第5話 届かない想い
5.届かない想い
この日大澤が勇吾を呼び出していた。
『5年前、真奈美ちゃんと会えなかった公園に来て』という大澤からのメールだ。店を閉めた後だから、もう真っ暗な公園に勇吾が入ると、偶然にも5年前に自分が待ち続けたベンチに腰掛けた大澤がいる。
「よう」
「おう」
勇吾が大澤の横に腰を下ろす。
「どうした?」
「今日は、報告」
「報告?」
せかせかと歩いてきた勇吾は、少し暑くて 羽織っていた上着の前を開けた。その後にすぐ言葉が続かない大澤の横顔を見てから、少し彼のペースを待った。そして少しすると、大澤が大きく息を吸ってから言った。
「俺、本気で真奈美ちゃんの事、好きになってもいいかな」
勇吾は横の大澤へとゆっくり顔を向けるが、暗くてあまり表情が分からない。
「何で俺に聞くんだよ?」
「友達と、女の子取り合うなんて嫌なんだよ」
少し納得した様子で、勇吾は顔を正面に戻す。
「俺には今、由香がいるから」
「知ってるよ」
「じゃ、いいだろ」
「確認だけどさ、本当にお前真奈美ちゃんとの事、気持ちに方ついてる?」
「・・・どうして?」
「だって好きだったって伝えられないまんま、そのまま会えなくなったんだよ?気持ちが収まらない事だってあんだろ?」
「・・・あれから5年も経ってんだよ?俺だって高校生のままじゃないよ」
暗い中で大澤は勇吾の方をじっと見つめた。
「最後の確認。後でやっぱり・・・なんて俺嫌だからさ」
「そっか。・・・そうだな」
「だから、宣言しとこうと思って」
「随分、気合入ってんな」
大澤はゆっくりと立ち上がって、意味不明のポーズをとる。天を指さして自由の女神の様にも見えるポーズだ。クスッと笑って、勇吾が言った。
「頑張って」
「おう!」
今度はボディビルダーの様なポーズをとって見せる。
「まだ連絡先も教えてもらえないけどね」
そう勇吾がつっ込むと、大澤が急に体を縮めた。
「そうなんだよ~。どうアピールしたらいいんだよぉ」
「ま、せいぜい気が済むまで悩め」
「あっ、冷てぇ~。勇吾がバッタリでも会ったらさ、絶対俺に連絡するって約束してよ」
「分かったよ」
「しっかり協力してくれよ。今んとこ、お前が頼みの綱だからよ」
三人でファミレスでご飯を食べた日から数日が過ぎた頃だ。私は先輩にメールを送った。
『この間は大澤さんに、卒業式の日は私から誘った事を言えず、ごめんなさい。先輩が私を誘ったみたいな事になっちゃって・・・。それをあの場で訂正する勇気がなくて、本当にごめんなさい。それを謝らなきゃと思って、メールしました』
送信ボタンをタッチするのが躊躇われたが、思い切って送ったのだ。すると、すぐに返信が来る。
『こっちこそ、この間は急に誘ったりしてごめんね。あの場面で言わなくてかえって良かったと俺も思ってるよ。言ってたら、色々聞かれて餌食になるとこだったよ。だから、全然気にしないで』
先輩には彼女がいて、自分には勝ち目なんか無いと分かっているが、やはりメールの返信が来ると、嬉しい。堪えていても顔がにやけてしまいそうだ。嬉しいからつい、また返信をしたくなる。
『そう言ってもらえて、少し安心しました。大澤さんにも、最後まで連絡先教えなくて、ごめんなさい』
すると、またすぐの返信だ。
『いい奴なんだけどね。でも無理ないよ、急に聞かれたってね。また今度ご飯でも食べよう』
まさかの誘いのメールだ。思わず口を押える。声が漏れてしまいそうになったからだ。しかし、ふと彼女の事を思う。彼女の立場になって考えたら、きっと私は遠ざかって欲しい存在だ。そう思ったら、急に指が動かない。私は先輩とどうなりたいんだろう。いや、何かを期待している訳ではない。ただ時々、偶然でもいいから会って、話をして、昔と変わらない屈託のない無邪気な笑顔を見られたら それでいい。私の事を好きになって貰いたいとか、つき合いたいとか、そんな事を望んではいない。
