第9話 幻奏と想い
このはは、小学生ぐらいの小さな女の子。
普段は、たけるの背中に隠れるようにして目立たない。
そんな、地味な女の子。
彼女は、ヒラヒラと木の葉のように舞い踊る。
「さあ! 観客の皆さま、プリマドンナの歌と踊りを、たっぷりと、ご堪能下さい!」
たけるの身振り、手振りが大きくなり汗が飛び散る。
中学校の細長い廊下が舞台。
コンサートは佳境を迎えた。
渉の頭蓋に響く大音響。
幻の観客たちは盛り上がる。プリマドンナとなったこのはを、待ってましたばかりに、口笛と大歓声で歓迎していた。
このはが、踊る。
彼女は、歌う。
このはが奏でる音域は、ソプラノの悲鳴から、さらに上、もっと上、人の聴力を超えた限界へ。
渉の頭蓋が振動する。
彼の三半規管が揺らされ、視界は回っていた。
それでも、彼は、このはが手に持つ刃物を認識している。
それでも、彼は、しっかりと動くことができた。
彼女が握る、光る刃。
キラリと光る、それは、切れ味の鋭さを容易に想像させる……
彼と彼女の距離は、もう近い!
渉とこのはの身長差は、20センチ程度。
このはの握る刃物は、小太刀より短く見える。
互いの間合いが重なる寸前。
渉とこのはのリーチ差、さらに錫杖とこのはの得物の長さの違い。
彼が、錫杖を突き出せば……
間合いが近づく、もっと近づく。
突きが当たる一点。
渉は、そこを狙えばいい。
このはが避けても当たる一点。
彼女の体のどこに当たるかは運まかせ。
それは、このはの避け方次第。
それでも当たる一点。
一撃必殺ではないかもしれない。
しかし、彼女の体は小さい。
まだ、小学生の女の子だ。
勝敗は、かなりの部分で決まるはず。
そういった一点。
渉は、錫杖を握る手を緩める。
そのまま、このはの方へ突き出し、衝撃の瞬間、強く握る。ただ、そうすれば良い。
それは、まさに達人といっていい動き。
それが、できる技量が、彼にはあった。
彼は、その瞬間……錫杖をこのはに向かって突きだすことはなかった。
彼は、躊躇したのだ。
それは、勝機を自ら逃す行為。
子どもとはいえ、真っ当な人の子かどうか疑わしい相手にだ……
血色が悪い。
肌の色が白すぎる。
まるで死体のよう。
付け加えれば、渉の頭蓋を揺らす超音波。
時折り聞こえる彼女の声は、耳障りでヒステリックな金切り音……
およそ、人ではないと思える数々。
それでも、このはの容姿は子どもだった。
化け物であれ、なんであれ、子どもは子どもだ。
渉にとっては、弱い存在。
守るべき愛らしい存在。
このはは、強いのかもしれない。
現に、人外な技の数々を繰り出している。
このはは死人かもしれない。
ゾンビという存在に近いのかも……
心臓が止まっている。
それでも、彼女の体は動いている。
それは、生きている証拠。
医学的根拠なんて、クソ喰らえだ!
だから、彼は躊躇した。
ただ、それだけだ。
戦いにおいては、間違った行動。
覚悟の足りない、意気地なしの戦士。
とにかく彼は、このはへの攻撃を直前てやめてしまう。
そして、彼女の間合いに入ってしまった。
当然のように、彼女の握る刃が鋭く、彼へ振り下ろされる。
ここは、もう彼女の間合いだ。
彼は、錫杖を器用に扱い、その刃を、それで受けた。
このはが刃物に込めた霊力と渉が錫杖に込めたそれがぶつかる。
その衝撃で大気が揺れた。
渉の背後から遠い場所。
雫は、渉を見ている。
襲いかかるガラス片の一団をヒラリ、ヒラリと猛牛をかわす。彼女は、闘牛士のように、それらを、やり過ごしている間も、ずっと、ずっと、彼を見ていた。
彼が、このはに向けて飛び出していった瞬間のタイミング。
勝機を見つけたセンス。
そして体の使い方。
彼が、自ら、勝機を捨てた、その瞬間も……
彼女は、彼の一挙手一投足にいたるまで、全てを感じ、全てを理解していた。
だから、雫は、
「やっぱり、君はバカだ」
とつぶやく。その時、彼女の表情は、言葉とは裏腹に、どこか誇らしい色があった。
渉は、必死に、このはの連撃を防ぐ。
彼女の攻撃の回転は、上がる。
上がる……
常人では反応できない速さ……
渉は、それに対応している。
素晴らしい反応。
彼の錫杖と彼女の得物がぶつかり合う。
それは、互いの霊力の衝突!
空気が悲鳴を上げた。
霊力には生き様が、垣間見える。
霊感が強ければ、それは、より詳細に、鮮明に……
ぶつかり合う度に、渉は、このはを学ぶ。
だからこそ、彼女の次が読める。
だから、渉は、このはの常人離れした、連撃の全てを防いでいく。
その度に、彼は、戦う意味を失ってしまう。
ぶつかり合う度に、見える映像。
彼女の父母が見える。
しあわせな日々……
戦いの最中、邪念は不要。
彼は、必死に、そう思う。
ぶつかり合う、渉とこのは。
彼女の動きに合わせ……
いや、たけるが彼女を操っているのか……
どちらにせよ、たけるの指揮は絶好調だ。
彼は、踊る、踊る。
たけるの霊力が場を、支配していく……
彼は、ガラス片の雲で、雫を渉から遠ざけた。
渉の始末は、このはにさせると、たけるは、決めていた。
森宮家の秘蔵っ子。
小石川村大霊災の生き残り。
最強の一角と噂される子ども。
彼が所属する一族との勢力争いには、邪魔な存在。
それを狩れば、きっと、このはの存在が認められる。
たけるは、そう信じていた。
だからこそ、だからこそ、だからこそ……
死人使いは、邪道で忌むべき存在だ、
たけるは、自ら、そこへ落ちた。
彼は、そこで、いつかを信じて、娘の死骸を操る。
西洋かぶれの教会は、日本国内の勢力争いには無関心。
彼らが主導する初仕事に紛れるのは、容易だった。
子どもに化ける、ただ、それだけ。
たけるとって、雫の存在は、想定外だったが……
所詮は、名が知られていない森宮の退魔士。
それも、まだ若い女。
実際、たいしたことがない。
せいぜい、誰が、森宮の秘蔵っ子を圧倒したか風聴すればいい。
龍蔵寺 猛は、まさに、悲願への第一歩を踏み出そうとしていた。
それは、娘の小葉、その魂を取り戻すための第一歩だ。
その想いが場を満たしていた。