7 シャッター音
ストーカー事件の2日後、その日発売された雑誌には『モデルの坂井真琴、体調不良でダウン!芸能活動無期限休止か』と書かれてあった。
大学生向けの雑誌をめっくてみれば、真琴の姿はいっぱい目についた。そういうのに疎かった弘樹だけが知らなかったようだ。
学校でその雑誌を見ていると、友人の1人が声をかけてきた。
「よっ!弘樹が雑誌見てるなんて珍しいな」
「なぁケンちゃん、坂井真琴って知ってる?」
「当たり前だろー!俺らの先輩なんだぜ?その上美人で超かわいい」
知らなかった。実際に名前を聞いてもぴんとこない、普通に私服を着ている写真を見てもぴんとこない、高校に2年ちょっと通っているが、弘樹はその存在すら知らなかったようだ。
ぼーっと考え事をしていると、ケンちゃんは弘樹の見ている雑誌をひょいっと手に取った。
「やっぱあれだけ売れてると体調不良になるだろうな」
雑誌には、芸能活動を無期限休止するかもしれないと書いてある。このままだと休止してしまう可能性が高いだろう。だけど、本人はどう思っているのだろうか。本当にモデルをやめたいと思っているのだろうか。
弘樹にはわからなかった。
▽
昨日欠勤した菅沼克也がいつもより少し送れて職員室に入ってきて、何人かの先生に風邪は大丈夫かと心配される中、玉木有子は克也の視線に気づいた。保健室の尾崎先生との長い会話を終えて、ようやく玉木の隣である自分のデスクまでやって来た。
「玉木先生・・・会議が終わったら少しいいですか?」
「あ・・はい」
その内容はなんとなくわかっていた。
「一昨日のことなんですけど・・・」
克也は言いにくそうに切り出したが、玉木はわかっていたので頷いて先を促した。
「玉木先生に迷惑をかけたこと、まず謝ります」
「そんな・・!迷惑だなんて思ってません」
玉木のその一言で安心したのか克也はほっとした表情になる。場違いにどきどきしてしまいそうになるのを慌てて堪えた。
「それで、できればこのこと誰にも言わないでほしいんです」
「それは大丈夫ですけど・・・菅沼先生は本当にそれでいいんですか?」
何気ない質問のつもりだったが、克也は少し目を見開いて固まってしまった。何がそんなに驚く質問だったのだろうかと玉木は考えたが、やがて克也が苦笑したのでますます玉木は混乱してしまった。
「なっなんですか・・・?」
「いえ。前に同じことを言ってきた人がいるんです。久々に思い出したら懐かしくなって」
玉木がその人物の存在を知るのはもう少し先になる。
今の克也は玉木の口止めが目的だったらしく、それを確認すると職員室に戻っていった。
▽
翌日は土曜日だったが、バイトが午後からだったため、成瀬弘樹は午前中の間に坂井真琴のマンションへ行ってみた。
しかし、マンションの入り口でインターホンを押してみても応答がなかった。
「いない・・・か」
仕方なくあきらめて踵を返すと、
「わぁっ!!」
いつのまにいたのか、背後に坂井真琴の姿があった。
「びっくりした・・・いつからいたんだよ!」
「今さっきからずっとここにいたよ。なんか用?」
「用?えぇっと・・・・・」
何しにここへ来たのだろう。目の前の野球帽グラサン女に会いに来たのは確かだが、会ってどうするつもりだったのかはわからない。しばらく迷った末、弘樹は選んだ言葉は、
「たまたま近くを通りかかったから」
「ふーん、そう。それじゃぁグッバイ、少年」
真琴はそっけなくマンションへ入っていき、暗証番号を押して入り口のドアを開ける。弘樹は後を追うこともできないでしばらく真琴の後姿を見送っていたが、やがてあきらめてその場を去ろうとした。だが、
「ねぇ!」
真琴の行動は本当にいつのまにかが多いと思う。とにかくいつのまにか少し離れた所に立っていた。
真琴の提案で弘樹たちが向かった所はカラオケだった。
さっきからエンドレスに歌い続ける真琴は最近のヒット曲からロック、演歌までなんでも歌えた。
