第十首 頼もしき 君が情けに 誘われて 誰とも知らぬ 犬も来にけり
――あやしき能力持てる童女を拾ひて、「夜風」と名づけたり。御かたちのいと誇りかにおはしますところ、少しおろかなるところ、また定めをよく守らぬところなど、あなたに似通ひていとをかし。
カナカナ、カナカナ、セミが鳴く。
黄昏に染まる雅な庭園にはそっぽを向けて、部屋に坐した弦一郎が顔を上げた。
「なんだこれは!? 俺が定めを守らんだとぉ!?」
「うん!」
彼の手には、かぐやの記した草紙が広げられていた。
一方で、かぐやは熱を込めた眼差しで彼を見つめる。
眉間のシワを深くさせた弦一郎は、その顔をグイと、かぐやに近づけた。
「俺は『少しおろか』か!?」
「うん!」
草紙、ポーイ。
いよいよ本気になった荒武者は、屯食のように、両脇からかぐやの顔をがっちりホールド。
今にも食らいつきそうな勢いで彼女に迫る。
「……よくわかってるじゃねぇか。それで? 『夜風』はうまくやってるのか?」
「にゅん」
ムニムニと頬を弄ばれながら、かぐやは首を縦に振った。
弦一郎は親指で彼女の鼻の先端を優しく持ち上げ、豚鼻を完成させる。
「いやん」
それはさすがに恥ずかしかったかぐや。
弦一郎の手を振り払い、顔を片方の袖で隠しながら、彼の肩を叩こうともう片方の手を伸ばす。
しかし悲しいかな、籠もり姫。
一線で活躍するもののふに簡単に避けられ、彼女は体勢を崩す。
運動不足の果ては、座りながらにして転げるのか。
そう思った矢先、弦一郎が彼女の身を支えるようにふわりと抱き寄せた。
「まぁなんせよ、これも何かの縁だ。拾ったからには、強い子に育てたい」
彼の逞しい腕の中で、かぐやの心臓が小さく跳ねる。
鼻の頭だけでなく、今度は耳の裏まで熱くなっていくのが自分でも分かった。
助けられた気まずさと、至近距離にある彼の体温に戸惑いながらも、かぐやは彼の胸元を小さく小突く。
すると、弦一郎は鼻で笑った。
「少しずつ鍛えてやらんとな」
「……うん」
「手始めに、蹴鞠でもさせてみるか」
「うん?」
「それなら今日は、スポッチャに行こう。おーい、夜風ぇ!!」
本日のデートスポットを決めるやいなや、弦一郎は獅子のような大声を上げて、邸内に響かせた。
その声を頼りに、とことこと子どもが歩き近づいてくる音が廊下から伝ってくる。
「失礼します」
やがて二人の前に、いと小さく白き、桑の子のような美しさを持つ一人の童女が現れた。
「ガリガリのままじゃねぇか!! お前らこの一週間、何食わしてたんだ!?」
が、夜風の体型がお気に召さない弦一郎は怒り心頭。
すっくと立ち上がった彼は、夜風につかつか歩み寄ると、彼女の腹に片手を回して軽々と持ち上げて見せた。
それに対し夜風は「きゃはは」と、女子らしく喜びの声を上げる。
「軽い、軽すぎる! わらび餅、食うか? 今日、帝のところからパクってきたのがあるの、忘れてた!」
「わらびもち?」
「知らねぇのか? 仲間だな。俺も、最近までは知らなかった」
スポッチャの話題はどこへやら。
弦一郎の興味は、自分の腕の中にある赤目の少女へと移っている。
これはいかがなものかと、ジェラシーも込み込みで、かぐやは声をかける。
「……出かけないの?」
「お出かけですか? ですが、夜なりに屋敷を出るとなれば、お二人はご無事かもしれませんが、私はだだ子様に叱られてしまいます」
宣旨のだだ子によるハウスルール、またの名を青少年保護育成条例。
まだ十二歳の夜風を、夜遊びに連れて行ったなんて知られた日には、ねちねちねちねち、まーた始まってしまう。
