第六九話「死神エリニテス」
おそくなりました。
「逃げられると思った?」
そう目の前の死神はのたまった。
まずい事態に転がったのは理解できる。
魔法のどちらもが不発で、眼前には死神。
次の一手を打たなければいけないと頭の中では思っていても、さっきの大鎌捌きを目の当たりにして、相対距離2m。
不審な動きを見せれば腕や足が飛んでもおかしくない。
結局自分もアルコンさんもは蛇に睨まれた蛙のようにそこに縫い止められ、かろうじてできたことといえば。
「何を………?」
という呻きのように疑問を投げかけることだけだった。
エリニテスはそれに対して待ってましたとばかりに破顔し、一言。
「《言霊狩り》よ」
そう告げた。
自分にはその固有名詞の意味が耳朶に染み入るように理解できた。
おそらく自分たちを脅かしていた『魔言』はエリニテスの異能の一部に過ぎない。
「美味しくいただかせてもらったわ、あなたの詠唱。これは中の上程度ってところかしら、そっちのは下の上、ゴミね」
エリニテスは片手で大鎌を肩に乗せて弄び、空いた手で「中の上」のところでクイクイと指を左、上の順にジェスチャーし、「下の上」のところでは下、上の順に指を指す。
それの意味するところは、おそらく……。
自分は真正面に立つエリニテスの目をジッと見つめる。少し試したいことがあるのだ。
彼我の距離は2mほど。あちらの大鎌の射程内だけど……。
おもむろに自分は魔力を喉に集めた。
エリニテスは僅かに殺気を発し、大鎌の切っ先が揺れる。だけどその殺気は瞬きよりも短い時間で引っ込んだ。
自分の詠唱を静観するつもりでいてくれるようだ。
「“XXXXXX”────!??」
そして自分の喉からノイズがかかったような雑音が這い出してきた。
予想はしていた。だけど信じたくなかった。
詠唱を刈り取られるだなんて、魔法に対しての天敵にも程がある。
自分の『映唱の魔眼』も魔法との相性はいいが、これは一回りタチが悪い。
これでは奴の前では魔法が封じられたも同然だ。
同時にこのノイズには聞き覚えがあった。
『あァ。そういうことか。悪魔神どもの名前を下っ端の俺達が口にしようとしたときのノイズと同じだァ』
そうだねバロル。
以前バロルに死神についてのことを聞かされたときに、悪魔神の名前には同じようなノイズがかかっていた。
それと似たような理屈が働いているのかもしれない。
「あら、勘がいいこと。別な詠唱だったらそれも刈り取ってあげるつもりだったのに」
「刈り取る……、やっぱり自分の風の第三階位と雷の第二階位にアルコンさんの《リープジャンプ》を……」
「そうよ。私はあなた達の詠唱を刈り取ったの。刈り取られた単語はもう二度と使えない」
やっぱり……!
さっきのジェスチャーは刈り取られた自分たちの詠唱の評価ってとこか。第三階位と第二階位の自分が「中の上」で、第二階位のアルコンさんが「下の中」なのはいかにももっともらしい。
それに詠唱はもちろん、魔法陣経由でも起動にキーワードを刈り取られてしまうのはアルコンさんで実証済み。
つまり大鎌の技量が大きく上回ったこいつ相手に魔法無しで切り抜けろと……!
