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死神少女が生きてるだけ  作者: ゲパード
第一章 大鷲篇
38/75

第三八話「知識欲の魔獣」

 

 

 

 自分は動けなかった。

 蛇に睨まれた蛙とはこのことか。

 遥か向こう。畑や果樹園を隔てているにもかかわず、確かにあの老面のマンティコアは自分を見ていた。それに射竦められた。


 マンティコア。知識欲の魔獣。

 獅子の体、尻尾は大蛇、蝙蝠の羽に、人面を持つ幻獣。その恐ろしい容貌をさることながら、この幻獣の特異性はそこではない。合成獣などヒポグリフ、コカトリス、ケルベロスなど他にもいくらかはいる。

 マンティコア特有の能力は知識を喰うということだ。

 比喩表現ではなく、マンティコアは生物を食らうと、そいつの持っていた知識を奪い取ることができる。

 と、いっても知識を求めて無差別に人間を襲ったりする訳ではない。そんな時代もあったらしいが、長命種であるマンティコアは人間が持つ程度の知識には飽いてしまっていて、今の時代ではマンティコアと出会うのは僻地へ足を運ぶ上級の冒険者とか騎士程度。

 そしてマンティコアの戦闘力はそこらの魔物とは一線を画する。知識を喰らうということは、魔法をも食らったということ。つまりマンティコアは獣でありながら魔法が使えるのだ。獣のフィジカルに、喰らい集った叡智と魔法、相手にするにはちょっと手応えがありすぎる。


 そのマンティコアの蝙蝠羽がバサァッ!!と羽ばたき、土煙を吹き飛ばす。その羽音はこちらまで届くほどだった。そしてマンティコアの体がグンっと浮き上がり。


 空を滑るようにして突っ込んできた。


「────っぃぃぃいっ!?」

「エリューさんっ!」


 咄嗟にケイ君が手を引いてくれて我に帰る。

 かといって何かできたわけじゃない。

 ケイ君を抱きかかえて、背中で庇うくらいだ。


 激突。


 パラパラと木くずと埃が舞う。


 気づけば視界が横転していた。

 パラパラと木くずと埃が舞い、木が裂けて割れるメキメキといった音が絶え間なく鼓膜を震わす。

 どうやら窓際から吹っ飛ばされて、部屋の逆側まで追いやられたみたい。

 腕の中にケイ君もしっかりいる。大鎌は運良くそばまで吹っ飛んできたみたい。僥倖だ。

 自分は身を起こし、窓側を見て。


「ヒッ」


 短い悲鳴が漏れる。

 なぜならさっきまで自分らがいた窓際には大穴が空いていて、そこからマンティコアの老面が覗き込んできていたからだ。

 獅子のたてがみに埋まった老面の表情がこの距離なら分かる。その表情は能面のように無表情極まっていた。

 そしてたてがみの中ほどから白い『御手』が生えて、蠢いている。数は六本。

 バロルの推測が当たっているなら、あの手の標的は自分のはず。


 その『御手』がピタリと動きを止めた。


 大鎌を握る手に汗が伝う。

 老面を睨みつけるも、対するマンティコアはじっ、と自分を見たまま。


「貴様、が、エリニテス、か?」


 喋った。

 老面が、マンティコアが喋った。

 い、いや確かそうだ。マンティコアは魔法を扱うことができるほど知能が高く、寿命も人の何倍もあるんだから、言葉を解する個体もいるとは聞いたことがある。

 だが、いざそれを目の前にすると面食らってしまう。

 そして獣が喋ったことに一通り驚いた上で、改めて老面の喋る言葉の意味を噛み砕く。

 このマンティコアの目的はエリニテスっぽい。だとしたらバロルの推測はやはり正解だった……? 


