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86話「聞く必要もなさそうですけど、彼女たちは……」

「……えっと」

 僕はオスロ村長から貰った地図を見て首を傾げた。

 果実の村が描かれたところから少し上――北側には大きな川が流れているんだけど、円形に描かれている。上流とか下流なんてあったものじゃなく、コンパスでも使ったみたいな円だ。専門用語だと真円。

 そして目の前にはその通りの川が流れている――だから僕は首を反対側に傾げた。


(ファンタジー世界だからって、あまりにも不自然な地形だ)

 ゲス女神が創世の時にコンパスを使ったのかもしれないけど、あの性格だとその可能性は低いだろう。

 ちなみに川の流れは水道の蛇口を全開にしたみたいに速い――というか激しい。さらにかなり深そうだ。安全標準指針をがん無視(・・・・)した流れるプール。どれだけ暑くても泳ぐ気にはなれない――と。


 ばしゃあっ!


『ギョヘー!』

 川面を突き破った魚が獰猛に吠えた。魚って吠えたっけ?

 自然という枠組みから、潜水艦の緊急浮上並みの勢いで飛び出したような川。それを見下ろしながら、僕とオリアナさんは唯一の吊り橋を渡り始めた。

 そんな僕たちの真下の水面には、一斉に黒い影が集まる――さっきの魚が群れとなって待ち構えているんだろう。僕たちが進むと、その影もぴたりと着いてくる。吊り橋の床版(しょうばん)越しに感じる野生の殺気。頬に冷や汗が浮かぶのを感じる。なんとなく不安になって訊いてみた。


「……この先の森って、魔王城の跡地だったりします?」

「いいえ、そういった脅威が存在した形跡は報告されていません。深いだけの森という認識で構わないと思います」

「……そうですか」

 入り口がこれ(・・)だ。この先も、立ち入るならセーブしてからにするんだなと言わんばかりの危険地帯だとしか思えない――視線だけでセーブポイントの輝きなんか探している間に、僕たちは吊り橋を渡り終えた。


『キョヘェ……!』

 さっきの魚は残念そうに吠え、その殺気も川底へと消えいく。僕は安堵のため息をつき、それから鬱蒼とした森に立ち入った。


(日は高いはずなのに……)

 辺りは薄暗い。数歩も進むと、空気さえ重苦しいものに変わった。自然と戦杖を握る手に力が込められる――刹那。


 ぺったん!


「――!?」

 濡れたこんにゃくみたいな感触が、僕の首筋から背中までを一気に撫でた。それに押し出されるように、喉の奥から絶叫に近い悲鳴が飛び出す――


「きゃああああああああああ!」

「癒希様!?」

「滅べ!」

 背後に振り返りながら戦杖で薙ぎ払うと、それは――薄い本(・・・)でよく見る触手に極めて似た形状の――枝だった。逃げるように、さっと樹上へと引き上げていく。枝ってうねうねと動いたっけ?

 それはさておき、首筋に残った気味の悪い感触。薄い本の登場人物になった気分だ。全身に悪寒が走り、本音が口をついて出る。


「この森を焼き払って終わりにしません!?」

「なんの変哲もない枝ですから……どうか……」

 はんかちで首筋を強く拭きながら提案すると、オリアナさんは困ったような顔で、諭すようにそう返してきた。

 僕がいた世界では、蠢く枝は薄い本(・・・)の中から出てきません――そんな反論ほど無意味なものはないだろうし、解決手段が森林火災だと大司祭様がすっげー(・・・・)怒りそうだからやめておこう。


(僕はこの世界で生きていくんだから、こっちの常識に慣れないと……)

