33話 「でも形式は完全に囮捜査ですよね?」
癒希がやり返す回の11話です。
よろしくお願いいたします。
※仕事の年度末進行が始まった関係で更新頻度の低下が予想されます。ご了承ください。
先生に突き放されたショックで昨晩はあまり眠ることができなかったけど、朝はやっぱりやってきた。
3時間くらいコーヒーでも飲みながら待ってて欲しい――僕は礼拝堂で寝ぼけまなこを指で擦りながら立っていた。元いた世界では経験したことのない強烈な脱力感を全身に感じる。当社比2倍脱力感と名付けよう。または頭痛が痛い脱力感。
どっちで呼ぶにせよ、これは睡眠不足だけが理由じゃなさそうだ。そんなことを考えながら、僕はもう一度、寝ぼけまなこを指で擦った。
と――
「癒希様、その、なんと申し上げればよいのかわかりませんが……」
隣のオリアナさんが心配そうな声をかけてくれた。
甘ったれるのもこのぐらいにして、そろそろしゃんとしようかな。
僕は湯豆腐メンタルに熱々の鰹出汁を注ぐイメージを想像しながら背筋を伸ばし、それから法衣の襟を正した。少しだけクリアになった視界で正面の扉を見据える――あれは大司祭様が入ってくる扉だ。
そしてあの人が僕たちを呼び出したのは直々に任務を与えるためなんだから、寝ぼけまなこの脱力状態で臨むのはさすがに憚られる。眠気覚ましのお説教は色々な意味で健康に悪いって学校で学んだし。そういうわけで、僕は当社比2倍脱力感も脱ぎ捨てた。
(……任務をきっちりと片付けてから、またあの人に会いに行こう)
頭の中であの人――矢木咬先生を思い浮かべれば、やっぱり厳しい顔をしている。会いに行っても拒絶されるだけかもしれないけど、とにかく、先生と話がしたい。心の支えとかじゃなくて、一人前としてあの人と向き合いたい。そのためにも任務をしっかりと片付けよう。
僕は再び正面の扉を見据えた――
ずがしゃあっ!
「うわあっ!?」
その瞬間、目の前に大司祭様が洒落にならない勢いで降ってきた。着地点の石床は、べこりとへこんでいる。鎧騎士でもたんこぶじゃ済まない威力だ。
僕が食らっていたなら薄焼きせんべいにされていただろう――隕石ですか? 違うと分かってるから涙目で論理的な質問をした。
「何なんですか!?」
「うむ!」
法衣を着たタングステン製の聖者は片膝をついた状態から立ち上がると仁王立ちになり、力強くうなずいた。
「昨日の昼時から貴様の気配が不安に満ちている! よって様子を見ていたのだ!」
「ええええええええええ……?」
ちょっと信じられない返答だったから、思わずどん引いた表情をしてしまった。
昼時と言えば先生の図書館に着いた頃だ。教会とはかなり離れているはずなのに――いや、まじで? 目の前の聖人がなんかエイリアンに見えてきた。よく考えたら大司祭様の人間らしい部分って目と鼻の数くらいだし。
それは置いておいて――いいのかは疑問だけど、とにかくがんばって置いておこう。寝起き20分で人狼ゲームは無理だ。
僕がどん引いた表情をなんとか修正した時、背中にチャックでもついてそうな御爺様は瞳に柔らかな光を灯した。
「貴様は奇蹟の子である前に可愛い部下! 困ったことがあるならいつでも相談するがいい! 全筋力をもって力になろう!」
「あ、ありがとうございます……」
人型殺人兵器を素手で叩き潰してしまいそうなほど屈強だけど、やっぱりこの人はエイリアンなんかじゃない。タングステン製の善人だ。
ちょっと感動してると、大司祭様は胸の前で両腕を組んだ。
がしーん!
