55. 出立……するのも一苦労
巨大な飛竜用の鞍を一つづつ丁寧に検分し、手入れの必要があるものと無いものを仕分ける。
手入れが必要なかったものを棚に片付け、手入れ道具を広げる。
壁一枚隔てた向こう側から時折聞こえてくるギャアギャアという飛竜たちの声に耳を傾けつつ、古くなったベルトを取り換え金具を磨く。
合間に、支給品の時計で時間を確認し、時間と、聞こえてくる声が誰の声かを手帳に記す。
声だけで名前を当てられるようになれと言われているのだ。後で答えあわせがあるが、今のところ正解率は五割といったところだ。
「リュウイ、それ後どれくらいかかる?」
「んー?あと、二メルってとこかな。どうかした?」
「明日新入りが来るから、宿舎の部屋掃除しろって」
「ふーん――って、明日!?え?今そんな時期じゃないじゃん。試験なかったよね?あ、もしかして異動?」
「いや、正真正銘の新人。なんか、副団長の直弟子、だって」
「…………うわぁ」
それは何だか大変な人物が入ってくるんだな、と鞍を磨く手を心もち早めた。
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アルフは十三歳になった。
七年次に上がって、僅か一月後。
アルフは唐突に、卒業を告げられた。
まあ、正直、ここ一年ほどは図書館で本を読む為に通っていたようなものだったが。
卒業試験には十二歳のときに合格したが、アルフの両親が卒業を引き伸ばしたのだ。
アルフの師であるヴィレクにより、アルフの卒業後の進路は近衛騎士団に入団することに決まっている。
しかし、騎士団に入ると宿舎で生活することになる。
つまり家を出て行くということで、嫌がった両親があれこれと理由をつけて卒業させなかったのだ。
本当はもっと引き伸ばしたかったのだが、それも一年しか持たず、この度アルフは学院を卒業することになった。
ウィルも、ディーディーと契約をした頃から徐々に兄離れが進み、今でも兄を好きなことに変わりはないが、以前のようにアルフがいなければ泣き止まないということもなくなった。
もっとも、代わりにディーディーが構われるようになったが、ディーディーはそれを適度にかわしている。
アルフよりもよほど大人な対応だ。
「アルフ、本当に、何かあったらすぐに帰ってきていいんだからな」
「そうよ、何もなくたって帰ってきていいんだからね」
「にーさまー」
宿舎に移る為にヴィレクが用意した馬車の前で、アルフは困ったように笑った。
引きとめようとする両親に苦笑を向け、両手を差し出して抱っこをねだる弟の頭を撫でる。
ウィルの足元ではディーディーが、まるで人が手を振るようにゆらゆらと尻尾を振った。
「エトランド様、アルフレッド様に行って欲しくないのはわかりますが、そろそろ馬車を出さなければ、初日から遅刻したという汚名を」
きせられてしまいます、と、マースは最後まで言い終えることができなかった。
汚名と聞いた瞬間、それまで渋っていたのが嘘のように、エトランドの態度が変わった。
「アルフ、師に恥じぬよう、しっかり励むんだぞ」
「ふふ、無理しちゃって。アルフ、本当に何かあったら帰ってきていいんだから、あんまり無理しないで頑張ってね」
「せめて従者でもつけられればよかったんだが……」
「もう、そんなのつけてるのはお坊ちゃん騎士団の第一騎士団くらいよ?アルフは近衛騎士団に入るんだから」
「ああ、第一騎士団な。あそこはだめだ。あんなお飾り騎士団にアルフはもったいない」
「だから、アルフは近衛騎士団ですってば」
「……エトランド様、マーリア様、そろそろ……」
話を打ち切ろうとしたはずなのに、まだ長々と続きそうな主とその妻の会話に、マースは無礼を承知で口を挟んだ。
そうしないといつまでもアルフが出発できないからだ。
「ん、ああ、すまん。それでは、アルフ。元気でな。休みにはちゃんと帰って来るんだぞ」
「身体に気をつけてね。頑張るのはいいけど無理しちゃダメよ」
「いってらっしゃいー?」
『いってきます』
まだ引き止めたそうな両親に、よくわかっていない顔で首を傾げながら言う弟。
そしてその背後に並ぶ、マースを先頭とした使用人一同に手を振って、アルフは馬車に乗り込んだ。
門を出てアートライド家の敷地を出たところで、アルフは懐中時計を取り出して時間を確認する。
予定より遅れているが、想定内だ。あらかじめ時間には余裕を持たせてあった。
この世界には珍しい、魔力を動力としないカラクリ機構の時計は、選別にとエトランドがくれたものだ。
大きなものならそこまで珍しくはないが、懐中時計ほど小さくなると非常に珍しい。
簡単な手入れの仕方も習ったし、いざとなれば魂の書を探せば何処かに時計の仕組みくらい書かれているだろう。
馬車は大して走ることなく、目的地にたどり着いた。
近衛騎士団とは王族に仕える騎士であり、守護対象は王族である。
第一騎士団は貴族の子弟ばかりが集められ、陰でお飾り騎士団と呼ばれているが、式典など、見栄えが求められる状況には第一騎士団がよく配置される。
第二騎士団は街の治安維持のため、国内各地に団員が散っている。一番団員数が多い騎士団だ。
そして第三騎士団は、魔物領以外の国境警備に当っている。
第一から第三は、原則として国に仕えている。有事の際には国のために戦うことになる。
しかし近衛騎士団の主は、王族。
仮に王命に背いてでも、王族の身の安全を守ることを第一としている。
そんな近衛騎士団の本部は、当然ながら王城の敷地内にある。
アートライド邸とは城を挟んで反対側に位置するので少し距離があるが、それでも大した距離にはならない。
着きましたよと御者に言われ、アルフは懐中時計をしまって馬車を降りた。
「ようこそ近衛騎士団へ、アルフレッド・アートライド。これからよろしく」
近衛騎士団副団長であるヴィレクが、笑顔でアルフを出迎えた。




