バーゼン 2
バーゼン学長は、しばし無言で相手の顔をみつめていた。
それから、おもむろに口をひらいた。
「わたしはカイルバード殿のことを知っている。奥方のことも。二人とも実にお気の毒だった」
ラキス少年が、驚いたようにはしばみ色の瞳を見張った。
「友人だったわけではない。彼らと同世代なので知っているというだけだ。わたしのほうが少し年下だがね」
白く豊かなあごひげを片手でなでながら、バーゼンは続けた。
「そのわたしが、こうしていまだ現役で仕事をしているというのに……。本当に残念だよ。コルカムのように辺鄙な村で隠居せず、町にいれば二人ともまだまだ元気でいられたものを」
「カイルは隠居なんてしてない。村でちゃんと働いてました」
反発のにじむ口調で、ラキスが言い返した。
「それに二人とも、町よりコルカムが好きだった。あんたにはわかんないだろうけど」
「あんた」
バーゼン学長が指摘すると、少年の顔に狼狽の色が走った。
「あ……えっと……学長様にはわかんないだろうけど」
学長様は深いため息をついたが、曲がりなりにも学長であるため、いちいち怒ることは差し控えた。
「まあよい。本題に戻ろう。最後に一番忘れてはならないことを確認したいのだが、なんだと思うね?」
ラキスが、迷いのない答えを返す。
「半魔だとばれたら、即日退学」
「そのとおり」
鷹揚にうなずいてみせると、バーゼン学長は机に置かれていたものを指さした。
「わかっていればよろしい。では、それを受け取りたまえ」
きちんとたたまれて机の端に置かれていたのは、濃い灰色の真新しいローブだった。
コレギウムの生徒が等しく着用するもので、胸には校章と模様のようにも見える文字列が縫い取られている。
近づいてそれを手に取ったラキスが、上質な生地のさわり心地に目を丸くした。
頬にかすかな赤みが差し、十二歳という年相応の幼さがほの見える。
ラキスは、なめらかな生地をなでながら縫い取りに目を落としていたが、やがて遠慮がちにたずねた。
「これ……文字ですよね。なんて書いてあるんですか?」
「サンクタ・オルビス・テラールム。古の言葉だよ」
「サンクタ……」
「知っているかね」
「昔、両親が言ってるのを聞いたことがあるような……。でも意味は知りません」
「きみはこれから、こういった知識も学ばねばならん。座学も身体訓練と同じように大切だ。コレギウムの一員になった以上、心して励むように」
「はい」
短いが緊張感のある返事を聞いて、学長は首肯した。
「では、これから入寮してもらおう。だがその前に、会ってもらいたい生徒がいる。連れてきたまえ」
最後の台詞はラキスではなく、扉のそばにずっと立っていた寮監の男性に対して言われたものだった。
寮監は指示通りにさっと出ていくと、それと同じすばやさで戻ってきた。
おそらく廊下で待たせていたらしい、ひとりの少年を伴っている。ラキスよりも年上で、背が高く灰色のローブ姿が板についた少年だった。
「ディークリート・ローデルクだ。知っているだろうが」
と、学長が一応名前を紹介した。
「きみが新生活に慣れるまでの世話を頼んである。部屋を同室にしたから、いろいろ教えてもらいなさい」
ラキスを学寮で受け入れるにあたって、バーゼンがもっとも重視していたのが、このディークリート少年の存在だった。
ディーも入学当時は、その出自から──何しろ前主座ブランゼルスの庶子である──なかなか周囲と馴染めず、結構な問題児として扱われていた。
だが、いい友人たちを得たこともあり、三年目のいまはすっかり落ち着いて、下級生をまかせられる器に育っている。
しかも、聞けば彼は、かつてコルカムでラキスと暮らしていたことがあるというではないか。
つまり、ラキスが生粋の人間ではないことを……いわゆる半魔であることを知っているのだ。世話係としても目付け役としても、これほどぴったりの人材はいない。
ラキスのほうも、旧知の人間がそばにいれば場を乱すような真似はしないだろう。
と、このように思ってわざわざ同室にしたのだが。
久々に再会した少年たちの様子を見て、バーゼンは怪訝そうに白い眉を寄せた。
抱き合って再会を喜ぶかと思いきや、二人とも呆然と相手をみつめて、声もなく突っ立っている。
ラキスが驚くのはわかるとしても、事前に知らされていたはずのディーまでが、藍色の瞳を凍りついたように見開いているのはどうしたことだろうか。
しかしまあ、四年ぶりの再会ともなれば無理ないことかもしれないと、バーゼンは考えた。
大人の四年間と子どものそれとはちがう。心身ともに成長し、相手が誰だかぴんと来なくてもしかたないのだ。
ともかく、本日予定していた学長の仕事はここまでだった。あとは寮のほうに移動して、寮監たちがあれこれ指示することになる。
礼をして部屋を出ていく三名の後姿を、バーゼンは辛抱強く見送った。
そして扉が閉まると、肩をまわしながら二度目の深いため息をついた。
それからしばらくの間、バーゼン学長は気の抜けない日々を過ごした。
半魔の子どもが何か粗相をしでかさないかとひやひやしたし、コレギウムの学業に追いつけるかどうかも非常に疑問だったからだ。
そういえば庶子を受け入れたときも、このようにひやひやしたものだと彼は思ったが、いくら庶子が特殊であっても半魔にくらべればはるかにましだ。
正直なところバーゼンは、わずかでも魔性の血の混じった者が、神聖なる魔法剣を手にすることに、いまだに抵抗があった。
いっそ彼に才能が一切なくて、落ちこぼれればいいと思ったくらいである。そうすれば魔法剣を返さずにすむのだから。
カイルは……自由で闊達だったローデルク家の次男坊は、どうして半魔の子などを養子にし、剣まで手渡したのだろう。
リュシラ夫人もそれを知っていたのだろうか。
──もちろん知っていたにちがいない。あの美しい人の同意なしにカイルが何かをすることなど、ありえないにちがいないから。
よけいな懐古の情まで湧きあがり、バーゼン学長の心は千々に乱れた。
だが──ひと月もすると、彼は事態が思ったより悪くないことに気づかされることになる。
半魔の子は、コレギウムにも寮生活にも思いのほか早く順応し、何ひとつ問題を起こさなかったのだ。
ディークリートと仲が悪いのではないかと一時は懸念したのだが、その後何度か、ディーがラキスの勉強を教えている場面を目にした。剣術の手ほどきなどもしているらしい。
それでラキスの成績は上がっていったが、もちろんそればかりが理由ではないことを、バーゼンは見抜いていた。
早い話が才能豊かな子だ。そしてもうひとつ、集中力と意欲に並はずれたものがある。
その原動力となっているのが、ほかの生徒より学ぶ期間が短いと覚悟している切迫感、いつ退学になるかわからないという危機感であることも、容易に想像がついた。
バーゼンはよくも悪くも学長であり、コレギウムの校則にその身を捧げている一方、優秀な生徒を見ると認めたくなる習性も持ち合わせていた。
だが、ラキス・フォルトを認めるには葛藤があったため、とりあえずその矛先をほかの生徒たちに向けることにした。
よし、と彼は思った。
やはり生徒たちには切迫感が足りないのだ。いままでのやりかたは手ぬるかった。
次回の試験では追試をおこなわない。挽回する機会などあたえるものか……!
その瞬間、コレギウムの全生徒の背筋に悪寒が走ったが、それはバーゼン学長の預かり知らぬところであった。
次回はアレイ視点。
学長の知らない、悪寒以外のあれこれの予定です。