 自分は背後にケイ君を庇いながら、おずおずと老面へ問いかける。もちろん大鎌をしっかりと握ってだ。


「あなたは、話せるんですね。自分はエリュー・ニッツァ。できることなら少し、話がしたいです。……いかがでしょうか?」

 

 老面の潰れた目をしかと見つめてたどたどしく問いかける。

 もし話ができるなら、推測が真実に変わるかもしれない。エリニテスが何をして『御手』を利用しているのか、エリニテスにやりたい放題させているアギラには何の目的があるのか。


「……………………」


 沈黙が重い。

 改めて見るとこのマンティコアめちゃくちゃデカイ。だってここは宿の二階。そこから顔が見れるなんて相当体高が高くないとあり得ない。老面も人間のそれより二回り、いやそれ以上は大きいかもしれない。

 そうして観察していると、唐突にしわがれた声が発せられる。


「貴様、死神、だろう」

「えぇ、そうですけどっ! 自分はエリニテスじゃないです! あなたの目的は自分を捕まえてオルゼの街まで運ぶことなんでしょう? なら人違いです!」


 一応会話はできた。問答無用ってわけじゃなさそう。

 しかし、誤解は解けていない。やっぱりこのマンティコアも『魔言』の影響下にあるのか……?


「我が、求めるは、叡智。死神を、喰う、それが、我が、目的」


 自分を、喰うっ!?

 確かに死神の持つ知識は、マンティコアには魅力的に映るのかもしれない。

 大鎌を握る手に自然と力が入る。


「……エリニテスに利用されているわけじゃないんですか?」

「何を、言う、エリニテスは、お前、だろう、そう、『××××の御手』が、告げる」


 判断に迷う。

 自分をエリニテスと誤認しているし、『御手』も生えているから無関係とは思えない。かといって、せっかく話せるんだから問答無用で挑みかかるのは勿体無い気もする。


「目的は自分の知識ですか……? ならこの地域には少なくとも、死神が二体いるはずですよ。オルゼの街にもう一体、自分と瓜二つの奴です、ご存知ないですか? ……そもそも何故『御手』を宿しているんですかあなたは」


 自分は更に質問を投げかける。老面の口からも『御手』のワードが出てきたし、あの御手の謎について迫れるかもしれない。

 それに対しての返答は。


「それ、ならば、喰った、素晴らしい、叡智、だから、貴様も、喰う」


 エリニテスを喰った?

 まさか自分が逃げたあとにあのエリニテスが襲われ、喰われたってこと? なんかそういう話じゃない気がする。


「それはいつの話ですか?」

「そなたらの、単位ならば、一年前か」


 一年前? エリニテスにはつい先日会ったばかりだ。どういうことだ? 


『そういうことかァ、狂ったなコイツ』


 混乱する自分に対してバロルが得心がいったみたいだ。どういうことバロル?


『エリニテスはマンティコアに自分の体を喰わせたんだ……不死だから喰われても痛くも痒くもねェ。それで死神の知識を得て狂ったコイツを都合のいい尖兵に仕立てあげたんだ。マンティコアの戦闘力は据え置きだから……尖兵としては厄介なことこの上ねェな』


 じゃあ情報を引き出すのは無理な感じ……?


『いや、話せてはいるから無理ってこたァねェかもしれねェな。傀儡ってわけじゃなさそうだしなァ。それに……時間稼ぎにもなるだろォさ』


 そうだ。クームは大きな街だ、早朝で、郊外とはいえ、時間さえ稼げばマンティコアと渡り合えるような冒険者が駆けつけてくれるかもしれない。

 ならもう少し問いかけよう。『御手』について、エリニテスが何をしているのか。


「改めてお聞きしますが、『御手』をどうやって生やしているのですか」


 そう問いかけると、老面はしばし閉口して。また唐突に口を開いた。


「簡単なこと、生け贄を、喰らい、それを、儀式として、悪魔を、召喚する、後で、契約を、破棄、すれば、己が、躯に、御手を、生やすことが、できる。我が、自身で、実践、したこと。他の、獣達に、施したのは、かの死神と人間だ」


 は? なんだそれは……!

 老面の口から語られたのはあまりにも非道な方法だった。自分は怒りを通り越して薄ら寒さを感じた

 つまりこうか? 生身の人間を喰って、その状態で生け贄に喰った人間を指定し、悪魔を召喚する。その悪魔を虐げることで御手を己の躯から生やす。自分の一部なので融通が効く、とかそういう感じなのか。

 意外と素直に喋ってくれるじゃないか……、そんなおぞましい真実を……。


「儀式により、獣は、半ば、悪魔と、化す、人間の、すがたを、取る、ことも、できる、末端として、現出する貌は、供された、多数の貌、として、本体とは、別に、現出する」


 ……? どういうことだ? この老面は何をほざいている?


