68話「妊娠したって聞いたぜ? まじかよ」
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オリナアは癒希の肩を抱いて診察室を出たところである。表情は普段のままに、視線だけを鋭くして周囲を見回せば、医療関係者たちが妙な機敏さで任務にあたっているだけで、特に異変は見当たらない。癒希も物珍しそうに人々や医療器具を見回しているが、その表情は見たことがないほどに柔らかい。
リラックスできているというのは本当なのだろう――オリアナは安堵の吐息を零した。と。
『お? いたじゃねぇか!』
正面から大きな気配が近づいて来る。それは背丈ではなく、戦闘能力という意味での大きさ。神官戦士のヴァレッサだった。彼女はオリアナと目を合わせた途端、ぶんぶんと手を振った。まじかよとでも言いたそうな表情で。
「妊娠したって聞いたぜ? まじかよ」
「……いいえ。勘違いでした」
「そりゃあ、良かったぜ」
ヴァレッサは、ややウェーブがかった金髪をかき上げてから、やれやれと肩をすくめた。次いで陽気でありながら、どこか煽情的な笑みを癒希へと向ける。
「私は癒希様を信じてたから♡」
「……♪」
刹那、癒希がヴァレッサの豊穣と呼ぶのが最も適切であろうサイズの胸に全身で飛び込んだ――その時、既にオリアナは銀鋼糸の鞭を手に取っていたが、癒希もヴァレッサも攻撃対象にすべき相手ではない。
むにゅっ!
「……♡」
「あれー? 今日は積極的じゃん?」
「な――!」
オリナアの無言に近い絶叫。それが聞こえるはずもなく、ネコ科の猛獣を思わせる印象の神官戦士のお姉さんは少し驚きつつも癒希を抱き締めた。2人の身長と年齢との差に鑑みれば、姉弟のようで微笑ましくも映るだろう――が。
「ヴァレッサ…………!」
白金のお姉さんが微笑むはずもなく、美しい顔を引きつらせてわなわなと震え始めてしまった。背後には嫉妬の火柱を燃え上がらせ、すぐさま反撃に出る。
ひゅばっ!
「おい!?」
オリナアは癒希を凄まじい速さでヴァレッサの胸元から引っこ抜くと、左腕だけで抱きしめた。両手をヴァレッサの方に伸ばしてばたばたと暴れる主をさらに強く抱きしめ、鋭い声で告げる。
「癒希様は無防備な状態ですので、私が護衛をしています」
「はあっ!? 私の胸の中が危険地帯だってのかよ?」
「窒息の危険があるという意味ではそうですね」
「はあああああああああああ!?」
鋭い声で言い放たれた鋭い言葉。それで堪忍袋が破損したのか、ヴァレッサはお怒りゲージを炎上させてしまった。格闘の構えを取ると、オリアナをぎらりと睨みつける――だがオリアナは微塵も怯んだ様子を見せず、彼女もまた両の拳を構えた。刹那、静穏であるべき病棟で拳撃が戦いの銅鑼を響かせる。
ごんっ!
「癒希様を独占すんな!」
「使命を全うしようとしているだけです!」
オリアナとヴァレッサは右拳同士を打ち付け合った体勢で睨み合いを始めた。それはすぐに拳と足と肘、その他諸々の部位を駆使しての近接格闘戦に発展してしまった。周りに集まって来た患者たちに被害を出さないようにという配慮なのか、その場を大きく移動することはなかったが、彼女たちが打ち合う度に衝撃波が壁や床を叩き、窓硝子に乾いた悲鳴を上げさせる。そして。
『コード・レッドだ! 警備隊も呼べ!』
『はい!』
医師や看護師が患者たちの避難誘導をてきぱきと開始した。それを知ってか知らずか、神官戦士同士の戦闘は激しさを増していく――
どががががんっ!
『院内は戦闘も殴り合いも禁止だ!』
『……』
増してはいったものの、鋼の一喝があらゆるものを強制停止させたおかげで、警備隊の介入は避けられた。患者や医療関係者だけでなく、神官戦士たちすら動きを止めて彼女を見つめる――アゾリアだった。とてもお怒りであるらしく、その熱が彼女周囲の景色を陽炎のように歪めていた。
そんな要塞指揮官が繰り出すのは、どれほど苛烈な口撃なのか。辺りの人々――主に医療関係者――が震えあがる。が、アゾリアはやれやれと嘆息すると、両手を腰に置いて呆れたように言った。
「で、癒希はどこにいる?」
「え――!?」
「は――!?」
さきほどまで癒希がいた位置に立っていたのは、ぬいぐるみを抱っこした少女である。交戦直後の鋭い視線を向けられ、瞬時に涙を浮かべてしまったが。そしてぬいぐるみが歪むほど強く抱きしめて、泣く。
『たべられちゃうよー! ママー!』
「……私は食べませんが」
「私たちだろ!?」
2人は少女を泣き止ませようと頭を撫でてやりつつ、辺りを見回したが、癒希は見当たらない――神官戦士のお姉さんたちが幽霊のごとく顔を青ざめさせた。
「私はあちらを探します!」
「そんじゃ、私はこちらを探すぜ!」
『エマちゃん!』
「ママー!」
駆けつけた母親に娘を任せ、オリアナとヴァレッサはそれぞれ廊下の反対方向に走り出した。
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