「それって 好きってより、憧れって感じなのかな?」
職場の昼休みに、えれなが唐揚げ弁当を食べながら言った。今日は水曜日で50円引きの日だ。
「憧れ・・・?」
自分に問いかける。
「額縁の中の彼の写真で満足してるみたいな・・・」
「・・・う~ん・・・」
ピンと来ない私に、えれなが頭をもう一ひねりする。
「芸能人のファン的な・・・?」
「ファン・・・」
そう呟いて、私は箸を置く。
「好きなら、もっと仲良くなりたいとか思うものだし、ましてや彼女がいるんなら、やきもちだって焼くでしょ。その気持ちがもっと激しくなれば、彼女から奪いたいとか・・・さ」
「え~?!」
思わず声を上げてしまう。『奪う』・・・よく聞く『略奪愛』だ。その響きに、昼ドラのドロドロがイメージされて 恐れおののいてしまう。嫉妬心・・・まさか、あんな綺麗で雰囲気の良い人と同じ土俵に上がろう等と思っていない。でも・・・先輩から彼女とのエピソードを嬉しそうに話されても全然平気かと聞かれれば、やっぱりそうではない。じゃ、彼女と別れたと聞いたらどうだろう。嬉しい気持ちになってしまう気もする。もしかしたら自分にもチャンスがあるかもしれないと期待してしまう、ずるい自分がいる。
「私、好きな人の幸せだけを望めばいいのに、上手くいかなくなる事を待ってるみたいで・・・嫌だな」
えれなは、あっけらかんと笑った。
「人を好きになるって、そういう事でしょ」
「でも・・・食うか食われるかみたいでさ・・・」
「そりゃそうよ。世の中弱肉強食」
私は思わずため息が出てしまう。昔っからそうだ。私は争い事やもめごとが大嫌い。いつも平和で穏便に暮らしたい。人とぶつかる事を恐れていたら、本当の絆も結ばれないって、何かの本で読んだ事がある。平和主義者なんて 言葉は綺麗だが、人と本当に向き合う事を避けてるだけと批判する人もいるだろう。『先輩の事が好き』・・・それだけでいいと思っていたのに・・・。
あれから先輩へのメールも返事をしていない。最後に来たメールを、あれから何度も読み返している。
『また今度ご飯でも食べよう』
それに対して返事なんか出来る訳がない。きっと彼にそんな深い意味はないのだろうけど、彼女がもしこれを読んだら きっと悲しくて不安になると思う。毎回そう思ってメールを閉じる・・・そんな行動をたった数日の間に何回繰り返した事だろう。
『そうですね』とか『是非行きましょう』とか『何食べに行きますか?』なんて返す訳ではないけれど、彼からの文章を読んでいるだけで、心が温かくなるのだ。
そこへ一通メールの着信がある。
『この前うちの店で買ってくれたお父さんへのお誕生日プレゼント、どうだった?喜んで頂けた?』
勇吾からだ。こういう内容なら、差し支えは無い筈だ。
『凄く喜んでくれました。早速飲んで、旨い酒だなぁって言ってました。ありがとうございました』
『良かった。今後も何かあれば、いつでもご用命下さい』
最後の言い回しに、思わず吹き出してしまう。
『はい。そうします』
そう打ち込んで送る。こんなメールなら、お店の人とお客さんの内容だから、後ろめたくはない筈だ。・・・と自分に言い聞かせる。しかし、本当は言い聞かせている時点で、後ろめたいのだ。でも、勇吾からのメールで嬉しくなったのも事実だ。
一旦話に区切りがついたところで、勇吾からのメールが途絶える。やっぱりそれを聞く為だけだったんだと思っていると、再び着信を知らせる。
『今度、また大澤と3人で出掛けない?』
それを読んだ途端に、急に悲しい気持ちが押し寄せる。何て返信すればいいか分からず、迷っている間に時間が通り過ぎていく。暫く私からの返事が無いからか、もう一通のメールが届く。
『率直に聞くけど、大澤は嫌いなタイプ?』
