第4話 素通りする想い
4.素通りする想い
日中は半袖だが、帰りには上に一枚羽織る物が必要な季節がやってくる。去年も一昨年も毎年巡る季節だ。それなのに、秋の空や虫の声を新鮮に感じるのはどうしてだろう。青々と茂っていた木の葉も色を変え、その内落ち葉となる。日が落ちるのも段々に早くなる。日を追う毎に気温が下がり、人恋しくなる季節なのに、今はようやく落ち着いた蒸し暑さにホッとして、あと数か月もしたら町の木々が裸木になってしまい淋しい風景になる事等、想像して今から身構える人は居ない。
西嶋勇吾とその幼馴染 大澤と3人で飲みに行った時の会話で知り得た情報を元に、私はスマホをいじる。南ヶ丘駅周辺の酒屋を探す。・・・・・・“西嶋酒店”。きっとこれだ。私の勤め先が一丁目で、きっと彼の働くお父さんのお店である西嶋酒店は三丁目だ。5年前に彼が私を待っていてくれた公園のその先にある。通りかかったふりをして、前まで行ってみようかと 好奇心が私をせっつく。
仕事の帰りに、道の反対側から西嶋酒店を遠巻きに見る。入口の自動ドアにポスターが貼ってあるから、中を窺い知る事は出来ない。ここから彼の姿だけひと目見て帰ろうとする自分と、お店に買いに行ってみようとする自分の両方が半分ずつ存在していた。暫く揺れ動く心をなだめる様に、店の前の様子をじっと眺めていると、そこへ配達から戻ったのか 車が停まる。運転席から降りてきたのは間違いなく彼で、酒屋のマークの入った紺の前掛けをしている。トランクからビールケースを下ろして店に入って行く。次に出てきたのはお父さんらしき年格好の男の人と一緒で、トランクから下ろしたケースと伝票を見て話している様子が見える。荷物を全て下ろして、また車に乗って去って行った。
タイミング良く彼の姿を見る事が出来た満足感で その場を後にしようとしたその時、彼が再び店の前に戻ってくる。今度は歩いてだ。車を置きに行っていたのかもしれない。私の足は止まった。もう一度その場で様子を見るが、彼が出てくる事はなかった。
勇気を出して、店に入ってみる事にする。
「いらっしゃいませ」
そう迎えた元気な声の主は、彼本人だった。向こうが驚いた顔をしている。
「どうしたの?よく、分かったね」
「名前で・・・」
「そっか」
はははと笑う笑顔は変わっていない。店内をキョロキョロする私を見て、彼が聞いた。
「今日は?」
「父がもうすぐお誕生日で、お酒が好きだから何か良い物があればプレゼントにしたいなと思って・・・」
「お父さんは何派?日本酒?焼酎?それともウィスキーとかワインとか」
「ウィスキーが好きだけど、何かお薦めとか珍しいお酒とか、そういうのでもいいです。何かありますか?」
勇吾の見立てで選んだ父へのプレゼントを手に下げ、お辞儀をした。すると、勇吾が呼び止めた。
「あ、ちょっと待って」
レジの奥の自宅に続くのれんを気にする様にチラッと見てから、店の入口を一緒に出る。そして後ろポケットから電話を取り出す。
「連絡先・・・聞いてもいいかな?」
私の心臓がびっくりして飛び跳ねる。何で?どうして?何の為?色んな疑問が頭に浮かぶ。戸惑っている私を見て、彼は少し慌てた。
「まず俺の連絡先、教えるべきだよね?」
心臓が一回飛び跳ねただけでは足りない。ドックンドックン心臓の音が聞こえてきそうだ。私がなかなか電話を取り出さない様子に、彼が躊躇する。
「俺の連絡先なんて、要らないよね?」
ごまかす様に笑う彼の笑顔は、いつもより少し淋しい色をしていた。
「いえ。教えて下さい」
赤外線で勇吾の電話番号とアドレスを受信する。そして今度は私が自分のを送る番だ。手元で操作をしていると、勇吾が少し言いにくそうに話す。
