16 うわっ、さすが常連さん。そんな事まで判るんですか?
成り行きで、誘われるがままに、来々軒に入る鳴人君。
試食かぁ。それ位、お安い御用だよ!
そして、これってさぁ、れんげちゃんと二人きり、なんだよね。
うん、俺、どうしよう?
どうしようったって、試食なんだし。
試食、なんだよ、ね?
自分の失礼な態度を考えたら、そんなことでいいなら安いものである。
一晩でも二晩でも付き合ったってかまわない。
何食だって食べてやる。
いくら俺が人嫌いだからといっても、彼女だけは別である。
誰もいない来々軒に、れんげちゃんと一緒に裏口から入った。
髪の毛を再びお団子にして、その上から白い頭巾をかぶった彼女は、慣れた手つきでラーメンの準備を始める。
すでに乗せられていた二つの大きめのスープ鍋、そして麺を茹でる大鍋にも火を入れる。
もう一つのコンロの上に、メインスープである牛骨の大きなスープ鍋を、小柄で華奢な体に似合わない力で持ち上げて乗せていった。
持って来た食材を、店の大きめの冷蔵庫に手早く詰めていく。
と、野菜類を取り出して、下ごしらえを始めた。
「引っ越し屋さん、前からの知り合いなんですよ」
トトトトトト…
早いリズムでキャベツを刻んでいきながら、いつもの席の前で立ち上がって様子を見ている俺に話しかけてくれる。
「…快速便のドライバーと?」
「ええ、私、車の運転出来ないし、免許もないですから。こういう食材の情報や仕入れ、手伝って貰ってるんです」
「よく判らないんだけど」
れんげちゃんの手は止まらない。
というより、異様に早い。
出汁を採るための野菜スープの用意と思うが、すでに鍋には水が張ってあり、手慣れた様子でほとんど支度が終わっているらしい。
「快速便の方って、農家の人たちと話をすること、多いみたいで。いい食材の情報を集めて貰ってるんです。届けてもらうにも便利ですし」
「それで、引っ越しも?」
「ええ。少し高いけど、速いので。明日の準備の時間も取れるし」
なんでもないように、れんげちゃんはそう言った。
ちらっとスープ鍋の様子を伺うと、麺を茹でる大鍋に、パラパラっと塩を入れた。
計っている訳でもないようだが、手慣れた手つきである。
野菜スープの鍋を、火にかける。
そして、調理場の下からもう一つの大鍋を取り出し始めた。
「最近、お客様が多く見えられますので、メインのスープ鍋の予備、購入して頂いたんです」
ポリタンクに汲んであった水を注ぎ込み、スープの下準備を始めるらしい。
水は、水道の物を使っていない…
「もしかしてれんげちゃん、スープ用の水、別にしているの?」
「うわっ、さすが常連さん。そんな事まで判るんですか?」
顔を上げたれんげちゃんの目が、輝いている。
「以前の来々軒のスープと、えらい違いだからね」
いうまでもなく、当然それ位は判る。
「わたしがここで働かせて頂く前の、来々軒にもよく通って下さっていたと、マスターから聞いているんですけど」
マスター…ああ、親父の事か。
「ま、まあね」
「ふふふ。やっぱり、試食お願いしてよかった」
れんげちゃんは嬉しそうに笑うと、牛骨を大きな中華包丁で砕き、筋を入れてスープ鍋に入れていく。
どういう意味で、そんな事言ってるんだろう。
自分が作るラーメンの方が美味しいとかいう意味か?
まあ、以前の来々軒と比べれば、確かに明らかな違いがあるし、それは圧倒的とすらいえる物だが。
考えてみれば、スープの量が、試食のものではない。
明日の開店のための、下準備である。
そしてれんげちゃんの働きぶりは、明らかに普段から熟練した手つきでなされているものである。
という事は、あの来々軒のスープは、彼女が一人で造り出した物なのであろうか?
「水は、快速便で送って貰うんです。富士山麓樹海名水が、ここのスープには合うと思ったのですが、気に入って頂けて、とても嬉しいです」
やっぱり、水は取り寄せていたのか。
それにしても、「ここのスープに合う」とは、どういう意味なんだ?
あの親父が造ったスープに、水の旨さも何もあったものじゃ無いはずだが。
水へのこだわり。
快速便のドライバーまで巻き込んで、お取り寄せなんだそうです。
野菜などの情報も、そこから収集。ついでに届けて貰えます。
いったい、この娘、ナニモノ?