どうすればいいんだよ……。
恨めしげにエリニテスの顔を睨みつけても、奴は飄々とした態度で大鎌を肩に担いで揺らすだけ。
それどころか、ニマニマとした顔をして。
「そもそも死神の異能は何のために存在するのでしょうかー?」
そんな問いかけを突きつけてきた。
あまりも唐突で面食らった自分はしどろもどろになりながらも、何か答えないとと思ってかろうじて意味のある言葉を返す。
「それは……、人間を……」
「そう人間を殺すためよ」
食い気味にエリニテスは答えを明かしてしまう。
そして一言一言を咀嚼するように、自分のことを語り始めた。
「私の異能は『錯思の魔言』。人間の力ある言葉つまり詠唱を刈り取って、それを力ある言葉として吐き出す。人間の英知の結晶とやらを利用させてもらっているのよ」
「そんなことべらべらと……」
「ふん、どうせ知ったところで何もできないわよ。ここから逃げられるとでも言うのかしら? いえたとえ逃げられたとしても、ね」
エリニテスの言う事に自分は反論できなかった。
ここから逃げる算段が立っているわけじゃないし、魔言を攻略する妙案があるわけでもない。
大人しく奴のご高説を聞いてやることしかない。
自分は舌唇を噛み締めた。
「……ねぇ知ってる? ここヴォロス王国と隣のベールーン公国は元々一つの国だったのよ?」
突然の歴史の話で自分は頭の中に疑問符を浮かべる。
さすがに歴史まではこの世界の知識を仕入れていなかった自分は「え、そうなんですか?」とアルコンさんに視線で問いかける。すると彼は頷いて肯定する。
事実のようだ。
そういえば東のベールーンとは緊張状態にあってそのせいで騎士団の首が回らないって話は聞いているけど、根が深い問題なのだろう。
「野心はあったけど継承権の低い王子サマが悪魔召喚に手つけてね。その結果私が召喚された。あれはとっても愉快だったわぁ。王城で私はイロイロしたけど、最終的に国は紛争状態に陥って真っ二つよ。そうまでなっても、誰も、誰も私の言葉をどうにもできなかった。気づいた人間はいたけどね」
そしてそれを仕組んだ張本人は自分だと。
この死神はそんなことを言い放った。
確かにコイツの異能なら、できるだろう。
今はただ腕っ節が強いだけの冒険者さんがその影響下にあるけど、それが仮に国の中で重要な立場にいる人物……例えば王様や大臣、それか将軍や貴族が『魔言』に堕ちれば、社会にどんな混乱がもたらされるのか想像に難くない。
そして自分は何故この世界で死神という存在があそこまで恐れられているのかを今ようやく実感を伴って理解できた。
そしてこのエリニテスという死神が自分の想像の万倍はヤバイ存在だとも理解した。
「魔言が破られていないのは勿論あの変態リッチーでも同じよ。名前は知らないけどさぞ高名な魔術師の成れの果てだったでしょうに、詠唱を一つ二つ三つと刈り取られ、アンデットのくせに顔面を蒼白にして、なんとも哀れだったわ。まぁ私を封印したのは褒めるところだけれど。だとしても、結局私の刈り取った詠唱を取り戻せなかったのもまた事実よ。だから他の死神を頼ろうとして、……あとはあなたの知るところよね。ご本人ですもの」
あのリッチー……つまり自分の元主人であり、バロルを召喚して、自分の些細な反抗でバロルによって亡き者にされたリッチーのことだ。
だけどリッチーになっている時点で相当高レベルの魔術師のはず。
なのに『魔言』を解除することはできなかった。なるほどそんな実績があれば、ここまで『魔言』について喋っても問題はないと増長するのも頷ける。
だとすれば情報は引き出せるだけ引き出そう。
会話を長引かせよう。
あるかも分からない隙を今はひたすら伺う。
起死回生の一手を探す。
それしか今の自分達に生き延びる術はない。
「……さっきお前は自分達の詠唱を捕まえて、中の上だとか下の上だとか評していたようだけど、あれで『魔言』の強さが決まるの? より強い相手を『魔言』で誑かすにはそういった強い『魔言』が必要なの?」
先程までの発言を総合すると、そういう推測が立てられた。
