ホワイトクッキー -カナとリホ-
bygone days
始まりはなんだっけって言われると思い出せないの。
ただふわふわと見つめていただけ。
幼馴染を待っている間に小さいグラウンドを眺めるだけ。きっと見つめすぎたのが悪かったんだ。見つめ慣れた目が、視線に色をつけ始めた。
「お待たせ、里穂」
「あ、うん」
練習の時間はとっくに過ぎていて、バスケ部は片付けが終わったみたい。ハンドボール部はまだ片付け中。おしゃべりな人が多いみたいだから、楽しそうな彼女たちはまだまだ終わらなさそう。
「帰ろうぜ」
「……うん」
今日はもう会えそうにないね。
最後に片付けをしているうちの1人に目線をやったけどこっちには気付かなかった。キラキラ笑いながらボールを投げてふざけているその人。細い身体がしなやかに伸びてキャッチしたり弾いたり。
どんくさくてちっちゃい私とは真逆。
中学のときは同じクラスだったのに高校では別になっちゃって、今じゃ行きの同じ電車に乗り合わせるしかない。幼馴染を利用して待ってるふりでグラウンドを見つめて、運が良ければ帰りの電車にも乗り合わせて。小さく積み重ねた時間が諦めを悪くしていく。
同じ女の子。
私より素敵な女の子。
可愛い女の子。
呪いとか呪文とかそんなものみたいにグルグルと私の頭をかけまわる。
恋じゃない。
恋しちゃいけない。
好きになったって気持ち悪いだけ。
うつむいた顔を無理やりあげるとコンビニの大きな広告が目に入った。幼馴染も同じタイミングで広告を見たようでニッコリと笑った。
「そういやもうすぐバレンタインか」
「もうそんな季節なんだ」
バレンタイン。
いつだって嫌な思いをしてきたバレンタイン。
今年も来ちゃうのか、なんて溜息を吐いた。
「里穂は毎年凝ったヤツを作ってくれるから今年も楽しみだな」
ごめんなさい。幼馴染の彼には毎年申し訳ないと思っている。本当に渡したい人に渡せず、もったいなくて彼に渡している。手先の器用さには自信があって今年こそは今年こそはと気合を入れて作るのに。
彼女に渡せているのはたくさん作った義理の一つ。
それでも美味しいと頬張ってくれる彼女に嬉しくて毎年同じことを心の中で繰り返す。
来年はもっと美味しいものを用意するからね。
用意しても渡せなかったら意味ないんだよって誰か私を叱って欲しい。でも誰かに相談できるような恋なんかじゃない。
「恋愛にまだ興味はないけどこの日だけは特別だな」
「去年は何個貰ったんだっけ?」
「えーっと……あ、でも里穂のが一番美味しい」
「ありがとう」
それは当たり前。誰にも負けないって気持ちで作った最高傑作なんだから。
中学はバレー部、高校はハンド部。
どっちだってカナはたくさんチョコを貰っていた。もちろん全部女の子同士の義理というか友チョコだってわかってるけど、それでも負けられない。私だって、女の子だし。
「今年はカップケーキがいいな」
「リクエストとか言われても応えてあげないよ?」
「えー」
カナは何が食べたいんだろう。嫌いな食べ物や好きな食べ物は聞いているけど、好きなお菓子とかは知らない。休み時間にポッキーとかたけのこの里とかを食べてる姿はよく見るからきっとお菓子ならなんでも美味しいんだろうな。いっそハート型の大きいのを作っちゃおうかな。
……いやいやダメダメ、それはさすがに渡せなかったときにタカヒロにはあげたくない。ぶるぶると首を振るとタカヒロは首を捻った。
次の日の朝、いつもと同じ車両に乗る。
二番目のドアからカナが入ってくるのはわかっていた。
「おはよ~、リホ」
いつも通り薄そうなネックウォーマーをつけたカナが明るい顔で挨拶をしてくれた。
「おはよ、カナ」
「今日も寒い~」
「あはは、毎朝言ってる」
「毎朝そうだもん」
夏は夏で暑いっていう。
カナはお世辞にも頭がいいほうじゃなくって、でも素直で愛嬌がある優しい子。他の人にも優しくて部活でも慕われてること、よく知ってる。電車を降りていつも見るコンビニの看板が目に入ってなんとなく話題にしたみたいに話しかける。
「もうすぐバレンタインだね」
そわそわする両手を押さえつけた。
渡せなくても用意するときは楽しい。