『あァ。そうか。なるほどな』


 バロルは今の意味が分かったの?


『あァ。つまりだな……全員悪魔だってことだよ』


 え? 

 自分は未だに何を言っているのか理解できずにいた。それは後の理解する真実があまりに荒唐無稽だったからだだろう。


『今までおめェが出会った『敵』がいくらかァいるだろう?』


 うん、『大鷲』のメンバー達。アギラにエリニテス、改造モンスターにあと下級の構成員達か。それが?


『そいつらはアギラを除いて全員、悪魔だ』


 は? いやエリニテスが悪魔だってのは分かるよ、死神だし。けれど、改造モンスター達や構成員達までも全員悪魔だってそんなこと……。


『確かめてみねェと分からねぇが、あの改造モンスターとそれを操る『大鷲』の構成員が一つの悪魔だってんなら、『大鷲』は魔物を操ると触れ込みがあってもおかしくはねぇ話だ』


 確かに、それならアギラが魔物を操れるのにも理解が及ぶ。悪魔は契約した主の命に従うから……。あのモンスター達は悪魔で、契約主であるアギラの命に従ってるってことか。でもそのために生きながら喰われる最期を迎えるなんて、非道に過ぎる……。

 

「その声、死神、叡智、我は、それを、求む、貴様、喰らう」


 『御手』が蠢く。安穏とした会話が終わりに差し掛かっているのを感じる。


 まさかこいつにもバロルの声が聞こえているのか? いやさっきの話が真実ならこいつ自身も半ば悪魔と化しているらしい。エリニテスがバロルの念話を聞き取ったように、このマンティコアも同じことができるんだろう。


 思えばご親切に会話に付き合ってくれているのがおかしい話だ。こいつの目的が自分の知識、こいつを遣わしたエリニテスの目的が自分の身柄として、速やかに喰い殺さない理由は、自分が死神かどうか確かめたかったのだろう。

 そしてそれはバロルが喋ったことで確証を得させてしまった。死神じゃないただの人間なら喰らう価値もないんだろうが、自分はそうじゃない、見逃してはくれないだろう。


 周囲の様子に耳を澄ましてみるも、騒がしくなっている様子はない。

 まだ増援はこないのか……? やっぱりこんな大物だからギルド主導で腕利きを集めているのかなぁ?


「エリューさん、このマンティコアは何を……」


 ケイ君にはバロルの解説が聞こえてなかったみたいで要領を得ていないみたいだ。

 ひとまず話は後だ、独力でこの『御手』付きのマンティコアを退けなければ……!


「一応情報は得られたよ。それは別として、戦うことになった」

「そんな。マンティコアなんて……!」


 ケイ君の言いたいことは分かる。マンティコアはそこらの魔物とは違う。けど奴の目的は自分だから戦わないなんて選択肢はハナから無い。『御手』がある以上、地の果てまで逃げてもどうにもならないのだ。

 自分は立ち上がり、大鎌を構える。そのときすぐ近くの台の上には魔流視の眼鏡と髪留めがちょんと置いてあるのに気づいた。昨日寝落ちたときにケイ君がはずして置いておいてくれたんでしょう。

 自分はそれを掴みとりながら、ケイ君に言い聞かせる。


「ケイ君の魔法じゃちょっと厳しいでしょ。自分がやるから、ケイ君は人を呼んできて欲しいな」


 ケイ君の水魔法(毒物生成)は格上相手には通じづらいし、素早いナイフ捌きや軽い身のこなしなんかも、マンティコアにはとても通じないだろう。

 幸い壊れてるのは窓側だけで、部屋の入り口は健在。ケイ君にはそっち側から行ってもらおう。

 そうしている内に眼鏡をかけて、髪をポニーに纏める。こっちのが動きやすいしね。

 

