メノウの話 4(sideメノウ)
この辺りから重くて辛い話が続きますがもう少しだけお付き合いいただけると幸いです。
「森の調査に行く?」
魔術師団により魔獣が増え続けている原因の調査を進めているが難航しており、アイリスは自分も行くと言い出した。
いくらアイリスが強いとはいえ、女王自ら行くというのはどうなのだ?
私が眉を寄せていると、アイリスはクスッと笑った。
「シスイも遠方まで調査に行ってくれてるの。私は近場だし、魔術師団や騎士も数人一緒に行くんだし大丈夫よ。心配してくれてるの?」
「……私も行く」
肯定するのは癪なので、私はアイリスの問いには答えず自分の要望だけを口にした。
結果的に言うと、魔獣の群れなどアイリスにとっては何ら脅威ではなかった。魔術師五人と騎士三人、それに私もいるのだし当然であるが。
女王一行の通った後には魔獣たちの屍が道標のように点々と続いている。
……後始末が大変であろうな。
「……精霊たちが、嫌な感じがするって言ってる。こっち」
アイリスの示す方向へ向かって森の中を進んで行くと、洞窟の入り口のような場所にたどり着いた。
「あそこに、何かあるみたい」
「陛下はこちらでお待ちください」
「ううん、もう少し近寄らないといけないけど、精霊に行ってもらうわ」
騎士が様子見に行こうとするのをアイリスが止めた。
……アイリスは精霊が見えることは知っていたが、そんな使い方もできるようになっていたのだな。
洞窟に入った精霊が戻ってきたらしい。アイリスが何もない虚空を見つめながら話を聞くような様子を見せると、その顔は困惑の表情になった。
「……入っても大丈夫だと思う。行きましょう」
アイリスが洞窟へと入って行くのを、私たちは追いかけた。
少し奥へ行った開けた場所には、一人の男が背を向けて立っていた。
魔術で光るランプを洞窟内の四方に置き、床には二つの魔法陣が描かれている。
「……ガルノー」
名を呼ばれ、男が振り返ってこちらを見た。
「……陛下、なんと……こんなところにお越し頂けるとは」
「……ガルノー、一体何をしているの?」
魔術師団のための魔法陣の研究施設ならば城にある。それを使わず、このような場所で見慣れぬ魔法陣を展開しているとなれば、それは城ではできない魔術、つまり、禁止されている魔術なのではないかと考えるのが普通だ。
だが、ガルノーはこの状態を見られたというのに落ち着いたものだった。穏やかな笑みさえ浮かべている。
「ガルノー、お前一体……!」
仲間の魔術師の声に耳を傾ける様子もなくガルノーはアイリスに向けて語り出した。
「私が開発したかった魔術の実現のために必要な、悪魔を召喚する魔法陣の使用許可が下りなかったのですよ。弱いものしか召喚しないと言っているのに、団長は頭が固くて困ってしまいました。それで仕方なくこの場所で。しかしその甲斐あって、魔術の開発はうまくいきました」
「悪魔の召喚? まさか、最近の魔獣の増加は……!」
「いえいえ、召喚した悪魔は私が全てきちんと消滅させておりますよ、そのために召喚したのですから」
「そのために?」
「左様でございます。私は陛下の為、フェリアエーデンの為に魔術の開発に勤しんでいたのですから」
「……」
「私は、弱い悪魔を召喚し、試していたのです。奴らを弱らせ、消滅させる術を。そして、それはついに完成しました!」
ガルノーが恍惚とした表情を浮かべる。
悪魔を消滅させる術だと?
この男が、たった一人でそんな大それた術を開発したというのか?
私が訝しく思い眉を寄せると、ガルノーは私に目を向けニヤリと嗤った。
「ご覧ください、この魔法陣の力を!」
そう言って、地面の魔法陣に魔力を注ぎ始めた。
魔法陣が淡く光を放つ。
「!?」
突如、不快な違和感が体を襲い、胸を押さえた。
「っ! ぐ、う……!」
「メノウ!? どうしたの!?」
体の自由がきかない。何だこれは?