ダメ、こんなのおかしい、そんな気持ちを置いて一途にカナのことだけ考えられる。お菓子を作る過程で集中するのは普通だもん。
「そうだね。今年も幼馴染にあげるの?」
「うん、一応ね」
……本当は、そうならない方がいいんだけど。きっと今年もそうなんだろうなって思うとそっと溜息が漏れた。タイミングを合わせたみたいに冷たい風が吹き抜ける。カナが首を竦めて胸を押さえた。ぶかぶかのネックウォーマーはカナの細い首では隙間だらけ。
ネックウォーマーに顔を押し付けてもまだ隙間があったから少しだけ指を入れて形を整えた。
「またネックウォーマーしてるー」
「一度付けるともう外して歩けないね」
「ダメだよ。女の子なんだからちゃんとマフラーしよう?」
せめてもう少し小さいサイズの、自分に合ったものをつけてほしい。
抗議の意も込めてそのまま指を首に這わせた。
冷えた指先が首の温かさでじんわりと溶けてしまいそう。
「……あったかい」
「こら、私で暖をとるな!」
仕返しなのか抱きつかれて、違う意味で熱くなる。ドキドキしてこれじゃカイロみたいだ。
必死で笑う顔、変じゃないかな。
ちゃんと友達に見えているかな。
別れ際にちらっとこっちを見てくれるのが好きで、幼馴染と会っても別れる前に必ず声をかけた。頑張って、とか、気をつけてね、とか。背の高いカナの後ろ姿が私のことを気にしてくれるのが、好きだった。
* * *
that day
やっとこの日がきた。
変にドキドキしてしまうこの日さえ乗り切れば、あとはまた平穏な毎日が待っている。
「やっとバレンタインだね」
「そうだねぇ」
友チョコでも欲しいって言って欲しくてガサリと紙袋が主張する。興味を持ってほしくて、毎年特別に用意した箱をさりげなく一番上に置いて見せつける。気にもしてないってわかってるけど。
「今年は何作ったの?」
「プチケーキ。チョコチップとかふんだんに使ってみました」
「へぇ、おいしそう」
「またあとであげる」
「やった!」
ああやっぱりいつも通りのバレンタイン。結局カップケーキになった中身を大事に持ち歩く。おいしそうって言葉を「欲しい」って言葉だと思い込んで噛み砕いて勝手に飲み込む。
「カナはやっぱりお徳用の一口チョコだけ?」
そうでしょって決めつけて「カナも女の子なんだからもうちょっと興味持とうよ」なんて笑う準備までしたのに。ここまで、毎年同じだったのに。
今年に限って、どうしてそんなに可愛い顔をしてるの?
隣を歩くカナの声が布を通したみたいに聞こえづらい。きっとそのネックウォーマーのせいだ。いつもなら心地いいはずのカナの声がなんだかとても耳に障る。たぶん内緒って言ってくれたんだと思う。
「カナ、手作り?」
「んー」
喉が震えてる。「不器用だし本命とかいるわけじゃないし」って毎年お徳用の一口チョコだったのに。まだ、まだだよ、まだ内緒って、言われただけ。それにカナが誰かにチョコを作って持ってきたっていいじゃない。その中に本命があるとも限らない。もしかしたら部活の子と作りあいっこしようって話になっただけかもしれない。
嫌な予感しかしなくて手遅れみたいな諦めた感覚が胸をいっぱいにしていく。
幼馴染みたいに男の子にはなれない。
クラスで輝くような可愛い女の子にもなれない。
中途半端で普通な私を特別なチョコレートが笑う。
「里穂」
幼馴染の声がして一瞬だけ目を離してしまった。
じゃあねって声をかけられたときにいつもみたいに声をかけられなかった。気をつけて、頑張って。なんでもいいから声をかけて、こっちを向いてもらわなきゃいけなかったのに。私の気持ちなんて気付かないカナは振り返ることなく校舎のほうへ走っていった。「あとで」なんて先延ばしにしたカップケーキが紙袋の中で燻されていく。
いっそ今渡しておけばよかった。
体育館裏できっと会えるから、最後に渡そうなんて甘かった。だってもし私が渡したときにスッキリした顔をしていたら、私、なんて言えばいいの。「手作りのチョコは渡せた?」なんて聞いて元気よくあの大好きな笑顔で「うん」なんて言われたらその場で倒れそう。
同じハンドボール部の男の子かな。
仲がいい子が多すぎて、誰かなんてわかんない。同じ1年生のあの子かな、それとも同じキーパーの先輩?
