第三七話「クームの大庭園」
ライラさんに案内された宿はクーム郊外にある静かな宿だった。
名前は『大庭園の宿り木』というらしい。客層は冒険者じゃくて、中堅の商人や巡礼者を相手にしているみたいだ。
周囲は果実園や畑に囲まれた立地で、宿の周囲も青々と芝生が茂っている。遠くには風車小屋なんかも見える。
位置的にはムグスール山の麓にあたっていて、少し行くと河があり、それが天然の堀になっているみたい。実に目に優しい眺望だ。
山と別の方を見れば少し遠くに建物が立ち並ぶ町並みが見えて、そこから切り離されたみたいなここら一帯は実に心休まる。人通りもまばらみたいだしこれはいいところを紹介してもらえた。
ライラさんは自分らを降ろしたあと表でヒポグリフの世話をするらしく、そのまま礼を言って別れ、チェックインを済ませて部屋を取る。幸い一部屋は開いていた。よかった。
ただ冒険者向けのオーロラ亭と比べると宿代は高く、一泊で1300シュペーした。食事代も込みとはいえ中々だ。ちなみにオーロラ亭は一泊500シュペーだ。
案内された部屋は清掃が行き届いていたし、窓からの眺めもよく、静か、木そのものの素材を活かしたインテリアが配されていたのも加点対象だろうか。
ま、何はともあれ、ようやっと休める……!
自分はベッドへと身を投げる。
ボフッというちょっと間抜けな音と友に、自分の体がふかふかとしか感触に受け止められ、包まれる。
前からいったので自分の視覚情報はシャットアウトされ、自分が味わっているのは純粋なふかふか感だった。
「あーー…………」
至福だ。融けそう。
たっぷりと十数秒くらい、気の抜けた声をベッドへと流し込んでいた自分であったが、そうしているとだんだんと脳みそに浮遊感が纏わりついてくる。あーこれ眠たいときのやつだ。
このまま欲求にまかせて寝てしまおうか。そんなことを呆けた頭で考え、その十全じゃない判断力で寝ようと決心し、うつ伏せゆえに別に見えていなかった瞼を閉じる。
そんなとき。
「エリューさん。ちょっと、疲れてるのは分かりますけど、何か食べてからにしましょう。そっちの方がいいですよ」
まどろみの中へとケイ君の言葉が投げかけられる。
「…………」
「エリューさん? エリューさーん?」
なおもケイ君の呼ぶ声が聞こえる。それを自分は水中にいるような心地で聞いていた。
あー起きないとなぁ……。
「エリューさんってば……」
ゆさゆさと体がゆすられる。そんな感じがする。もはや意識は霞がかっていて、その揺さぶりも揺りかごのようなここちよさにしか感じなかった。
そうして自分は丸一日ぶりに眠りについたのだった。
◆
次に目を空けると窓から燦光が差し込んできていた。
でも光が室内に満ちているくせして、暑苦しくはなくむしろ過ごしやすい。体には漂うような気怠さが纏わりついている。
どうやら早朝らしい。がっつり寝ちゃったたいだ。
「んぁ……」
パチパチを瞼を開け閉めして、差し込む朝陽に目が眩み、口を大きく開けて欠伸を一つ。纏わりつく雫に視界がぼやける。
上体を起こす、そうすると体にかけられていたシーツがずり落ちる。あったかい空気が離散していって、入れ替わるように心地の良い冷感。
くぁっ、とひとつ伸びをしてから手の甲で目を擦る。ごしごしと。
先日の記憶は曖昧だけど、確か部屋に入ってすぐ寝ちゃったんだっけ。
ということはこのシーツはケイ君がかけてくれたものか。いやーちょっと手間かけさせちゃったかな。
自分は寝起きで焦点ブレブレの視界を左右に振ってケイ君の姿を探すけれど、彼の姿がない。一応隣のベットには人が寝ていた形跡がある。自分はベッドから降りて、乱されたシーツをのけてその下のマットレスに触れる。かすかに温かい。ケイ君がついさっきまで寝ていたのだろうか。ん、ケイ君の着てた外套と装備一式(ナイフとか)は置いてある。じゃあその内もどってくるでしょう。
ケイ君のことに折り合いをつけた自分は、次に陽光へ吸い寄せられるように、裸足のまま、しっかりした感触のカーペットを歩き、壁の際でそれが途切れて素の床板を渡り、窓へと辿り着いた。
押し出すようにして両開きのそれを開ける。