アイリスの心配そうな声が聞こえる。アイリスや他の者たちには何の変化もないようだ。
私は立っていることもできなくなり、膝をついた。
「ふ、ふふ、ふはははは! やはり、貴様は悪魔そのものだったのだな! これは私が開発した、悪魔を封じる魔術だ! 大層苦しそうだな、悪魔よ!」
「封じる、だと? いや、これはむしろ……ぐっ」
私の中に悪魔がいることはアイリスとシスイ以外は知らないことだ。この男、私が悪魔そのものだと思い込んでいるのか?
私の中の悪魔が急激に力を増している。それを抑えるのに精一杯で、立っていられない。
そうか、あの男の魔術。悪魔を封じる効果があるのではない。これは、悪魔にこの土地の精霊の魔力を注いでいるのだ。
弱い悪魔ならばこの精霊の魔力に拒絶反応を示し苦しんだり消滅したりしたとしても、強い悪魔ならば逆にこれを喰らい強力になるだろう。
私の中にいるのは高位の悪魔だ。精霊の魔力を得て意志を持ち始め、私の体を乗っ取ろうとしている。
「やめなさい! 一体何をしているのです!?」
アイリスの声が聞こえる。女王としての、威厳のある声。
「陛下、ご覧の通りです! 奴は悪魔だったのです。私は十年間悪魔や魔獣について研究してきました。そして、悪魔を消滅させる魔術の開発に成功したのです! 奴は友達などと言って陛下を誑かし、この国を魔獣の蔓延る悪魔の国に変えるつもりなのです!」
奴は頭がいかれている。私への嫉妬と思い込みでこうまで歪んだ考えに至るものなのか。
くそ、やはり殺しておくべきだった!
この魔術、体を得た悪魔、つまり魔獣にとっていい餌になっている。やはり、魔獣たちはこの男の魔術に引き寄せられていたようだ。
私の中の悪魔が暴れているが、私は体を奪われるつもりはない。落ち着いて悪魔を抑え込んでいく。すると、私の中の悪魔は私を乗っ取るのを諦め、予想外の行動に出た。
「ぐ……っ、待て!」
「なっ!?」
「悪魔……っ!?」
私の体から、ぐわっと巨大な黒い影が飛び出した。護衛たちの驚いたような声が聞こえる。
私との契約が切れたわけではないようだが、精霊の魔力を得て自由に動けるようになってしまったらしい。
……しかも奴め、私の魔力まで大方持っていったようだ。
私は悪魔の力と大半の魔力を失い、自身の体も残る魔力も満足に動かすことができなくなっていた。
……まずい。力が入らない。
私の体から出た悪魔はさらなる力を求めたのか、魔法陣のある方へ向かう。そして、そばにいる男に気がついた。
「ぐあっ!?」
「ガルノー!」
悪魔は私よりも扱い易いとみて、ガルノーを新たな器に選んだようだ。
本来強い理性を持つ人間が悪魔に乗っ取られることなどあるはずはないというのに、あの男、何度も悪魔を召喚することによって悪魔との親和性が高まったとでも言うのか、信じられないことに悪魔が体に馴染んできている。
その場にいた全員が、目を見開いてガルノーの変化を呆然と見つめていた。
悪魔族でもないガルノーに上位悪魔を制御できるはずもない。ガルノーの体が悪魔の魔力に染まっていき、ソレは巨大に、醜く変形していく。
「あ、ア……へい、ぐぁ……」
ソレはもはや完全なる異形と成り果て、人間の面影はどこにもない。ガルノーだったモノの片目から、一筋の水が流れた。それを最後に、その目から理性の光は消え失せた。
「……メノウ、これ、どうなってるの?」
「……すまん。奴をこの身に縛っておけなかった。私の中に封じてあった悪魔が、ガルノーの魔術で逆に力を得たようだ。その力で私の体から出ることが叶った悪魔がガルノーに入り込んだのだ。悪魔族でもない奴に悪魔は抑えられん。奴の体は悪魔に乗っ取られた。奴は……魔獣となったのだ」
「そんな……」
「嘘だろ?」
「ガ、ガルノー……」
アイリスや魔術師たちが真っ青になっている。
中途半端に高い魔力を持った人間の体は悪魔にとってよい器だったのか、その魔獣からはとてつもない力を感じる。この辺りに現れる魔獣とは明らかに違う、悪魔の姿に寄った強力な魔獣。
「!」
何だ!? 魔力の動きを感じる!