「……っ。確かにそうです、ね」

「さっすが。こういう場面で聞き分けいいと助かるよ。ま、極論言えば自分が死んでも誰かがあのマンティコアを倒して、本体の大鎌さえ取り返してくれればいいしね」

「な、ダメですよっ! エリューさんはちゃんと生きてください! そういう捨て身な方法はどうしようもないときだけです!」


 ケイ君にたしなめられる。うぐぐ、分かったよ。できるだけ、生き残ってみせるよ。

 そうケイ君を納得させると、ケイ君は立ち上がる。片手にはやっぱりナイフ。

 彼を覆い隠すように、自分は一歩前に進み出る。ブンッと大鎌を軽く一振りしつつ威嚇。


「さて、マンティコアさん。やろっか。できるなら正々堂々もっとやりやすい場所で殺りあいたいんですけど」

「その、提案を、聞き入れる、理由は、ない」


 ですよねー。この狭っ苦しい場所で戦うしかないか。

 交渉は決裂した。自分は後ろのケイ君に目配せする。それにケイ君は頷いて、一拍を置いて彼はバッと飛び出した。

 ケイ君はすぐにドアノブを捻り、転がるようにして廊下へ飛び出していった。


 同時、『御手』が蠢き、伸びる。

 たてがみに隠れててよくわからなかったけど、相当の長さがあったみたいで、瞬く間に六本の白い手が差し迫る。


『エリュー。斬れ』


 おっけ。

 一瞬どうかなって心配になったけど、大鎌本人が言うなら大丈夫ってことだね。

 自分はヒュンッと、大鎌を後ろへ構える。研がれた刃が残光を帯びる。


 白い手が迫る、本来有り得べからざる部位ゆえに動きに予想がつけずらい。

 でもその狙いが自分だってなら、まぁ思いっきり振ればいい。むしろ大鎌を振ることに全霊をかけれるってもんよ。


 床板を踏み抜かん勢いで、踏み込んだ。

 捻った体に巻き込むように構えられた大鎌、その柄をしかと握りしめる。

 

 大鎌を解き放つ。


 ズパンッと斬れる感触。

 三日月型のの斬光が『御手』を見事に斬り裂いていた。


「よし2本っ!」


 灰白色の白い液体を撒き散らしながら、2本の白い手が飛ぶ。

 さすが切れ味が段違いだ。神器レベルなだけある。

 

 自分は振りぬいた大鎌の勢いを殺さず、一歩後退しながら、体の横側で下から掬い上げるような円閃へと転じさせる。ズパンとまた一つ『御手』が落ちる。


 真上に振り上げられた大刃が陽光を受けてギラリと輝く。

 一瞬、重力と釣り合って軽くなる大鎌。その均衡が崩れて落下してくる大刃を、横に寝かせるようにして振るう。

 上方から伏せるようにして振るわれた大鎌は、また一つ『御手』を刈りとった。


 そこで流石にヤバイと思ったのか、『御手』が引いていく。


「まさか、『御手』を、斬り裂く、とは」

「随分と浅慮ですよ。マンティコアとあろうものがね」

「…………」


 少し煽ってあげると、老面は黙りこくってしまった。

 といってもこの煽りも隙を作り出すための布石でしかない。会話フェイズはもうとっくに終わってるしね。


 案の定、会話の方向へと意識が逸れた老面。その隙にゆうゆうと老面との距離を詰めていく。できるだけ違和感を抱かれないようにテクテクと歩み寄っていく。


「『御手』、だけが、我の、力、ではない、『御手』が、通じぬ、ならば、魔法を、用いる、まで」


 目論見どおり、自分は一歩で大鎌の届く範囲まで歩み寄れた。近寄るとその体躯に圧倒されそうになるが、そうなれば自分は喰われるだけ。懸命に自分を奮い立たせ、平静を装う。

 そして。


「へぇ、でも魔法には詠唱がいるでしょ? この距離でそんな悠長にしてられるのかなっと!」

 

 攻勢に出る。

 大鎌を置き去りにして、体を前に押し出す。

 すると後ろに大鎌がついてくる形となり、自然と構えになるのだ。

 そうして大鎌を老面目掛けて突き刺さんとするが。


「うぇっ!?」

 

 ボフッと。受け止められた。何に? 

 たてがみにだ。

 自分の動きをつぶさに読み取ったマンティコアは即座にたてがみで受け止めるという判断をしたのだ。


 たてがみは急所である首を守るためのものだ。けれどそれを己の意思で防御に用いることができるなんて。

 獣が知能を持つとこうなるってことか。


 まずい。ひとまず不意打ちが失敗したんなら。離れないと。大鎌は小回りきかないから、残り2本の『御手』を捌けるかは怪しい。


 自分はずぼん、とたてがみから大鎌を引き抜くと、すぐさまサイドステップ!

