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来々軒繁盛記 ~ 寒くなったねぇ。ここで、熱いラーメンを一杯、食べていきなヨ  作者: 白河夜舟
第7章 働く鳴人、教える彼女、見守る親父

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29 間近で見る彼女のそれは、次元の違うものだった

 鳴人君、来々軒でのバイト、スタートです。

 お客さんから常連さんへ、そして店員さんへ。

 店の外から眺めていた視点が、内部に潜り込んでいきます。

 今までが序章。こっからが本番ですね。

「来られる時に来てくれていいから。いつでもおいで」

 親父は、そう言ってくれて、いた。

 だが、それは、つまり「お客さん」扱いである。

 まあ、よく言って「常連」扱い、といった所か。

 まだ、「店員」としては、認められていない。

 だから、まずはそこから始めよう。


「おはようございますっ!」

 裏口をくぐって、俺は来々軒の店内に入る。

「あっ、おはようございます。さっそく来たのね?」

 れんげちゃんが、あの元気一杯の微笑みを返してくれた。

 調理場はすでに、ゆるやかな熱気を帯び始めている。

 いくつかのナベが火に掛けられ、外の朝の寒さを追い出しにかかっている。

 俺が大学にいく時間には、すでに人の気配がしていたので、かなり早めに顔を出したのだが。

 もう少し、早くこないとな。

 でも、親父は、まだ来ていないようだ。

「大学は?」

「今日は休講。警備員のバイトの日だけど、そっちもしばらく休むよ」

「じゃあ、一日ここにいられるのね?」

「ああ」

 そうだよ。俺はもう、お客さんじゃないんだ。

 だから、あんな「ご予約席」なんて札は、もういらない。

「衣服はかなり油が染みるから、しばらくは私の持ってる調理服を着てくれる?」

 調理服?

 あの、品のいいラーメン屋さんが来ている白い奴?

「だって、れんげちゃんのサイズじゃ、さすがに着れない…」

「ううん。男の人用のサイズだから、大丈夫よ」

 カウンター越しに、紙袋を渡された。

 少し、古ぼけてはいるが、丁寧に洗濯されており、きちんとアイロンも掛けられている。

 上下揃いのもので、別にれんげちゃんとおそろいの、赤と白のチェック柄の前掛けがついている。

 さて、着替えるといっても。

 上はともかく、ズボンも脱がないとな…

「えっと、着替えるから…」

「どうぞ?」

 なにやら忙しそうに調理場を動き回りながら、こっちも見ないでれんげちゃんは答える。

「どうぞ、って…」

 女の子の前で、着替えられないよ。

 仕方なく、トイレに入って着替えを済ませる。

 だって、親父、こんなの着てなかったし、多少汚れてもいいTシャツとジーパンで充分かなと思っていたのだが。

「終わったよ」

「鳴人さん、もう少し早く着替えてね。丁寧に正確に、そして素早くがラーメン屋の基本よ。トイレで着替えると、狭いから無駄な時間が掛かったでしょ?」

「は、はあ…」

 なんか、れんげちゃん、厳しい。

 顔は笑ってるし、声も柔らかいんだけど

 雰囲気が、そんな感じ。

 まだお客さんが入っていないから、かなあ?

「じゃあ、折角だから、まず鳴人さんにはお店の掃除からして貰おうかな」

「掃除…?」

 調理場に入るんじゃ、無くて?

 せっかく、こんな調理服着てるのに?