 がんばれば、この森のことだって好きになれるかもしれない――僕は歩きながら周囲のものを観察し始めた。


『ポヒポヒ!』

『ゴッホオオオオオ!』

『ピュギー!』

「……」

 順番に、いやらしい形状のきのこ。いやらしい色の花。いやらしい紋様の蝶。ことごとくいやらしい。その上、いちいち鳴き声まで上げるときたら――


「……スイカを丸呑みするようなものですね」

 つまり無理。


「なにか仰いましたか?」

「いえ、先を急ぎましょう」

 僕はいやらしい交尾をおっぱじめた(・・・・・・)虫の(つが)いに半眼を向けた後、森の奥に早歩きで進み始めた。

 早歩きで森を進むこと30分くらい。運動不足というわけじゃないはずだけど、足が重い。きっと精神的なものだ。慰謝料を支払って頂きたい。それはさておき、視界が一気に拓けた。


(森林火災への欲求を我慢するのも、もう終わりだ)

 僕の視線の先には森を切り拓いてつくられた空間――村がある。広場を中心に木造の家が30軒ほど並んでいて、その外壁という外壁には凝った紋様が刻まれている。ここには森で争っている2つの種族。そのうちのひとつが住んでいる。

 きっと器用さに優れた種族に違いない――その時、オリアナさんが真剣な表情で言ってきた。


「ここはゴプリンの村です。癒希様はご存じないかもしれませんが……」

「ゴブリンですか!?」

 聞き馴染みがある単語。思わず、大きな声になってしまった。

 僕がいた世界では、小説から漫画、ゲーム、果ては薄い本(・・・)に至るまでのあらゆるジャンルに登場する有名な存在だ。ちなみに、あるファンタジー漫画では、狡猾で非常に恐ろしい怪物として描かれていた。僕がいる世界もファンタジーなんだから、それを想定して事にあたるべきだろう――


「油断も慢心もなしでいきましょう。毒にも注意ってことで」

「さすが癒希様、すばらしい意気込みです。ところで……ゴ()リンです」

「え?」

『その通り! あたしらはゴプリンさね!』

 オリアナさんが申し訳なさそうに訂正してきた――刹那、僕たちの背後にたくさんの気配が出現した。

 脳裏に麻痺毒という単語なんか思い浮かべながら背後に振り返れば、視界は森の木々しか捉えられない。けど、次の瞬間には、長身の女性たちが木の陰から次々と姿を現していく――彼女たちの体型は、思わず2度見してしまうような魅惑的なものだった。いわゆる、ぼんきゅぼん(・・・・・・)。ゴ()リンとは真逆のプロポーションだ。おまけに女性しかいない――


「いやらしさ満載の森に住んでるからですか?」

「あんだって!?」

「す、すいません……」

 僕の失言に対して、妙に威圧感のある女性が長い犬歯を剥き出しにして数歩も詰め寄ってきた。上下に揺れる大きなスイカ(・・・)――それらをつい視線で追ってしまう。

 女性はその視線に気付いたみたいだけど、余裕の笑みを浮かべた。それから僕をじっと見つめてくる――主に股間の辺りを。


「あんた、精は蒔けるのかい?」

「はい!?」

 素っ頓狂な声で叫んでしまい、その直後、オリアナさんの正拳が女性の顔面を狙って唸りをあげる。手加減なしの一撃。でも女性は目にも止まらない俊敏さでひらりと躱した。呆れたように言う。


「仲裁に来たんだろ?」

「制裁でも一向に構いません」

「ヒトは野蛮だねぇ……」

 それからやれやれと肩を竦めてみせると、気を取り直すように嘆息した。両手を腰におき、胸を反らす。それだけで、妖しく揺れる一対の果物。

 果実の村って、まさかこういう意味なんじゃ――その時、例の女性が名乗りを上げた。


「あたしはアジカ! ゴプリン族の長だよ!」

『ひゅーひゅー!』

 背後のゴプリンの皆さんは、ぱちぱちと拍手をして盛り上げる。とても明るい種族だ。人間の生首でサッカーを始めるようには見えない――それはさておき、僕も自己紹介を返した。オリアナさんは大切な従者。そう紹介すると、アジカさんがにやりとした笑みをオリアナさんに向ける。


「なるほどね。で、あんたら……もう済ませたのかい?」

「いいえ……まだです」

「……」

 青少年に聞かせられない単語を省略した、青少年を対象にしてはいけない行為の会話。僕の脳裏に、先日の大失敗の記憶が鮮明よみがえった――その時、広場の上空にいきなり巨大な気配が現れた。急速に落っこちてくる。


 どがっ!


