第9話 あれから半年後・・・
第8話で一旦完結しましたが、その後を書いてみました。
9.あれから半年後・・・
あの“第一なかよし公園”での告白から、季節が二つ行き過ぎる。電車から見える木々の顔が、寂しい色から少し希望の芽を吹く表情に変わってきた。すっかり葉の落ちた殺風景な枝先に、少し若い青が乗る。南ヶ丘駅から会社までの並木道を毎日毎日通りながら、私は春が来るのを待っていた気がする。先輩に気持ちを伝えた頃は、木枯らしの吹く季節だった。南ヶ丘駅前の大きな通りを冷たい風が通り過ぎると、黄色や茶色の落ち葉がクルクルと踊っていた。その内そんな葉っぱもどこかへ姿を消して、道路には雪が積もった日もあった。今年の冬は何回雪が降っただろう。
私がアドレスを教えるのを渋ったから、大澤は駅前のターミナルで偶然を装って私に声を掛けてきたりした。
「ちょうどこれから電車乗るところだったからさ・・・」
とか、
「良く会うね~」
とか。こんなのもあった。
「ねぇねぇ。貰った?このクーポン」
見せてきたのは、新しくこの町にオープンしたスイーツのお店の割引券だ。オープン初日、駅前で配っていたのだと言う。
「男一人だとこういう店、入りにくいからさ。一緒に付き合ってよ」
ここまでくると、もう断る口実も無くなってしまうものだ。
駅までバッタリ的な偶然を装って大澤はいつも現れるけれど、皮肉にもあれから 勇吾とのバッタリは一回もない。やはり、偶然なんて、そうそう現実にはないのだ。だから私は、大澤と入った話題のスイーツのお店でカップケーキとシナモンティーを飲みながら聞いたのだ。
「先輩・・・お元気ですか?」
「勇吾?あぁ、相変わらず元気にしてるよ」
そう言って大澤は私の顔をじっと見た。
「メールとか、してないの?最近は」
「別に・・・用事もないんで」
私はそう言ってカップケーキを一口、口へ運ぶ。そしてそれを紅茶で流し込むと、私はもう一言付け足した。
「バッタリ なんて、そうそうないですもんね」
大澤の手が止まる。そしてコーヒーカップに掛けていた手を止めて言った。
「だよね~」
笑ってごまかそうという感じだ。しかしその後で、大澤がもう一言言った。
「俺達、偶然多くない?運命だったりして」
今までの駅前での待ち伏せを、あくまで偶然で押し通すつもりの様だ。呆れるというより、ここまで来ると他人事の様に『あっぱれ!』と言いたくなる。
「ねぇ、まだ駄目?番号教えるの」
これを聞かれたのは、半年ぶりだ。意外に毎回ではない事には好感が持てる。かといって、好きにはならない。
「今度、勇吾も連れて来るからさ。一緒に飲みに行こうよ」
ん?どういう意味だ?『勇吾が来る』と言えば、私が喜ぶと読まれているという事か?それは困る。私が必死に無表情を装っていると、大澤が言葉を足した。
「真奈ちゃんも、会社の友達誰か連れといでよ」
大澤と駅前で別れ、電車を待つホームで今日も大きな溜め息が漏れる。この半年の間に数回こういう事がある。いつでも変わらずに元気にニコニコ、そしてじわじわ押してくる大澤に笑顔で接した後は、どっと疲れが押し寄せる。そんな時、手帳から一枚のチケットを取り出して眺める。スキマスイッチのコンサートチケットだ。今の自分の唯一元気が出るスイッチだ。もちろん先輩と行く訳じゃない。でも高校の時からずっと、彼等の音楽が先輩との懸け橋になっていた事は間違いない。そのライブに行った後で、久し振りに先輩にメールを送ろうと思っているのだ。ライブに行ったという口実があれば、メールも送りやすい。今はそれを楽しみに毎日過ごしているのだ。