「それはさておき!」
「あ、置かれちゃう感じですか?」
謎の効果音もさておき、大司祭様は懐から包みを取り出すと、それを僕に差し出してきた。生暖かい。
大司祭様の体温――寒気なんか感じつつ中身を取り出してみれば、一般の人たちが着てそうな服。いわゆる布の服だった。ちょっと古いというかぼろぼろだけど、洗剤の匂いがするから清潔ではあるんだろう。
「えっと、これはなんでしょうか――あれ?」
僕が首を傾げた瞬間、隣の気配が急激に鋭さを増した。
頬なんか引きつらせつつ神官戦士のお姉さんの方を向くと、射殺す時のような表情で大司祭様を睨みつけている。眠気が吹き飛ぶ怖さです。眠気抹殺ビューティーと名付けよう。
そんな殺人ビーム級の視線を向けられてるはずの大司祭様には微塵も怯んだ様子がない。堂々と続ける。
「最近、貧しき者たちを中心に奇妙な薬物が出回っているらしいのだ! 人々を守る教会としては放っておけん!」
なるほど。お子様の僕なら神官とは思われないだろうから、内密に調査できるってことか。
さらに大司祭様は松葉杖を背後から取り出して手渡してきた。足が悪いっていう設定なら持ってても不思議じゃないし、杖だから杖装備スキルの対象になるだろう。金属でしっかりと補強されてるから攻撃力も高そうだ。でも――
「要は囮捜査ですね?」
「違う! 捜査は司法の役目! 我ら教団が行うは罪なき人々の救済! これは作戦である!」
「でも形式は完全に囮捜査ですよね?」
「それはさておき!」
「あ、置かれちゃう感じですか?」
「置かれちゃう感じである!」
まあ、どこに置いても囮捜査は囮捜査だけど。
ちなみに僕が住んでいた国では司法にも許可されていない捜査形態だ。精神もお子様の僕としては不安を感じる――でもオリアナさんがメデューサの氷バージョンかってくらい冷たい視線で睨みつけても大司祭様は氷結しないし、決定も覆りそうにない。渡された服もスカートじゃないから我慢して任務に向かおう。リアクションしにくい怪異からもすぐに離れたい。
「じゃあ、行ってきますね」
「……はい」
僕とオリアナさんは左右の人差し指で両頬を突いた、いわゆる可愛いポーズをとった大司祭様から逃れるように、速足で礼拝堂を後にした。
・
・
そういうわけで僕はスキップ少年通り――僕が命名しただけ――を先生の図書館に向かって歩いている。ポケットにオリアナさんが隠れてもいない。完全に独りだ。
そして学生や労働者たちがとっくに各々の活動を始めてる時間帯なのにも拘わらず、辺りに人通りはほとんどない。昨日も混雑してたのは図書館の周りだけだったから、そういうものなんだろう――物言わぬ建物の数々に寂しさなんか感じつつ、僕は松葉杖で歩き続けた。
(歩いて10分くらいだったから……松葉杖だと20分かな?)
やる気はあるけど、この作業自体は億劫じゃないと言えば嘘になる。
僕は軽く嘆息した――その時、物陰から飛び出して来た誰かが目の前に立ち塞がった。気配は捉えていたし、大した速さでもなかったから僕の心臓は平常運転だ。
ここは物騒な場所でもあるから油断はできないけど――僕は杖装備スキルを意識しながら、松葉杖を握る手に力を込めた。視線を相手へと向ける。
『初めて見る顔だな!?』
道を塞いでいるのは若い女性だった。僕よりは年上だけど、ブレザーを着てても不思議はないくらいの年齢に見える。着ているものは布の服だけど。
そして後ろに流した癖毛と挑発的な笑み。僕がいた世界で言うならヤンキー。そんな印象の風体だ。彼女の目的が通り魔的な道案内じゃないなら――
(松葉杖の威力を試す時だ)
戦杖ほどの威力と強度はないけど、扱いやすさとお求めやすさでは松葉杖の方が上だ。
そして目の前の女性がなにをお求めかは分からないけど、こっちが提供するメニューは“鳩尾への一撃、手加減を添えて”で決まってる。お代は反省と3日間の鈍痛だ。
僕は浮かせていた右足をそっと地面につけ、松葉杖を構える――寸前。
「で、お前はどんな本が好きなんだよ!?」
「はい?」
その女性は笑顔になると、無邪気な声を張り上げた。
料理を持ったまま派手に転倒する動画のことを思い出しつつ、僕は視線を女性の鳩尾から口元へと移した。
「センセーの図書館は初めてだろ!? あたしがあれやってやるよ! れ、れふぁれ……なんとかってやつ!」
「レファレンスですか?」
「そう、それだ!」
図書館で働く人が利用者の質問に答えることをレファレンスって呼ぶと聞いたことがあるけど、僕がいた世界の言葉だ。
つまりこの女性は先生の図書館で働いている――いや、教師タイプである先生と真逆のタイプだから違うだろう。心の距離は近そうだから、熱心に手伝ってくれる人。
(つまりファンと考えるのが自然かな)
そうに違いない。心のシェルターを勢いよく閉められた身としては、生徒とか教え子ではないと願わずにいられない。嫉妬まじりの視線で見つめていると、女性は野良猫を連想させる笑みを返してきた。上品さはまったくないけど、なんとも言えない人懐っこさを感じる。
「ディナだ! よろしくな!」
「癒希です。こちらこそよろしく」
「もう開いてるから行こうぜ! レファンスしてやるよ!」
「レファレンスですか?」
「そう、それだ!」
ディナさんはハエトリソウみたいに僕の腕をがばっと抱え込むと、松葉杖のことを失念した強さで引っ張り始めた。そして――
「えっと! 足を怪我してるんですけど!?」
「あたしがいるから大丈夫だ!」
「えええええ……?」
希薄な根拠を基に片足でぴょんぴょんと跳ねる羽目になった運命を呪うこと数分。
僕とディナさんは倉庫図書館の少し手前に着いた。
不定期更新です。
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