第三三話「翻らないもの」
長いです。
「────ハァ、ハァ……」
自分は歩き続けていた。
路地から上を見上げても、建物の切れ間から覗くのは分厚く黒い雲だけだ。時間がどれほど経ったのかは分からない。感覚的には宵も更けて、深夜に差し掛かろうといったぐらいか。
額に雨粒が当たって弾ける。まるで急かされているみたいでおのずと早足になる。
建物と建物の間の出来上がった路地。
普段は善い悪いにかかわらずまぁまぁ人の往来があるものだけれど、今は夜でしかも大雨。人っ子一人見当たらない。猫とか鼠とかそういうのすら見かけない。
耳に届くのは騒々しい雨音と、雨どいに繋がるパイプからゴポゴポと水が流れ出てくる音くらい。
まるで唯一人、石造りの迷宮に放り込まれたみたいだ。
もっとも今の自分は人と会いたいとは思わない。冒険者さんじゃくても自分の姿を見られてその情報が渡ってしまえば同じことだ。
そもそも《マスキングダークネス》のお陰で気づかれる可能性は低いとはいえ、やはり出会わないのが一番だ。
自分の魔力はほとんど尽きているので何としても戦闘になるのは避けねばならなないのだし。
さて自分には現在、二つの選択肢がある。
一つがなんとか街壁あるいは街門を突破して街の外へと逃げおおせるという選択肢。そこからは徒歩で別の街へ行くか、森の中で野宿するかということになるが、自分は死神、生物として格は大分上なので雑魚モンスターに襲われる心配はしなくていい。
問題点としては、果たして魔力もなしに街の外に出ることはできるのかということだ。街門には十中八九お触れが回ってるだろうし、壁の乗り越えるのはいくら身体スペックが高いとはいえ厳しいものがある。街壁の高さは20mにちょっと届かないくらい。魔法のアシストなしで大鎌をアイスピックみたくして昇るにしても途中で見つかっちゃう可能性が拭い切れない。
もう一つの選択肢はここオルゼの街で適当な休み場所を見つけて休憩をとることだ。魔力を睡眠を取ることで効率的に回復させることができる。逆に言えばこんな風にギリギリの精神状態で逃げていても魔力は底を尽いたままだ。
だから睡眠を取って魔力さえ戻れば、強硬手段でも隠密なやり方でもいくらかはやりようがある。
こっちの問題は、果たしてそんな安全な場所になど心当たりがないことだった。自分の行動域はオーロラ亭と買い出しのときに円形広場や市場通りに出るくらい。あとは街の外でちょくちょく魔法の練習したりとか、ほんとにそのくらいなのだ。冷静に考えると冒険者さん以外との繋がり全然ないな自分!
そうして今の状況を省みると円形広場を抜けだしてから《ディバイディング》を捌いた後、そのまま西門に向かえば良かったのではと思ったが、すぐにそれは悪手だと悟る。
アギラの攻撃は西門まで届いていたし、姿を晒し続ければあの極大射程の餌食だ。
《ディバイディング》が奴の底だとは到底思えない。
避けたという事実を奴に与えた以上、次に切られる手札はもう一ランク上のものだろう。
それを捌ける自信は自分にはなかった。路地に逃げ込むのがやはり正解だ。
さて現状としては、前者は選択に踏み切りづらい。見つかるリスクが捨てきれないし、見つかってしまえばそれこそ一巻の終わり。前者はにっちもさっちもいかなくなったときの手段だ。
なので自分は後者の隠れ場所を求めて、路地を逃げさまよっている。
「────────」
っつ誰かの声と足音。バタバタとしているそれはきっと追っ手だろう。
それが路地の先から響いてくる。
足を止め、跳ねる心臓を押さえつけ、壁に寄ってできるだけ目立たないようにする。