すると涼やかな風が吹き込んできて、髪を揺らす。
「おー」
そうして窓から外の景色を見渡した。昨日より高い位置からの見晴らしなので遠くまで見渡せる。
その眼下の風景は、風光明媚という言葉に尽きた。
畑や果樹園の四角い緑が道の土色によって隔てられ、薫風に揺れる緑が陽光を受けて景色を彩っている。少し向こうには風車小屋が見え、ゆったりと羽根車が回っていた。小麦でも引いているのか、それとも灌漑でもしているのか。また向こうには牧場らしきものまで見える。遠いからはっきりしないけど黒いもの、たぶん牛だろう、それが柵で囲われた内でポツポツと動いているからそうだろう。
これほど広大な耕作地を保有しているんだから、クームがオルゼなんかと比べ物にならないほど大きな街だと伺わせる。
「ん……エリューさん、起きてたんですか」
後ろから聞き慣れた声。振り返るとケイ君が部屋の入り口にいた。風景の見とれている内に戻ってきてたんだろう。
「あ、おはようケイ君」
「はい、おはようございます」
くぁっとケイ君は一つあくびをする。
彼の手に大きめのお皿に盛られたサンドイッチがあった。なるほど先に起きて朝食を取りに行ってくれてたのか。
そういえば今の自分は裸足で髪をほどいてるし、ローブもない。ケイ君がやってくれたのだろうか。靴と靴下を脱がして、髪をほどき、上着を脱がす。甲斐甲斐しく世話してくれてるけど、逆に考えるとこっ恥ずかしいなこれ。
「昨日はよく眠ってましたね。体はおかしなところはないですか?」
ケイ君の言葉を受けて、自分は肩をぐりぐり回してみたり、つま先を立てて足首をまわしてみたりして、体の調子を確かめてみる。どうやら問題はなさげだ。魔力も3割程度は回復した。死なない限りは一戦闘くらいは大丈夫だ。
「ん、大丈夫だよー。それにしてもごめんねケイ君。色々世話かけて」
「いえいえ、戦闘に強行軍、疲れるのも当然ですよ」
ケイ君だって同じような逃避行をしてきたうえに、人間なんだから自分より回復は遅いはずなのに。自分だけ辛いみたいで申し訳なくなる。昨日の世話という朝食を取りに行ってもらったことといい、ほんと世話になってばかりだ。
「ん、エリューさん。これご主人が作ってくれたサンドイッチです。食べましょう。ずっと何も食べてないでしょう?」
って言われたんだけど。その実そこまでお腹へっているわけじゃない。
それが問題なのだけど。
あのスパイクベアーを刈ったと同時に、自分の飢えは満たされてしまった。
原因はおそらく……あの白い手だと思う。けど自分であれこれ考えるよりかは、やっぱりバロルに話を聞いた方がよさげだ。ケイ君に死神についての話もしたい。
ま、別にお腹いっぱいってわけじゃないし、飢えるほどじゃないってだけ、朝食としてサンドイッチを食むこと自体は苦じゃない。
自分はケイ君の持つ皿からサンドイッチを一切れ掴みとる。
「じゃあとりあえずこれ食べながらちょっと喋ろっか。改めて話すことがあるんだ」
それから自分はきょろきょろと部屋を見渡し、カバー付きの大鎌を見つけて、片手がサンドイッチっで塞がっていたので咥えて、肩に担ぐ。それと部屋の端にあった丸椅子も持って、ベッドとベッドの谷間に置く。
「ん」
自分が促すとケイ君はその丸椅子にサンドイッチのお皿を置く。そうして両側のベッドにお互いが腰掛け、サンドイッチをつつきながら向かい合って話せる形になった。
自分はひとまず咥えていたサンドイッチを口の中へ押し込む。ケイ君も一つ取ってモキュモキュと食べ始めた。
……互いにサンドイッチ一つを飲み込むまで無言の時間が流れる。
その間自分は少し思案した。
ケイ君に死神のことをつまびらかにするなら、バロルの声がケイ君に聞こえるのが一番楽なんだけど……、なんかそういう方法はないんだろうか。
とりあえずバロルを起こそう。
「はい。バロル起きて」
さて話しかける。念話でもいいんだけどね。
「はい。バロル起きて」
「……?」
自分がバロルに話しかけたところ、当然ケイ君は訝しげな顔をする。なんか変な人みたいだな自分。そうじゃないんだケイ君。はやく起きてバロル!
