間章その3
間章 その3
バケツをひっくり返したような雨、外はまさにその通りだった。
こんな日に外へ出るものなどいないだろう、そう思っていたところに、ドンドン、ドンドン、と、戸を叩く者がいた。
不吉なものを感じながら、鍵を外し引き戸を開けた。
ツノカケをはじめ蓑に三度笠の5人が立っていた。
ツノカケがせいて言葉を発した。
「長、すぐに支度をしてください。鬼狩りが近くに来ています」
長のナガツノが奥に叫んだ。
「モミジ、鬼狩りだ、すぐに支度をしろ」
ナガツノがツノカケにこれからのことを尋ねた。
「タヌキのダンシロウに頼ろうかと思います」
「そうか」ツノカケは一言いって支度を急いだ。
娘のナミはまだ産まれたばかりだ。こんな日に出かけるのは心苦しいが、やむを得ない。なんとか、娘だけでも生き延びてほしい。
ナガツノは苦笑いした。まだ戦ってもいないのに、死ぬことを前提にして事を考えている。これが、サンド島最強と言われたナガツノか?しっかりしろ、ナガツノは自分の弱気な心に腹が立った。
モミジが支度ができた事を知らせた。
「さあ、行こう」ナガツノがみんなに言い、長年住んだ我が家を後にした。
激しい雨を突き抜け、黙々と進んで行った。
先頭はツノカケ、次にナミを抱いたモミジ、そして俺の後に4人の若い衆が続いた。
ナガツノが雨音に混じるノイズを感じた。
雨が激しく判然としない。
「はっ!」そういう事か、やっと人間どもの真意がわかった。この激しい雨で、我々の聴覚と嗅覚を奪ったのだ。
これでは物音がわからない、血の匂いも感じられない。改めて人間の狡猾さに恐怖した。
ナガツノが先頭を行くツノカケに近づき耳打ちした。
「つけられている」
「本当か」
「杞憂ならそれに越した事はないさ」ナガツノは自分の臆病さが招いた幻聴だと思いたかった。
「この先に拓けたところがあります、迎え討ちますか」ツノカケがナガツノに提案した。
「そうだなツノカケ、お前はモミジと一緒に逃げてくれ」俺はモミジと若い衆に事情を説明した。
拓けた所が見えてきた。
ツノカケとモミジはそこを通り抜け、脚を止めず森の中へ消えて行った。それを見届けてから、俺と若い衆は反転して構えた。
1分、2分……時間がどんどん過ぎていく。頬を伝うは汗かそれとも雫か、呼吸すら忘れ睨みつけるは反対側の森。心臓の鼓動がうるさい。どれぐらいの時が流れただろうか、俺は大きく息を吐き、ホッとした気持ちになった。自分の臆病さに苦笑いしながらも喜んだ。
その時だった、森の中に動く影を認めた。錯覚ではない。その証拠に、若い衆の動揺が聞こえた。
1人、2人、3人と雨ガッパに三度笠の刺客が姿をあらわす。
全部で7人、こちらは俺を含め5人、数の上でも分が悪い。
勝てるのか?いや、生き残れるのか?不安が鼓動をはやくする。これでは、蛇に睨まれたカエルではないか。
俺は不安を払拭すべく「俺たちは鬼だな。下等な人間と違うな、そうだな」みんなに、自分自身に、聞こえるように言った。
「そうだ、俺たちは鬼だ。あんなくそったれの下等な人間とは違う」若い衆のひとりキンザンが言った。
そうだ、それでいい。少なくともカエルではなくなった。
刺客たちは、俺たちをニヤついた顔、舐めきった目で見ていた。そこに付け入る隙がある。それでも足りない。この場を逆転させる何かが欲しいとナガツノは思った。
刺客のうち3人が剣を抜き襲いかかってきた。
ナガツノは前に出て迎え撃った。
3人の剣が振り下ろされるより速く、ナガツノの金棒が3人をとらえた。
3人が芯で捉えられた白球の如く、元来たところへ飛んで行った。
動く者はいない、おそらく即死だろう、ナガツノはそう思った。
刺客たちの口が閉じた。
これで5対4、数のうちでは逆転したが、それでもこちらの不利は変わらない。もっとインパクトのある圧倒的な何かが欲しい、ナガツノはそう思っていた。
モミジは脚を止め、先を行くツノカケに声を掛けた。
ツノカケが近ずくと「ツノカケさん、この子をお願い」そう言い、赤児を差し出した。
受け取りながらツノカケは尋ねた。
「何をするつもりだ?」
「ごめん、やっぱり夫のところへ行くわ」モミジは踵を返した。