コンサート会場は凄い人だ。行きも帰りも、万に一つの可能性に賭けてみたりして、人だかりの中に勇吾の姿を探す。その偶然の為に、少しお洒落をしていたりする自分がいる。しかしその期待に神様は応えてはくれなかった。当たり前だ。都内で行われるコンサートは、今日だけじゃない。何日かある日程の、同じ日の同じ時間に同じ場所を通り掛かるなんて偶然があるとすれば、大澤の言う様にきっと運命の相手だとしか言い様がない。彼の暮らす町に半年通い続けていても会えないのだから、運命の相手ではない事位薄々分かっている。
コンサートで聴いた曲が、当時の懐かしく切ない思い出を掘り起こす。帰りの電車の中で、私は携帯を取り出した。いよいよ作戦を実行する時が来た。
『お久し振りです。お元気ですか?今日スキマスイッチのコンサートに行ってきました。懐かしくて、思わず先輩の事思い出して ついメールしちゃいました』
私はドキドキする胸を抑えながら、送信する。日曜の夜、きっとすぐに返事なんか来ないと自分に言い聞かせて、私が鞄に電話をしまおうとしたその時、それが震えて着信を知らせた。
『今日?!』
そのすぐ後に、もう一通まさかの返事が届く。
『俺も行ってた!』
私の心が 運命かも!と叫んでいる。
『向こうで会えなかったね。まぁ、あの人混みじゃ無理か』
勇吾のメールを読んで、そりゃあそうだと頷く。運命の女神が味方をしてくれていたら、きっとどんな人混みだって、バッタリ!なんてシナリオになっていた筈である。そんな現実とぼんやり向き合いながら、電車の乗り換えをする。発車を待つ車内も、やはり日曜の夜だけあって混み合っている。どの車両に乗っても座れなさそうな気配を察して、いつもの車両に乗り込む。するとそこには、半年間偶然バッタリ会う事すらできなかった勇吾が、ドアの入り口付近に立っているではないか。驚いて声を発する事すら忘れている私に気が付いて、勇吾が声を掛けた。
「あはははは。会っちゃったね」
「はい・・・」
しかし、私は落ち着かない。何故なら、勇吾の隣には友達らしき人が一緒に乗っているからだ。ドア付近しか空いているスペースが無いから、他へ移動する事も出来ないでいると、勇吾が友達に言った。
「高校の時の知り合い」
私の事を『知り合い』と表現して紹介すると、すかさずその友達が私にぺこっと頭を下げた。
「どうも」
貴重な偶然の再会でも、二人っきりにはなれないんだなぁ・・・と、胸の隅にほんの僅かな寂しさが色を落とす。私が遠慮がちにその場に立っていると、勇吾が話し掛けてきた。
「どの辺の席だったの?」
今日のコンサートでの座席の話題だ。そこから、何となく3人での会話となり、終えたばかりのコンサートの話に暫し身を任せる。
「じゃ、また」
勇吾の友達が途中の駅で降りていく。電車の中に残った二人に、沈黙が流れる。良く考えてみれば、半年前“第一なかよし公園”で一方的な告白をしてから初めて顔を合わせるのだ。あの時もスキマスイッチのイベントの帰りだったのを思い出す。今でも私が好きだという事を、勇吾には伝わってしまっているのだろうかと、隣に立つ長身の顔を確認する様に見上げる。
「まさか、同じ日に行ってるなんてね」
私の視線に気付いて、勇吾はそう言ってにっこり笑ってみせた。今まで通り普通に接してくれているけれど、この半年何の連絡もしなかった事が彼の本音だと思うと、急に胸が苦しくなる。好きなだけで良かった筈なのに・・・。会えばもっと近づきたくなる欲張りな自分が嫌だ。
コンサートの話題もそうそう続かず、そこで勇吾が取り出したのは大澤の話題だった。
「大澤・・・相変わらず、諦めてないみたいだね」
先輩と一緒に居る時位、思い出したくない。そんなわがままな自分の気持ちに蓋をして、私は曖昧な返事を返す。
「仕事・・・慣れた?」
勇吾が次々と話題を探しているのが分かる。
「何とか一年、もちました」
その言い方に、勇吾がくすっと笑う。
「仕事、楽しい?」
「はい」
