No.10「兄と妹」
路地裏に現れた女。それは無尾種協会の布教番組にて、放送中に棲処へと姿を変えた有尾種だった。
リオンの話によれば、彼女は自身の棲処化を協会によって制御させてもらう代わりに、尻尾を切り落とす約束をしていたハズだ。しかし、目の前で俺達の進行を阻めている彼女の腰からは、未だに尻尾が携えられている。
「お兄ちゃん……」
そして彼女は有尾種特有の小さな唇の動きでそう呟き、ミリオンに担がれたオーリイの姿へと視線を移した。
まさか……! と思った。俺だけじゃなく、ミリオンとリオンも同じ言葉を頭に思い浮かべただろう。
「起きてお兄ちゃん……迎えに来たよ」
お兄ちゃん。確かに彼女はそう言った。そこから導き出される可能性の答えは一つしかない。(まれに例外もあるが)
「キミ……オーリイの妹なのか? 」
リオンがやや声をうわずりながらそう言うと、彼女はゆっくりと僅かに頷いて尻尾で○マークを作った。
間違いなさそうだ。オーリイには妹がいた。(ちなみに俺にはそんな存在は皆無だ)
「あの人とね……約束したの……お兄ちゃんを無尾種協会に入会させれば、一緒に尻尾を切り落としてあげる……って」
「折井星音のことか!? 」
俺が今口に出した折井星音は、無尾種協会会長のコトである。オリオンの人数が増えるにつれて会話がややこしくなるので、自分の心の中ではカルト協会会長であるオリオンのことを“マリオン”と呼ぶことにした。
魔性のオリオンだから“マリオン”。安直ではあるが、なかなか上出来なニックネームじゃないか? と自画自賛をする。
「そう。あの人は顔も名前もなにもかもがお兄ちゃんと一緒……正直運命を感じたの。この人に付いていくしかない。この人と一緒なら私の願いが叶う……だから忠誠を誓ってあなたたちの前に……」
オーリイの妹はプツリと言葉を切った。そして有尾種お得意の観察力溢れる視線をゆっくりと俺達に向ける。まるでそのまま目力で写真撮影をしてパノラマ写真を撮影するかのような動きだった。
そして……
「う……うわああああッ!!!! なんで! なんでお兄ちゃんと同じ顔がこんなに……イチ、ニイ、さ……ええっ!? ちっちゃい人間までいるの? なんで!? 」
「今更気が付いたのか……」
この子は容姿からして10代位の年齢の子供だと見当がついたが、それを差し引いたとしても有尾種の中では相当な“うっかりやさん”なのだな……と思った。リオン、ミリオンも同時に同じコトを脳内でつぶやいたに違いない。
「察するにキミはオーリイの妹ってことでいいのかな? 今はワケあってキミの兄をこうして……その……同行してもらってるところなんだ。詳しい話をしたいところだけど、今はちょっと時間がない。道を譲ってもらえるか? 」
リオンはなるべく警戒心を与えさせないように、柔和なニュアンスを込めて彼女にそう言ったが、正直言って宇宙の危機を救うためとはいえ、自分たちのやっていることは“拉致”であり、おそらくこの世界でもれっきとした犯罪だ。
「何をメチャクチャなコトを言っているんですか? お兄ちゃんや“あの人”と同じ顔をしてるからって何を言っても構わないってワケじゃありませんよ」
「う……まぁ確かに」
『理由は言えないけどあなたのお兄ちゃんを拉致するね』と『私のお兄ちゃんを拉致されないように邪魔をするね』では、筋が通っているのは明らかに後者だ。
しかし、今俺達はここで引き下がるワケにはいかない。もちろん宇宙を飲み込むブラックホールを止める為という理由もあるが、それ以上にこの世界でカルト協会を立ち上げている謎の5人目の折井星音、“マリオン”の存在のキナ臭さが気がかりで、今ここでオーリイの身柄を渡してはならない。と本能的に察知した。
なぜこの世界に限っては既に二人のオリオンが存在しているのか? そしてなぜマリオンは人の棲処化を制御出来るのか? そして彼の目的は?