心音と雨音がうるさい。あちらの声が音が聞き取りずらい。
そうして辺りの様子をしばらく伺っていると、路地の向こう側へと唐突に集団が現れた。どうやらあそこは丁字路か十字路になってるみたいで、横から突然に表れたのでびっくりした。人数はおそらく3人。大雨だし遠目だし目立てないしで誰かまでは分からない。
捜索隊の面々はキョロキョロと何か探すような素振りをみせる。こちらにも視線が投げかけられていたはずだけど、距離と大雨と闇と隠行のお陰で気づかれてはないみたいだ。
三言四言の会話ののち捜索隊は自分とは反対側、今までの自分の進行方向へと方向を定めてくれたみたい。足早に雨闇の向こうへと消えていく。
ほっ、と息を吐く。
けれどそれで緊張の糸が切れてしまったのか。
再び歩き出そうとした足がもつれて、倒れそうになり慌てて踏みとどまる。
曲げた膝に手をついて、荒い息を吐いた。背中を雨が叩く。
先程の戦闘の疲労に加えて、一度死に、居場所を奪われ、そして雨の中で強行軍。
魔力はとうに底を尽いたけど、体力ももうやばいみたいだ。雨足もどんどん強くなってくる。
それでもなんとか気力を振り絞って歩みを進めた。
よたよたと件の十字路に差し掛かり、捜索隊がやってきた右を選んで曲がる。すると少し先に雨宿りできそうなアーチが見える。路地を跨ぐそれは道幅が狭いからこそ成立する構造物だ。自分はなんとかアーチの下まで入り込んだ。息を整えて吐き、ドンっと背中をアーチの壁面に押し付け、ズルズルと体を落とした。下は雨水でグチョグチョだったけど構う余裕はなかった。
そういえば着の身着のまま逃げてきたからウエイトレス服のままだ。戦闘やら逃避行やらで血泥で汚れちゃったなぁ。
なんだかこれがどんどんと汚れ破れていく度に自分と『オーロラ亭』との距離が離れていくような気がした。
『おいエリュー。ちっとォ話しがある。今ならァちょうどいいだろォ?』
タイミングを見計らっていたのか、バロルが話しかけてきた。
まぁ話すくらいなら体力は消耗しないし、気も紛れる、
『あー話しの前に一つ前置きしとくぜェ』
バロルはなんだか勿体ぶってきた。何か重要な話だろうか。
『何も言わずに聞いてくれや。俺様は今から死神について話そうと思ってんだ。おめェが目を背けてた死神についてだ。……ちょうどいい機会だと思ってな』
自分はバロルの発言ですこし虚を突かれた。
ここ一年の間その話は自分達の間で一種のタブーだったからだ。
死神として生き永らえた自分は、その在り方を受け入れきれていなかったし、バロルもそのことを察してくれていたのだ。
でも確かにいい機会だと思った。自分のことでもあるし、敵のことでもある。もはやこれは知らねばならないことだ。受け入れる入れざるに関わらずにね。
だから自分はおのずと首肯した。
『おォ、じゃ何からがいいか……。まずエリューおめェを始めとしら普通の人間から見た死神の印象ってのはどんなもんだ?』
印象? うーんと……正直言って自分は育ちが育ちだからこれが一般的な認識かは分からないけど……。
死神っていうのは邪教徒に遣わされる悪魔の中で最も危険な種の一つとされていて。その戦闘力もさることながら、人並み以上の知能に、通常手段では滅ぼすことができない不死性、魔法とは違う超常の能力、それらが絡み合ってとりわけ質が悪いとされているのかな。
死神は高位の悪魔だからそもそも召喚されるケースは稀だけど、死神が関わる事件は凄惨でショッキングなものが多い。例えば大虐殺であったり、英雄殺しであったりと。
だいたいこんな感じかな?
