重なる。私を叱るのはいつもお前だけなのだ。


懐かしさが胸を占める。どうか、今だけは。


ナディアの了承を得て、ナディアをアイリスに置き換えて抱きしめた。別れと決意の意味を込めて。


ありがとう、アイリス。お前に出会えてよかった。


ナディア。アイリスと同じく、私自身を見て、叱ってくれる、大切な存在。


今度こそお前は私が守る。

お前とお前の大切なものも、今度こそ私が、絶対に守ってみせるからな。


メノウ編はこれで終了です。

辛いお話になってしまいましたが、読んでくださりありがとうございました。

次回は64話“公表”の続きです!

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