こういう制限みたいなのが存在するとしたら、まだ希望はある。
戦力が高い人物なら、魔言にかからない可能性だって浮上するわけだ。例えばオリヴィエさんとかは第四階位を二つも持ってるし。
「えぇ、そうよ。でも私のストックしてある『魔言』は上の上のものがあるのよ。リッチーから刈り取ったね」
「あ、そうか……」
そりゃリッチーから刈り取った魔言はそりゃ最高級品なわけか。
ギリ第三階位相当の自分の評価が中の上だから、当然第四階位相当……? いやなんか感覚的にはもっと上な気がする。分類上は第四階位以上はないはずだけど。
そんな魔言があれば誰でも操り放題なわけだ。
痛いところを突いてやったつもりが、悪い状況を再認識するだけに終わってしまった。
無論エリニテスは隙を晒すことなんてなく、妙案も思い浮かばない。
話を続けなくては。
「じゃあ……お前の目的は……?」
話を続けるために自分はこんなありきたりな質問をしてしまう。
その質問に奴は神妙そうな顔をして口をつぐむ。
生殺与奪権はあちらにある、機嫌を損ねなければいいがと自分は祈るような心中でエリニテスの返答を待った。
「私の目的は、一言でいい表せるものじゃないわ。個人的なものと、役職的なものとが絡み合っているの」
数秒ののちにエリニテスは口を開いた。
情報の取捨選択をしていたのだろうか。
個人的なものというが自分に執着していることで、役職的なことは死神としての何かということか。どうせろくなモンじゃないでしょうけど。
「私はあなたに特別な感情を抱いているわ。それは否定しない。だからあなたを手中に収めたいのは当然の欲求。これが個人的な理由」
生贄となった人間が生きているレアケースだからでしょ。知ってるよ。
なんでこんなのに絡まれなきゃならないんだよもう……。
「役職的なものとしては、地獄の門を開きたいってとこかしら?」
「──地獄の門?」
なんだその不穏なワードは……?
死神としての目的ってことは、ロクなことじゃないのは分かりきってるけど。
「悪魔たちが無制限に出入りできる大きな穴よ。折角最高級の空間魔法使いを主に仰いだのだから、『大鷲』が石虹を集め、私が生贄を確保して、アギラがその空間魔法で大儀式をして、この世の地獄をここヒューゲンヴァルトに顕現させる。十や二十、いえ百じゃくだらない数の同胞達がやってくるわ。そして主のいない悪魔達は存在維持のために人間を喰らい始める。うふふふ、ねぇ私、すごく真面目に死神のお仕事をしているでしょ?」
エリニテスは声を上ずらせて、まるでパーティーの予定を友人と話すかのように、おぞましい計画を語った。
悪魔を無制限に呼び出す……!?
そんなことになったら、もう自分たちの手に負える状況じゃないぞ。
悪魔ってのは、魔獣と同程度の強さだとしたら、そこいらの冒険者の手に負える相手じゃない。やばい。
同時に恐ろしい可能性に思い至る。
「生贄ってまさか……」
「うん? えぇそうよ。それなり以上の質の魂がここにはたくさんあったから、とっても助かったわ」
線が繋がっていく。
さっきの発言にあった「生贄」とは今エリニテスの手に落ちている『血盟』の面々のことだった。
確かにそこいらの一般人よりは冒険者の方が、生贄としての質が高いだろう。魔言で縛り付けておけばそれまでは手駒として使える。賢い立ち回りだと感心しながらも、自分の心中は焦燥感でいっぱいになってしまう。
やばい。
この状況は想像以上に余裕がないぞ。
一月後の儀式まで何の手も打たなければ、リエーレさんを始めとする『オーロラ亭』の関係者数十人の命はない。
その命が自分の双肩にかかっているなんて、いきなり言われても……。
ひとまず気持ちを落ち着けないと。
「それがおよそ一月後の儀式の全貌?」
「あら、なんだか知ってたみたいな言い方ね? 日時までは言及してなかったのに」
そして焦りを隠しきれずにやらかしてしまう。
あちらが情報の大盤振る舞いをするから、こっちも余計なことを口走ってしまった。
できればシュテロンでアギラと密会したことは秘密にしておきたい。
「それも誰かの入れ知恵かしら。まぁいいわ」
