1 来々軒
ラーメンは割と好きで、よく食べていました。
時折、ハズレを引くことがあって、そのマズい事。
ただマズイと文句を言うなら、いっそ、作品にしてしまえ!
ラーメンと小説って、結構似てると思います。
ハズレを引いた時の、あの絶望感とか。
俺の住むアパートは、俺の住むに相応しい住処だった。
俺と同じように寂れており、俺と同じように薄汚れていた。
木造二階建て、ボロボロのモルタル外壁の造り。
築何年になるかは知らない。
かなり古い事だけは確かで、周囲の再開発が進んでいるにも係わらず、ここだけは時間が止まっているかのようだ。
二階には三部屋あるが、俺以外に住んでいる奴はいない。
もう二年近く空き部屋のままだ。
下のテナントは、何十年も前から使っていそうな二槽式の洗濯機と、申し訳程度しか乾かない、出力のやたら低い乾燥機を置いているコインランドリーが入っている。
真ん中のテナントは、不動産屋の事務所が入っていたが、半年前に忽然と姿を消した。その筋の怖そうな連中が何日かうろうろしていた所を見ると、夜逃げしたらしい。それ以降、ペラペラの半紙で「空きテナント」と書かれた張り紙だけが、部屋の主だ。
そして左端の一軒、「来々軒」という名前のラーメン屋が煤けた暖簾を掲げており、唯一の「人の気配のある」店だ。
道路際に面しているのだが、駐車場はない。
薄っぺらな引き戸が入り口で、安っぽいフィルムを張って中が見えないようにしている。
美味いラーメン屋は、まず匂いで判るものだが、漂うのは水蒸気をたっぷりふくんだ湿気っぽい臭いだけである。
店の中も、ビニール張りのセンスの悪い床で所々継ぎ目がめくれており、黒っぽいゴミが浮きでている。
カウンター席六つ、小上がりに4人掛けテーブル二つと小さい店構えだが、満員になった試しなど、まず無かった。
長らく日光にでもさらされたような、色あせた赤いカウンターに座る。
店の親父が、やる気のなさそうな顔で俺を見る。
ひょろっと長い、やや色白の顔。
顔にそって伸びた鼻は、先の方で右にやや折れ曲がっており、付け間違えているかのようだ。
薄い唇は「人生なんてこんなものさ」という諦めを漂わせており、だらしなく両端が垂れ下がっている。
「いつもの」
「へい」
もたもたと作業に取りかかる親父。
客など、俺の他には誰もいない。
造るのが遅いのは承知しているので、あらかじめ持って来ている単行本を開く。
アパートから、長い坂を20分程登った所に、俺の通う大学がある。
いや、通っていた、と言うべきか。
滑り止めで引っかかった唯一の大学だけあって、自分が何を学びたいのかすら判らなくなっていた。
通ったのは最初の一カ月半だけ。
今は、留年二年目と半年を過ぎた。
週三回の警備員のバイトと、息子の人生に悲観的な親からの細々とした仕送りで、ただ「息をしている」だけだ。
極力、人と付き合いたくない俺にとって、このアパートは格好の隠れ家だった。
家賃はやたら安いし、大家は入居者にはほとんど無関心だ。
誰からも、関心をもたれたくないし、係わりたくも無い。
そんな俺と、この店の親父は同類なのだと思う。
どうせこんなものなら。
ただ「息をしていればいい」なら。
ひっそりと暮らしていられれば。
それで良いのだから。
しかし、それならなぜ客商売などしているのか。
それは多分、他に出来る事がないからだろう。
そして…
「へい、お待ち」
恐らく20分位かかっただろう、ラーメンの丼が目の前に置かれた。
いつもの、味噌ラーメンだ。
薄い、というよりお湯に色を付けたみたいなスープに、味噌味だからと、ただ味噌を混ぜたような味である。
ラーメンの持つ深みとか、コクとか、そうしたものは一切感じない。
麺も、手際が悪すぎて茹ですぎているらしく、すっかり伸びきっている。
黄色くちぢれた麺は、近くの小さな麺打ち業者が配達に来るが、良くて月に二回程しかこない。
管理の仕方もあるのだろう、味もそっけもない。小麦粉をそのまま飲み込んでいるみたいである。
具も、お粗末としかいいようがない。
近所のスーパーで買ってきたネギをただ刻んで入れただけ。萎びたネギが、スープを吸ってフニャフニャしており、シャキシャキ感がまったく無い。
メンマ、ナルトも同様で、科学調味料の味しかしない。
それでも近所のスーパーで仕入れているだけ、まだまともな味はする。
チャーシューに至っては、何度もスープのダシを取った後の出涸らしであり、肉というよりも、薄くスライスした木のかけらでも噛んでいるみたいである。
なかなか噛み切れず、いつまでも口の中に残る。
マズイ。
とことん、マズイ。
これで客が来るはずもない。
それが、つまり親父の生き方なのだろう。
人と、極力係わりたくないのである。
誰も、自分を注目して欲しくないのである。
それは…
俺も、同じ事だ。
何をする気も無いまま、大学にも行かず、だらだらと時を過ごすだけの俺。
ただ日に何度か不味いラーメンを茹でているだけの、商売の気持ちを失った親父。
俺たちは、同類であり、目を合わさなくとも、言葉を交わさなくとも判る。
だから、俺は、この不味いラーメン屋の常連であり続けているのだ。
この味で、良く経営してるよなぁ、というラーメン屋さん。
こういう客がいるから、なんとか「息をしていられる」のかもしれませんね。
コインランドリー。昔は二層式洗濯機で、乾燥機は別だったんですよ。本当なんですよ。
本作品は、そういう時代のお話です。




