討伐前夜
テーブルに料理が運ばれてきた。
どこから手を付けて良いのかわからない。
近代芸術的造形の前菜だ。
野菜……なのか? 材料が何かすらピンと来ない。
どうしたものかと躊躇していると、隣で石丸さんが前菜をパクッと丸呑みした。
「えっ⁉」
「ん? どうした?」
「あ、いや……別に」
俺も前菜を思い切って口に入れる。
あ、野菜……大根か?
うん、シャキシャキしてうまい。
「せ~なっち!」
「ブホッ⁉」
突然、後ろからハグされる。
「あはは、ごめんごめん」
振り返ると藍莉が笑顔で立っていた。
フォーマルなスーツ姿だが、相変わらずどう見ても男には見えない。
「藍莉……」
「瀬名さん、誰ですかこの女は?」
何故か小鳥遊が不機嫌そうに言った。
「あら、貴方こそ誰かしら?」
肩までの黒髪を耳にかけ直すと、ミントベージュのインナーカラーが見えた。
「まあまあ、二人とも落ち着いて。それと小鳥遊、信じられないかも知れないけど……藍莉は男だよ」
「「えっ⁉」」
小鳥遊と石丸さんが同時に驚く。
藍莉はニッと笑って、
「ボク、藍莉。よろしくね♥」と二人にウィンクをした。
「ま、マジかよ……信じらんねぇ……」
石丸さんがあんぐりと口を開けている。
「ですよね、俺も最初は信じられませんでした……」
「でも……た、例え男であろうと、貴方は瀬名さんに馴れ馴れしくしすぎです!」
小鳥遊が顔を紅潮させて食い下がった。
「あれー、もしかしてヤキモチ焼いてるのかなぁ?」
「なっ⁉ ぼ、僕はヤキモチなど……!」
「ふぅん、じゃあこういうのも平気?」
そう言って藍莉は席の間に入り込み、俺の膝の上にちょこんと座って抱きついてきた。
「あ、藍莉⁉」
な、なんて華奢な……それに良い匂いがする……。
ハッ! いかんいかん! 相手は男……男。
「は、離れろ! 失礼だぞ!」
小鳥遊が席を立ち、藍莉を引き離した。
「あれれー、本気で怒らせちゃった……」
藍莉が苦笑いを浮かべたと同時に、後方の通路から桐谷が姿を現した。
仕立ての良いスーツに均整の取れた身体、流石に鍛えられているとすぐにわかる。
「藍莉、そこで何をしている」
「あ、兄貴⁉ いやぁ……別に……」
決まりが悪そうにして、スッと俺から離れる。
「桐谷さん、躾がなってないんじゃないですか?」
突然、小鳥遊が桐谷に噛みつく。
「ちょ⁉」
おいおい、それは言いすぎだろ⁉ ったく、こんなにハッキリものが言えるのに、何で池袋ポータルではあんな弱気だったんだ?