「なぁ里穂、今年もチョコくれよ」
「あ、うん」
カラッポなままの頭で無意識に紙袋からチョコを取り出してからしまったって思った。タカヒロに渡したのはみんなと同じもの。教室とかで他の友達に配る同じ普通の形のカップケーキ。いつも「最後に渡す」って後回しにしていたのに、動揺して渡してしまった。
どうしよう、これじゃあ本命チョコが残っちゃう。
自分で食べる?
でも数が合わなくなってくる。小さなカップケーキを複数入れてるから量を調整する?
う、うーん、ダメだとっさに考えられない、私数学嫌い。
「今年はもったいぶらずにくれるんだな」
「あ、あー、えっと」
間違いでした、なんて言えない。そのうえ今この一番立派なものをタカヒロに渡してしまえば、本当にカナに渡せなくなる。
……でも私、本当にカナに渡そうとしたことってあったかな。
いつも用意するだけで、満足してなかった?
追いつめられて初めて本当はもっと頑張れたんじゃないのなんて気付く。だって気付かないよ、カナの傍にいるだけでよかったもん。カナが他の誰かに恋するなんて考えたくなかっただけ。考えたくなくてもしょうがないことなのに。
友達のままでいればいつかカナにだって恋人ができる。
嫌われたくないと好きになってほしい、この二つは違うもの。後悔しないうちに渡せっていう何かのメッセージなのかな。
カナに嫌われたくない。
カナの特別になりたい。
本当は体育館裏からこっそり覗くみたいに応援するんじゃなくて、堂々と応援したい。
朝だってたまたま乗り合わせるんじゃなくて一緒に居たい。
この特別を渡すことができたら何か変わる?
ちゃんと良い方向に変わる?
もやもやする気持ちのまま時間がどんどん過ぎていく。授業が身に入らないのは自分だけじゃない。今日は特別な日。特別な日だけど、私だけの特別じゃない。当たり前のことなのにずっと浮かれていて気付かなかった。カナにとっての特別な日になる可能性があったこと。
嫌だ、私、フラれたくない。
上手くいきませんように。
私だってずっと作っていて上手くいってないんだから、今回作り始めたカナだってきっと。そんな風に自分のことよりカナが失敗することばかり考えてる、最低だ。
こんなの恋じゃない。
放課後になって、嫌で嫌でしょうがないのに気になって、今日は早い時間から体育館裏でコートを見てる。とっくに集まっていたハンドボール部の人たちは練習をしないでチョコレート交換会を始めちゃったみたい。カナはもし本当に作っていたなら誰に渡すんだろう。ここで見ていたらわかるのかな。
渡せないといいな。
普通で嫌いな自分から、卑劣で最低な自分に評価が落ちていく。こんな私が好きになってもらえるはずないじゃない。友達のままでいい、なんておこがましい。友達でいてくれるだけ幸せだと思わないといけないのに。
泣きだしそうになる直前で、カナが顔をあげた。無理やり作った笑顔で空いてる方の手を振ったら、元気よく振り返してくれた。どうしよう、練習始まってないみたいだし、今渡さないといけないかな。ちらっと袋を確認して溜息を吐く。朝間違えて幼馴染に義理を渡したせいで残っているのはカナのために作った特別な箱だけ。
これで正しいはずなのに、いっそこのまま渡せないといいなって気持ちが揺れてる。クラスのみんなや友達に配った分は綺麗に全部渡せたのに。チョコレートを直接口に放り込まれている姿も可愛くて、私もラッピングなんか破っちゃって勢いでああやって渡そうかな。私がやったらビックリするかな。
俯いて渡せないチョコを眺めながらいろんな妄想に励む。
「里穂!」
元気な呼び声に身体がビクリと跳ねる。
ジャージのままグラウンドから上がってきたカナの手には鞄。
帰っちゃうのかな、どうしよう。
今日だけ一緒に帰るのは不自然だよね。
「カナ、今日はもう終わりなの?」
「うん」
「えー、カナの練習見てるの好きなのになー」
あたりさわりの無い会話でなんとか引きとめようなんてあさましい知恵は回る。
先延ばしにしたって変わらないのに。
「正直に暇つぶしって言ったらどうですか」
「そんなことないもん。カナの意地悪」
待って、行かないで。
勇気がまだ出ないの。
早めに帰るなんて今から誰かにチョコを渡しに行くの?なんて地雷みたいな言葉は避けて適当なことばかり。私の小言に笑ったカナが鼻を摘まんできた。恥ずかしくて赤くなる。余裕がないのにもっと追いつめてくるのはやめてほしい。くにゃって笑ったカナは更に私を追いたてる。
「あ、そうだ。チョコ食べる?」
一瞬凄い期待して、でも毎年見るお徳用が見えてすぐに落胆した。心の中でそうだよねって頷いて笑おうとしたらボロリと鞄から転がり出たものに心臓がドキリと痛んだ。
「わっ」
「げっ」
明らかに特別な包装をされた箱が音を立てて落ちた。
色々な情報に頭が真っ白になる。
それたぶん作ったやつだよねとか、本当に作ってたんだとか、落ちちゃった、とか。
「中身大丈夫!?」
なんとか一番無難な言葉が出て良かった、ってどこか冷静な自分が居て驚く。
「うーん」
あまり慌てていないカナにどこかほっとしてる。そんなに重要なものじゃなかったんだよね?