かぐやと弦一郎は、静かに視線を交わす。
そして、互いに頷き合った。
「今日のところは、庭で遊ぶとしようか」
「うん!」
健全カップル誕生。
子を持ったヤンキーというのは、こうして夜の街から徐々に姿を消していく。
そんな時の移ろいの幻を、黄昏の風が優しく撫でる。
「わらび餅取ってくるから、お前らはここに座ってろ」
弦一郎は小脇に抱えた夜風を縁側へと下ろすと、自らは庭に下り立ち、車舎に向かって歩き出した。
部屋に残されたかぐやは、ちんまりと座る小さな少女の横に腰掛けて、彼の帰りを待つことにした。
「ねぇ、夜風」
「はい。なんでしょうか」
「ゲンちゃんの匂い、どうだった?」
「まるで、神仏のような香りをしておいででした」
そうだろう、そうだろう。
だが、かぐやの聞きたいことはそこではなかった。
「どうして、あんなに嬉しそうに声を上げていたの?」
言葉鋭く、本題を切り出す。
おぼことは言え、夜風は女。
どうにも、抑えきれないものがあった。
「申し訳ございません。包み込むような優しさと、天まで突き抜ける大樹のような手力。それに裏表がなく、人の心を開くのが上手な方ですから、つい。姫宮様の御心を乱すようであれば、以後控えます」
そうだろう、そうだろう。
まあ「控える」と言ったところで、彼の行動を止めることは誰にもできやしない。
以前会った、杣人たちもそうだったが、子どもにまで彼の魅力が伝わるか。
そう思うと、とげとげしかった思いは、嘘のようになりを潜めていった。
「おーし、持ってきたぞぉ!!」
庭に敷かれた玉砂利を、ざっとかき分け、愛しの弦一郎が戻ってくる。
今宵はこのまま、三人で――。
「……え?」
思わず、かぐやは目を見張った。
見慣れた庭に、ノイズの群れが映り込む。
大荷物を積んだ手車には、わらび餅が載せてあるのだろう。
それはいい。
問題は、その手車を引いている人物が先頭に立った弦一郎ではなく、煤けたおじさんであることにあった。
臭そう。
反射的に、かぐやは鼻を覆った。
だが、ノイズはまだまだ残っている。
あのおじさんの存在は、百歩譲るとして。
おじさんの横にいる、小綺麗なおばさんは誰なのかしら。
そのおばさんの足元にいる、柴犬は何なんだろう。
「……どうして、ああなったんだと思う?」
困ったときの占いだより。
混乱したかぐやは夜風に聞く。
「人の心を開くのが、上手な方ですから」
つまり、あのおじさんは、この屋敷の車舎で働いているおじさん。
話しているうちに仲良くなって連れてきちゃった、ということでいいのだろうか。
ゴリゴリと車輪を滑らせ、ゴトン、と目の前で手車が止められた。
「はい、ご苦労さん。とりあえずこれを食って、腹を満たしたら蹴鞠をやろう。このおじさんたちも、一緒に遊んでくれるってよ」
「え!?」
おじさん側が驚いている。
そういった話だけは絶対にしていないことが、よくわかった。
「で、こいつら、人の屋敷使って、勝手に不倫してたんだよ」
「ええぇぇ!?」
どうなっているんだ、おい、だだ子。
屋敷の風紀を心配したかぐやの視線は、目の前にいるおじさんとおばさん、そして宣旨のだだ子がいる奥の房へと行ったり来たり。
俄然、事の詳細が聞きたくなったかぐやであったが、隣にいる無垢な存在が気にかかる。
「これが、わらびもち……!」
弦一郎に勧められるがまま、人生初のわらび餅に舌鼓を打つ夜風。
そんな彼女と、この状況を顧みて、かぐやは一首詠みあげる。
――現には あらぬ人々 かき集め いづくの犬ぞ ひとり混じれる。