魔獣が魔力を込めた腕を振り上げ、瞬く間にそれを振り下ろした。
「きゃあっ!?」
「うわああっ!」
ものすごい風が起き、アイリスの持つ魔術具によるものと思われる結界が瞬時に発動した。その結界の範囲内にいたアイリスと私と二人の魔術師は、風圧によって洞窟の外へ投げ出された。
その一瞬後に、ガラガラと音を立てて洞窟が崩れ落ちた。
投げ出された全員が、呆然とそれを見ているしかできない。
土煙が上がる洞窟の中から、ゆっくりと魔獣が姿を現す。
真っ黒な体に赤い目が光る巨大な魔獣は、厄介なことに……かなり強そうだ。力を失った今の私にはとても対処できそうにない。それどころか体も満足に動かせず、立っているのがやっとの有り様だ。
この場にいるのはアイリスと私と魔術師が二人だけ。完全に崩落したと思われる洞窟を見ると、結界の範囲外にいた者たちが生存している望みは薄いだろう。
アイリスも青ざめながら崩れた洞窟の入り口を見やった後、魔獣を見上げた。
「ガルノー! ねぇ、お願い。元に戻って!」
「アイリス、あやつはもうどこにもおらん。意識は完全に消えた。今はもうただの……魔獣だ」
「でもっ、悪魔をまたメノウの中に戻せれば……」
「話したと思うが、私に悪魔を入れたのは別の奴だ。契約は切れていないが、どうすれば戻るのか、私にもわからん。それにそれが出来たとしても……もう奴は帰って来ない」
「……そんな……」
アイリスが震える手で口元を覆う。
「グギャアアアアアッ」
「きゃあっ!」
「うわああっ」
耳障りな雄叫びをあげながら魔獣が暴れまわる。四方八方に火と風の魔術が放たれて、森のあちこちに火の手があがる。
「火がっ!」
「アイリス、逃げろ。あやつの相手はお前でも厳しい。……今の私には、お前を助けてやれそうにない」
「へ、陛下、そうしてください。私どもが、何とかこいつを足止めしますから……!」
残った魔術師たちが勇敢にも魔獣と対峙するが、アイリスは首を振る。
「……いいえ、私がここで足止めするわ。あなたたち、すぐ動ける魔術師と騎士たちをそれぞれ連れてきてくれる? こいつを野放しにするわけにはいかないけど、私一人で倒すことは難しそうだから」
「しかし陛下!」
「お願い、いえ、命令よ。今私がここから離れるわけにはいかないわ。そんなことをしたらあなたたちの命がなくなるとわかっているのに」
「……!」
「早く行きなさい!」
アイリスの強い言葉に、護衛の二人は苦渋に顔を歪ませた。ここにいても、アイリスの足手纏いにしかならないことがわかっているのだろう。
……私も、今の状態では同じようなものだが。
「……わかりました」
「陛下、どうかご無事で……!」
魔術師たちが風の魔術を使い、速度を上げて城へ向かって走っていく。
「メノウ、ごめん。動けないみたいだけど、自分の身は守れる?」
「……魔術具がある。大丈夫だ」
「よかった。……ガルノー、ごめん。手加減なしでいくよ」
アイリスが覚悟を決めたように魔獣を見据えた。