「待て、それならわしが行こう」戻りかけたモミジの背中に声かけた。
「ツノカケさん、私は行き先知らないわ。だからお願い……」モミジは涙ながらに懇願した。その気持ちを十分に知っているからこそ、ツノカケは何も言えなかった。ただ一言
「死ぬなよ。この道真っ直ぐだ」そう言って、ツノカケは走った。
涙が止めどなく流れた。無能な自分を呪い、誰よりも長生きして、それでもなお死に場所を見つけられない自分を悔やんだ。
「歳から行ったらわしが一番じゃないか。何故みんな死に急ぐ。馬鹿たれが、馬鹿たれが……」ツノカケは叫びながら、ただただ走った。
ツノカケの叫びを嘲笑うように、雨が激しさを増した。
4人のうち異彩を放つ男が前に出た。
口に細く長い棒を咥えている男の声が
「俺の名は『モンジロウ』貴様の名を聞こう」と、雨音を突き破り届いた。
「俺は『ナガツノ』だ」プレッシャーを感じつつ、声に怯えが含まれないよう注意して応えた。
「それでは始めよう」と、モンジロウは抜刀した。
刹那、モンジロウが雨に溶けて消えたかと思った。
とっさに金棒を引き寄せた。
カキーンという音と共に金棒を持つ手に衝撃が走った。
剣が首の近くにあった。
とっさに金棒を引き寄せなかったら、今頃は俺の首は胴体とおさらばしているところだった。
ーーつ、つよい。今のはなんだ?まるで見えなかった。本能が警鐘を鳴らし、金棒を引き寄せたから助かったものの、格が違い過ぎる。それにこの雨の中、どうしてあんなに速く動ける。こっちとら、見ることさえままならないというのに……。
全てにおいて相手に有利に働いていると、ナガツノは思った。
「うひょー、いいねいいね、やっぱ殺し合いはこうじゃなくっちゃねぇー。久し振りだよ、俺の一太刀を受けた奴は。だから簡単に死ぬなよ」モンジロウの狂気に満ちた声が聞こえた。
ーーくそう、なんて奴だ。楽しんでやがる。狂っている。人間て奴はみなこうなのか?
ナガツノは焦った。逃げるか?いや、それでは逃げたモミジや我が子まで死に追いやることになるだろう。それだけはなんとしてでも防がなくては……。
後方にいる若い衆にだってできたら生きて欲しい。
刺し違えでもいい、チャンスが欲しい。
またモンジロウが消えた。
本能に従い防御に徹する。
連続で金棒に衝撃が走る。
脇腹に熱いものが走った。傷は浅い、問題ない。ただ防御だけでは、こちらに勝ち目はない、そう思った。
また、モンジロウが消えた。一か八かの賭け、刺し違え覚悟の一撃、金棒に残る衝撃と金属音。
モンジロウが「危ない危ない、今のはちょっと焦ったぞ」と、ちっとも焦ったような様子もなく、ニヤリと笑った。
ーーくそったれが、あの憎たらしい顔を引きつらせてやる。
怒りが力となり反撃に出た。
力任せに金棒を振る。その全てが相手の身体に届かず、金属音を残すのみだった。
焦りが隙をつくり、モンジロウの剣がそこに割り込んできた。腹部に激痛が走り、意識が薄れ倒れこんだ。これで終わりなのか。あのにやけた顔に金棒を叩きつけたかった。悔しい、く・や・し・い……。その時だった、薄れいく意識のなかにモミジの感情が流れ込んだきた。
モミジが金棒を大上段に構え俺を飛び越え、モンジロウへと襲いかかる。
モンジロウの剣がモミジの胸を貫き、背中から突き出る。モンジロウに隙ができた。
モミジが命を賭してくれたチャンス。かろうじて止まっている意識を奮い立たせ、金棒を振りかざした。
モンジロウの顔に恐怖が宿る。
俺は遠のく意識のなか、無意識にニヤリと笑い、金棒を振り下ろした。
モンジロウの頭が、夏の風物詩スイカ割りの如く粉微塵に砕けた。
『ザマアミロ』心の中で叫び、俺はモミジの上に重なって死人となった。
ナガツノとその妻モミジの壮絶な死を目の当たりにして、若い衆たちはいきり立ち、刺客へと襲いかかった。
一方、頼みの綱のモンジロウが殺されたことに浮き足立った刺客たちは、敗走した。強者と弱者が反転した。
若い衆は刺客を捕まえては葬り、捕まえては葬り、半刻を待たずして3人を葬り去った。
鬼族の勝利。初めての勝利を手にしても喜ぶ者はいなかった。
失ったものの余りの大きさに、手放しで喜べなかったのである。
雨はなおも激しく降り続いていた……。




