第五話
「帝都のご婦人がたを震撼させた色男のご到着、か」
ステンド・グラスの窓から西日が差すなか、レオニード・マンティコア大公は執務机のうえに脚を投げ出し、書類を読み込んでいたが、僕たちが入っていくと、銀縁の丸眼鏡を額にあげて、にやりと笑みを浮かべた。
「そのへんに適当にかけてくれ。
……ドロネオ、ありがとうな。
今日はもう終わりか?」
「いえ、例の件をすこし進めておこうかと」
「そうか。
ま、残業するなとは言わねえが、たまには早く帰れよ」
「は、恐れ入ります。
……では」
「きりのいいところまで読んじまうから、ちょっと待ってくれ」
宰相閣下は眼鏡をおろし、書類をめくった。
僕は長椅子に腰を落ち着けたが、さすがに足を組むのは憚って、かわりに書類のトレイを見やった。
書類仕事の量は明らかにダンジョン管理局の主任捜査官より宰相のほうが多いはずだったが、未決のトレイにはほとんど書類が溜まっていなかった。
「議会のほうに出ておられるのかと思っていました。
空けて大丈夫なのですか」
「俺くらいの魔術師になるとな」
銀髪の宰相は赤い瞳だけでちらと僕を見て、
「臨席している連中に宰相が出席していると思い込ませるくらい、ワケねえんだよ」
と、なにごともないように言った。
「おっと、ここだけの話だぞ。
俺がいなくても回る会議だったからな」
若い女性の秘書が隣室からやってきて、僕に微笑みかけ、紅茶を置いていった。
「おい、手を出すなよ、色男」
と、大公が冗談めかして言う。
「クラッツさん、そいつには気を付けるんだぞ。
色男ぶりはオペラの中だけの話だと思ったら大間違いだからな」
「まあ閣下、お客様に失礼ですよ」
秘書は軽くお辞儀をして、隣の控えの間につづくドアを出ていった。
僕はこの異世界にやってきて女の尻を追いかけ回すような真似をしたことは一度もない。
あの銀髪赤瞳の魔法使いに自分の評判がどのように伝わっているのかは知らないが、すこし心外に思っていると、宰相が急に、
「この野郎、俺の友だちに手を出しやがって」
と、書類に目を落としたまま、言った。
手を出す?
ここ半年ほどは、怒りに任せてひとに斬りかかるような真似はしていない、筈だ。
まして一国の宰相と付き合いのありそうな相手となれば、猶更である。
「身に覚えがありませんが」
「赤弦のリュリュ」
宰相は、僕に一瞥をくれながら言った。
「女戦士として冒険者登録もしているはずだ。
知らねえとは言わせねえぞ?」
不覚にも、紅茶を取ろうと伸ばした指の先で、ティーカップがガチャリと大きな音を立てた。
あれは何か月前だったか、たまたまダンジョンでエリート級の魔物が金目のものを落としたので、それを持ち出して古物商に売り払い、冒険者たちを集めて飲み会をやったことがあった。
捜査官の仕事をするうえで、たまには冒険者たちの機嫌を取る必要があったからだ――というのは建前で、拾得した現場をたまたま居合わせた冒険者たちに見られてしまったのが運の尽き、というだった。
すでに大騒ぎになってしまっているのに、財宝を懐にねじこんで素知らぬ顔で立ち去れるほど、僕も連れのピートも厚かましくはなれなかった。
ところがそのドンチャン騒ぎの席ですこしばかり過ごしすぎて、朝、宿のベッドのうえで気がついたら、隣に見目麗しき赤毛の大女があられもない姿で寝ていた、ということがあった。
それがリュリュだ。
「あの娘とは、三年戦争のとき、おなじ砦に籠城したことがあってな」
と、大公は言った。
「リュリュは傭兵をしていたんだよ。
補給が二か月も途絶えて、えらい目に遭った。
あの娘とは、小麦の袋をひっくりかえして粉をかき集め、泣きたくなるほど薄いスープを作り、それを一緒に啜り合った仲、いわば戦友なんだ。
当時は16、7歳だったか。
化粧どころか髪に櫛を入れることさえ知らん働き者の田舎娘だった。
年頃になって顔と後ろ姿は見違えたが、なにしろあの肉体美だからな。
なかなか男が寄り付かん。
やっと寄り付いたと思ったらおまえさんだもの。
リュリュには悪いが、笑っちまったよ」
「そんなことが……」
「おまえさんも、そろそろ遊んでいい相手とそうでない相手の見極めがつく歳だろうに。
