59. 日常と命名
アルフは優れている。
同年代の子供たちでは足元にも及ばず、そこらの大人でも並び立てるものはいない。
しかしここ、近衛騎士団においては違う。
飛竜を駆る先輩騎士たちは言わずもがな、中には裏方のものでも、アルフよりも強いものはざらにいる。
新入りのアルフは、まずは基礎訓練から始めることになった。
フレデリカの卵の入った鞄を背中にしっかりと固定して、一日中、訓練場の外周を走っている。
目標とされるタイムを提示されているのだが、今のところその二倍の時間がかかっている。
ここまで明確に目標と己の能力が離れているのは初めてで、それがアルフには新鮮で、楽しんでもいた。
----------
「副団長の直弟子の調子はどうだ?」
「ええ、順調ですね」
近衛騎士団本部の屋上。縁に腰掛けて訓練場を見下ろしていたヴィレクに、後からやってきたクレイグが声をかけた。
不意に背後からかけられた声に驚く様子も見せず、ヴィレクは答える。
その視線は、卵を背負って走るアルフに向けられている。
「やっぱり元の素材がいいから、伸びるのも速い」
言いながらヴィレクの脳裡をよぎるのは、かつてヴィレクの部下だったことのあるアルフの祖父、リオンの顔。
リオンも扱き甲斐があった。
そのときに少し失敗したようで苦手意識をもたれているが、嫌われているわけではないのは解っているので、それはそれでリオンの反応を楽しむことにしている。
アルフの父であるエトランドも、ヴィレクが直接関わったわけではないがその優秀さは聞いている。
素質は十分。あとはそれを伸ばす者の腕次第だ。
リオンの時のような失敗はしない、とヴィレクは心に決めていた。
(だってねぇ?あの子可愛いし)
可愛い愛弟子に避けられるような事態には絶対にしない、とヴィレクは改めて誓った。
「――ところで団長。あなたどうしてここにいるんですか?」
「ん?」
アルフから視線を外し、ちらりと背後を見やって言うヴィレク。
それにクレイグは、何故そんなことを言われるのかわからないといった様子で首を傾げる。
「あなた今、仕事中のはずでは?」
「んー?」
傾げる首の向きを反対側に変えるクレイグ。
一見何の変化も無いように見えるが、ヴィレクはその顔色が少し変わったことに気付いた。
「仕事中、ですよね?」
「う~ん?」
また反対側に首を傾げる。
そろそろ冷や汗をかき始めている。
「さっさと仕事に戻ってください」
「……はい」
息抜きに来たのに……とぶつぶつ言いながらも、肩を落として去っていくクレイグを見送って、ヴィレクはアルフに視線を戻した。
執務室まで帰り着いてから、クレイグは、ヴィレクに縁に座るなと注意するのを忘れていたことを思い出した。
が、今から戻ったら確実に怒られるので、注意するのは諦めた。
ヴィレクは、クレイグが団長になる前どころか近衛騎士団に入団する前から副団長をしているので、あまり強くは出られないのだ。
それでヴィレクが上下関係をおろそかにすることはないが、クレイグがヴィレクに頭が上がらないのは事実だった。
----------
アルフの毎日は、大体同じようなスケジュールで動いている。
起床後、日課の魔力循環を済ませた後、身支度をととのえて食堂で朝食をとる。
午前中は座学。近衛独自の決まり事や作法、所作を習う。
もっとも、座学は直に終了するが。
座学の後は休憩と昼食を挟み、午後からはまずはランニング。
その後はフリークライミング。もっともその言葉はなく、ただ単に壁登りとだけ呼ばれている。
これはさすがに卵が危ないんじゃないかと思ったが、フレデリカに相談したら大丈夫だと言われたし、訓練の監督に付いてくれている先輩騎士が、万が一落ちても途中で拾ってやると言ってくれたので、卵を背負ったまま登っている。
壁登りの後は、騎乗訓練。
アルフのパートナーはまだ卵なので、取り敢えず他の、パートナーのいない飛竜と訓練をしている。
その後は対人戦闘の訓練。複数の得物と無手による戦闘の訓練をする。
驚いたことに、この時も卵はアルフの背中だ。
それぞれの得物での戦い方の他に、複数の得物を取り混ぜた戦い方の訓練もする。
亜空間倉庫をタイミングよく使って、自分が有利になるように戦闘を運ぶ、ということだ。
戦闘訓練が終わると、風呂に入って食事をし、医務室に行ってマッサージをしてもらい、就寝。
ちなみにこのマッサージは副団長命令である。
アルフはまだ体が出来上がっていないのだから、気を付けなければいけないと言われた。
そんな毎日が続いていたある日。
卵と一緒にシーツにくるまりながら、眠りに落ちるまでの短い時間でアルフは思考する。
(名前、考えておいてって言われたんだよなぁ。名前……何にしようか。男の子か女の子か……なんとなく、男の子のような気がするなぁ……)
フレデリカが言っていた孵化までの期間は約二ヶ月。
もうじき二ヶ月、経つ。
(…………ゼファー。うん、ゼファーにしよう)
前世の知識の中にある、風の神の名。
空を自在に飛ぶ飛竜には、相応しい名だろう。
名前が決まったことに満足して、アルフは眠りに落ちた。
腕に抱えた卵に、小さな亀裂が入ったことに気付かずに。




