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第10話 天の一閃

 魑魅魍魎(ちみもうりょう)跋扈ばっこする世界。

 退魔士の家系に産まれたなら、奇々怪々(ききかいかい)に触れる機会には、事欠かない。


 だから、龍蔵寺りゅうぞうじ たけるは、奇跡を期待してしまう。


 一方、森宮もりみや わたるは、常に思う。


 幽霊なんていない。

 魂なんて存在しない……


 故人は、なにも語らないということ……


 大切な人を失えば、枕元に立つことはないし、夢に出ても、それは幻想。罪を悔いても、謝罪する機会は、永遠にない。


 死者は、許しもせず、呪いもしないのだ。


 彼は、そう思う。


 それでも、わたる錫杖しゃくじょうには、小葉このはやいばを防ぐ度、傷が増えていった。


 彼女の霊力から感じる、生前の感情、風景……


 そんなものは、肉体に残った残滓ざんし、生前の残りかすだ。そこに意思なんてない!


 森宮もりみや わたるの防御は、正確無比で鉄壁だった。


 それは、すでに定められた動きをトレースする、演劇の殺陣たてのよう。


 小葉このはの息を切らすことのない、凄まじい連撃も、こともなげに、受けきってみせる。


 そこに小葉このはの殺気があっても、一方通行のお遊戯だ。


 しずくは、わたるの後方ずっと奥に遠ざけられていた。


 ずっと、ずっと遠い。


 相変わらずそこで、しずくは、飛び交うガラス片の一団を器用にかわしている。


 かわし、続けている。


 彼女は、セーラー服姿で、飛び跳ね、時に壁を利用して、アクロバットを披露する。制服のえりとスカーフは、その度に上下に躍動し、黒いスカートは、空気を包み込むようにして広がった。


 それでも、極端な露出はなく、華麗だ。

「ほんとに、しつこいわね」


 今も、ガラス片を紙一重でやり過ごした彼女。

 もしかしたら、しずくには、わたるに加勢する余力は十分にあるかもしれない。


 そう思わせる動きだった。


 一気に距離を詰めれば、直ぐにでも、一瞬で……


 彼女は、いつだって、わたると共にいる。


「呼べば、いいのに……」

 彼女は、また、ガラス片をよけた。


 わたる小葉このはの方は、相変わらずだ。

 互いに、決め手を欠いている。


 小葉の連撃が、凄まじいといっても、すきがない訳ではない。


 切れ味鋭い刃物。


 それでも、体の小さい小葉このはが、十分な威力を得るためには勢いをつける必要がある。


 彼女の連撃。

 一撃、二撃、三撃……


 わたるは、長い錫杖しゃくじょうを器用に扱う。


 腰より低い位置の斬撃も、

 高いところから振り下ろされる、それも、最小の動きで、防いでみせる。


 小葉このはは、勢いが減衰すると……


 ほら、今も、一瞬のすき。


 渉が、そこで、一歩、踏み出せば……

 彼が、彼女へと、踏み込む、ただ、それだけで、勝機は、訪れる。


 それを、しないから、結局……


 小葉このはにとって場が整った。

 中学校の三階、そこの廊下は、今、まさに、彼女の為に存在している。


 そういった空間。

 龍蔵寺りゅうぞうじ たけるが準備した、彼女のための世界だ。


 小葉このはは、連撃ではなく、一撃に込めることにした。

 それは、龍蔵寺りゅうぞうじ たけるの意思でもある。


 彼女の金切り声。

 空間が共鳴している。


 彼女のやいばは、超振動を超えた。


 神斬りの一閃。


 錫杖しゃくじょうでは、防ぐことできない斬撃。


 わたるが、その一閃を肩口から受けたのは奇跡。


 彼は、瞬時に自らの重心をずらすことで、その斬撃を肩口から、外へと、受け流した。


 受け流す?

 いや、腕を捨てることで、それをやり過ごした。


 生身で受けるなど、およそ人には無理な一撃。


 神ですら、一太刀を浴びせらる。


 神斬りの一閃。


 わたるの腕が、斬り落とされて、宙を舞う。


 小葉このはの切れ味が、あまりにも鋭い。

 彼の細胞は、その出来事に気づくのが遅れる。


 わたるの腕が、廊下に落ちる。

 二度、三度、そこで、小さく弾む。


 彼の肩口から、鮮血が噴き出した。


 たけるの指揮も、締めくくりを迎える。

 彼は、腕を天に向かって突き上げた。

「終演だ」

 と言い、突き上げた手を握り、こぶしをつくる。


 小葉このはが腰を落とす。

 握ったやいばを後ろに引き、突きを出す構え。


 狙いは、わたるの中心。

 彼の命を支えている、心の臓。


 小葉は、そこを狙い、突きを繰り出した。


 終わる。

 彼は、そう思った。


 なぜか、気が楽になる。

 死ぬのが怖くない?


 そんなことを言えば、嘘になる。

 誰だって死は怖いに違いない。


 だから、彼は、ここに立っている。


 腕を斬り落とされた。


 ああ、知っている。


 出血が多い。


 ああ、そんなことは、十分承知。


 死が近い。

 それが、すぐそこ。


 とても、怖い。


 それよりも、なによりも、もう、これ以上、生きることが、とても面倒。


 そう思える自分がいた。


 だから、もう守らない。


 余力は、十分?