『なるほどなァ。人間からの印象はそんなもんだよなァ。じゃあ死神視点からの話を加えるとするか』
自分はバロルの話に耳を傾けるために、崩れ落ちた姿勢から膝を引き寄せて抱える。
大鎌の刃が自分の肩口からへとかかりカランっと音を立てる。
『まず死神ってェのは今おめェが語ったような、誰かに遣わされて殺戮を振りまく、なんてのは本来の仕事じゃねェ。悪魔神の被造物たる死神の存在意義は二つだ。一つは主である悪魔神の眠りを妨げるものを狩ること。もう一つは悪魔神が目覚めたときのための食事を用意すること。邪教徒どもにイイように使われるのはその実不本意なんだぜェ?』
バロルはひょいひょいと聞き慣れない事を並べ立ててくる。
ん? んん? これもしかして学者さんとかが聞いたら飛び上がるような話じゃないのこれ?
『俺様の主も今は寝てっけどなァ────」
「ちょ、ちょっと待ちっ……!」
自分はさも当たり前のように話を続けようとするバロルを制止する。
「今悪魔神の被造物たるって言ったよね。ということは死神は悪魔神によって作られた存在なの? というか悪魔神って何? 歴史上で顕界したことあるの?」
死神のとっての常識が人間にとっては未知のことだらけだ。
自分は矢継ぎ早に質問を飛ばす。
『あー、今の人間は遅れてんなァ……。そこからかァ。まず俺様の主の悪魔神は×××・×××××ってんだが。……あーこれは言えねェのか』
バロルが主の名を口にしようとすると、その名にノイズがかかる。びっくりした。
まるでより上位の存在に口止めをされたみたいに。
「悪ィな。どうやら悪魔神については言えねェみてェだ。とりあえず俺様を始めとした悪魔や魔神は悪魔神によって造られたもんだ。人間の造るゴーレムやガーゴイルなんかと同じ魔法生物だな。それの究極系だ。証拠はさっき口止めされたのを見たろ? それに俺様達は魔法は使えやしねェし、生物じゃねェから交わって増えたりすることもねェな』
へー目から鱗だ。確かに機密事項を話そうとするとノイズがかかるのは魔法生物っぽい。それに死なないってのも、何者かに造られた存在だってんなら納得だ。自然の摂理でそんな生物が生み出されるとは考えづらいからね。
うん? そういえば今、悪魔や魔神って言ってたけど何か違うの?
『あー話が進まねェ……。まァ、弱いのが悪魔で強いのが魔神だ。当然死神は魔神側な。人間はあんま区別してねェみてェだが……。これでいいか』
あ、はいおっけーです。続けてどうぞ。
『……じゃあ、俺様の話になる。おめェらにとってどれくらい昔になるかは知らねェが、俺様は人間を滅ぼして回ってたんだ』
……滅ぼして? 殺して、ではなく?
『あァ、数えるのがバカらしくなるほどな。おっとあくまで昔だ。魔導暦なんてものを今は使ってるみてェだが、そんなモンがなかった頃だァ』
魔導暦以前というと800年以上前? すごい昔。まぁ時効だよね、うんうん。……あんま考えないようにしよう。
『でも俺様はいつしかそれに辟易し始めたんだ。……嫌になったわけじゃねェ。たぶん飽きたんだなァ。そんなときに、とあるリッチーに喚ばれ、そして何の因果かエリュー、おめェと存在を分け合うことになった』
自分は神妙にその話を聞いていた。
『俺様は最初こそ煽ったがァ、そのうち大人しくなったろ?』
え? うん、確かに。人を見るや否や殺させようと誘導してくるかと思ったけどそんなことは確かになかった。
『俺様は思ったんだ。ヘタレたこいつの中にいりゃあ。俺様は死ぬことができるんができるんじゃねェかってなァ』
それは告白だった。衝撃を伴う告白だった。
なんでそんなことに思い至っちゃったんだ……?