『好きでも嫌いでもありません』
そう答えてみる。
『二人で出掛けるのに抵抗があるなら、何回か3人で出掛けて、あいつの事知ってみてよ。悪い奴ではないからさ』
好きな人が自分の友達と私の仲を取り持とうとしてくる事に、胸が悲しい色でいっぱいになる。『はい』とも『嫌です』とも言えない。だからといって、何も返事を返さないという訳にはいかない。思い切ってこう返してみる。
『前にも言った様に、今好きな人がいます。だから、大澤さんが良い人だとしても、好きにはならないと思います。ごめんなさい』
『そうだったね。こっちこそ、しつこくてごめんね。気にしないで』
“気にしないで”は無理だ。先輩には彼女もいて、友達と私の仲を取り持とうとする位 私に可能性がない事を知ってはいるけれど、こんなメールを貰う度に 地味に傷付いているのだ。すると、もう一通届く。
『真奈美ちゃんは一途なんだね』
まさか高校時代からずっとこの気持ちを持ち続けているなんて、想像もしていないのだろう。
『その場だけ合わせて、会ってみたり連絡先教えたりする子の方がきっと多いじゃない?でもここまで真っ直ぐで一途に思われる彼って、どんな人なんだろう。かなりの幸せ者だね。気持ち、伝えないの?』
思いがけない方へ話が発展して、戸惑ってしまう。
『言っても実らないの分かってるから、言いません』
『そうなんだ・・・。でも、真奈美ちゃんの一途な思いが届く日が来ると良いね』
まさか自分の事だ等とまるで思っていない辺り、笑えてくる。
『ありがとうございます』
当たり障りなく そう答えて、メールを終わりにした。
仕事を終えていつも通りの道で、いつも通りの時間に南ヶ丘駅に着く。そして、ターミナルに着いてエスカレーターに乗るいつものタイミングで、鞄から定期を出す。しかし、そこでいつもと違う事が起きた。
「真奈美ちゃん」
周りを見回すと、大澤が軽く手を振ってこっちに笑顔を向けている。
「あ・・・どうも」
「これから帰るとこだよね?」
「はい・・・」
「急いでる?」
「・・・・・・」
この間似た様な場所で声を掛けられた時にいたターミナルのガードレールに、勇吾の姿を探す。その視線に気付いて、大澤が言った。
「今日は勇吾はいない。俺だけ」
「そうですか・・・」
急に心細くなる。しかし、大澤はそんな事お構いなしに続けた。
「良かったら、これから飲みに行かない?」
「・・・ごめんなさい」
「じゃ・・・バッティングとか卓球とか、近くにあるから行かない?運動不足解消になるよ」
「・・・ごめんなさい」
「そっか・・・。じゃ、美味しいご飯屋さんあるんだ。そこならどう?」
「・・・・・・」
「ね?ちょっとだけ行こうよ」
「私・・・今日お金そんなに持ってきてないから・・・」
大澤はあっはっはと大きな口を開けて笑った。
「いいよ。俺から誘ったんだから、ご馳走する」
「でも・・・そういう訳には・・・」
「借りは作りたくないか・・・」
「いえ、そういう意味じゃ・・・」
「じゃ、そこは気にせず、行こうよ。一回位つき合ってよ」
断り続けた筈なのに、何故か変な展開になっている事に戸惑いながら、大澤の後をついて行く。イタリア風居酒屋BALへ案内されるまま、中へ入る。テーブルに着いて、メニューを見ながら大澤が質問する。
「好き嫌いある?無ければ、お薦め適当にいくつか注文しちゃうけど」
「はい。お任せします」
グラスワインと野菜串と前菜の三点盛りをひとまず注文して、おしぼりで手を拭く。店内はイタリアの田舎をイメージしたウッディな造りで、小さめのテーブルに向かい合って座る大澤が、こっちを見てにっこりしている。
「大澤さんって、いつもこの時間にはお仕事終わってるんですか?」
大澤が更に笑顔の度数を上げた。
「おっ!初めての質問」