「この間の・・・大澤。覚えてる?」
私は一旦手を止めて、頷く。
「大澤がさ・・・真奈美ちゃんの連絡先、知りたいって・・・」
そういう事か・・・そんな言葉が胸の中で聞こえる。そりゃそうだよね。先輩が私の連絡先知りたいなんて言い出す訳ないもんね・・・と変に納得する自分がいる。
「いいかな・・・?」
手が止まったまま動かない。それを見た彼が、気まずい空気を読む。
「だよね?いいの、いいの。あいつには言っとくから」
電話をしまう事も、連絡先を教える事も、どっちも出来ない。電話を片手に握ったまま俯く私に、勇吾が笑顔で言った。しかし、作り笑顔だ。
「忘れて。ごめんね。変な事言っちゃって」
勇吾はそう言って、電話を又ズボンの後ろポケットにしまった。
「いい奴だけどね。でも、連絡先聞くとかは自分でやれって言ったんだけどさ。会う機会ないからって」
勇吾が話せば話す程、悲しくなってくる。
「また一緒に飲みに行くのはどう?もし嫌じゃなければ、だけど」
彼が友達と私を引き合わせる為の策を提案するが、正直もうやめて欲しいと思った。万が一会ったところで、こんな調子で彼が仲を取り持とうとするのを見るのは辛い。
「私・・・好きな人いて・・・」
声が震えていた。でも、どうやって断ったらいいのか分からなくて、そう正直に言う事しか出来なかった。
「そうだよね。ごめんね。彼氏がいるのに・・・勝手にごめんね」
「いえ・・・彼氏はいないけど・・・」
結局気まずい雰囲気が変わらないまま、駅へと帰って行った。
念願の彼の連絡先をゲット出来たのに、嬉しくない。
『大澤がさ、真奈美ちゃんの連絡先 知りたいって』
あの日以来、この間の勇吾の言葉が頭の中で何度も繰り返すが、連絡する事はない。かと言って、せっかく手に入れた彼の連絡先を削除する事も出来ない。5年前、彼が卒業する前にこれを知っていたら、あんな運命のいたずらに巻き込まれなくて済んだのにと思いながら、電話番号を眺める。
「真奈美ちゃん」
驚いて顔を上げてキョロキョロすると、遠慮気味に少し距離を置いた所に大澤が立っている。
「あ・・・」
「この間はどうも」
「・・・どうも」
大澤の後ろの方では、ターミナルのガードレールに腰掛けている勇吾の姿が見える。目が合うと、軽く会釈をする。
「今、帰り?」
「・・・はい」
言い得ぬ不安が押し寄せる。
「急いでる?」
「・・・・・・」
答えに困って、遠巻きに見ている勇吾の顔を見てしまう。彼に助けを求めたって無駄だ。きっと今日は大澤の付き添いで来てるのだろうから。
「良かったら・・・これから飲みに行かない?」
もじもじしている私を見て、大澤が付け足した。
「あ、ボーリングとか 遊びに行くのでもいいし」
「・・・ごめんなさい」
その声を絞り出して、頭を下げた。
「あっ、もしかして勇吾から聞いて、警戒しちゃってる?俺の事」
確かに図星だ。でも、それ以上に、このやり取りを彼に見られている事が辛い。
「友達になりたいんだよね、真奈美ちゃんと」
“友達”・・・こういう時のこの言葉はとても都合が良く出来ている。
「この間会ったばっかで まだ良く知らないけどさ、せっかく勇吾を介して知り合った訳じゃない?だから友達になれないかなって」
『友達から始める』というニュアンスよりも、もっと初歩的な印象を受ける。それがかえってずるい。『友達になりたい』と言われて断る理由はない。しかも、先輩の友達という身分保障まで付いている。
「はい・・・あの・・・でも」
「でも・・・?」
一瞬喜びかけた大澤の表情が曇る。
「ごめんなさい」
腰を90度曲げて頭を下げると、そこへ勇吾が笑いながら近付いてくる。