こういう考え方、よくないってわかってるのにな。心配なフリだけはする自分の猫かぶりに呆れる。
「開けて確かめたほうが……」
地面に置いたままおそるおそる箱を開くカナの真正面から自分も覗きこむ。
「うわ」
これはどっちの声だったんだろう。
中身は悲惨で、ハートの形のチョコレートが真っ二つに割れていた。私の心の中身も悲惨で、ハートの形のチョコレートに心が真っ二つ。
だってハート型って、こんなド直球なチョコレートは本命しかない。
私のカタチばかりの本命とは違う。恥ずかしい、今まで何してきたんだろう。本命だなんて言ってカナのことを考えながら作ったつもりで逃げてばかり。
本当にカナのために作った?
今年も渡せないからってストレスのはけ口にしていただけじゃない。カナが今どんな想いでも、こんな私のために割れていいチョコレートなんかじゃなかったはずだ。
「……えっと、なんかごめん」
「いや、里穂のせいじゃないし」
溜息を吐いたカナにビクリと脅える。怒ってないみたいだけど、渡せなくて残念って気持ちは知ってる。このチョコレートにどんな気持ちを込めたのかな。
「なんて書いてあったの?」
いつも私の友達で居てくれたカナの真剣な気持ち、知ってみたい。
それが私に向いてなくてももう僻んだりしないように努力するから。
カナは少し眉をハの字にして私の目を見た。頼りないとは思うけどちゃんと見返して受け止めようとした。
「内緒」
困ったみたいな笑い方はとても見覚えがあった。
今年も渡せなかった、そんなときに出る笑い方。
そんな笑顔は一瞬で、カナはチョコレートに向き直る。
「でも、これじゃ捨てるしかないかな」
「え!? もったいない!」
「自分で食べるのも虚しいし……」
割れてしまったけど箱に入ったままのハートの欠片。カナのチョコレートなのになんだか私の気持ちみたい。捨てられるなんて嫌だよ。おこぼれでもいいからカナの気持ちが欲しい。
そっか、私ってカナに気持ちを届けたいんじゃなくて、カナの気持ちが欲しいんだ。
ずっと願ってきたことなのに今更気付く。だからバレンタインデーが嫌だったなんて。押しつけの愛じゃなくて、相手の心を奪いたい恋。ああ、これやっぱり恋だったんだ。
ごめんねカナ、普通の友達じゃなくて。
蓋を閉じようとする手をそっと止める。見上げたカナを見つめる目にもう嘘はない。
私だって真剣になりたい。
「どうせ捨てるなら、私が貰ってもいい?」
汚い自分が嫌で逃げてきた身体を、言い訳とかいろんなものひっくるめて繋ぎとめる。嫌われるのも嫌だったけど、カナの特別が誰かになるのはもっと嫌。良い友達でいられなくなったらごめんね。
「カナ?」
「あ、うん、こんなのでいいなら……」
なんだか拍子抜けしているカナがもにょもにょと許可を出してくれたから、遠慮なく手を伸ばした。
溶けてしまわないように丁寧に。
大事に大事に口に運ぶ。
大きなハートは一口では食べきれなくてパキっと音を立てて割れる。ミルクチョコレートの単純な甘さが口の中で溶けていく。
「ん、おいしい」
笑いかけるとカナは妙な顔をしていた。
やっぱり、食べちゃダメだったかな。
すぐに真剣な顔に戻って心配そうに私を見た。
「里穂、ありがと」
お礼なんて言われて面喰っちゃって、ついまたとっさに猫を被ってしまう。
「ごめんね、誰かにあげる予定だった、よね?」
そんなこと聞きたくなかったのに。
美味しかったって終わらせておけばよかった。耳を塞ぎたくなるけれど我慢してカナの目を見続ける。なぜだかカナの目がまっすぐに私を見てくれている気がして緊張する。ふわって笑った顔が凄く大人っぽくてドキドキした。それ、どういう顔なの。
「ううん、里穂が食べてくれて一番嬉しかった」
痛い。
こんな胸の痛み、知らなかった。期待してしまうことが怖い、相手の一挙一動に振り回されて心が千切れそう。
一番って何。
臆病者の私はすぐに言葉にできなくて、聞く前にカナが動き出す。残った半分の欠片を自分の口に放りこんでいく。パキンパキンと軽い音を立てていく様を見ることしかできない。
「あは、初めてじゃ、こんなもんかなぁ」
「え、これ初めて?」
「ん、来年はもっとうまく作れるかな」
来年も作るの?