謎の上に謎が重なり、漬け物石で圧縮されているような状態。それらをハッキリさせる為には、かっちゃんに全てを話してもらう外は無さそうだった。
「星音、リオン……」
膠着状態の中で、ミリオンは俺達だけに分かるような小声をそっと呟いた。
「一気に行くぞ……オーリイの身体にしがみつけ」
どうやら彼はこの状況を打破する“何か”を思いついたらしい。俺達はその詳細を知るまでもなく、気を失ってミリオンに担がれているオーリイ腕を左右それぞれ型に巻くような形でしがみついた。
「ちょっと! お兄ちゃんで何をする気? 」
「ちょっとそこまでジョギングさ。ただし、重力10倍の脚力でな! 」
そして次の瞬間、ミリオンの言葉通りの感覚が全身を襲った。
「うわッ!? 」「ううっ!? 」
ミリオンはなんと、俺とリオン、そしてオーリイ。三人の体重を担ぎながら、猛スピードで駆け出し、一気にオーリイの妹の横を通り過ぎてしまった!
「このまま銭湯まで突っ切るぞ! 」
「は……はいいいい……」
凄まじい風圧が顔面を襲い、まともに返事すらできなかった。まるで特急列車の窓から顔だけ外に放り出しているかのようだ。
「ウビィィィィィィッ!! 」
「堪えろ! 十秒で到着する! 」
十秒……これはアインシュタインの言う「熱いストーブの上に手を置いた十秒」と同じで、普段なら何気なく過ごしている十秒とはワケがちがう。呼吸も出来ず、瞼も開けず、ただただ凄まじい風圧に耐え続け、十分にも一時間にも感じられる濃縮された十秒だ。
「ウオラァァァァッ!! 」
そんな圧縮時間の最中、後方からかすかに聞こえる叫び声。
「お兄ちゃんを返せええええぇぇぇぇッッッッ!! 」
その言葉で把握した。オーリイの妹だ! 彼女が俺達を追いかけているのだ!
「嘘だろ? 」
ミリオンがそう言うのが聞こえた。焦りと驚愕を孕んだニュアンスだった。10倍の重力で鍛えた脚力の疾走に追いつける者なんていない。俺もミリオンもそう思っていた。しかし、今回ばかりは例外だ。凄まじい風圧の中でどうにかして開いた瞳に映ったのは、尻尾でバランスをとって前傾姿勢で走るオーリイの妹の姿。
この世界の有尾種は、その尻尾を有効に使って運動能力すら格段に飛躍させているようだ。無尾種との格差はこういう点においても生まれていたのかと、この世界での不文律を改めて思い知ると同時に、このままでは彼女にオーリイを奪われてしまうという危機感も濃厚に感じ取った。
「私に任せて! 」
そんな危機を察したリオンが担がれながら後方へと首を向け、大きく息を吸い込んだ。その予備動作だけで十分だ、これから何が起こるのかは俺とミリオンにはすぐに察しがついた。
「ヒュヲォォォォォォォォッッッッッッ!!!! 」
リオンは自慢の肺活量で凄まじい吐息を噴出させた! それはミリオンのダッシュの加速ブースターになると同時に、後方のオーリイの妹に対する、速度妨害の向かい風ともなる! まさに攻防一体! 会心の一手!
「ううッ!? 」
オーリィの妹はリオンブレスの風圧によって減速、大きく距離を引き離した!
「やったぜ! 」
やっているコトは明らかにこちらの方が“悪”なのだが、この時は俺も素直に喜んでしまった。三人が協力して一つの仕事をやり遂げるという一体感を確かに感じ取っていた。(俺自身は殆ど何もしていないけど……)
「待てミリオン! 前を見ろ! 」
しかし、そう浮かれていたのもつかの間、俺達は道を走る際に初歩的な要素をないがしろにしていたようだ。
「ヤバい! 階段! 」
そう、走行の基本“前方をよく見る”を怠っていた。
リオンの指摘も空しく、ミリオンは担いだ俺達ごと100段はある長い下り階段をゆっくり降りることが出来ず、そのまま宙にはじかれるように飛び出してしまった。
「うわああああッ!!? 」
全身が空気に包まれたような浮遊感。眼下にはこの世界の町並みがジオラマのように一望出来る。
雪が多い為か、三角形に尖った屋根の家屋が多かった。そして曇りが多く日照時間が少ないからか、街全体のカラーリングはグレーで構成されている。
街の中にいた時はそれほど強く感じなかった世界間ギャップも、こうやって空から見下ろしてみると瞭然だった。俺は今、自分の身にとんでもない危機が襲いかかっていることすらも忘れ、束の間の異世界探訪を楽しんでいた。
冷たく刺すような空気が体表をすり抜け続ける感覚と共に、視界には巨大な円筒形の建築物が映りこんだ。
セメントで固められたその建造物は巨大な大砲を思わせ、筒の先からは白い煙が雲のように上がっている。
ここまで観察して俺はようやく気が付いた。これは自分の世界でも度々見かけた馴染み深い物……煙突だ! それもおそらくは、銭湯の物だ!