「友達で断られるって、お前相当だよ」
「ごめんなさい」
「真奈美ちゃん、かなり困ってるじゃん。傍から見てると、お前キャッチかナンパか、かなりしつこくて怪しい野郎だよ。おまわりに職務質問されないか、ハラハラしながら見てたんだから」
「え~?そんな?俺」
「もう諦めろって」
そう言うと勇吾が大澤の肩をポンポンと叩く。
「で、」
勇吾がこちらを向いた。
「このまんま別れたら、次どっかで偶然会った時気まずいじゃない。だから、これから3人でどっか飯でも食いに行かない?」
もっともだと納得して、思わず頷いてしまう。
「早っ!」
さっきまで頑なに首を縦に振らなかった私が、勇吾の提案には簡単に乗ったのを見て、大澤が悔しがる。
「そりゃあ、昨日今日会ったばっかのお前とは、真奈美ちゃんの心の開いてくれ方が違うからなぁ」
「何だよ、それ」
ちょっとすねる様な素振りを見せる大澤と、わざとどや顔を見せつける彼を見て、私は思わず吹き出してしまう。
近くのファミレスのテーブルに着くが、目の前には好きな人とその友達がいるという微妙な状況に、少し気まずい様な 落ち着かない気持ちを我慢して、メニューを選ぶ。二人っきりでも デートでもないけれど、今先輩とこうして一緒に食事に来ている事を喜ぼう。ずるいが、そう思えば 目の前に座る大澤にも感謝が湧いてくる。勇吾と二人だけで出掛ける事は無いだろうし、そんな事したら彼女にも申し訳ない。だから、本来ありえない状況に感謝だ。
「お二人はいくつの時からのお友達なんですか?」
目の前の男二人が顔を見合わせてにやけた。
「小学校の・・・5年だっけ?」
勇吾が先に答えて、大澤が頷く。
「こいつの面白エピソード沢山あるんだけど、これ以上真奈美ちゃんに引かれたらヤバいから、言わないでおくよ」
「なんだよ、エピソードって」
「え?いいの?言っちゃって」
「いや、やっぱまずいかな」
大澤が尻込みする。
「小学生の時は、二人共どんな子供だったんですか?」
再び二人は目を合わせた。
「こいつはムードメーカー。クラスの中心になって盛り上げる役」
やはり先に答えたのは勇吾。すると、次に大澤が口を開く。
「勇吾は・・・スポーツ万能で、委員長とかはやらないけど、先生とか友達に一番信頼されてる様な奴だった」
想像して、思わず笑顔が漏れる。
「良く言いすぎだろ?」
すかさず突っ込む勇吾。
「俺だって中学ん時、一緒に馬鹿ばっかやってたじゃね~かよ」
「ま~ね」
すると今度は、大澤が私の方を向く。
「友達の事ボロクソ言う奴と、褒める奴、どっちが好み?」
私は思わず吹き出してしまう。それに便乗して、勇吾も口を開いた。
「あ~そういう事ね。真奈美ちゃんに点数稼ごうとしたんだ」
「いいだろ。お前は彼女いるんだし。少し位アピールしたって・・・」
『彼女』という単語が、私の心に影を落とす。しかしそこで顔色を変えてはいけないと、お水を一口飲んでごまかした。
「知ってる?勇吾、彼女いるの」
以前にお弁当屋さんの前で見掛けた光景が、頭に甦る。しかしそれを伝えるべきなのかどうかで迷っていると、少しのその沈黙に 勇吾が割って入った。
「なんで俺の話になってんのよ?」
「別にいいだろ?それとも、昔好きだった子の前では今カノの話はしたくないとか?」
「そんなんじゃね~よ」
『昔好きだった子』というフレーズが、私の心を複雑にする。『好き』という嬉しい響きと 悲しい過去形が混ざり合った言葉。私がそんな言葉に囚われていると、急に大澤から質問が飛んでくる。
「ねぇ、真奈美ちゃん。勇吾の卒業式の日さ、もし例の公園で会えて告られてたら、受けてたと思う?」
「え・・・」