 空から落っこちてきたのは、根元から引っこ抜かれたらしい巨木。それは広場中央に逆さまに突き刺さっている――僕は反射的に向き直って戦杖を構え、オリアナさんは僕の一歩前に出る。そして。


 ばきゃっ!


 次の瞬間、巨木はその真裏から破砕され、無数の木片が僕たちの方に向かってくる。


「僕の後ろに!」

「はい!」

 僕は一歩前に、オリアナさんは一歩後ろに。

 華麗な連携――なんて自画自賛する気はないけど、なんか、かっこいい気がする。

 それはさておき、木片の嵐は収まった。僕とオリアナさんは聖なる盾(ライト・シールド)で無傷。ゴプリンたちも木々に身を隠したりしていて、やっぱり無傷だ。

 追撃がなかったから、怪我をさせる気はなかったんだろうけど――こういう真似は控えてほしい。僕は巨木があった場所にいる女性に半眼を向けた。

 筋肉質で長身。額には2本の短い角。荒々しい美しさ。そんな女性がそこにいる。もちろん、ぼんきゅぼん(・・・・・・)。彼女の後ろには同じタイプの女性が、何人も付き従うように立っている――ちょっとした目眩なんか感じる。それでもオリアナさんに聞いてみた。


「聞く必要もなさそうですけど、彼女たちは……」

「はい。彼女たちはオーカと呼ばれる種族です」

「オーガじゃなくてですよね?」

「私たちはオーカだぜ! 私はその長のストーラだ! よろしくってなぁ!」

 森を震えさせる大音声。その後、ストーラさんは拳と拳を激突させた。その勢いで、激しく揺れるたわわな果実――それはさておき、燃え上がる闘志を瞳に灯し、ストーラさんがアジカさんを睨みつける。


「一族総出で話し合いに来てやったぜ! さっさと始めようぜってなぁ!」

「そいつはご苦労なこった! 有意義な時間にしたいものさね!」

 睨み返したアジカさんはスイカ(・・・)の谷間から短剣を取り出した。


「拳も短剣も話し合いに使いませんけど……」

『長に続くよ!』

『任せて!』

 そして頬を引きつらせて呻いている間に、他のみんなも戦闘態勢をとってしまった。

 このままだと――間違った意味での――肉体言語による話し合いが始まってしまう。いやらしい生態系の森は潰れたイチゴのように真っ赤に染まり、任務は失敗。果実の村は滅びてしまいました――絶対にそんなオチは迎えさせない。僕はバッドエンドが大嫌いだ。


「あの! もう少し知性ある話し合いをしませんか?」

「話し合いで時間を潰すのが知性的だってのか!」

「総力戦の代価(コスト)を計算する知性はありますよね!?」

 両者の中間に割って入るとストーラさんが激怒の表情になり、さらにこれでもかと眉をひそめる――けど、いきなり眉をハの字に開き、それから興味深そうな顔で僕を見つめてきた。主に股間の辺りを。


「てめえは精を蒔けるのかい?」

「――!」

 そして繰り出されたのは、オリアナさんの神速ダッシュからの正拳突き。鉄板も打ち抜いてしまいそうな威力がストーラさんの鳩尾に迫る――けど、その重拳は軽々と受け止められてしまった。皮肉なことに、反撃は知性的な言葉。


「てめえらは仲裁にきたんだろってなぁ?」

「制裁でも一向に構いません」

「……第2弾」

 三つ巴の大乱戦の一歩手前。そんな重苦しい空気のなか、僕はこっそりと付け加えた。

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