22 …で、いったい何の話ですか?
ホント、わざわざ閉店後に呼びつけて、親父、一体何の話なんだ?
ただ…似た者同士だというのは、ワカランでも、無いかもな。
俺、来々軒の、昔っからの唯一の常連だからな。
ビールをぐっと飲み干してから、俺は尋ねた。
「いや、まあ、話、というほどでもないんだが…」
開いたグラスに注いでくれながら、はにかんでいる親父。
「そうだ、新しいラーメン、どうだ?イケそうか?」
「ええ、美味いです。単品としても、スープとの相性も、麺との絡みも、申し分無いですね。最近のラーメンの流行りでもあるし」
「そっか。じゃあ、ネギはこれで決まりだな」
満足げに頷くと、ビールをグッと飲み干す親父。
お代わりを注いでやりながら、聞いてみる。
「なんで、俺に聞くんですか?」
「常連さんだから、じゃダメなのかい?」
ぷいっと、横を向いた。
照れくさい時の、親父の癖だ。
「ダメじゃないですけど、そんな理由でじゃ、ないんでしょう?」
「…まあ、な」
間を置くように、つまみも食べるように勧められる。
薄い赤と柔らかい白のコンストラストが美しい、ナルトをつまんだ。
これも、以前の来々軒の、スーパーの既製品とは違い、もちゅぐにゅっとした歯ごたえが美味しい。
スープを吸っても水っぽくならないのは、下手な混ぜ物をしていないからだ。
単品で食べるのは初めてだが、思った通り、軽い下味が付けられている。
これだけでも、ちょっとした一品として店に出せるだろう。
「あの子が、そうするように勧めてくれたんだ」
「…れんげちゃんが?」
小声になった親父に合わせて、俺も声のトーンを下げる。
「以前の、えー、あの子が来る前の来々軒の味を大切にしてくれる、よく通ってくれた常連さんの意見を聞いた方がいいって」
「それで、俺ですか?」
確かに、俺はこの店の常連だった。
休みの日以外、ほとんど毎日通っていたと言える位に。
例えバイト先で昼にラーメンを頼んでいても、夜にはここの暖簾をくぐっていた位に。
でも、それは。
別にここのラーメンが旨かったからではない。
それは、間違いのないことだ。
「…あんたは、えー、鳴人君は、どうしてこんなラーメン屋に通ってくれていたんだ?」
何だか、敬語を使いたいのか違うのか判らなさそうに。
ちょっと照れくさそうな、親父。
俺にしても「鳴人君」なんて呼ばれ慣れていないから、なんともムズ痒い。
「自分の作ったラーメンを、そんなに卑下することはないですよ」
「いや、正直、自分でも味の程はよく判っているんだ。ほら、以前に変な背広男に絡まれた事があっただろう?」
「ああ、良く覚えてますよ…」
いかにも判った風に来々件のラーメンの不味さを語っていた、厭味な男。
だったら黙って金払って、二度とこなければいいだろうに。
そう言えは、あの時俺は、止めに入った親父に殴られたんだっけ。
「…なんにも、言い返せなかった。なんにもだ。
だから、鳴人君を殴ったのは、もしかしたら、その腹いせなのかも知れない。
まだ、謝っていなかったな。スマナカッタ…」
「そんな、いいですよ。喧嘩腰になった俺も悪かったんだし…」
なんだか、あまりにも率直に言われると、照れくさくて逃げ出したくなる。
一気にビールを飲み干し、お代わりを注ごうとすると…
いつの間にか、れんげちゃんが側に来ており、優しい手つきでグラスに注いでくれた。
どうやらテーブルの上のビール瓶は、すでに空だったらしい。
しかし、さっきまで調理場の片付けをしていたはずなのに。
いつ、そんな事に気付いたんだ?
「な、いい子だろう?それに比べて…」
親父、なんか目が潤んでいる。
もしかして、泣き上戸か?