俺は小鳥遊に小声で「やめとけって」と耳打ちした。
「弟がご迷惑を掛けたようで、申し訳ありません」
「弟さんでしたか……、あまり瀬名さんに馴れ馴れしいのは問題だと思いますよ?」
忠告も聞かず、なおも食ってかかる。
俺は仕方なく小鳥遊の肩を掴んだ。
「小鳥遊、気持ちはありがたいけど、それを決めるのは俺だろ? もうこの話は終わりにしよう、メインディッシュもまだだしさ」
「せ、瀬名さんがそう言うなら……」
桐谷は、大人しくなった小鳥遊と俺を冷めたような目で見た後、
「では、ごゆっくりお楽しみください」と藍莉を連れ、その場を離れて行った。
*
――その日の夜。
石丸さんの鼾で目が覚めた。
「ズゴゴゴゴゴ……ズゴゴゴゴゴ……ズゴッ! フガッフ~……」
工事現場みたいだ。
凄すぎてちょっと心配になるな……。
俺は浴衣の上から半纏を羽織り、部屋を出た。
廊下はしんと静まりかえっている。
一階のロビーに行き、自動販売機でホットココアを買った。
ソファに座り、大きな窓から小さな間接照明でライトアップされた庭を眺める。
明日は討伐か……。
アスモデウス、アンドロマリウス、ブネ……、大丈夫、どんな敵にも対処できるはずだ。
「眠れないの?」
振り向くと浴衣姿の女が立っていた。
黒髪でエキゾチックな褐色の肌をしている。
目鼻立ちはハッキリした顔立ちで、何よりも目を引いたのは、浴衣の上からでもわかるスタイルの良さだ。
「こ、こんばんは」
「礼儀正しいのね? モリーナよ」
女が気だるい感じで、ドサッと隣に座った。
「瀬名と言います、よろしく」
「ふぅん……セナくんね、可愛い♥」
ソファの背に凭れながら俺をジッと見つめる。
「あ……はは、あはは、やだなぁ、からかわないでくださいよ、えと……モリーナさんは金曜会の方ですか?」
「いいえ、私は違うわ。もっと自由なクランよ」
「自由?」
「そう、Free Raidっていう登録制のクランなの」
「初めて聞きました……」
「でしょうね、いま私が作ったクランだから」
悪戯っぽく笑い、俺に近づいてくる。
「モ、モリーナさん?」
「ねぇ、討伐前って身体が火照らない……?」
「い、いやぁ……どうかなぁ~、あは、あははは」
浴衣から覗くすらっと伸びた美しい足が、薄暗い照明に照らされている。
はだけた胸元からは、黒いレースがチラッと見えていた。
やべぇ……なんて色気だ……。
クソッ、悪魔と比べればこれくらい可愛いもんだ! しっかりしろ!
「警戒してるでしょ? 大丈夫よ、無理に襲ったりしないから」
クスッと笑って、俺のココアを一口飲むと浴衣をはだけた。
「え⁉ ちょ!」
俺の唇に人差し指を押し当てる。
そのまま、俺はソファに押し倒された。
前をはだけた浴衣の中で、美しい身体が蠱惑的な薫りを発している。
モリーナさんが、俺の顔を覗き込む。
「シッ……、無理には襲わないわ。無理にはね……♥」
「モ、モリーナさん……」
「駄目、モリーナって呼んで?」
も、もう無理なんすけど⁉
いかんいかんいかん! これが金曜会のハニートラップならどうすんだ⁉
しっかりしろ俺!
「ふふ……」
首筋にキスをされた。
「ふわ……」
ヤバい! 完全に身体が反応してしまっている!
「Quero ficar a noite toda com você(今夜はあなたといたい)……」
「へ?」
モリーナさんが耳元で何かを囁く。
手首をソファに押しつけられ、俺は両手を上げた状態になった。
逃げようと思えば逃げられる……。
頭ではわかっていても、モリーナさんの瞳から目が離せなかった。
俺の反応した部分を見て、
「大丈夫、すぐに楽にしてあげるから……♥」と妖しい笑みを浮かべた。
ヤバい……これ駄目なヤツだ! ヤバいぞ!!
「……瀬名っち?」
一瞬で現実へと引き戻される。
慌てて起き上がると、浴衣姿の藍莉が怪訝な顔でこっちを見ていた。
「あ、いや……その……」
「モリーナ、これはどういうつもり?」
「やだ、怖い顔しないで? じゃあ私はこれで、ま・た・ね、セナっち♥」
モリーナさんはそう言うと、部屋に戻っていった。
「あれ、二人って知り合い……なの?」
藍莉は大きくため息をつき、
「瀬名っち、あれはボクんとこのメンバーだよ。良かったね、何も無くて……」
呆れ顔で、俺の反応した部分を指さす。
「ぬぉあっ⁉ こ、これは……」
「ったく、明日早いんだから……もう寝なきゃ駄目だよ?」
「あ、うん……」
藍莉はやれやれと小さく頭を振りながら、ロビーを出て行く。
もし、あのまま行ってたら……。
「あ、危なかったぁ~……」
ぶるっと身震いをした後、飲みかけのココアを捨て、俺は自分の部屋に戻った。




