67話「異文化間の隔たりが!?」
よろしくお願いします。
ここはアゾリアが務める病院である。が、彼女の病院でもある。
大病院とさえ呼べるこの医療施設においては数多くいる医師の1人という地位でしかないはずだが、ここを規律という鋼の法で取り仕切っているのは、間違いなく第18要塞指揮官のアゾリアだった。それはさておき。
「――ということです」
「……」
深刻な様子でそう締めくくったオリアナに対し、アゾリアはどうしたものかといった表情で小さく嘆息した。それにつられて――かは不明だが、オリアナも嘆息した。さらに右手のひらを額に当て、憔悴したように呟く。
「……やはり幼児退行というものなのでしょうか」
「幼児退行というほど深刻ではないだろう。現実逃避――といったところだな」
右手を顎にあてて、アゾリア。直後、オリアナが素早く顔を上げた。両目を見開き、鬼気迫る表情で椅子から立ち上がり、まくし立てる。
「癒希様がこの大地からの逃走を願っていると!? 寝食を共にさせて頂いていますが、そういった様子はどこにも――やはり入浴時も御一緒させて頂くべきなのでしょうか? それとも他に原因が? まさか私になにかしらの過失があったのでしょうか!?」
「……」
混浴などと正気か――そんな言葉を飲み込んで、アゾリアは淡々とした事務口調で続けた。
「矢木咬から聞いたのだが……」
彼女や癒希がいた国は極めて平和であり、15歳が戦場に立つなどあり得ないことらしい。要は命の危機に晒される経験など、ほとんどないという――オリアナは全く理解できないといった表情になると、頭上に疑問符すら浮かべて訊く。
「武器を持てるのなら、兵士として数えられて当然なのでは?」
「その常識が癒希を追い詰めつつあると、貴様に理解させるのは困難らしい」
「……癒希様がいた世界は楽園なのでしょうか」
「まあ、そう言ってやるな。あちらにはあちらの問題もあるそうだ。さて」
アゾリアは仕切り直すように軽く手を振ると、それから白金の神官戦士に視線を集中させた。
「治療法だが、あるにはある。癒希、入ってかまわんぞ!」
『はい!』
そう叫ぶと、法衣を着た少年――癒希がドアをやや慌てた様子で開けて入って来た。顔すら赤くしてアゾリアに訊く。
「あの! オリアナさんは妊娠してましたか!?」
「いいや。することもしないで妊娠もなにもないだろうに」
「でも、えっと……あの……」
もごもごと何かを言いながら癒希はオリアナを見つめた。神官戦士のお姉さんは凛とした表情を向け返す。
「その件はただの勘違いでした。やはりキスでは妊娠しないようです。どうかご安心を」
「え、ええ……それはわかってますけど……その、ファンタジー世界なので……」
「…………」
アゾリアは深々と嘆息した後、癒希を正面の診察椅子に座るよう促した。オリアナは癒希の背後に立ち、白い女性医師の診察は続く――
「で、癒希の治療だが」
「僕のですか? え? あの、話の流れがまったくわからないんですけど」
本人の同意はなしに。癒希がいた国の病院との違いである。それはさておき、アゾリアは懐から小さな薬瓶を取り出し、机の上に置いた。それをじっと見つめる癒希。オリアナは彼の肩ごしに食い入るようにそれを見据える――薬瓶には薬品名などのラベルが貼られていない。というか剥がされた形跡がある。癒希とオリアナの視線が怪訝なものへと変わり、それらがアゾリアへと向けられた。
「出どころ不明のものは食べちゃいけないって学校で習ったのでパスでお願いします」
「まっとうでない物を主に摂取させてはならないと教会で習ったわけではありませんが、まっとうな薬を要請します」
「お前たち、なにを言っている?」
が、アゾリアは椅子に深くもたれかかり、くすりと笑った。
「要塞指揮官である私には所有と使用の許可がおりているものだ。よって出どころは騎士団のある部署、つまりは至極まっとうな薬品であるということだ――なぜそんな顔をする?」
少し驚いたような顔になったアゾリアの正面では、癒希の怪訝な視線がランクアップし、不審なものを見る目になっていた。どうにも不審そうに訊く。
「ある部署っていうのは部署一覧表に載ってますか?」
「もちろん載っているぞ。別の名称ではあるが」
「それって拷問とかをする暗黒系の部署じゃないですか!? 表ざたにできないやつ!」
「だが密偵――いや、被疑者から円滑かつ無傷で情報を引き出すための平穏な部署だ。メスやのこぎりなどとも無縁だぞ。近年はな」
「さっきから倒置法が恐ろしいですし、そろそろおやつの時間なので帰ります!」
叫び終えるや否や、癒希は問答無用で立ち上がろうとした――が、オリアナの凄まじい腕力によって椅子に座らされてしまった。ぎょっとした表情で従者の方を見上げると、彼女は納得したように軽く頷いていた。
「なるほど。そういったものなら問題ないと思います」
「異文化間の隔たりが!?」
「だろう? そういうわけでとっととこれを飲め。効果は飲んでからのお楽しみだ」
「説明もなし!? この世界には医師法とかないんですか!?」
「医師砲? 私は砲弾にならないぞ」
「癒希様がいた大地での隠語では? 劇薬やメスの類を敵陣にばら撒くのでしょう」
「聞いていたよりも物騒だな」
「全然違いますよ!?」
アゾリアは薬瓶から錠剤を手に取り、癒希の口元に差し出した。癒希は両手を突き出して抵抗を試みたが、その手をオリアナにぎゅっと掴まれてしまった。さらに背後から抱きしめられ、動けない。
「ちょっと、まじでそれ飲むんですか!? 冗談は――」
「冗談は嫌いだと言ったはずだ」
「じゃあ、本気でやばい状況ってことですね!?」
怪しげな錠剤が徐々に癒希の唇に迫っていく。悲しいかな、それを退ける手段が彼にはない。そして従者も飲ませる気のようであるらしく、真摯な声で囁く。
「癒希様のためなのです。どうかぐいっとお願いします」
「あの! せめて説明してくれませんか!?」
至極真っ当な少年の、極めて当然の要求は診察室に響いて消えた。
・
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「これは理性や知性を一時的に抑制する薬だ。簡単に言えば、赤子のようにしたいことをする状態ということだ」
「極限のリラックス状態ということですか?」
「そういうことだ」
2人の視線の先では、法衣を着た少年が椅子に座った状態で両足をぶらぶらとさせている。
「……♪」
なにが面白いのか、無垢な笑顔で両足をぶんぶんと振り始めた。
「癒希様に説明をしなかったのは……」
「治癒の輝きで薬を無効化されてふりでもされては意味がない」
説明を終えると、アゾリナはふうっと嘆息した。疲れるような作業はしていないはずだが――癒希を騙したようで気が滅入ってるのかも知れない。それはさておき。
「現在の癒希は歩いてはしゃぐだけの赤子だ。護衛をしっかりとな」
「お任せください」
「――♪」
オリアナは、きりっと表情を引き締めて胸を張る――その時、癒希のブーツがすっぽ抜けて診察室の天井を直撃し、彼は無邪気な笑い声を上げ始めた。
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