「ホラ!少年も歌いなよ」
「っていうか、その少年ってやめろよ。俺と坂井さんって1コしか違わないんだし」
「・・・十分年上じゃん」
「4月1日が誕生日だって聞いたけど・・・俺、その次の日。全然変わんないって」
「たった1日の誕生日の違いでも、学年が違うと変わってくるんだよ」
やっぱりわかんない。たった1日の違いでそこまで変わってくるのだろうか。以前ケンちゃんにそれとなく聞いてみたが、『気にしない人のほうが多いんじゃね?1日だろ?でも、中には年下は絶対やだっていう人もいるんだよな』と答えられた。
「なんか俺、坂井さんのこと全然知らないんだな。正直、モデルやってたことも知らなかったし」
「私の知名度もそんなもんだったって思い知ったよ」
「モデルやめるの?」
やっぱり弘樹はこういうのは苦手だった。だから、ストレートにものを言ってしまうことしかできなかった。
「止めるの?他のみんなと同じようにそんなのはもったいないとか言って」
どこか自嘲するかのように言う真琴。弘樹は彼女を見てふるふると首を振った。
「止めないよ。やめてほしくないけど、それが坂井さんが死ぬほど考えて決めたことなんだったら」
何を言うべきか、何をしてあげるべきか、全然わからなかったから、弘樹は真琴の選んだ道を応援することにした。
真琴は固まって動かなくなってしまった。その間、弘樹はコブクロの曲を入れた。
「じゃぁ、俺・・・そろそろ行くから」
バイトに行くため、昼の1時頃にマンションの前まで送っていった。カラオケでの弘樹の一言から真琴は一言も話さなくなった。
たぶんもう会うことはないんじゃないかと思う。真琴はもうこのマンションには住まないらしく、しばらく親戚の家に行くことになるかもしれないと克也が言っていた。会えないのは寂しかったが、今の真琴にはそれが1番だとも思う。
「ねぇ!」
真琴が呼び止める。
「最後にお願いがあるんだけど・・・私の写真撮ってくれない?」
そう言って、持っていたバッグの中から使い捨てカメラを取り出す。それを弘樹に渡して、真琴はマンションの目の前にある公園へと歩いていく。
弘樹も彼女の後を追いながら、使い捨てでもシャッター音は聞こえるだろうなぁと考えていた。
「いいの?怖くないのかよ」
真琴は頷いた。
その後、1回だけのシャッター音が響いた。
▽
月日がたち、夏休みが近づいてくる頃、坂井真琴はモデルとして復活していた。体調不良から何事もなかったかのように仕事に専念している。
成瀬弘樹は科学実験室でその雑誌をめくっていると、不意に後ろからひょいっと本を取られてしまった。
「なにすんだよ!」
「へー・・・上手く撮れてんじゃん。さっすが俺の教え子」
何の関係があるのか知らないが、克也はまるで自分のことのように喜んでいる。そんな克也の様子を見て、ふと弘樹は疑問に思った。
「なぁ、克也と坂井さんってどんな関係なの?」
「元教え子だっつってんだろ。っていうか、それこっちのセリフ。結局お前らどこまでいったんだよ?」
「なんもねーよ!あれから会ってないし」
キスしたんだから何もなかったわけではないが、それっきり会っていないのも本当だった。お互いの連絡先もケータイのアドレスも知らない。つきあっているなんてもってのほか。第一、弘樹はまだ唯のことが忘れられないでいるのだ。
「まぁ夏休みだし、これから会えるんじゃねぇの?」
克也の言葉に弘樹はあることを思い出した。
「夏休みっていや・・・姉ちゃんが久々に帰ってくるんだった」
今年28歳になる弘樹の姉。この言葉を聞いて、克也が固まってしまったことを知る者は誰もいなかった。1番近くにいた弘樹でさえも―・・・
これにてストーカー編終了です。
あの女の子はどうなったんでしょうか?
克也が『なんとかした』と思いますが……
で、次はその克也の昔話を少しだけ…