それにしても、おまえたち義兄弟はほんとうに謎だな。
一方は純情な童貞、一方は帝都に浮名を流す野獣。
それでどうして仲がいいんだ」
「返す言葉も、ありません……」
僕は端然と正面を見つめ、紅茶をすすりながら言った。
「意外と、反省はしているようだな」
宰相は喉で笑い、書類を脇に置いて、
「おまえさん、この際、身を固めたらどうだ。
なにごとにせよ、年貢の納め時ってやつはある。
いや、やっぱり今の話はナシにしてくれ。
もう少し落ち着いてくれんと、先方に責任をもって紹介できねえ」
余計なお世話だ、と思いはしたが、他方で、いつまでも風来坊の気分で生きていられる訳ではないことは、さすがの僕もすこしずつ理解し始めていた。
ビクターと知り合い、職場で多くの人間と付き合い、思い出を重ね、いまでは家臣まで持つ身だった。
少々気に入らないことがあったくらいでは、すべてを放り投げて身ひとつになって立ち去る、ということができなくなっている。
脚に絡みつき始めたこの枷はどんどん重みを増して、やがて僕をがっちりと大地に縛り付けてしまうのだろう。
「おまえさんは確か、ビクターとおなじ異界人だったな」
「ええ、そうです」
「宰相の仕事をしているとな」
と、マンティコア大公は言った。
「カネも地位も欲しがらない、おまえさんみたいなのがいちばん扱いに困るんだ。
そのくせ、そういう奴に限って一本芯が通っていやがるから。
でな、最近ようやくわかってきたんだが、そういう奴は『人の縁』で縛り付けてやるにかぎる。
ま、腹を括るんだな。
おまえさんはこの世界の住人として、いまいる場所に根をおろし、老い、そして死んでいくんだ。
いつまでも自由でいられると思うなよ。
おまえさん自身がな、それを許してくれなくなるんだ」
それは言われるまでもなく薄々気づいている。
けれども、
「……正直なところ、宰相閣下からじかにガン詰めされるとは思っていませんでしたよ」
僕はそっとティーカップを置き、投げやりに言った。
ちなみにマンティコア大公は大公としての敬称は殿下であり、宰相としての敬称は閣下であり、一般には殿下のほうが格が高いので、本来は殿下と呼ぶべきだが、帝国の恒例として宰相は皇族の方のみ殿下とお呼びし、それ以外は閣下と呼ぶことになっていた。
要するに皇族の宰相は事実上の摂政であり、年齢上や病気などの理由により政務をとることのできない皇帝の代理だったが、それ以外の宰相はあくまで皇帝を輔弼するものである。
性質が違うのだった。
大公も皇族の女を母親に持っていたので、皇族の家系図に連なるかたちにはなっていたが、他方でこの宰相は、ビクターの話によると、いざ大きな政争を引き起こしてしまった場合、皇室に類が及ぶのを避けるため、自分は皇族外の人間であるというように振る舞っていた。
だから職務中は、閣下と呼ばせている、とのことだった。
話を戻そう。
「不愉快か? そうだろうとも。
反論の余地のない言葉ほど腹が立つもんだ」
銀髪の魔術師は、勝ち誇るように言った。
「で、閣下は僕になんの重荷を背負わせたいのですか」
「ぶっきらぼうな顔して、察しがいいじゃねえか。
なら単刀直入に言わせてもらおう。
おまえさん、領地を預かる気はないか。
はっきり言って豊かでもなければ景色がよい訳でもない。
殺風景な寒村を寄せ集めたような郡だよ。
だがおまえさん以外に適任者がいない。
それに土地の人間たちがおまえさんを名指しで領主に迎えたいと言ってきているんだ。
……どうだ、思い当たる節があるだろう?」
宰相の言うとおりだった。
僕の脳裏には明確に、ひとつの地名が浮かんでいた。
ヴォイド郡。
僕の名「マキシム・ヴォイド」は騎士の叙勲を受けたときに皇帝タキトゥス六世陛下から授かったものであり、ヴォイドの姓は、いまは断絶してしまったが代々帝国に仕えてきた由緒ある家系に由来している。
そのヴォイド一族の発祥の地が、ヴォイド郡だった。
よくよく考えてみれば、ヴォイド郡は北部、それも総督が逮捕されたウェイルロード州に属している。
僕は、そのヴォイド郡の人間たちとも無関係ではなかった。
いくつかの奇妙な縁があったのだ。