「星音! 何ボサっとしてるんだ! 」
「え!? あ! 」
ミリオンの声でようやく俺は我に返った。このままでは未だに失神中のオーリイを含め、4人とも地面に……いや、このままの落下軌道で行けば煙突のそびえ立つ根本……すなわち銭湯の屋根に激突してしまう。
「やべえぞ! このままじゃ俺達落っこちてペラペラのパンケーキになっっちまう! 」
焦るミリオンに対して、リオンは冷静さを保ってこう言った。
「いや! このままでいい! 」
「は? 」
「このまま落っこちればちょうどいい! この世界から脱出するゲートは、あの銭湯にあるんだろう? それならこのまま突っ込んでしまおう! 」
確かに単純に考えてしまえばそのプランで俺達はこの世界から脱出することは出来そうだが、それには“俺達が無事でいること”という大前提が抜け落ちている。
「大丈夫! また私に任せてくれ……! 」
リオンはそう言って、先ほどと同じように大きく息を吸い込み、お腹を風船のように膨らませた。
まさか……またやるのか! “アレ”で着地の衝撃を和らげようとしているのか?
銭湯の瓦屋根が眼前に迫った直後……
「ブモォォォォォォォォッ!!!! 」と、本日二度目となる強烈ブレスの風音が鼓膜を刺激した!
今度のリオンのブレスは、過去にSF映画で見たことのあるような、スペースシャトルが着陸する際にロケットの逆噴射で落下スピードを抑え込む手段と同じ役割を果たした。
一瞬だけフワリと身体が持ち上がった風な抵抗感を覚えた直後……!
バキバキッ! ガッシャァァァァ! グシャァッ!
と、ミルフィーユにフォークを突き立てるかの如く! 木造の屋根を突き破りつつ落下を続け……最終的にとうとう……
「うわああああッ! 」
一瞬だけ……ほんの一瞬だけ、大浴場で思い思いに入浴を楽しんでいる全裸の有尾種達の、驚きに満ちた表情を確認した直後……
バッシャァァァァッ!! と、全身に凍てつくように冷たい水の飛沫を浴びて視界が真っ白になってしまった。
「うっ……うう……」
全身に鈍い痛みを感じ取って状況を見渡すと、天井も壁も床も全てが真っ白に染められた“統括の者”へと続く通路へと、無事たどり着いたことを確認した。
「やった! まさかあのまま落下した場所が、ワープゲートの“男湯の水風呂”だったなんて! 」
「痛てて……都合よすぎる偶然だが……今はそれに感謝するか……」
「同感だ……」
ミリオンもリオンも無事のようだ。彼らの頑張りのおかげで、俺達は4人目のオリオンを拉致……いや、ここまで連れてくるという任務を達成することが出来た。
「う……うう……」
おっと、その4人目のオリオン、オーリイが長い失神から目覚めようとしている。ここは完全に意識を取り戻す前に、キーホルダー状のリングくぐってかっちゃんの待つ浮遊島へとワープした方がよさそうだ。
「ミリオン、リオン、オーリイが目覚めそうだ。手を貸してくれ」
「お……」「あ……」
どうしたことだろう? 二人とも俺の言葉に対して返答が無い。それどころか遊園地のマスコットキャラが、休憩中に中身を露わにしている姿を目の当たりにしてしまったかのような、大きく瞼を開いた視線をこちらに向け続けている。
彼らはちょうど俺とは向き合った状態で、どうやら俺ではなく、それよりも背後にある何かを見て驚愕しているように見えた。
「どうした? 」と、特に考えもなしに俺は振り返り、ミリオンとリオンの視線の先を追ってみた。そして理解した。
「ハァ……ハァ……全く……猫に追われたネズミみたいに逃げ足が早いのね……」
オーリイの妹だった。彼女はなんと執念深く俺達を追跡し続け、なんと水風呂のゲートをくぐってまでここまでたどり着いてしまっていたのだ。