ちょっと見栄を張った。別につまらない訳ではないけれど、取り立てて楽しくて仕方がない訳でもない。でも、仕事をいきいき頑張ってる自分を演出すべく、私はそんな小さな嘘をつく。
勇吾の降りる南ヶ丘駅まで あと10分と無いのに、一体何を話して良いか分からない。言い換えれば、自分をアピール出来るタイムリミットが近いというのに、ようやく掴んだそんな小さなチャンスを活かせない自分がもどかしい。
「最近お薦めの曲とか、ありますか?」
なんとか絞り出した質問に、素直に乗っかってくれる勇吾。
「そうだなぁ・・・。清水翔太とか、バックナンバーとか」
「あ!私も清水翔太の『君が好き』とか、好きです」
「アルバム持ってる?」
意外にも話が弾む。私は勇吾の質問に首を振る。
「じゃ、今度貸すよ。めっちゃいいからさ」
思いがけない台詞に、私は思わず耳を疑ってしまう。
車内アナウンスが 間もなく南ヶ丘駅だと告げる。
「今度って・・・いつ渡せるかな?」
「いつでも。言って頂ければ、お店まで行きます」
「・・・今日は・・・もう遅いよね」
私が慌てて首を横に振ったのは言うまでもない。
勇吾の後について南ヶ丘駅を降りる。ウキウキしすぎて、全身からキラキラした光が放たれている様にさえ感じる。西嶋酒店の裏にある自宅玄関の前で、勇吾が一旦立ち止まる。
「ちょっと待ってて。すぐ持って来るから」
私は心の中で、『全然すぐじゃなくていいです』と答える。だって、CDを持ってきたら、もう今日はそれでバイバイになってしまうのが分かっているから。
しかし私の期待と反して、勇吾は本当にすぐCDを持って出てきた。
「『君が好き』が好きって言ってたから、それが入ってるベストアルバム持って来た」
「ありがとうございます」
「俺はね、こん中の『桜』が好きなんだよね」
アルバムの収録曲が書かれている所を見せながら、勇吾がそう説明する。しかし暗くて、字も小さくて良くは見えない。思わず私が顔を近付けると、勇吾も覗き込んで指を差す。
「ほら、これ」
背の高い勇吾の顔が 私の頭の真上にあるのが分かるから、声も近い。そうなると、もう私は曲どころではない。
「早速、今日帰ったら聞いてみます」
「あと他にもさ・・・」
そう言って、勇吾は他に持って来たCDを私に見せた。
「他のも、聞いてみる?」
嬉しさのあまり、うっかり『はい』と返事をしそうになる。しかし私はそこで自分にブレーキを掛けた。
「一つずつじっくり聞きたいので、これ終わったら貸してもらえますか?」
そうだ。せっかく勇吾とのパイプラインが再び出来たというのに、一回で終わらせる訳にはいかない。一枚ずつ借りては返して借りては返してを繰り返して、長い事繋がっていられる為には、この方法が最善と思ったのだ。
帰りの電車で、私は今借りたばかりのCDをしげしげと眺める。又勇吾に会う為の切符に見える。
家に帰って早速CDをかける。順番に聞いていくと、勇吾の好きだと言った『桜』が流れ始める。タイトルが桜だけに、卒業式のあの果たされなかった約束を思い出してしまう。離れてしまった愛しい人への思いを、桜の木の下で思い出す切ない歌詞だ。聞きながら、ちょっと勘違いしてしまう。もしかして・・・。勇吾がこの曲を好きな理由は、もしかして私の事を思って・・・。そんな馬鹿みたいな妄想を抱きながら、勝手に私の心が先走る。こんな時『落ち着け』という暗示は無意味に近い。曲が終わって、もう一回聴いてみる。どんな想いが込められているんだろう・・・そんな勝手な憶測で、勇吾の気持ちを量る。歌に込めた勇吾の気持ちだとしたら・・・。止められない妄想は私を暴走させて、勝手に心臓がドキドキしてくる。確かめる様に、私はもう一度曲を聞く。思い込めば、どんな歌詞も自分に都合よく聞こえてくる。私の中で、ほぼ勇吾の気持ちに確信を持った時、何故か耳に飛び込んできた一つのフレーズ。