 才能?


 知ったことか!

 疲れた……


 だから、そんな力は、捨てる!


 あきらめても、周りは動く。

 時が、勝手に、先をつむぐ。


 小葉このはの切先が、わずかに揺れた。

 その後、直ぐに、わたるの方へ……


 瞬間で終わる出来事。


 なにものも、防ぐことが、敵わない、神斬りの一閃。


 それが、わたるに届くことはなかった。


 彼の目の前に、しずくがいる。

 彼女の小さな背中があった……


 そこから突き出る、小葉このはの切先は、渉まで、あと少し、というところで止まっている。


 白いセーラー服の上着に、血がにじみ広がりはじめていた。


 赤く赤く、白が赤に染まっていく。

 それが、真っ赤に染まるころ、きっと彼女の命は、尽きるだろう。


 しずくが、わたるに振り返る。


「そんな顔しちゃって、ほんと、バカね……でも、ごめんなさい」


 小葉このはが、切先を引くと、しずくの体は床に崩れた。


 しずくの長い黒髪が、乱れて広がる。


 小葉このはの動きが止まった。

 龍蔵寺りゅうぞうじ たけるは、「ちっ」と短い舌打ち。


 わたるの方は、

「ごめんなさいって、なんだよ」

 とかすれた声で、しずくに話しかけた。


 返事はない。


 わたるは、憤慨ふんがいしている。


 それは、

 舌打ちをした龍蔵寺 たけるに向けられたものでも、

 しずくをつらぬいた小葉このはでもなく、

 もちろん、身をていして、わたるをかばった、しずくでもない。


 己自身の不甲斐なさにだ。


 あきらめた自分?


 そうであれば、小葉このはの方へ、一歩前に踏み出せば……いい。

 さすれば、しずくが割り込むすきは生じなかった。


 いや、そのもっと前、ずっと前、

 勝てる時に勝つ。


 それを、おろそかにしたわたるが招いた結末だ。


 覚悟が足りないのは良し。

 意気地がない、勇気がない。


 あれも良し、これも良し。


 他人を傷つけたくない。

 これだって良しだろう。


 それらが、全て、自分本位で無ければ……だ。


 結局、彼は、自分の心が傷つくことが怖いだけ。


 だから、いつだって、彼は、何も守れやしない。


 あの時だってそう。

 今だってそう!


 結局、彼だけが、生き残る。


 そして、恥をさらせ!


 彼は、握りこぶしを作らない。

 その腕は、もう、斬り落とされた。


 龍蔵寺 たけるが、つぶやく……

「化け物め……」


 わたるの斬り落とされた腕が、砂の彫像のように消えていく。


 彼の斬り落とされた腕の場所に、鮮血が渦巻く。

 腕の形を成した。


 骨格を一番に、生々しい筋肉が再生されると、皮膚が覆う。


 人でない化け物。

 化け物なのに人の姿をしている。


 そういったたぐい


 わたるの意識は、すでに、とんでいる。

 表情が違う。


 とても、残忍で悪辣あくらつな表情。


「くそ、縁結びが得意とか、大嘘をつきやがって」

 わたるの声色が野太く変わる。


 小葉このはの突きが速い。


 それを、彼が素手でつかむ。

 森宮 わたるは、小葉の鋭い突きを、素手でつかんだ。


「意気地なしの宿主に代わって、俺が相手をしてやる」

 ふてぶてしい仁王立ちで、不遜な態度。


「喜べ、俺の霊力は、宿主の十分の一だ」


 龍蔵寺 たけるは、「森宮の一族が飼う死人」、その言葉の真意を知った気がする。


「だが、俺は、強い」


 森宮 わたる

 彼の類い稀な才能。


 そこに、残忍さが加われば……


 たけるは、ありったけの霊力を込め指揮を振るう。


 小葉このはやいばの超振動。

 それを握る、わたるの手が吹っ飛ぶ。


「神斬りの一閃を防ぐなら、神器を持ってくるんだな!」


 猛の勝ちへの確信は揺らがない。


 相手は、素手で得物えものを持っていない。

 もし、それが、あっても、防ぎ得ない。


 だからこその神斬りの一閃!


 わたるが叫ぶ!

「来い! 嘘つき女!」


 床のしずく、その指先が動いた気配。


 わたるの方は、やれやれといった様子。

 そして、気合いを入れなおす。


 実は、出会った瞬間に彼女の名前を知っていた。

 わたるの心に、彼女の名と素性は、響いていた。


 彼と彼女は、目が合った瞬間、その縁は結ばれていた。


「天に一閃を引け! 斬り姫の太刀、月の雫!」


 小葉の放つ、神斬りの一閃が弾かれた。

 鋭い金属音が響く。


 たけるの足が震える。

「バカな……」


 森宮 わたるの手には、日本刀が握られている。

 とても美しい日本刀だ。


 そして、床にあるはずの、しずくの姿は、消えていた。

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