自分は疑問を呈さざるを得なかった。
『死神は死ねねェ。俺様は殺すことに飽きてたし、ちょっどよく×××・×××××のために働く必要もなくなった。だから転がり込んできた死ぬため手段が魅力的なものに見えたんだ』
まさか、己が死ぬために死神の責務を見て見ぬふりする自分を放っておいたの……?
タイムリミットを今日の今日まで話そうとしなかったのはだから?
『あァ、俺様が死にたかったからだ』
バロルはきっぱりとそう言い切った。
けれど自分に怒りの感情がこみ上げてきたりはしない。だってこんな話をしたってことはきっと……。
「でも今はそんな気は失せたんでしょ?」
確信を持ってバロルへと問いかける。
だってバロルが今も死にたいなら、そんな話を自分に聞かせるメリットはないのだ。
だからここからの話の流れは自ずと予想できる。
『あァ、そうだ。もう死ぬ気はサラサラねェよ』
へぇ、何でって聞いてもいい?
そう自分が訊くとバロルは何故か黙りこくってしまう。
すこしの空白の後、バロルはおずおずと喋り出した。
『……このまま死んじまったら、エリニテスの奴にむざむざと追い出されてそれきりじゃねェかァ。んなのはァ我慢ならねェなァ! ……それに俺様は少し前までは殺すことがこの世の全てだと思っていたがァ、そうじゃねェって知ったからな。……それだけだっ!」
バロルは気恥ずかしくなったのか、強引に話を切った。
ふーん。そっか、バロルにとってもあの日常は得難いものだったてことなんだ。
なんだか少し嬉しくなる。そして同時に滾るものがあった。
その得難い日常を見事にぶっ壊してくれたエリニテス、アイツへの沸々とした闘志が湧き上がってくる。
「じゃあベロルは自分がオーロラ亭を取り戻したいって言えば喜んで協力してくれるわけだ?」
少し意地悪な質問を投げかけてみる。
バロルが前向きな話題をくれたことで心にゆとりが生まれたのかもしれない。
自分の相棒をまた少しの間黙りこくってしまった。
『……やぶさかじゃねェってことだ』
まったくどこまでも素直じゃない奴だった。
◆
「そういえばバロル。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
『あァ何だ?』
バロルをからかってから少し時が経って落ち着いた。時間にしたら10分くらいか。
相変わらずバケツをひっくり返したような雨だけど、屋根がないことはないので凌げる。
お尻が冷たいけど、それを嫌って立ち上がるには気力が少しばかり足りなかった。
抱えた大鎌を見上げるようにして自分はバロルへかねてから気になっていたことを話そうとする。
「自分の右目。これ魔眼なんだよね。たぶん音が視えるようになるんだと思ってるんだけど」
そう。魔眼についてだ。
これは魔法じゃなく死神の特殊能力だ。死神が魔法生物だって知った今だから分かるけど、きっとそういう特殊能力を持つように悪魔神に設計されているんだろう。
だからこの眼の元の持ち主であるバロルに解説をお願いしたいのだ。
「あァ? そりゃおめェの眼であって俺様の眼じゃァねェぞ?」
え? 自分はバロルと融合して生まれたんだから特殊能力も準拠するものじゃないの?