『あきれるほど側にいた 君は僕だけの恋人』
さっきまでは気にならなかった歌詞が、急に私の耳に滑り込んできて心に引っ掛かる。それを聞いた途端、これが自分の事を思って聴いていた曲ではないと分かる。これはきっと、別れた彼女の事を思って聴いた曲だと すぐに察しがつく。そう思ってもう一度聴くと、さっきまでとはまるで違って聞こえてくる。彼の一途に想いを寄せる元カノへの未練を思い知らされた様で、急に絶望的な気分になる。ただ好きなだけで良い筈だったのに・・・彼の望む幸せを喜べる人になりたいのに・・・そんな理想とはかけ離れた灰色の感情に占領された私は、そんな気持ちを引きずったまま 最後までアルバムを聴いた。
全てを聴き終えて、私は携帯を手に取った。本当はこれを聴き終えた時には、もっとウキウキした気持ちで 勇吾へのメールの文章を考えている筈だったのに。今日はもう遅いし・・・そんな言い訳をして、私は携帯を置いた。
次の日、勇吾にCDのお礼を送る。
『昨日はありがとうございました。お借りしたアルバム、聴きました。知ってる曲も幾つかあって、良かったです』
『良かったです』なんていうざっくりとした表現しかできない。しかし、そんな私の気持ちも知らず、勇吾から呑気な返信が返って来る。
『いいよね、シミショー』
私は思い切って聞いてみる事にする。
『先輩は、なんで“桜”好きなんですか?』
すぐの返事はない。やはり聞いてはいけない事だったのかもしれないと、憂える。
『あの声とあの歌詞が凄く合ってて、一発で気に入っちゃった』
ようやく来た返事にはそう書いてあり、深い意味はなかった様にも感じさせる。だから私は、もう少し突っ込んでみる事にする。
『すごく切ない曲でしたね』
また すぐの返事はない。
『アップテンポの曲も好きだけど、ああいうバラードも好きだよ』
暫く経ってから来た勇吾の返事からは、上手くかわされた感が否めない。私はもう詮索するのをやめにした。
仕事帰り、駅前で勇吾と待ち合わせをする。CDを返す為だ。元カノへの未練を感じてしまったけれど、やはり会えるのは単純に嬉しい。仕事中抜け出してきた勇吾が、片手にCDを持って走って来る。
「忙しいのに、すみません」
昔から変わらない笑顔で微笑む勇吾に、やっぱり好きだなぁと改めて思う。
「ありがとうございました」
そう言って借りてたCDを手渡すと、勇吾は手に持って来たCDを差し出した。
「じゃ、次これね」
こんな風に永遠にCDを借り続けられたら、勇吾と会う口実に困らないのにと思う私。本当は『また今度ご飯でも一緒に』とかって誘いたい。でも、半年前『二人で出掛けたりはもう出来ない』って断られているから、そうも言えない。私はCDを受け取って頭を下げた。
「また、お借りします」
「じゃあね」
先にそう切り出すのも、やはり勇吾だ。私が思ってる程、この一瞬の待ち合わせなんか、何とも思ってないのだ。そう思うと、“桜”を聴いて1mmでも自分への想いを勘違いして妄想した自分が恥ずかしい。
私はまた、次会える切符を大事に鞄に抱え電車に揺られた。
勇吾が駅前のTSUTAYAから出てくると、ほろ酔い気分の大澤の後ろ姿がある。
「よっ!」
そう後ろから声を掛けると、振り返った大澤が上機嫌に返事をする。
「どっかで飲んでたの?」
勇吾の質問に、大澤がほろ酔いの勢いのまま親指を立てて返事をする。
「合コン」
「合コン?!」
「そ。高校時代の友達から招集かかってさ」
「へぇ~」
「あとちょっとでお持ち帰り出来そうだったんだけどな・・・」
「は?!」
「あ、お持ち帰りって言わないか。俺実家だから。ん~何て言えばいいのかな。落とせそうな子いたんだけどなぁ~」
勇吾が呆れた顔で反論する。
「お前、真奈美ちゃんの事好きだったんじゃないの?」
「まぁそうだけど・・・脈なしだし」