自分は大鎌をブルンブルンと揺さぶる。
『……あァ? んだよエリュー……」
やっと起きたか。
「えぇっとバロルの声ってケイ君には聞こえないんだよね? やっぱり。どうにかして聞こえるようにできない?」
『あァ……契約憑依状態の声を他人に聞かせたいならァ。俺様をケイティスと直に触れさせりゃいいぞ』
あーそんなんでいいのね。
自分は早速大鎌をケイ君に差し出す。
「えっと……」
「これ持っててみて」
「……僕じゃこんなおっきい武器持ち上がらないですよ」
「あ、いやそうじゃなくて。触っててくれるだけでいいから」
ちょっと認識の齟齬があったけど、ケイ君は大刃を床につけて支えるようにして大鎌に触れている。
『よォ』
「!?」
バロルが話しかけると、ケイ君はビクッと体を跳ねさせると同時に、どこに仕込んでいたのか逆手でナイフを握っていた。でも律儀にも大鎌を放すこともしなかった。
だから尚も彼の脳内にはバロルの声が響く。
『あー、んなァ殺気立つなよ』
「なな、ななんですかあなたは」
ケイ君は面白いようにうろたえていた。ちょっと愉快なので二人の会話を見守ってみる。
『俺様かァ? 俺様ァバロル、死神だよ』
「し、死神? エリューさんもそうだって言ってたけど……。もしかしてお仲間だったり……?」
『あーそれよりもっと深い関係だなァ……』
「ふ、深い関係!? そもそもあなたは何処にいるんですか」
『俺様は今おめェが触ってる大鎌の中にいんだよ』
「え? どういうことですか……」
向かいのケイ君はもう訳が分からないといった感じだ。
うん、俯瞰してみると自分の現状ってくっそややこしいね。
自分は死神と人間が混ざり合った稀有なケースで、元人間の自分エリューと元死神の俺様バロルが一つの躯を分けあっている。一応体は自分、大鎌はバロルってカンジに分けられてはいるけど。
といっても死神の本体は大鎌で、自分も大鎌からウン十メートルも離れると体が動かせなくなるので、やっぱり混ざり合ったって表現が正しいと思う。
それに対してオーロラ亭をのっとったのは生前の私から摘出された内蔵を元に喚び出された死神エリニテスで、自分と瓜二つの貌をとることができる。こっちは混ざり物じゃない本物の死神。
まぁでもどちらも死神なのは結局同じで、主君である悪魔神に課せられた責務を果たさねばならない。それは人間を殺め魂を蒐集すること。
それとは別にエリニテスは自分に執着していて、そんな自分とバロルが混ざり合った状態が許せないらしく、オーロラ亭を乗っ取って自分を虐めている。
さらに言うと、これはバロルですら認識してないことだけど、今エリューと名乗っている自分は、死神になる前、生前のエリューとは完全に別人格だったりする。エリニテスが固執しているのは生前の私の人格っぽいから、そこでまた話がこじれそう……。
ま、死神の力だろうが何だろうが、なりふり構わず駆使して、エリニテスから『大鷲』から『オーロラ亭』を取り返す、それが自分の行動指針だ。
まぁ、こんな感じのややっこい事情をケイ君に話したわけだ。自分があの真っ暗の儀式場で目覚めるに至った経緯から何からを。自分が死神だってちゃんと証明するために光属性の浄化魔法を自分に当てたりしてね。肌が灼けてヒリヒリする。こんなことになるのは悪魔かアンデッドくらいなものだ。バロルとも協力してケイ君にそのことをなんとかこうとか伝えた。
それに対してケイ君は。
「そうだったんですね……。色々と繋がった気がします……あれはやっぱり別人だったんですね」
すんなりと受け入れてくれた。
「信じて、くれるの?」
「うわ言にしては具体的ですし、そら言にも聞こえません。それに……」
「それに?」
「僕にとってもそれを信じるのは都合がいいですから。エリューさんがエリューさんだって言ってくれるの」
あぁそっか、ケイ君はずっと不安だったんだ。突然自分は二人になって、彼は運良くエリニテスの奸計にかからなくて、それで本物だと思う自分を追いかけてきた。でも自分が一向に説明をしなかったから、ようやっと確信が得られたんだろう。
ま、ケイ君の理解が得られたところで、一つ話し合うことがある。
大鎌が研がれたことについてだ。
もしかして死神の責務っていうのは意外とガバガバであんな獣とかでもよかったり……?
「んなァワケねェだろうが」
ですよねー。
じゃあどういうことなのかバロルの見解を聞かせて欲しいんだけど?
「あの獣に生えてた白い手があるだろォ?」
うん。その前のギガントコボルトにも生えてた。あれについてバロルは何か知ってるの?
