3 悪かったな
自分しか来ないはずの店に、他の客がいる。
普通は気にしません。
気にはしない、んですが…
二時間位残業のあった仕事を終え、アパートに帰る。
秋分を過ぎると日の入りは早い。辺りはすっかり暗くなっている。
雨はようやく小降りになってきたが、仕事中には感じなかった肌寒さを覚えた。
「来々軒、まだやってるかなぁ…」
こう寒い時には、熱いラーメンが急に恋しくなる。
来々軒は確かに不味くて遅いが、その分、安いのだ。
やる気の無い親父の、ささやかな良心というところだろうか。
そのおかげで「味なんてどうでもいい」客がついて、細々と食いつないでいるようなものだ。
薄ぼんやりとした蛍光灯の明かりが瞬いているのをみて、俺はスクーターをアパートに入れ、そのまま来々軒に向かう。
なにぶんヤル気のない親父だから、時々気まぐれのように店を早仕舞いする癖があるのだ。
店の玄関を開けようとすると、中から大きな話し声がする。
珍しく、俺以外に客が来ているらしい。
ちょっと気後れしたが、今さら帰るのもシャクだ。
自分は客なんだから、堂々と入ればいい。
そう自分に言い聞かせて、ドアを開けた。
カウンターに、背広姿のサラリーマン風の男が座っていた。
俺を見て、ちょっとギョッとした風な顔を造ったが、すぐに親父の方に向き直った。
親父といえば、ちょっと困った風な感じで、この目の前の男をどう扱ったらいいのか判らない様子だった。
俺にしても、今さら帰れない。
「いつもの」
そう言って、サラリーマン風の男の脇を抜けて、カウンターの奥に座る。
雨合羽を脱ぎながら様子を見ると、どうも男は、ラーメンの不味さに文句を付けているらしい。
「麺の茹で方がなってない」とか「スープのダシの取り方が違ってる」とか「具で全部台無しにしている」とか、言いたい放題である。
いや、言ってる事はもっともだ。
俺も、全く同感である。
もっと言えば「もう少しセンスや清潔感のある内装にして欲しい」とか「胡椒や七味唐がらしの瓶は、業務用をただ置くんじゃなくて、お客用に詰め変えておけ」とか言いたい事は山ほどある。
だがしかし、この親父にそんな事を言うだけ無駄だという事が、この男には判らないらしい。
俺に「折角合格したのだから、大学に行け」というのと同じ位に無駄である。
やる気の無い者に、何を言っても意味はないのに。
「こんな不味いラーメン、よく出す気になれるな。お前さんの舌は、紛い物か?」
「手際も悪ければ、愛想の一つもない。これでよく商売になるもんだ」
…男は、しつこく親父に絡んでいた。
どうも、ちょっと酔っている風でもある。
しかし、困った事に親父の手が、すっかり止まっている。
これでは、俺の分のラーメンがいつ出来るのか判ったものじゃない。
適当にあしらいながら、手だけでも動かしてくれればよいのだが。
まあ、そういう器用な真似が、この親父に出来るはずもない。
俺だって、多分出来ない。
だから、ずっと留年しているのだろう。
…それにしても、しつこいなこの男。
なんか会社で嫌な事でもあったのか?
「こんな犬も食わないようなものに、金を出して食いに来るような奴の気が知れないぜ」
ちょっと、カチンときた。
一応、俺はこの店の常連で、不味い不味いと思いながらでも、金を出して食いに来てるんだぞ。
あんたなんかの一見さんに、とやかく言われる筋合いはないね。
「…悪かったな」
ぼそっと言った一言が、間の悪いことに男の話に相槌でも打つみたいに、店内に広がった。
お店に文句を言い出す、クレーマー体質な方って、困りますよね。
今は、大分マシになったんでしょうか。
代わりに、SNSで広げているようですけどね。