 今さっき自分がいた位置に御手がグワッとたかる。空を切るそれは、更にググッと伸びて。自分へと追い縋る。


 部屋の奥へと後退しても八方塞がりになるだけ、むしろ宿に向かって大きい衝撃を与えられたら、そっちに行ったケイ君を巻き込んでしまう恐れが高い。


 自分は前へ踏み切る。迫る『御手』へ向けて適当に大鎌を薙いで、たじろいだそれの間隙を抜ける!

 マンティコアのすぐ横を抜け、崩壊した部屋の端を踏み切った!

 

 景色が開ける。

 クームに大庭園が視界に大写しになり、その景色が劇的な速度で近づいてくる。

 

 そうして自分は宿の向かいにある畑へと落下した。

 もう飛び出すことに必死だったので、着地はできなくて、数mくらいの高さから落ちたわけだけど、柔らかい土に受け止められたので大したダメージはない。元々丈夫ではあるしね。


 それで改めて体を起こして、振り返る。

 目に入ったのは、マンティコアの見上げるような威容だ。

 二階を覗き込める体高から頭の中で大きさのアタリこそつけたものの。改めてその大きさを目の当たりにすると足が竦む。

 優に馬車3台分束ねたのと同じくらいの体躯。前世でここまで大きい生物はクジラくらいだったろう。

 殺意バリバリのこれ相手に生き残れと。

 ははは、何の冗談か。

 いいでしょうよ。やるしかないんでしょうよ!


 自分は見上げたそれの様子を伺う。

 魔力量は3割。残量的に映唱の魔眼は使えない。当然死ぬのもだめだ。魔法は効果的に用いないと。なんて考えていたところに。


「“天風アストライオス”・“トレス”・“ルーラ”・“生成イディファチオ”・“詠唱クァンティ”・“補助アクシリウム”────《スペル・シェアリング》」」


 上からブツブツと途切れた詠唱が聞こえてくる。

 それはマンティコアの詠唱だった。“風の第四階位アストライオス”から始まるそれは風を操り、虚空にもう一つの口を作って、詠唱の補助を行うというものだ。過去にシャヴァリーさんもやってたものだけど。あれがしょせん第一階位程度の魔法を圧縮詠唱して即座に放っていたのに対してこっちは。最高の風魔法で編まれ、追加の口の数は3つ。

詠唱速度は単純に4倍。


 こんな魔法を使われた時点で魔法で勝負をするのは無理な話だ。こんな格上の魔術師メイジが4人いるようなもの。自分の魔法など児戯でしかない。


 ならばと思いエンチャントする間も惜しんで、走りこむ。大鎌により近接戦闘で渡り合うしかない。

 けれど、そんな自分をあざ笑うかのように多重詠唱が奏でられる。


「“テテュース”」

「“満潮ヴァリディシマ”・“水没イヌーンド”」

「“禍呑アブソルトスト”・“遠陽ソラプシード”」

「“揺蕩ペルペルソ”・“沈殿プレティピティア”」

「────《サブマージフィールド》」


 幾つもの詠唱節が、重なって聞こえる。早い。全く間に合わない。

 またたく間に、“水の第三階位テテュース”の大魔法が編まれる。


 同時に眼鏡を通して、魔力の流れも見える。魔眼みたく魔法の未来予測まではできないけど、アバウトな予測くらいはできなくもない。

 でも、これはどうしろと言うのだ。

 だって視界一体に魔力が渦巻いている。その只中にいるからどこまで逃げれば安全なのかが全く見通せない。

 自分は判断した。ひとまず避けせねばならないと。


 脱兎の如く駆ける。

 畑の盛り土を蹴っ飛ばし、何かはよく分からない野菜の葉が千切れ飛ぶ。

 それでも視界に纏わりつく魔力の渦が途切れない。


「うっそ……」


 そうして呑まれた。

 上空からの滝の如き水柱に。地中から沁み出しくる多量の湧水に。虚空から現出した大水塊に。

 体中が冷たい感触に包まれ、音がどこか遠い処へ追いやられる。

 どこまでが水没しているのか見当もつかない。

 バタバタと手足を暴れさせて、そこで気づく。はて、泳ぐというのはどうやればいいのか。

 全くもって体がままならない。そういえば自分は今生でも死神化した一年でも泳ぐようなイベントは経験してこなかったような……。つまり自分はカナヅチってことか。これ、やばくない?