「じゃ、諦めたの?」
「諦めたって訳でもないんだけど・・・」
勇吾の眉間に皺が寄る。
「そういう中途半端な事すんだったら、真奈美ちゃんとの事俺応援できないからな」
すると、さっきまでヘラヘラしていた大澤の頬が急に引き締る。
「なにムキになってんだよ。別にお前の元カノに遊びで手出した訳でもないのによぉ」
「俺はそういういい加減なのが嫌いなんだよ!」
「俺別に彼女いないんだし、何か悪い事してる?合コン行って、楽しく飲んできて、女の子落とせなくて惜しかったぁ~って、笑い話だろ?ただの。それをお前に文句言われる筋合いねぇよ」
「お前が合コン行こうが何しようが関係ねぇけど、それなら真奈美ちゃんの事好きとか言うなよ!」
段々に声のボリュームが上がる勇吾につられ、大澤も喧嘩腰になる。
「お前の方こそ、真奈ちゃんに未練でもあんじゃねぇの?好きなら好きで、俺に遠慮しないでどんどん好きにやってくれよ」
勇吾は呆れて、はぁ~と大きくため息を吐いた。すると被せて大澤が言う。
「真奈ちゃんに言やぁいいだろ?大澤が合コンで気に入った子、お持ち帰りし損なって悔しがってたって。そうやって俺の点数下げて、お前は真奈ちゃんと上手くやりゃあいいだろ?」
言い終えるか否か、勇吾の右手が大澤の胸ぐらを掴む。しかし大澤が、あおる様に又ヘラヘラして言った。
「どうせ俺はいい加減な男ですよ」
大澤の胸元をぐしゃっと掴んだ手に、更に力がこもる。
「こんないい加減な男に真奈ちゃん傷付けられたくなかったら、お前がしっかり守ってやれよ」
抵抗もしない大澤だったが、目は真剣で、勇吾は掴んでいた手を離した。
二枚目のCDを借りてから数日が経つ。再び会社帰りに、駅前で勇吾と待ち合わせをする。今日は勇吾の方が先に来ている。勇吾の姿を見つけるなり、私は慌てて小走りになる。
「ごめんなさい、いつも来てもらっちゃって」
CDのお陰で毎週の様に勇吾に会える。それが今の最高の幸せだ。でも私からいかにも好きですっていうオーラを出すと気まずくなりそうで、その辺は胸の内にきっちりしまってある。せっかく会えるこの一瞬の時間を大事にしたいから。
「どうだった?これ」
勇吾が聞く。
「え~っと・・・この中ではこの曲が一番好きでした」
曲目リストを見ながら指を差す。
「あぁ、これね。いいよね」
勇吾も共感してくれる。
「じゃ、次これね」
こうして別のCDを手渡されたら、もうあとは『じゃあね』と言われ、終わりだ。そう思うと少し悲しい気持ちになるが、そこはぐっと堪え、終始笑顔を作る。
「先輩はこの中だったら、どれが好きですか?」
この間みたいに“桜”の歌詞を聴いて勇吾の気持ちを知ってしまった事を思うと、彼の好きな曲を聞き出すのは正直少し勇気が要る。でも、全部が全部元カノへの未練ばかり思わせる曲ではない筈と信じて、質問してみたりする。
「そうだなぁ~。これとかこれとか・・・」
こうやって聞いていくと、勇吾の好みが一つずつ分かっていくみたいで嬉しい。
「また、聴いてみますね」
そう言ってCDを鞄にしまう。あれ?いつもならここで、『じゃあね』と言われる筈なのに、今日はない。だから私は思わず自分から、
「じゃぁ・・・」
と言ってしまう。馬鹿だ。もう少し我慢していたら、何かもう一つでも二つでも話題が飛び出してきて、5分・・・いや10分長く一緒に居られたかもしれないのに。
私は帰りの電車で後悔するが、もう遅い。好きな人とせっかく一緒に居られたのに、自分から切り上げてしまうなんてドジ、今どき高校生でもしない。
桜の花びらもすっかり落ちて、風で道の端に集まっていた桃色の欠片達も、いつの間にかどこかへ消えていくものだ。木々には新緑の葉が茂り、新しい息吹を感じさせる。毎年来るこの季節のこの景色。それなのに、毎年違って感じるのは何故だろう。
