20 御予約席と、味噌スペ一丁!
ご予約席。
カウンター六席、小上がりテーブル二脚の小さな店に、あえてのご予約席。
しかも、メニューにないスペシャルとかいうラーメンを提供される、常連らしい男。
ナニモノ?と調べたく…
いや、別にどうでもいいかな。なんか、お店の都合なんでしょ?
そこまでの関心は無いや。
それより、このラーメン。美味い、美味すぎる!
「ほら、鳴人さん。みなさん待っているんですから」
そういわれ、やっと気づいた。
“いつもの”俺の座るカウンターの奥の席に、白い立方体の札が立っている。
“御予約席”と、きれいな黒マジックで書かれていた。
「も、もしかして…」
「食べて頂かないと、席が開かないんです。さ、早く」
いかにも当然という顔で、れんげちゃんは俺の背中をぐいぐいと押した。
「わ、判ったよ…いつもの」
「ハイッ!マスター、味噌ラーメンスペシャル一丁っ!」
「アイヨッ!味噌スペ一丁!」
スペシャル?
何の事だ?
全然判っていないのだが、そうしなければならないような雰囲気のままに、俺は席についた。
他のお客たちも、一瞬何事かと顔を上げたが、すぐに目の前のラーメンを夢中で頬張り始める。
待っていた客も、別段文句をいう素振りでは無かった。
親父の造るラーメンの手早さ。
れんげちゃんの支度の手早さ。
それらが「それほど待たなくても旨いラーメンにありつける」と告げているのだろう。
しかし“御予約席”とは、いったい何の事だ?
「お待たせしました、ごゆっくりどうぞ」
速い。あまりに速すぎる。
というより、俺が来たのに合わせて、すでに麺を茹で始めていたらしい。
それでも、出来立てのアツアツな湯気が、俺の胃袋をすでに揺さぶっている。
そしてこのラーメン、いつものとは違った。
昨日、れんげちゃんが試食用に出してくれた、あの糸状ネギラーメンである。
「これって…」
れんげちゃんに声を掛けようとしたが、すでに彼女は別のお客の会計を扱っている。
玄関をでて、お客を見送ると。
「三名様、お待たせしましたどうぞッ!」と、はっきり響く可愛い声で並んでいるお客を店内に招いている。
と思うと、小上がりを素早く丁寧に拭き上げて、店内で待っていたお客たちの席を整えてしまった。
客たちが座るや否や、というタイミングで、もうラーメンを運んでいる。
待っているお客を目だけで制して、メニューを決めさせている。
その間に「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」と、可愛い口調で待たせたお客に頭を下げている。
速い。
そして、全く無駄が無い。
俺如きが、とても声を掛ける事なんて出来ない。
まあ、食べ終わった後で事情を聞いても、問題ないだろう。
ネギを口に含む。
シャッキリとした歯ごたえの中に、瑞々しい苦みが走る。
摘みたてを高速で産地直送されたものであり、しかも保存管理がしっかりなされているネギだけが持つ「生きている」うま味が口の中にあふれてくる。
しかし、問題は麺だ。
そう、麺との相性である。
どんなにネギが旨くても、昨日のれんげちゃんの茹でた麺は、そういうファクターを一切受け付けない、美味さと旨味の絶大なハーモニーであった。
その中に、このネギを加える事ができるのかどうか…
麺を、頬張ってみる。
うん、旨い…
どこにでもある、普通の製麺にも関わらず、丁寧にしっかりと茹で上げられており、茹でむらも茹で過ぎもない。
適度に水分を吸い込んだ麺の一本一本が、歯の中で仄かな抵抗を見せながら、プチプチっと千切れて行き、俺の体の一部となるべく、喉の奥に吸い込まれていく。
そして、昨日のような圧倒感を感じる事は無かった。
どこにでもある麺を美味しく茹でた、美味しいラーメン…
そうか、この麺、親父が茹でたんだった。
これが本当の“来々軒”のラーメンである。
いつもの“麺”じゃないか。
それなら…
ネギと麺を、一緒に食べてみる。
ふわぁ…
丁寧で優しい麺の小麦粉な味わいの中に、ネギのツンと立つ香りが嬉しい。
お互いがお互いを包み込み、引き立たせ合って、どこにでもあるのだけれで、どこにもないような「来々軒のラーメン」を形作っている。
以前のネギのシャキシャキ感も捨てがたいのだが、あれは「ネギ」のみを楽しむ具である。
このネギは、麺の美味さを引き立たせ、それ自体も美味く食べられるような、工夫と愛情に満ちた具材と言えるのかも知れない。
これなら、ネギ本来の味が生きるし、良い具材を求めるべく、産地から送って貰うだけの“価値”があるというものだ。
プハァ…
美味い。美味かった。
れんげちゃんの茹でた、圧倒的なパワーで迫るラーメンに対して。
親父の茹でたラーメンには、なんというか、別なものを感じた。
うまく言えないけど、無理やり呼ぶのなら…
…以前に店の中で会った、年配の作業員がそう呼んでいた。
「アイのあるラーメン」と。
すっかり満足してしまった俺に、れんげちゃんがにっこり笑って「五百円になります」と会計を始める。
そう言えば、昨日、彼女の泣き顔を、俺は見たんだった…
でも、この美味いラーメンが、そんなわだかまりを綺麗さっぱりとぬぐい去ってくれた。
人の気持ちは、例え判らなくとも。
美味いラーメンは、誰でも判る。
それで、いいじゃないか…
「あの…」
「えっ?」
500円玉を受取りながら、れんげちゃんがそっと、という風に俺に話しかけた。
「今晩、お時間ありますか?」
…ああ、試食の事か?
「大丈夫だけど」
「良かった。じゃあ、お店を閉める午後九時半に、もう一度来て頂けますか?」
「いいよ。喜んで」
れんげちゃんは、ホッとしたような笑みを浮かべると。
「ありがとうございましたっ!」と元気に声を掛けてくれた。
それに合わせて「アリガトヤシタッ!」という親父の掛け声に送られて、俺は来々軒を後にした。
れんげちゃんの茹でた麺とは明らかに違う、親父が茹でた麺。
でも、これこそが、来々軒のラーメンだよな。
あれ、親父って、こんなに旨いラーメン、作れたっけ?