『あァ。ありゃァ××××の御手ってモンなんだが……、あァクソッ説明できるのかこりゃァ?』
バロルの声にノイズがかかる。ケイ君は初めてだから少しびっくりしてるみたいだ。悪魔神にかかわることか、ブラックボックス扱いじゃないといいんだけど。
『まァ、一応説明してみるかァ』
バロル曰く、あの白い手の特徴は『××××の御手』というものと一致するらしい。悪魔を召喚する場合なされる契約を破った場合、当然報いを受けることになるが、全てのケースにおいて悪魔使い>召喚された悪魔の力関係になるとは限らない。そのときにその不届き者へと裁きを下すのが『××××の御手』人間には××××の情報は不明なので単純に『悪魔の御手』などと言われるそうだ。もっとも、『御手』に縊り殺されるような者も結局は邪教徒なので、『御手』が出現するシーンを目の当たりにすることはなく、全然知られてはいないみたいだけど。元粛清部隊の面々でも詳細は知らなかったみたいだし。
まぁこんな風に『××××の御手』は悪魔関連の事柄に対する制裁システムなのだ。
「でもなんでそれがスパイクベアーやギガントコボルトから生えてたの?」
バロルの解説で白い手については大方分かったけど、でも腑に落ちない。
その『御手』とやらは悪魔使いが契約を破ったときにどこからともなく現れて制裁を下すもののはずで、まるで『大鷲』の手駒のような扱いを受けるものではないはずだ。
『こりゃァ俺様の推測でしかねェんだが。一応『××××の御手』はんなべらぼうに強いワケじゃねェんだ。上位魔神なら自分で制裁するしなァ。エリニテスのアマも一端の死神、『御手』くらいなら軽くあしらえるだろうよ』
確かに自分も戦ったし、アルコンさんに関してはガチで真正面からやりあってたけど、互角かそれ以下ってぐらいだった。ゴーレムを突き飛ばすくらいの膂力くらいはあるから常人には確かに脅威だけど、バロルの言う通りめちゃくちゃ強いって訳じゃあない。
『そんでエリニテスは××××を騙くらかしておめェを虐めるのに利用してんじゃねェか? 例えばエリニテスが配下の悪魔を呼び出してそれをわざと無碍に扱って『御手』を呼び出す。そこで何らかの方法で、エリニテスをエリュー、おめェと誤認させる。制裁対象をおめェに定めた『御手』は凶悪な追っ手として機能する、とかそういうシナリオかもしれねェ、この場合改造モンスターは『御手』を運搬する手段だな。具体的な方法は何にも分かんねェんだがな』
バロルの言う推測はありえないと断言することはできない真実味を帯びていた。エリニテスならやりかねない。それにムグスール山でスパイクベアーと遭ったのもそれを裏付けているような気がした。
「でもそれだとなんでエリューさんの大鎌は綺麗になったんですか?」
ケイ君が疑問を差し挟む。自分も言おうと思ってたことだ。『御手』がいいように使われているとして、結局『御手』も悪魔側の存在でしかない。人間を殺めたわけじゃないのに。
『死神の責務は魂を蒐集すること。あの改造モンスターに人間の魂が使われてたか……そんなとこだろうな。そこに魂があればどんな姿形だろうと構いやしねェからなァ。『御手』を御するために人間の魂を使って悪さしてても不思議じゃねェな』
「そんな、じゃあオルゼの街の人たちは……!」
バロルは自分が思いながらも目を背けたかった可能性を突きつけてくる。改造モンスターが人間の魂を使っているならオルゼの人たちに危険が及ぶかもしれない。素材にされてしまうかもしれない。エリニテスの目的は確かに自分だけれど、そのために手段を選ぶような利口な奴じゃあないだろう。
居ても立ってもいられず自分は立ち上がろうとする。
『待て待てァ、今おめェが戻ったところで何ができらァ?』
「それは……」
『付け焼き刃すら付けてねェおめェじゃまたアギラに殺されるのがオチだろうよ』
「じゃあ、どうすれば……」
重苦しい沈黙が落ちる。
ここで普通なら騎士団やらの公な機関に泣きついたりするのだろうが、自分は死神で、その上成り代わられてる。首を締める結果になるかもしれない。
「当てがない訳じゃない、ですよね一応。昨日の時点でオルゼにいなかった血盟員は何人かいます。その人達と合流できればあるいは……」
「そっか。それならあるいは……!」
と希望が見えたような気がして少し明るくなるけど、すぐに自分は消沈した。自分らは一年かけて結局『大鷲』を追い落とすことができなった。減った戦力でアギラとエリニテスをどうにかできるのか……?