それって、また本命なのかな。
私のために作ってくれたりしないかな。
「来年もくれるってこと?」
ズルい聞き方。
食い気味に欲しいんですって気持ちを込めて一言。私のために用意してほしいって、気付いて。
「……気が向いたら」
赤くなって顔を逸らしたカナは知らない女の子みたいだった。
いつも見上げていたから。
同じ目線だからか私の気も大きくなってるみたい。
そんな返事していいの?
気が向いたらって、気を向かせてみてって言ってるみたいだよ。
「じゃあ、欲しいな」
「期待しないでよ?」
「どんなのでもいいよ」
普通な私が精一杯誘う声は私の本命で、特別。
欲しいのはカナのだけ。
来年、私だけに用意されたチョコレートを貰えるなら。必死すぎる私に申し訳なく思ったのか、また鞄を漁りだすカナ。
「ん、なんか申し訳ないしこっちもあげる」
毎年もらえる特別ではない義理のチョコレート。もしかしたら良い意味でも悪い意味でも今年が最後かもしれないなって素直に受け取った。私ももう逃げたくないから。
帰ろうとしたカナの袖を引き止める。
「お返し、が……あー……」
逃げちゃダメ、渡さないと。
言葉が逃げそうになってるのを、ペタンコの紙袋にチョコがないと思われたのかカナが遠慮がちに笑う。
「ホワイトデーでいいよん」
違うの。
覚悟して、でもまだ手が震える。
息が荒いのバレてないかな。
恐る恐る紙袋から特別なラッピングを取りだす。
「これ、カナにあげる」
もう戻れない。
顔も見れない。
気持ち悪いって思ったかな。
変な間が生まれて寒空の下なのに変な汗が出てくる。厚着しすぎたかな、違うよね。スッと手が軽くなってやっと受け取ってくれた。
「ありがと」
少し固い声。
変だなって思ったの。
覚悟したのに泣きそう。
「今食べていい?」
心の中で「えっ」って思いながら頷く。
すぐ食べてくれるの?
さっき私が食べたから?
困惑する私をよそにカナはラッピングを丁寧に剥がしていく。傷ひとつつかず跡すらつかない優しい手付きが妙に怖くてドキンドキンって心臓が脈打つ。一個だけ食べてくれたようでごくんって音が聞こえて思わず顔をあげた。
「おいしい!」
「ほんと!?」
嬉しい……!
ずっと渡せなかった本命を食べて貰えたことが凄く嬉しくて笑顔になる。おいしいって言ってくれた。浮かれきった心がもっとカナの笑顔が見たいって欲張りになっていく。次を期待していた目が、箱を閉じたカナの手にあれって疑問を覚える。
「あれ、もうお終い?」
「うん」
綺麗に直された箱。
食べてもらえたことが嬉しくていろんな不安を吹き飛ばしていた心に妙な風が戻ってきた。返された箱を受け取ってカナの顔を見る。今まで見たことないぐらい優しい笑顔。
間違いなく私を見てくれているのに、なんだか寂しかった。
「それじゃ」
いつも誰かのことばかり考えている優しい女の子。誰かのために作ったつもりで、でも誰に渡しても不自然じゃない不特定なチョコレート。
それが自分のために作られてるなんて微塵にも思わなかったカナ。
少しだけ受け取ってもらえたチョコレートは持ち主の手に返ってきてしまった。振りかえらないカナに伸ばした手は空を切った。また痛みだした胸に苦笑する。
「……少しだけ前進かなあ」
残った包装を破いて自分でひとつ食べてみる。
甘くて複雑な味。
次はもっと簡単なものにしよう。
そして特別なものじゃなくて本気のものを用意しよう。
自分が逃げないように。
カナの物だってわかるように。
ハート型に名前を書いたものにしようか。それともカナの好きなものを詰め込もうか。来年こそは本当にカナのためにチョコレートを作るんだ。
身長の低いうえに顔をあげない私からはカナの表情が見えないことが多い。
だから、私は気付いていなかった。
いつだって悔しそうにチョコレートを見ていた、彼女に。