今日はえれなが風邪でお休みだ。最近の気温の差に喉をやられたと昨日話していたばかりだったが、今日はとうとう熱を出してしまった様だ。いつもはえれなと昼を一緒に食べるが、今日は一人だ。たまにはのんびり外でランチでもいいかな・・・等と思いつき、コンビニでサンドイッチを買って公園を探す。なんとなく足が向いたのは線路沿いの公園“第一なかよし公園”だ。ベンチに座って周りを眺めると、爽やかな風が通り抜けていく。春の風は明るくて何故か希望に満ちている気がする。卒業式の果たされなかった約束の日、何時間も待った筈の同じ場所。そして半年前、今の想いを伝えた場所。多分二回ともフラれているのに、まだ性懲りもなく想い続けている私のしつこい性格に、ふっと一人笑えてくる。
勇吾から借りたアルバムの曲をイヤホンで聞きながら、サンドイッチを頬張る。清水翔太の優しい声と 周りを取り巻く春の景色が絶妙にマッチしていて、何時間でもこうしていられそうだ。公園に入ってきた時に居た親子連れも いつの間にか居なくなっている。今日は風も穏やかだから、ポカポカ日向ぼっこでもしていたら つい居眠りしてしまいそうな陽気だ。このまま仕事を忘れてここに居たいなぁ・・・なんて、つい怠け癖のある私は思ったりして目を瞑る。
眠るつもりはなかったのに、やっぱりほんの一瞬睡魔の谷に落ちたのかもしれない。こくりと体が揺れて、慌てて目を覚ます。すると、隣には知らない間に人が座っていた。ベンチに置いたままのコンビニの袋を避けると、隣から知ってる声がする。
「おはよう」
慌てて顔を上げると、そこには勇吾の姿があった。
「先輩・・・!どうしたんですか?」
とりあえずイヤホンを外しながらも、事態を把握できていない私を見て、面白がる様に勇吾が笑っている。
「今日店休みでさ。ふっと寄ったら、真奈美ちゃんが寝てて・・・。いつ気付くかなぁって思ってたとこ」
「ポカポカして気持ちがいいから、ついウトウトしちゃって・・・」
確か前にもこんな事があった。高校時代、帰りの電車でウトウトして目を覚ますと、隣に勇吾が座っていたのだ。
「何聴いてたの?」
勇吾が私のイヤホンを指さす。
「先輩に借りたやつです」
「いい?」
そう言って勇吾がイヤホンを指さす。私はイヤホンを二つとも渡した。勇吾がそれを右耳に一つ差し込む。
「お・・・“桜”だ」
それを聞いて、私の胸がドキッとする。あの曲をどんな顔して聞くのだろう。そして元カノの事を思い出したりする顔を見なくちゃいけないと思うと、やはり落ち着かない気持ちになる。
「・・・・・・」
「聴く?」
再び、高校時代の帰りの電車の中での光景を思い出す。あの時は無邪気にイヤホン半分ずつ分けて、勝手にときめいていたけれど、今はちょっと状況が違っている。私が隣を見ると、思った以上に明るい顔で聴いているから、イヤホンの片割れを左耳に入れてみる。まさかこの曲を一緒に聴くとは思ってもいなかった。勇吾が元カノを思って聴いていると思うと、胸が異様に苦しくなって 黙っていたら涙なんか込み上げてきそうな予感がしたから、私はイヤホンを外して聞いた。
「これ・・・先輩の気持ちと重なるから・・・好きなんですか?」
勇吾が少し驚いた顔でこっちを向く。でも何も言わない。だから私はちょっとごまかす様に笑いながら言った。
「彼女の事・・・今でも好きなんですね」
笑いながら言ったのが、その場に相応しかったかは分からない。真顔で聞く勇気がなかっただけだと思う。返事に困っているのか、勇吾が何も言わないから、私は更に取り繕う様に笑った。
「曲聞いて、思い出してもらえるなんて・・・いいですね」
「そう?」
ようやく喋る勇吾の顔を見る事はできない。だって私だって、必死に普通のふりをしているのだから。
「別に、この曲と前の彼女・・・関係ないよ」
