10 まるで、ヒッチハイクでもするかのように
ヒッチハイクは、分かりますよね?
今みたいに、ネットの口コミなど無かった時代。
そうやって表に出て、お店の宣伝をしていた…
なんてものを、おれは見たことがありません。
見たことは無いんですけど、彼女が勝手に始めたんです。
ええ、勝手にです。そういう「絵」が見えちゃったんです。
じゃあ、見たものをそのまま書くしかありませんよね?
創作は、そういうものです。だから楽しいんですよ。
警備員のバイト帰り、来々軒の前にれんげちゃんが立っていた。
手に「美味しいラーメンあります」のボードを持っている。
そして、通りすぎる車や歩行者に向けて掲げているのだ。
まるで、ヒッチハイクでもするかのように。
笑顔で、一生懸命に。
俺の胸の中が、少しだけギュッと痛んだ。
その痛みがなんなのか、判らなかったが。
スクーターをアパートに置くと、そのまま来々軒に向かった。
「あっ、い、いらっしゃいませっ!」
なんか、無茶苦茶、嬉しそうに声をかけるれんげちゃん。
「あ、ああ…」
急ぐように中に入る彼女。
つられて暖簾をくぐろうとした俺は、その暖簾が洗剤のいい匂いを漂わせているのに気づいた。
古びていながら、その暖簾は洗い立てのいい匂いを放っていた。
そう言えば、玄関も、すっかり掃き清められている。
安普請の引き戸にしても、油を挿したらしく滑らかに動くし、磨き上げられていて俺の顔をぼんやりと写している程だ。
「へいイラッシャイっ!」
威勢のいい、親父の掛け声に出迎えられる。
この前来た時より、声が板についてきている。
なんか、ラーメン屋の親父っぽい雰囲気だ。
れんげちゃんも、すでにカウンターを拭き終わっており、イスを引いて微笑んでいる。
「どうぞ」
「どうも…」
進められるままイスに座ると、おしぼりと冷えたグラスがさりげなく出される。
「ご注文がお決まりでしたら、お呼びください」
「ああ、いつもの…」
「ハイッ!」
れんげちゃんは元気よく応えると、大きな声で「マスター、味噌ラーメン一丁!」と叫んだ。
「ハイヨッ!」
親父も、威勢のいい声で返事すると、テキパキと動き始めた。
…この前より、スムーズで動きがいい。
本当に「ラーメン屋」に来たみたいだ。
ぐるっと周りを見渡すと、いつもの来々軒ではあるのだが、至る所に「人の手」が加えられている。
テーブルに置かれる調味料は、業務用をただ置いたのではなく、可愛い容器に詰め替えられている。
タコさんの格好の胡椒入れとか、イカをモチーフにした唐ガラシ入れとか。
割り箸入れも、ウッド調の素朴な、飽きのこない入れ物に納められているし。
丹念に磨き上げたのか、カウンターもテーブルも、光沢を放っており、シミのかけらも見当たらない。
床にしても、黒っぽいゴミも見当たらず、丹念に掃除されているのがよく判る。
窓や柱の一つ一つも、埃一つ見当たらない。
ちょっとした所に、さりげない小物が飾ってあり、宝探しでもしているみたいに見ていて飽きない。
清潔で清々しい店内で、いつまでも居たい気持ちにさせられる。
「ヘイッ、味噌ラーメン一丁上がりっ!」
「ハイッ!」
あちこちを動き回っていたれんげちゃんも、親父のタイミングに合わせてラーメンを受取り、そこには一分の隙も無い。
「お待ちどうさまでした。ごゆっくりどうぞ」
ラーメンが置かれる手つきに、なんだか自信のようなものすら伺われる。
「どうも…」
そして、このラーメンがまたいい匂いを放っているのだ。
思わず食欲をそそられる、知らずに引きつけられる濃厚な香り。
スープを、すすってみる。
あっさり系なのに、コクのある深い味わいのスープ。
元々の来々軒の、いい加減な造りのスープの水っぽさは残っている。
しかし、それにブレンドされた味が、一層深みを増した味に仕上げているのだ。
もしも、来々軒のスープが濃い口だったら、この味のハーモニーは出せないだろう。
本来の来々軒のベーススープは、牛骨のはずである。
ただし、ダシをしっかりと取っていないために、薄味というより味のない、ただの油っぽいスープになっているのだ。
しかし、それは裏を返せば牛の骨の「いい所」しかとっていないとも言える。
その基本スープに、別のダシスープを混ぜていると見た。
それも、1種類ではない。
豚か鳥の肉系統と、魚類、そして野菜系のスープで味を整えている。
ラーメンの命であるスープを造るのは、それなりの手間隙がかかる。
それを何種類も造るのは、本当に大変な作業であろう。
あのやる気のない親父が、これ程のスープを造るとは、ちょっと信じられない。
しかし…
美味い。
本当に、美味い。
めったにお目にかかれない、全国区クラスのラーメンスープの味である。
麺にしても、普通の製麺とは思えない歯ごたえと味わいである。
これは茹で上げの時間、タイミング、キレを揃えた職人の技が無ければ、中々出せない。
しかも、恐らく麺に何らかの下ごしらえを施して、表面上に水分を余計に含ませないようにしているのだろう。
揚げているわけでも、焼いて焦がしているでもない、と思う。
その工夫が、いいアクセントになって、麺にパリッとした歯ごたえを加えている。でも、麺そのものはコシとキレを兼ね備えていて、啜っていて楽しい味わいだ。
具の方も。
シャッキリとしたネギ、モチモチっとしたナルト、風味漂うメンマ。
ただ、残念ながら、味の良く染みたチャーシューが、スープのあっさりとではあるがコクのある重厚で濃厚な味に負けてしまっているのが難点といえば難点だ。
それでも、それは凄く高いレベルの「もっと良くなって欲しい」という趣旨のものであり、ケチを付けるという低俗なレベルのものではない。
それこそ、「全国でラーメンとして競い合うなら」という水準での話だ。
少なくとも、この近辺でこれ程のラーメンを出す店は他にない。
俺は、無我夢中で食べた。
こんな美味いラーメンを食べたのは、本当に久しぶりだ。
まさか、来々軒でお目にかかれるなんて…
夢中で食べ終わるのを見計らうかのように、れんげちゃんが玄関から入って来た。
あのボードをまた掲げていたらしい。
いや、これなら「看板に偽りなし」である。
手を抜かない、一生懸命さ。
それが、来々軒の店の温度を上げ、ラーメンに熱い温もりを注いでいく・
それが、これほどのラーメンを造るのだろうか…
あの人生を半ば投げ出したような親父が、これほどのラーメンを造るのだろうか…
「ごちそうさま」
万感の思いを込めて、俺は自然にそう言った。
親父は、照れくさいらしくソッポを向いていた。
こういう所は、まだ親父らしい。
それでも、ラーメン屋の親父としての自信のようなものが、湯気となって背後から沸き上がっていた。
それが、また来々軒の温度を高めていく。
「御会計五百円になります」
「本当に、美味かったよ」
これで五百円なら、安すぎる。
なんで客が俺一人なんだ?
それでも、とびきりの笑顔で見送ってくれたれんげちゃんと、これほどのラーメンを造りだす親父なら、きっと来々軒は繁盛するだろう。
見たものをそのまま書くのが創作。
まさに、絵に描いた餅。
願わくば、そのまま食べることが出来たらいいのに。
せめて、読者の方々には、そのイメージだけでも伝わらないものかなぁ?
創作は、そういうもんです。だから大変なんですよ。