『いや俺様もそうだとばかり思ってたんだがなァ……オリヴィエとやり合ったとき魔眼が発現したとき俺様はそりゃ驚いたさ。全く別の魔眼が発現するんだからなァ……』
えっと、参考までにバロルの死神時代の魔眼はどのようなもので……。
『念力の魔眼だなァ。並以下なら捻り殺せるし、それ以上でも相手の動きに干渉してやりゃァあとは鎌で刈り取るだけよ。楽なもんだァ』
ほえーそれは便利そうな。
『でもおめェの発現した魔眼は音を視る魔眼だろ。全く趣が異なるなァ。死神は魔法なんてモン文字通り眼中にねェから、そういう意味で詠唱を視るおめェの魔眼は死神の中でも前例なんてねェ。名付けるとしたら、そうだなァ……』
なるほど、人間と死神の性質を受け継いだ結果こんな魔眼を発現したわけか。原因はオリヴィエさんのときだろうな。あの魔力の流れが見える眼鏡で良いか悪いかはともかく眼球に何かしらの影響があり、そのあと大量の魔力を流し込むことで魔眼として成立してしまったって感じか。
『……名付けるなら、詠唱を映す眼で『映唱の魔眼』とかどうだ?』
バロルがそう提案してくる。
うん、中々いいんじゃないかな。詠唱とのダブルミーニング?になってるし。まぁそもそも名称はこの議論においてさして重要な部分じゃないしサラッと流す。
「それはそうと、魔眼について教えて欲しいな。映唱の魔眼だけじゃなくて、もっと魔眼全般のことを」
さっきの口ぶりだと死神が魔眼を持っているのはそう珍しいケースではないみたいだし、そもそもバロルは魔眼のユーザーだったんだし。先輩として注意点とか使い方のコツとか聞いておきたい。
『アーそうだなァ、まず魔眼の性質として、発動に一定量の魔力を要求し発動中は最初に眼球に込めた魔力を消費していく。この魔力が尽きると魔眼も自動的に終了するんだ。今おめェの視界も普通だろ?』
うん、そうだね。
あじゃあ、必死で覚えてないんだけど、自分の魔眼ってどのくらい保ってたの?
『さっきのァ大分魔力込めたろ? 3割弱ほどか。それで3分ぐれェだったな。1割で一分、分かりやすいなァ。あーあと、ありゃァたぶん開眼に必要な魔力量よりも多めに注いでたと思うぜェありゃァ。まァ必要な最低魔力量は何回かやってみて掴んでいくしかねェがな』
なるほど。燃費がいいのか悪いのか……。まぁ魔法対策としてはこの上ないものだしそんなもんか。
でもメリットばかりじゃないしなぁ。大音量が発生すれば視界を潰されるし、魔眼なのは片目だけだから両目の視界に差異が生まれて距離感だって測りずらくなる。飛び道具を相手取るのは厳しそう。
大音量で物理的な飛び道具である銃器とか天敵だねこれ。
あ、そういえば。
「やっぱり一度魔眼が終了するとしばらく使えなかったりするの?」
『あァその通りだ。下手にもう一度魔力なんて込めた日にゃァ目玉が破裂しちまうだろうなァ』
「じゃあ、終了前に魔力を継ぎ足して効果時間延長とかは、無理なの?」
『ァー出来なくはねェが、魔眼の機能に影響が出るだろうなァ。碌なことにならねェだろ。折角魔力注いで発動させたのに無駄にしたかァねェだろォ?』
「あーそれもそうだね」
ということは落ち着いたら、色々実験してみないとね。魔眼発動の下限魔力とか、正確な継続時間とか、途中で魔力を充填するとどんな影響があるかとか、魔眼発動のインターバルはどのくらいかとか。
うん、落ち着くためにはこの街からとりあえず出なきゃね。
ふとアーチの外を見やる。
相も変わらず、大雨だ。水たまりに絶えず雨粒が飛び込んで幾つもの波紋が生まれ、それにまた雨粒が飛び込んでくる。ざわざわと波打つ水たまりはこの街の今の有様を表しているみたいだった。
視界を少し持ち上げると雨霧に遮られた路地が広がっている。
その向こう、路地の中を誰かが歩いてくるのが見えた。
しまった話し込みすぎたか。
《マスキングダークネス》があるとはいえ、アーチで雨宿りしていたら流石に気づかれるかもしれない。