「そういえば、どんなお仕事されてるのか聞いてなかったなと思って」
「俺んち、豆腐屋なの。だから朝早くて、夕方は早く終わっちゃうの」
「そうなんですか」
「そ。だからスーツも着てないし」
「確かに。そうですね」
「勇吾んちと同じ商栄会の店でさ。お爺ちゃんの代からやってる店。で、俺は高校卒業して18から店に入ってる」
「へえ~凄い。後継がれるんですね?」
「そのつもりだけど、親父からはまだまだ半人前扱いだからね。職人だから厳しいよ」
そこへグラスワインが運ばれる。
「ここ、勇吾んちの店が酒下ろしてる」
そう言われて飲むワインは、少し味が違って感じる。
「高校ん時と、あいつ感じ変わった?」
首をひねる。
「そんなに大きくは・・・。あ、でも笑った顔はそのまんまですね」
思わず大好きな笑顔を思い出して、頬が緩む。すると、それを見た大澤が言った。
「真奈美ちゃんも、高校ん時、あいつの事好きだったの?」
「え?」
さっきまで無防備に緩めていた頬を、きゅっと引き締めた。その様子に大澤が小さく頷いた。
「そうなんだぁ。じゃ、卒業式の日の待ち合わせ、期待してたでしょ?」
顔が硬直したまま、首を横に振った。
「だって卒業式の日に待ち合わせしようって言われたら、大体内容想像つくでしょ?」
「・・・・・・」
「まさか、真奈美ちゃんて・・・鈍感な人?」
そこへ野菜の串焼きとバーニャカウダソースが運ばれて来る。
「これ、旨いから食ってみて」
少し料理の話題になるが、大澤がメニューを再び見て窯焼きピザを注文し終えたところで、口を開いた。
「あの日・・・誘ったの私なんです。先輩の方じゃなくて・・・」
「え?」
「だから先輩は、言われたから来てくれただけだと思います」
「・・・・・・」
「それなのに、ずっと待たせちゃって・・・。本当に悪い事したなって思ってます」
「急に行けなくなっちゃったんだっけ?」
「・・・・・・」
口が重たくなると、大澤が野菜を一口食べて間を繋いだ。その様子をチラッと見て、私は話す決心をした。
「私がバカだから、公園間違えちゃって・・・」
口の中を空にしてから、大澤が話す。
「やっぱり、真奈美ちゃんも別ん所で待ってたんだ?」
私は小さく頷いた。
「なんであいつにそれ、言わなかったの?」
「来てくれてたなんて知らなくて・・・まさか違う所だったなんて思ってもいないし・・・。すっぽかされたんだと思ってたから」
「あ~、なるほど」
大澤はワインに一口、口をつけた。
「会えたら、告るつもりだったんでしょ?」
「・・・会えなくなる前に、気持ちだけ伝えられたらいいかなって」
大澤が静かに聞いている様子を見て、慌てて付け足す。
「これ、先輩には言わないでもらえますか?今更だし・・・昔の話だし」
「・・・分かった」
「すいません。ありがとうございます」
2種類の窯焼きピザが来る。その一切れを口に運んだところで、大澤が口を開いた。
「気持ちすら伝えず終いになっちゃって、その後は引きずらなかった?」
そんな核心に触れた質問には、どう答えていいか分からない。きっと、全くの嘘はバレる。だから少しの本当を混ぜた。
「確かに、少しの間は・・・忘れられないっていうか・・・。でも、高校の時の話ですから」
そう言ってピザをパクついた。
店を出て駅まで歩きながら、大澤が言った。
「今日、駅で真奈美ちゃん待ってみようと思ってさ、勇吾誘ったんだ。そしたらアイツ、今日明日で彼女と出掛けてるらしい」
「そうなんですか・・・」
必死で平静を装っているのに、大澤は隣から私の表情を見ているのが分かる。今そんな情報要らないのに。
「また、駅で会えるの待っててもいいかな?」
「・・・・・・」
無意識に出た小さい溜め息に、大澤が気が付いてしまったらしい。
「ストーカーっぽいか」
あはははと笑った大澤の顔を見ずに、今日のお礼を言って頭を下げた。