 この魔法は洪水というよりは、大規模な水牢といった方が近いのか、一向に水が引いていく気配がない。水の流れも感じない。

 仕方なく自分は水が沁みてふわふわと頼りない地面を、擦るようにして進む。


 これじゃ鈍足のデバフをかけられたのと同じだ。しかも呼吸できないから長時間閉じ込められれば命に関わるし、当然魔法詠唱もままならない。

 こんなケース想定してないよ……!


 水牢の向こうにはマンティコアの巨体が映る。何かを詠唱している……? 水中だから全然聞き取れない……。あぁ魔眼があればこんなとき便利なのか。


『エリューッ! 来るぞ』


 そう言われたってどうすれば……!

 自分は水牢の中で、マンティコアの詠唱をただ眺めることしかできなかった。

 上空に黒雲が集っていく。紫電が迸るそれは一目でヤバイと分かるものだった。


 マズイマズイマズイマズイ。

 雷系の魔法。この規模は余裕で第四階位だ。水牢に拘束されたままじゃクリティカルは免れない。


 雷が落ちる。

 

 天災そのもののそれに対して自分が思いついた対応は、大鎌を天に掲げて避雷針にするくらいだった。前世知識の賜物だ。焼け石に水かもしれないけど、自分には魔法耐性もあるし、意外となんとかなるかもしれない。

 掲げた大鎌の柄を地面に突き立て、自分はそれから少し離れたところへしゃがんだ。水中だからちゃんと屹立してくれたのが功を奏するのかどうなのか。


 目を灼く眩いばかりの閃光。

 耳をつんざく轟音。

 迸るは雷撃。躯焦がし魂穿つ自然の凶槍。

 水中だろうがお構い無く、その鳴轟に臓腑が揺さぶられる。


「うぐぁっ!!」


 咄嗟に避雷針を作るのは妙策だったみたいで、伝雷の大半が大鎌の刃へと集約されて、地面へと逃される。

 確かに大半はそれで事なきを得た。けれど僅かばかりの雷だけでも、自分の体を痺れさせるのには十分過ぎる威力を持っていた。


『大丈夫かエリュー!』


 う、うん。わりとダメージはあるし体は麻痺してるけど、命に影響があるほどでは……って! 


 次に自分の目に映ったのは赤い球体。

 雷撃によって波打つ水牢越しの景色には、確かにそんなものが現れていた。マンティコアの近くで二つ浮かぶそれが何なのか自分はしばらく分からなかった。


 けれど、眼鏡を通した視界には恐ろしい魔力が凝縮されていく様が見て取れる。そして揺れる視界が収まってきた頃に、改めてマンティコアを見つめる。

 そして赤い球体の正体が判明する。

 熱線の凝縮状態チャージ

 それも戦争において戦術級の扱いを受ける規模。魔法を仕事にする人間が集団で行使するもので、城塞や戦艦に向けて撃つような代物。それが並列行使されて、二つ。


 は……!?

 冗談だろう……!?

 一難去ってまた一難とはこのことか。水中で身動きが全然取れない中でこれは……マズイ。


 もはや自分の頭では対策なんて思いつかなかった。

 ただ必死に体を動かして、2本の熱線が外れることを祈るしかなかった。

 そも魔法が使えないない。どうすればいいというんだ。


 そうして無情にも熱線は放たれた。


 大の大人が両手をめいいっぱい広げたくらいの、極太の《インフェルノレーザー》が水牢を蒸発させながら自分の側を貫く。


 一本は幸運にも自分の少し右横を通り抜けた。

 一本は不運にも自分の左手を飲み込んでいた。


 痛みはない。血は出ない。莫大な熱量に呑まれたそこは、最初から何にもなかったかのように寸詰まりに炭化していた。


 それにショックを受けるような余裕もなく、ゴポッと周囲が泡立った。


 前世の知識が何が起ころうとしているのかを告げる。

 あぁ、とてもよくできたシナリオだ。

 雷の直撃を避け、熱線を運良く逃れたとして、これはどうしようもまいて。


 起こる現象の名は水蒸気爆発。

 大規模な水牢に戦術級の熱線を撃ちこむことで、途端に水は水蒸気と化して結果的に爆発する。その爆圧は人の身を害するには十分過ぎるし、高温の蒸気は火傷を負わすのにやはり十分過ぎる。