エリニテスが勝手に納得してくれたところで自分は好機を見て話題を逸らしにかかる。
「自分をどうするつもり、具体的に」
なるべく鋭く突き放つように、反抗的な態度を露わにしてそう尋ねる。
このまま捕まる気はないけどね。
そも武器を下ろせとも言われていないこの状況。今エリニテスは完全に舞い上がっているのだろう。
大鎌は刃を床につけて、右手で下向きに持っている。
即座に攻撃に移れる体勢ではないが、武器が手元にあるだけで希望はか細くもつながっている。
「うーん、そうねぇ……。正直あなたがこっちに来たのは想定外だったというか、儀式の日まではのらりくらりといたぶるつもりだったからねぇ。とりあえず監禁かな。上手い方法は……、そうだ。人質なら大量にいるからそれで脅せばいいだけね。ねぇアルコン」
そういってエリニテスはアルコンさんの方を見やって、嫌らしく目を眇める。
横目でアルコンさんの様子を確認する。さっきの曲芸迎撃で自らの槍矢を自分の腕へと受け流され、今もずっぷりと腕に槍矢が生えている。抜かないのは出血を抑えるためだろう。《エグゾセンシヴ》のお陰で行動が阻害されることがないのは不幸中の幸いか。
「さっきまではお喋りが終わったらさっさと殺しちゃおうと思ったけど、こっちの方がよさそうね、うふふふ」
そうしてエリニテスは、アルコンさんを下から覗き込むようにして自分からアルコンさんの方へと注意が逸れた。
その一瞬で自分は動いた。
賭けでしかなかったが、算段はあった。
自分は喉に魔力を登らせる。
「“火よ”・“球を成し”──」
同時に大鎌を足のつま先で蹴り上げ、
そして翻ったローブの裾から、小さな魔法陣がポンと跳ね出て来る。
詠唱、大鎌、魔法陣の三重攻撃。
自分の算段は至極単純なもの。
《言霊狩り》は大鎌によって詠唱や魔法陣を刈り取る異能。
複数の詠唱を刈り取れるのは確認できたが、なら短いスパンで複数の詠唱を押し付けてやればどうなるだろうか。
最初の詠唱をエサにして、《言霊狩り》で薙ぎ払われるあちらの大鎌をこっちの大鎌で迎撃し、さらに本命の魔法陣を起動させる。
死神だろうと今は自分と同じ貌の、腕と足が二本ずつの人間型。どうしても限界があるはずだ。
エリニテスの大鎌が翻る。
ブチブチと自分の“火の第一階位”が引き裂かれる。
ペンデュラムのような軌道で大鎌の切っ先がエリニテスに飛んでいき、それを奴は大鎌はぐるっと回し、石突の方でいなされた。
そして遂に手の及ばなった魔法陣は起動した。
自分はバッとローブを覆い上げ目を閉じ、耳を腕で塞ぐ。
「《ラディエントバン》!」
閃光、爆響。
バァンッッ!と鉄板を思いっきり叩いたような音が鳴り響き、目をつぶっていても一瞬視界が白んだ。
かすかすに悲鳴のようなものが二つ。
エリニテスとアルコンさんだろう。
仕込んでおいた魔法は、火の第三階位と“土の第二階位”と“光の第一階位”の三属性複合魔法。ちょっと苦労して開発したとっておきだ。
土属性で生成したそういう燃やすと光を発する物質を光属性で増幅する魔法。
この魔法はようは前世の記憶にある閃光手榴弾みたいなものだ。
自分がローブを取り払うと、すぐそこでエリニテスは目を押さえて怯んでいた。それで稼げる時間は5秒あればいいほうだろう。
でもそれだけあれば、脱出はできる。
ついさっき、思いついた手があるんだよ。
足元の貢物を蹴散らしながら、自分は前後不覚状態のアルコンさんに駆け寄った。
腕にぶっ刺さった槍矢。見るからに痛々しいそれををガシッと掴む。
アルコンさんが痛みに呻くが我慢してもらう。
大丈夫すぐに終わります。
「すみません!」
全力で魔力を注ぎ込んだ。
その最中にエリニテスと目が合う。やけに印象的で愉快な、今夜顔をあわせてから始めて見た、余裕のない表情だった。
そして、その顔が掻き消えた。
視覚情報の一切が突然切り替わる。
見慣れた部屋から見慣れた眺望へと。
張り詰めていた空気が夜風に流され、青白い月が再び自分達を見下ろしていた。
活動報告に書きましたが長いので分割して明日投稿しますよー。