それにエリニテスによって洗脳された血盟員がいる以上、彼我の戦力差は今まで以上に厳しいものになっている。
「そういえば、エリニテスが一体どうやってリエーレさん達を陥れたのか自分は死んでたから知らないんだけど、バロルは知ってるの?」
「あ、僕も気絶してたので知りません」
『ァーそうか、そういやそうだな。俺様は元々エリニテスなんてェアマの事ァ知らねェが、おそらくあれは『魔言』ってやつだな。俺様の特殊能力が『魔眼』と『血呪』だろ、それに対応するアイツの特殊能力だな』
『魔言』? それでみんな操られちゃってるの?
『そうだろうなァ。『魔言』は生物の在り方を歪める。生まれたての赤子ですら言いなりになり、本能のみで動く獣もを言霊でねじ伏せる。質の悪い能力だ。何もかも思い通りって訳にはいかねェが、よく似た姿同士の者の認識を入れ替えたりなんかは楽だろうなァ』
それで。言葉を発するだけで何もかも意のままなんて、そんな卑怯な……。
「対策は? 何かないの?」
『『魔言』で歪められた精神を元に戻すなら、エリニテス当人が『魔言』で元の状態に戻すか、それともエリニテスを滅ぼすか。あるいは別の『魔言』持ちを連れて来て矯正してもらうか、あとは、魔法でも『魔言』に対抗できるかは、よく分かんねェなァ……。対症療法的なものはこんなぐらいか。逆に予め防ぎたいってんならおめェの魔眼が役立ちそうだな『映唱の魔眼』なら『魔言』の仕組みが分かるかもしれねェな』
「え、エリューさん魔眼なんて持ってるんですか」
ケイ君が寝耳に水といった調子で自分にそう言ってくる。そういや死神化した経緯とかは話したけど魔眼については別に話してなかったな。
自分はそれの説明をバロルに任せることにしてサンドイッチを一つ頬張る。
『魔言』に『魔眼』をぶつける。なるほどやってみる価値はありそうだ。
そのためには早く魔力を回復させないとなぁ。一夜じゃ3割くらいしか回復してないし。
自分はケイ君の向こう側の窓から覗く、景色をぼんやりと眺めた。
この角度において窓というキャンパスに切り取られた風景は空の青とそれを斜めに横切る山の緑だった。
心休まる光景だ。これならいくらか魔力の回復も早くなりそうな。
なんて思っていたところで。
「────ッ! ────ッ!」
やけに騒々しい声が窓から這入りこんできた。いやに余裕のない調子で、それに水を差されたみたいに感じて自分は少し不機嫌になる。
けれどその原因の声が近づいてくるにつれて、何かあったのか? という不安に塗り替えられていく。
そしてその声は、最悪な事実を窓越しに届けてくれた。
「魔物が出たッ! 堀を超えてきた!」
その声は当然ケイ君にも聞こえたみたいで、二人してすぐさま窓に取り付き声の発生源である真下を見下ろす。
そこには麦わら帽にくたびれたオーバーオールといういかにも農夫といった風体の男性。彼は肩を息をしていて、騒ぎを聞きつけた宿の主人が外に出て来て事情を聞き始めた。男性の知らせによりのどかな風景に剣呑な空気が走る。
そして先程バロルと交わした会話を思い出す。エリニテスは『御手』を利用して改造モンスターを尖兵に仕立て上げているのではないか、という会話を。
「エリューさん。あれっ!」
ゴーンっという何かが崩れるような音。大音量が開けた空間ゆえに空へと抜けていく。
見やれば向こうにある風車小屋が崩れていく光景が目に入った。
立ち上る土煙、そこからのっそりと起き上がる巨体。
「マンティコア……!?」
獅子の体に蝙蝠の羽とサソリの尻尾を持ち、極めつけに老人の顔を持つ幻獣。子どもの落書きのように無秩序極まったそれが生物として動いている。
そんなデフォルトで気味の悪いそれに、更に白い手が生えているのだから、もはや正視に耐えない。
────ォォォオオオォォオオオオ…………
マンティコアが吠える。
老人の顔を持つそれの声は干上がったような声で、しかしその巨体故に咆哮は木々を揺らし、草花を引きちぎる。擦れるような叫喚が大地を撫であげる。
そしてジロリと、マンティコアは自分の方へと向き直った。
マンティコアってこんな幻獣なんですね……調べるまではもうちょっと格好いい幻獣だと思ってました……。まぁ御手とマッチしてるからいいんですけど。