ついでに、親父の奴、酒はあんまり強くないらしい。
すでに顔が真っ赤だ。
「マスター、大丈夫ですか?」
ちょっと心配そうな顔をしたれんげちゃんだが、そのまま空のビール瓶を持って調理場に下がる。
どうも、明日のスープの仕込みも今のうちにやってしまうつもりらしい。
「聞いてくれよぉ、それに比べてあっしなんて、あっしなんて…」
…親父、どこの国の出身だよ。
「ただただ、ラーメンしか作れないんだよ。他に出来る事もないんだよ…」
まあ、形の上では“ラーメン”だったからな。
「でも、鳴人君は、よく通ってくれた、通ってくれたよ…」
親父、手酌でグラスにビールを注ぐ。
「ありゃあ、どんなに嬉しかったか…」
「よして下さいよ、別にそんなつもりじゃないんですから」
考えてみれば、どうして俺はあんなに熱心に来々軒に通っていたのだろう。
あんな不味いラーメンを食べるために。
その答えを、俺は知っている。
目の前の、親父の為だ。
そして、自分の為でもある。
それは、正直、嫌悪感を覚える感情。
自分の優越性を確かめるための作業。
なのに、どうしてそんなに“嬉しい”などと言えるのだろう?
「どうしたい?俯いたりして」
「…いえ、別に…」
言えない。
こんな、人のよさそうな親父に。
俺のドロドロとした感情の事なんて、とても言えない。
「こんな事いうのもなんだが…あっしは、自分の味を判ってくれる客なんて、きっといないと思っていたんだよね…」
「親父の、ラーメンの、味?」
なんだ?
なに言い出すんだ?
「あの背広男も、相当なラーメン通なんだろうけど、なんにも判っていないんだなって、腹の底では笑って聞いてたんだよね」
「…?」
親父は、照れくさそうにビールをグラスに注ごうとした。
俺は、その仕草をみてすぐに、自分から瓶を取り、親父に注いでやる。
「おっとっとっと、ああ、すまないねえ」
お礼にとばかり、親父も接ぎ返してくれた。
「あっしのラーメンは、そりゃあ、味は確かに良くはない」
そりゃそうだ。説明するまでもない。
「でも、でもね、なんちゅうか、この、飽きない味っていうか、空気みたいな味って言うか、そういうラーメンを作りたいっていうか…」
親父は、自分でしゃべっているうちに照れてきたのか、ソッポをむいてビールを飲み干す。
酒には弱そうな親父だが、飲まないと話せない事でもあるのだろう。
俺は、お代わりを注いでやった。
まあ、確かに、あれだけあっさりしたラーメンなら、空気みたいなものかもしれない。
だが、それは、よっぽどお世辞を使った表現ではあるだろう。
普通は「水っぽい」スープと、「伸びきった」麺としか言えない。
悪く言う方は、際限が無くなるからとても説明しようが無い。
「鳴人君、あっしのラーメン、毎日食べて、なんか体が変だなあとか、体調が悪いなあとか感じた事、あったかい?」
「…そういえば…」
言われてみて、気付いた。
普通、毎日のようにラーメン食べていたら、体調を崩すものだ。
言うなれば、油の固まりを溶かして飲んでいるようなものなのだから。
それでも、大学に通うために引っ越して来てからの二年間という間。
俺は、風邪一つ引いた事も無いまま過ごしてきた。
「ね?ネ?」
「ええ、まあ、そうですね…」
悪戯っ子のようにニヤニヤ笑う親父。
まあ、俺のバイトが肉体労働で、気を張っていなければならない仕事という方が大きいとは思うが。
その分、油っ気を多くとっても平気な程、エネルギーを使っている事が理由なのか知れない。
とはいえ、確かに仕事帰りには来々軒のラーメンが恋しくなった事は事実で。
でもそれは。
単に味を求めてじゃなくて、こんなただ「生きている」だけの自分よりも「下」がいる事を確かめたかっただけなのかも知れなくて。
それでも、よくよく考えてみると。
確かに不味いのだが、飽きない味ではあった、と思う。
「あっしのラーメンの、本当の味を判ってくれたのは、鳴人君以外では、あの子だけだったよ」
「…れんげ、ちゃんが?」
なにぃ??
あんな美味いラーメンを造れるれんげちゃんが、親父のラーメンの味を「判った」だなんて…
来々軒のラーメンを、なぜか(少しだけ)自慢げに語る親父。
人の心は、分からない。
でも、通ってくれた常連さんの事は、分かったつもりになっているんです。
そして、鳴人君も、親父の事はなんにも分かっていないんです。
人の心は、分からないもんなんですよ。