そう思って気力を振り絞り、立ち上がる。けれど思ったより自分は限界だったみたいで、ふらりと足取りが泳いでバランスを崩した自分はアーチの内弧に肩からぶつかって、そこにより掛かってしまう。
『エリュー、大丈夫か?』
う、うん。大丈夫たぶん。
心配するバロルに念話で返事して、こっちにやってくる人影に背を向けて雨の中へ再び繰りだそうとする。
そんなとき。
「────エリューさん?」
その声は騒々しい雨音の中ではっきりと自分の耳に届いた。
ずうっと聞いてきた声だった。
その声は自分がこの世界で生まれ変わって初めて聞いた声だった。
雨闇を背負って自分は振り返った。
彼は雨闇を突っ切ってアーチの下へとはいってきた。
頭まですっぽり覆う外套を纏った彼の身長は大分低く、慌ててくすねてきたのだろうそれは裾が地面に擦れてしまっていた。フードが取られる。
「ケイ君……!?」
『ほォ……』
やってきたのはブラウンの髪をした少年、ケイティス君。
彼はこの状況で自分へと安心したように微笑んでくれている。
敵意は、ない。
「ケイ君自分が分かるの?」
「はい。僕はその、不甲斐ないことに真っ先に気絶させられちゃたからですかね? 起きたらみんなが変で、それに宿にいたエリューさんはソフィーからもらった髪ゴムもしてないし、瞳の色も違います」
彼の一言一言で自分の魂が救われていく気がした。
たった独りで戦う決意をしていたところにこれだ。もはや自分は湧き上がる感情が雫になるのを堪えきれそうにない。瞼がギュッと閉じる。これは自分の生み出した都合のいい幻ではないのか、そんな可能性が頭をよぎった。
「────やっぱり、こっちがエリューさんです」
ケイ君柔らかな声でそんなことを言ってくれる。
それでハッと眼を空ける、少年はまだそこにいた。いてくれた。
「ケイ君……」
けれど自分はまた一つ恐ろしい可能性に思い至る。
ケイ君がここまで追いかけてきてくれた経緯から察するに、エリューという存在が入れ替わっていることは了解していても、自分が死神だということは分かっていないのかもしれない。
────もし拒絶されたらどうしよう。
────いや自分はそれを怖れてこんなザマになったんだ。
────ここで逃げればきっと繰り返す。
「ケイ君よく聞いて」
決意の下、自分はケイ君の両肩を掴んでその眼を正面から見つめる。
いつの間にか両手が空いてたけどそういえばさっきケイ君の声を聞いて振り返ったとき、信じられなすぎて取大鎌り落とした気がする。
ふぅ、一つ深呼吸。大丈夫だ。きっとケイくんなら大丈夫だ。
「自分は死神なの。比喩じゃない悪魔の狩人なの。それを知ってたら自分を追いかけてくれた?」
ケイ君は自分の言葉を受けて、微笑んでくれる。
「はい。そんなことどうでもいいです。エリューさんだから追いかけたんですよ、僕は」
あぁ、この子の言葉は心臓に悪い。浄化されそうだ。
なんでこんなに嬉しい言葉をくれるんだ……!
「僕はエリューさんが何者だろうと構いません。だってエリューさんがいなかったら、僕はずっとあのアジトで虐げられていたでしょう。僕の人生はエリューさんのために使います。……駄目でしょうか?」
なのに彼はまだ言葉を紡いでくれる。
「……駄目じゃないよ。そうだね、ちゃんと責任は持たないとね。ありがとうケイ君」
自分は彼の頭を優しく撫でる。
雨宿りのアーチの下は外の騒乱とは完全に切り離されていた。
気づけば気力は戻っていた。足は動く。
「じゃあ、行こっかケイ君」
「はい。ついていきます」
大鎌を足元から拾い上げて肩に引っ掛ける。
バロルも行くよ?
『あァ。頼むぜ相棒』
自分達はアーチの下を抜けだし再び雨闇の中へと身を投じる。
雨は相変わらず降り続いていたけど、雲の向こうで月が朧に街を照らしていた。
それを導に自分達は迷路のような路地の出口を目指し足を進める。
次話はたぶん週末です。