そんな質問にまともに答えられる訳がない。すると、やはり勇吾も待ったを掛ける。
「今そんな事聞いて、どうするつもり?」
「確認」
「何の為の確認だよ」
「だって、勇吾に公園に誘われてさ、きっと薄々内容 気が付いてたと思うんだよ。でしょ?真奈美ちゃん」
『勇吾に誘われて』を訂正するべきか・・・。しかし『私から誘いました』なんて言ったら、確実に私の想いも言った事になってしまう。目の前の二人に向かって、それだけは避けたいところだ。言葉に詰まると、勇吾が助け舟を出す。
「真奈美ちゃん、困ってるじゃない。可哀想に。あの時どうだったなんて、こんな所で言える訳ないし、意味ない事 無理にさせんなよ」
「やけにかばうね」
大澤がちょっと意地悪な顔つきになる。
「じゃ、お前に聞くよ。あの日会えなかったまんまで、気持ちにけりはついてんの?」
男二人のやり取りがストレート過ぎて、私は声を出して割り込んだ。
「あの・・・話、前に戻りますけど・・・」
二人がピタッと口を止めて、一斉に私の方を見た。
「私、先輩の彼女見た事あります」
「え?!」
二人は声を揃えて、同時に目も見開いた。
「会社の昼休みに、外で見掛けました。だから、知ってます」
「そうなんだ・・・」
そう答える勇吾と、その向かいに座る私の顔をじっと眺める大澤。その視線をかいくぐる様に、私は明るく続けた。
「手繋いで、楽しそうに歩いてましたよ」
今度は大澤が友達をからかう顔に変わる。
「もう長いんですか?」
あんな追及を受けるぐらいなら、こうして開き直って、前の話題を忘れてしまうまで話し続けよう、そう思った。
「大学の時から」
「背がスラ~っと高くて、スタイルも良くて、凄くお似合いでした。大澤さんは会った事あります?」
「うん。何回かね。一緒に三人で飲みに行った事もある」
「へぇ~。同じ大学だったんですか?」
私は内心恐る恐る先輩の方へ顔を向けて聞いた。
「うん」
「大学のマドンナ的な存在ですか?」
「そんなんじゃないけど・・・」
するとそこで大澤も加わる。
「見た目は美人で女っぽいけど、結構性格はサバサバしてるよね?」
「・・・うん」
急に私がベラベラお喋りになった事と、いつの間にか彼女が話題の中心になってしまっている事に戸惑っているのか、違和感を感じているのか、勇吾の表情が曇っている。
それぞれに注文したステーキやハンバーグ、グラタンを綺麗に平らげ、三人は店を出た。
「これで、次偶然どっかで会っても、少しは気まずくない?」
そうだった。今言われるまで、連絡先教えて事件の事等忘れていた。それ以上に、今日大澤に突っ込まれた話の内容が印象的過ぎたのだ。
「俺の事、怪しい奴じゃないって分かってもらえた?」
「それは・・・わかりました」
「じゃ、少しは俺にも心開いてくれた?」
その質問は答えにくい。いいえとは言いにくいし、はいと言えば誤解を生みそうだ。無言でいると、大澤がこけた真似をして声を上げた。
「まだなんか~い!」
その言い方に、思わず笑ってしまう。
「分かった。じゃ、言い方変える。俺と友達になってもいいかなって思ってもらえた?」
質問を変えても、答えにくさは同じだ。無言でいると、今度は勇吾がわっはっはっはっと大きな口を開けて笑った。
「怪しい奴じゃないけど・・・ってとこかな?もう、今日はこれ位にしたら?」
「今日は?俺は今日逃したら、次無いんだよ」
「分かるけどさ・・・」
はぁと溜め息をついて、大澤が言った。
「しつこいともっと嫌われるもんね」
駅前で別れ一人になると、どっと疲れが押し寄せる。電車の窓から今日も桜の樹の公園が見える。夜だから暗くて様子はわかりにくいが、数本立つ外灯がぼんやりとその辺りを照らしていた。