「いや?」

「い、いや…」

 そんな、にっこり笑わなくったって。

「掃除用具の場所は分かるわよね?丁寧に正確に、そして素早くよ」

「は、はあ…」


「終わった、よ」

 れんげちゃんは、お店をぐるっと見渡すと。

「ちょっと、雑、かな。自分の部屋の掃除とは、ちがうんだけどな」

「は、はあ…」

「…そうね。実際にやってみせないと、いきなりは出来ないか」

 ちょっと、困った顔をするれんげちゃん。

 で、でも、店の掃除くらい、俺にだって…

「お店のお掃除は、大切な事だっていうのは、判るわよね?」

「あ、ああ…」

「もちろん、食べ物を扱うお店にとって、いつも清潔にしておく事は鉄則中の鉄則よ。

 でも、それ以外でも。

 綺麗に、丁寧に掃除することで、お客さんは“ああ、この店は何事もきちんと仕事するんだな”って印象して下さるのよ。

 それに、毎日掃除をすることで、店の中の“距離”、“大きさ”を体に覚え込ませる事が出来るし、店の“気配”を感じ取ることも出来るわ。なによりお店に“愛情”を抱く事ができるのよ」

 れんげちゃんの顔から、笑みが消えていた。

 真剣な表情だった。

「あ、ああ…そう、だね…」

 それが、れんげちゃんの、こだわりなのか…

 再び、れんげちゃんは笑顔になると。

「とりあえず、一緒に掃除、済ませてしまいましょうか。下ごしらえの続きは、マスターが来てからでも出来るし、一緒にやった方がよさそうね」

「は、はい…」

 つまり。

 掃除すら、一人では任せられない、ということらしい。

 トホホ…


 れんげちゃんの手際のよさは、判っていたつもりだった。

 だが、間近で見る彼女のそれは、次元の違うものだった。

 これも宅配便で取り寄せているらしい、匂いの残らない中性洗剤で隅々まで拭き上げると、一気に空拭きして、ピカピカに磨き上げる。

 調味料の下から、イスの足まで、一切手抜きが無い。

 俺が一つ拭いている間に、彼女は三倍の仕事をこなしている。

 しかも…

「鳴人さん、雑巾はもっと固く絞って下さいね。余分な洗剤や水分が残ると、仕上げの拭き取りに時間と手間が掛かりますよ」

「男の人の特徴ですので仕方ないんですけど、そんなに力一杯拭かなくてもいいんです。備品の痛みが早くなりますよ」

「それじゃ弱過ぎですね。わたしのペースに合わせるより、今は一つ一つを丁寧に正確に、そして素早くです」

「ああ、いい感じですね。だいぶ飲み込めてきましたね」

「うん、上手です。初めてでそれだけ出来れば、充分です。見込みありますよ」

 れんげちゃんは、自分の仕事をこなしながら、要所要所で俺の仕事ぶりを見守っている。

 笑顔で、優しい声で。

 しかし、言っている事は厳しく、そしてもっともな事で。

 叱りながら、褒めながら…

 普通の俺だったら、きっとああだこうだ文句を言っていたのかもしれない。

 同い年位の女の子に教わるなんて、自分のプライドが許さなかったかもしれない。

 しかし。

 彼女に対しては、そんな感情を抱く事はなかった。

 れんげちゃんの仕事ぶりは、よく判っていたし。

 俺は全くの新人で、彼女は超一流のベテランだし。

 なにより、れんげちゃんは、つまり“教える”のも巧かった。

 別に引っかけるつもりはないが、来々軒のラーメンのように巧かったのだ。

「はい、終わりっと。大勢お客さまがいらっしゃいますから、営業時間中には中々本格的にお掃除できないですよね。ですから、開店前と中休みに、同じようにお掃除してますから」

 いや、れんげちゃん、接客しながらでも、かなり丁寧に掃除している。

 だからこそ、掃除一つにしても熟達しているし、かなり短時間で清掃も終わらせることが出来るのだろう。

「しばらく一緒にお掃除しますけど、鳴人さんが要領を覚えて下さった段階で、お任せしますので、宜しくお願いします」

「あ、ああ…」

 そうだよな。なんでも覚えないと、れんげちゃんと対等には向き合えないよな…


 もちろん初日ですから、お掃除一つ任せられませんよ?

 鳴人さん、良く頑張ってます。うん、見込み、ありますよ。


 まあ、うん、そうですね。長い目で見ましょうか。


 …れんげちゃんの細い瞳が、なんか雄弁に語り始めてるんですけど…

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