「ん……あ……あぁ? 」
「ハァ……お兄ちゃん……お目覚め? 」
そして最悪のタイミングでオーリイも目を覚ましてしまう。熟睡から目覚めたように、完全に開かない細目で俺達を見渡し……最後に自分の妹の姿を確認した。
「ま……マリナ!? なんでお前がここに……!? 」
マリナ。それが彼女の名前なのだろう。彼は突如現れた実の妹を目の当たりにしたことがあまりにも想定外だったのか、驚きというよりも“狼狽え”と表現した方が正しいかと思うように、尻餅を突きながら俺達のいる方へと後ずさってしまった。
「お兄ちゃん……さぁ……一緒に“あの人”のところに行きましょう……」
「マリナ、目を覚ませ! お前は騙されているんだ! 無尾種協会に入会するだなんてバカげている! 」
「バカげてる……? なんで? なんでそんなコトを言うの……? だってホラ……こうやって……こうや……わた……わた……わ……わたしの……ワタシのカラダ……! このトオリ……元……モトドオリ……モト……ォォオオオヲヲ? ??? !! 」
次の瞬間、マリナの身体は中心からまっすぐに縦に割れ、内側にめくれて異形の姿へと変貌する!
「あれは……テレビで見た時と同じだ! 」
そう、ミリオン達が言っていた! 彼女はテレビ放送にて、その姿を棲処に変えてしまっていたと。そしてその再現が、今俺達の目の前で繰り広げられている!
熊のような巨体に巨大化し、皮膚は岩のように硬質化され、そして腕は新たに二本生え揃って四本に……
「グォオオグルルル……グブシュアアッ! 」
ついさきほどまで10代の女性だった姿はもはやここには無い。完全なるモンスターと化したマリナが、俺達を抹殺せんばかりに立ちはだかっている。
「マリナ……マリナァァァァ!! 」
目の前で繰り広げられたショックのあまり、オーリイは気を動転させる。あれだけ冷静沈着さを見せていた彼がここまで動揺してしまったことに、俺達も気が気でなくなってしまう。
「ちくしょう! 仕方がねえ! 」
ミリオンはとにかく棲処化したマリナを力付くで止めようと拳を構えたが、それはオーリイが彼に覆い被さったことで阻害される。
「待て! アレは俺の妹なんだ! 傷つけないでくれ! 壊さないでくれ! 」
「ンなこと言ったって! このままじゃ俺達が……」
もみくちゃになって戦うどころではないオリオンズ。そんな混沌に乗じて、無情にも棲処マリナは俺達に向かって飛び上がり、四本の腕で全員に拳打を叩き込もうとした! 二度に渡るブレスによって疲弊したリオンは何も行動に移せず、俺自身も何をすればいいのか分からずに動けず、まさに絶体絶命……!
このまま俺達、4人の折井星音はこの世界から抹消されてしまう運命なのか?
「全く! 何をやってるんだい? 」
「え? 」
このカオス状態を消滅させんばかりに“彼女”は颯爽と現れた。
「統括封印術! 静寂のタイムフリーズコールドスパイラル!! 」
子供向けアニメのキャラクターが発するような、ハッキリとした滑舌のよく通る声で発せられた呪文(? )と共に、俺達に襲い掛かってきた棲処は、一瞬でピタリと動きを止めてしまった……
「フゥー……とりあえずはこれでヨシと……」
「お前……一体……何だその格好は……? 」
オーリイの言葉に、珍妙な格好の彼女はこれ以上ないほどの真剣な表情を向けてこう言った。
「初めまして、4人目のオリオン……ボクは“統括の者”……この宇宙の秩序を守る為……そして……」
「そして? 」
「君と、君の妹を救う存在だ」
つづく
(お題)
1「キーホルダー」
2「階段」
3「漬物」
執筆時間【2時間30分】
一時間で終わらせたい(*´ω`)