今度は私の顔が驚きを隠せていない。
「高校卒業した頃初めて聴いて、それから好きになった」
少しホッとした自分がいる。そうしたら、急に私の口が軽やかに動き出す。
「このピアノと声が凄く綺麗で・・・私も大好きになりました」
そう話すと、私はもう一度イヤホンを左耳にはめた。
「今度、コンサート一緒に行こうよ」
「え?!」
何かの聞き間違いだと耳を疑う。だってあり得ない様な台詞が今勇吾の口から聞こえたのだから。
「嫌?」
「いえ・・・。っていうか、逆にいいんですか?前・・・二人で出掛けたりはもう出来ないって・・・」
「あぁ、あれ。もう大丈夫」
良く意味は分からない。でも、嬉しい。正直跳び上がりたい程の心地だ。しかし勇吾が笑いながら言った。
「いつあるかは分かんないけど」
いつかは分からない。それでもいい。だって又二人で出掛ける約束が出来たんだから。私の気持ちが大きくなってしまって、つい余計な事まで聞きたくなる。
「先輩。一つ聞いていいですか?」
「何?」
「前にここでお話した時・・・先輩『二人で会ったりするの、俺はいいけど・・・ごめん』って言ったの覚えてます?あれ、どういう意味ですか?」
「う~ん・・・」
「断られたって事は自覚してます。でも、なんだか意味が分からなくて気になってて・・・」
勇吾がゆっくり息を吸ってからイヤホンを外した。そして少し体の向きをこっちに向けた様に思う。何となく改まった空気が流れたから、私も同じ様に背筋を伸ばしてイヤホンを外した。
と、その時私の目に飛び込んできた公園の時計。針は一時半近くを差している。私は慌てて立ち上がった。
「あっ!」
「・・・どうしたの?」
「時間!私・・・お昼休み過ぎちゃってる!どうしよう・・・」
あたふたすればする程、無駄な動きとなる。
「え~っと・・・え~っと・・・」
お昼に食べたゴミをとりあえず握りしめる。そんなに時間が過ぎた感じがしないのは、きっと私が居眠りなんかしたせいだろう。そして、好きな人と久々にゆっくり過ごした夢の様な時間だったから、きっとあっという間に時間が過ぎてしまったに違いない。馬鹿だ。仕事中だという事を忘れて舞い上がってしまうなんて。
「まずは会社戻った方がいいよ」
勇吾が半分笑いながら、そう言った。
「はい。あ・・・でも、先輩。何か言おうとしてましたよね?」
「大丈夫。別に急がないから。真奈美ちゃんの質問に答えようとしただけだから」
「そうだ!ごめんなさい。私から聞いておきながら、先に帰るなんて・・・!」
「平気、平気。まずは会社戻んなよ。サボりになっちゃうよ」
「そうですよね・・・。あ~、ごめんなさい!」
「大丈夫。また、今度ね」
そそっかしい私の滑稽な姿に、勇吾は笑いを堪えている。『また、今度』とはいつだ。そんな疑問を薄っすら頭の隅に抱えながら、私はぺこりと頭を下げて、小走りに走り出した。すると勇吾がベンチから立ち上がって呼び止めた。
「『また今度』じゃなくて、今夜。仕事終わった頃、ここで待ってるから」
キョトンとする私に、勇吾は笑顔を浮かべた。
「さっきの続き、その時話すから」
私の足が止まっていると、勇吾が会社の方を指さして言った。
「ほら、ほら。行かないと」
走っている私の足が何故か軽い。好きな人と偶然に会えて、高校時代みたいに又一緒に一つの曲を聴いたりして。その上、今度一緒にコンサートに行こうなんて誘われて。もちろん、そのコンサートなんていつあるか分からないけれど。でも、今夜またあの公園で会おうなんて約束もして。半年分の喜びがいっぺんに押し寄せたみたいだ。いや、半年分では足りない。きっと高校一年の終わりからだから、6年分だ。しかも、最後の勇吾の笑顔から、何か良い予感がする。明るい未来が待っている様な気にさせる、そんな春の麗らかな昼下がりだった。
(完)