決意
「本当に、いいのかい?」
山神様は言う。 拓人が彼女を祭る神社の前に姿を現したとき、「おや、早かったね」と言ったが口調は対して驚いた様子ではなかった。
「この契約を結べば、お前は私に命を差し出し、お前の母親は元の生活に戻る。 それでいいんだね?」
山神様はもう一度言う。 感情をこめた様子ではなく、ただ単に確かめていると言う感じだ。 はい、拓人がそう言おうとしたとき―――。
「おや、野暮な真似するんじゃないよ」
ひとつの小さな光が、草むらから飛び出してきた。
(蛍?)
拓人が疑問を浮かべている間も、その蛍らしき光は山神の周りを何かをアピールするようにぐるぐると旋回した。
「ふん、あんたら揃って馬鹿だね」
山神が鼻息荒く蛍に向かって言った。 そのあとも蛍は螺旋飛行などをしてアピールした。
「……分かったよ」
遂に山神が蛍の説得(?)に折れ、拓人のほうに向き直った。 フード越しに拓人の瞳をしっかり見据えているような気がした。
「真実を教えてあげよう。 さて、これを知った後お前はどうするか……私はもう確認したり、誰の横槍も聞き入れない」
鮮烈な紅の唇が動く。
「あとは、お前自身が決めること」
幼い自分が横にいた。 今よりもう少し若い加奈子と、優しそうな、拓人の覚えている通りの死んだおじいちゃんが岸の岩の上に腰掛けてみていた。 二人ともとっても楽しそうに拓人のほうを見ている。
(えっ、ここは―――!?)
焼きつくような夏の陽光。 からっとした暑さ。
今の拓人の膝ぐらいまでの水位の流れのゆるい川。 大きな石がごろごろ転がって、そしてここは昨日「飛び降りろ飛び降りろ」と五月蝿く言われた、一番大きい岩。
「拓人ーっ、登るのはいいけど、飛び降りちゃ駄目よ―――!!」
加奈子が叫んだ。 笑顔で言って、横ではおじいちゃんがヒラヒラと手を振った。
「ぼく、もうとびおりられるもーん!」
気付けば、拓人は幼い自分になっていた。 そうして、加奈子が「だめっ!」と叫んでいるのも気にせず、岩から―――
(―――ダメだッ!!)
飛び降りた岩からみるみるうちに水面に近くなり、全身に水が叩きつける痛みと、自らが飛び込んだことによってできた大きな音を最後に、拓人の意識は途絶えた。
幼い自分が眠っている姿を、また横から見ていた。 急いで呼ばれた近所の往診の医者が胸に聴診器を当てている。 聴診器が当てられた身体は包帯だらけだった。
加奈子が、泣いていた。 父親は、その横で沈痛な面持ちで座り「どうして止めなかったんだ」と加奈子を責めていた。 加奈子は泣きながらごめんなさい、ごめんなさいといっている。 父親と言うより、拓人に言っているのか。 おばあちゃんは、何も言わず、ただ辛そうな顔をしていた。
そしておじいちゃんは、その部屋にはいなかった。
場面が変わった。
夜の山の中、小さな神社の前。
(……山神様の、神社の前だ)
闇から溶け出してきたかのように、ローブを着た山神が現れた。 そして数秒後、古ぼけた小さな階段を登って、おじいちゃんがやってきた。 その表情は、いつになく真剣で、そして沈痛な面持ちだった。
「お前、私に何か用があるんだろう?」
拓人に聞いたように、山神は言った。 おじいちゃんは頷いた。
「はい、お願いがあって参りました」
「なら急ぎな。 お前の孫、死にそうだよ」
山神が間髪いれず言って、おじいちゃんはかなり驚いた顔をした。 山神はそれを見てふっと笑った。
「契約内容は知っているね? お前の場合、今すぐ命を差し出さなくては間に合わない」
「はい。 私の命、差し上げます。 代わりに、孫の拓人を救ってください」
山神は白い頬に手を当て、嬉しそうに答えた。
「契約、完了だね……」
そして、拓人は助かり、不都合を失くすため、川での事故の記憶は拓人の中から消去された。 おじいちゃんの死因は、病死と改変された。
再び拓人が目を開けたとき、そこはさっきの神社の前だった。 おじいちゃんはもういない。
もう何年も前に、死んだのだ。 拓人の命と引き換えに。
「これでも、契約するのかい? お前のために、一人の人間が死んだ。 その大切な命を、私に差し出すのかい?」
山神は言った。
「思い出しな。 今見せた記憶の中のお前の母親を」
拓人は山神の顔をしっかりと見据えた。 さっき、山神がそうしたように。
「答えは、どっちだい?」
拓人は答えをついさっき出した。 本当は、こんな選択肢を増やすこともなかったのだ。
「―――拓人ッ!!」
加奈子の叱責にも似た叫び声に、拓人は覚醒させられた。 目を開けると、加奈子の泣き顔があった。
「……お母さん?」
むっくり布団から起き上がると、拓人はここがいつも寝ている部屋だということに気付いた。 そういえば、昨日山神の神社からどうやって帰った?
「お母さ―――」「もう、心配したんだからね!」
昨日の様子を聞こうとした拓人は、加奈子に正面から抱きつかれた。
「もう、もう夕方なのに……叩いても、大きな音出しても何しても起きないんだから……ッ!!」
「お母さん?」
「あと五分で起きなかったら、フライパンを頭にぶつけてでも起こそうかと……!!」
「それやめてお母さん僕死ぬから」
拓人がそう言うと、加奈子は更にぎゅっと拓人を抱きしめた。
「拓人までいなくなったら、お母さんどうするの……?」
言われた拓人は、山神の力に頼った自分を馬鹿らしく思った。 そして、抱きつく加奈子の身体にぎゅっと抱きついて呟いた。
「僕は、どこにも行かないから。 だから、安心して」
その夜。
山神を祭る神社の前に、一人の女がいた。 黒いローブに、鮮烈な赤の唇。 この神社に祭られている山神である。
夏の星空を見上げる彼女の前に、小さな光が草むらから飛び出した。 小さな蛍である。
「ふん、あんたらは本当に馬鹿だね。 まあ、あの加奈子という娘はそうではないようだが」
光はぐるぐると螺旋飛行する。
「本当じゃないか。 本来の道に外れず、生きていく。 それが人間だよ? なのにお前ら二人はそれを私と言う超常的な力を利用して……」
光がまだ螺旋飛行をしているのを見て、山神はふっと妖艶に笑った。
「いや、確かに夢があるのはいいけどね。 星に願いをかけて、そして自力でがんばるのが人間ってもんだろう?」
そして、数秒間の間を空けて続けた。
「それでも、迷った人間を小さな光で導くって言うのが私達の使命なのかもしれないけどね」