 そしてその通りになった。

 膨れ上がる蒸気になぶられ、肌を焼かれる。

 吹き飛ばれる。どっかの骨が砕けたような気がする。

 短かったのか、長かったのかも分からない滞空ののちに、ゴロゴロと地面を転がり、ようやく自分は水牢から逃れることができた。

 久しぶりの空気を胸いっぱいに味わう。


 意識が連続しているから死んではいない。

 場所は、100mくらい飛ばされたか。どっかの畑と畑の間にある細い道だった。

 感覚を頼りに、体の状況を確認していく。


 とりあえず全身が真っ赤に焼け爛れている。ジクジクとした火傷の痛みで脳味噌がオーバーフローしそうだ。

 右手を使ってなんとか体を起こす。こっちの手はなんとか動くみたいだ。

 左手は、肘の少し先から無くなっていた。断面は炭化している。

 足は、右が折れてるか。これじゃ立てないな。

 肋骨も間違いなくイッてる。あとは肩の骨辺りも折れてるのかなこれは。

 

 ははは、これじゃ戦闘なんてとてもできねーや。


『エリュー! 来てるぞ!』


 バロルの言葉にハッと気付かされ。顔を持ち上げると同時に影がかかる。


「四肢を、一つしか、欠さない、とはな」


 重い音とともに、マンティコアが自分の目の前に着陸する。トドメは自らの手でさそうってか。はぁ、ケイ君に死ぬなって言われたけど、これ、無理っぽいなぁ……。土台マンティコアの相手なんて無理だったんだ……。


「だが、これで、終いだ」


 マンティコアが獣脚を持ち上げる。パラパラと土が落ちてきて、備わった鋭い爪が剣呑な輝きを放つ。引導を渡される瞬間が迫る。


 二度目の死はこんなもんかぁ。毎度ロクな死に方してないなぁほんと。

 上半身だけ起こした姿勢でそのときを待つ。

 もうちょっとなんとかできた気がしないでもないけど、生憎と水中で魔法封じされた状態や、負傷した状態で戦うことなんて想定してなくて、こてんぱんにやられてしまった。

 まぁまぁ自分には次があるんだから、経験として活かしていこう。うん。

 そうして自分が諦観に囚われたところで。


 誰かが自分の目の前に割って入ってきた。


 その人は若干紫がかかった黒髪を持ち。片手には何の変哲もない直剣。もう片手には少し大きめの金属丸盾。

 そこらの冒険者が使ってるようなありふれた装備をしていた。あるいは新人の騎士の装備と言われも違和感はない。


 ちょっと! 自分は死んでも問題ないんだ! そんな自分のために死地に飛び込むんじゃない! 自分だけならいいけど、他の人を巻き込むのは……!

 けれどそんな自分の心の叫びと裏腹に、その人は直剣を地面にザンッと突き立てると、両手で円盾をしかと保持し、真上の獣脚と対峙させる。

 獣脚が降ってくる。


 あぁ、潰れる。あんな大質量。常人の持つちゃっちい盾で受け止めきれるわけがない。自分は悲観しながらその光景を見ていた。

 獣脚に円盾が触れる。目の前の人は足でどっしりと大地を踏みしめ。


 それを受け流した・・・


 自分の直ぐ真横の地面に獣脚がめり込んで、陥没する。

 巻き起こる土煙と振動。自分は生きていた。

 は……? え……? 今この人は何をした?


 もしかして、あの巨獣の一撃を盾で受け流(パリィしたの……?


 にわかには信じがたいがきっとそういうことなんだろう。

 けれど自分のこのときの驚愕を更に驚愕が上塗りすることになる。


「大丈夫ですか、エリューちゃん」


 その人は地面に突き刺した剣を引き抜き、振り返って声をかけてくる。自分は名前を呼ばれたことに驚き、そして振り返った彼の顔を見てまた驚いた。


「ロッシさん!?」


 割り込んできて、華麗なパリィを決めたのは、ロッシさん。あのパーティーの中で一番地味で存在感のないロッシさんだった。ほんとモブみたいな装備で王都方面にいったオリヴィエさんの護衛を引き受けたはずだから、そっか帰りに偶然クームの街に居合わせてくれたのか……!


「っと。立てる!?」

「無理です!」


 自分の返答を聞くやいなや、ロッシさんは慣れた手つき自分の片手を引っ張りあげて担ぎ、ダンッと地を蹴る。大鎌を残して。まぁ、あれは限界距離付近でアポートすればいい。それより今は逃げることだ!


 獣脚が自分らのいた位置を踏み潰す。

 ロッシさんは自分のを肩に担いだまま走る。

 タンタンタンッと跳ねるように駆ける。すぐ後ろで大質量が振り下ろされ、あるいは振るわれる。


「ヒィッ!」


 自分は後ろ向きに担がれているのでそれがよく見えた。自分の鼻先をマンティコアの爪が通り過ぎるのはまったく生きた心地がしない。

 しかしマンティコアもバカではない。むしろ賢い。

 振るわれる獣脚に予測で修正が加えられ、ただ走るだけじゃ回避できなくなってくる。


「くっ! 少し投げるよエリューちゃん!」

「え? は? どういう、ちょっ!」


 文句を言う暇もなく、自分は前方へ放物線を描いて放り投げられる。

 それと同時に体が自由になったロッシさんはまた盾を両手で保持して、横合いから振るわれる獣脚のなぎ払いを受け止め。

 今度は上方向へ弾いた。

 一瞬だけ獣脚がフワッと浮かび上がり、ロッシさんの上を通過する。


 それで難を逃れたロッシさんはすぐさま滞空している自分の方へ駆け寄ってきて、スライディングで受け止めてくれる。

 こ、この人できる……! 

 以前はモブみたいとか侮っててすみませんでした。


「小賢しい、ならば、もう一度、魔法で」


 マンティコアの声が降ってくる。このままでは埒が明かないと思ったのだろう。

 まずい。マンティコアの魔法運用は超一級品。いかにロッシさんが達人業を持っているとしても魔法を相手取るのは話が別だ。あれは盾とか剣でどうにかなるレベルを遥かに超えている。


 なんて考えたいたところでロッシさんは突然立ち止まってしまった。

 どうしたんですか! まさか諦めたんですか!?


「よし。間に合ったね」


 ロッシさんが呟く。何がだ? と身をよじり彼の見ている方向を見やった。彼は随分の上の方を見ていた。まるで空に何かがいるみたいに。


「あれは……」


 目に入ったのは、一頭のヒポグリフ。それが空を横切る。誰かが乗っていた。

 夕陽のように淡く燃える髪を靡かせる女性とそして。

 魔女テイストのとんがり帽子を片手で抑えて、ミント色の髪がそこからチラリと覗く。片手には雪結晶を象った触媒を抱く杖。

 あれは、やっぱり。


「オリヴィエさん……!? それにライラさん!?」


 ロッシさんの登場で期待はしてたけど、本当に来てくれるとは! これで百人力だ。オリヴィエさんが実力者なのは実際に戦った自分がよく分かっている。


 けれど同時に一抹の不安が胸をよぎる。

 果たしてオリヴィエさんといえど、あの叡智の化身であるマンティコアに勝てるのか?


 ライラさんが手綱を鳴らすと、ヒポグリフがマンティコアの真正面へ毅然として立ちはだかる。

 そしてオリヴィエさんが、鞍に足をかけ、立ち上がって杖を掲げる。

 マンティコアはその小さな魔女を見つめる。


 少し間を置いてズンッ!と空気が重くなるのを感じた。高まった魔力が溢れだして、せめぎ合っているんだ。

 マンティコアの魔力量がすさまじいのは分かるけど、オリヴィエさんも相当なもんだ。自分と戦ったときは本気じゃなかったというよりは、人間相手にはこの規模の魔法はいらなかったのだろう。


 自分では及びもつかないような魔法戦が始まろうとしていた。

 

 

 

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