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「お星さまみたい……。」
「え?」
小さくつぶやいたリーシャの声は、フィリックスには届かなかったようだ。
「あ……いえ。ルラの花が一番好きです。」
「ルラの花……ですか」
(そういえば、リーシャが生まれたグレン家の庭にも、ルラの花がたくさん咲いていたが……まさか、その時の記憶が?)
「ルラの花、ご存じですか?」
「ええ、もちろん。真っ白で可憐な花は、リーシャ嬢にお似合いですね。」
フィリックスが、立ち止まったリーシャに包み込むような柔らかい笑顔を向ける。リーシャの心臓が、トクンッと音を刻んだ。
ペイレール辺境伯家では、たくさん咲いていたルラの花だったが、寒さの厳しいローリア王国ではあまり見かけない花だということを、リーシャは王都に出てきてから知った。そのため、フィリックスは知らないのかもしれないと思い、尋ねたのだったが、知っていただけでなく可憐な花がリーシャに似合うという。もちろん、リーシャがこんなことを男の人から言われたのははじめてだった。
(わたし、たぶん、緊張してる……みたい?)
リーシャは頭の中はふわふわとしているのに、心臓の音ばかりが気になってしまうことに戸惑っていた。学園の先輩とはいえ、リーシャは今日はじめて会ったばかりの男の人に素敵な言葉をかけられたからだろうか。
これまでに、こういう言葉をかけられたことのないリーシャにとっては、大人の世界へと踏み出したような心地がしていた。トクトクと音を立てる心臓を感じながら会話をすることも、リーシャにとってはじめての経験だったのだ。
「ペイレール領の邸には、たくさんのルラの花が咲いています。私の……大切な花なのです。」
「大切な花だから、ルラの花が一番お好きなのですね。」
「ええ……。」
並んで歩き始めたフィリックスに、リーシャは言葉を選びながら伝えた。今にも心臓が飛び出しそうだったが、母が好きだったというルラの花を思い浮かべながらゆっくりとした口調で答えたのだった。
(やはり、記憶が戻っている?それとも、ヴィルフリート殿が話を?)
危険な賭けだとは思ったが、フィリックスは少し踏み込んで、リーシャがどこまで知っているのかを確かめたかった。もしかして、フィリックスのことも思い出してはいやしないかと……。
「そういえば、リーシャ嬢は体が弱いと聞いていましたが、学園に通えるほど元気になられたのですね。」
「はい。姉の治癒魔術の力のおかげです。」
「学園で、またお会いできてよかった。」
「え?あの……以前お会いしたことがございましたか?」
リーシャは目を丸く見開いて、フィリックスの顔を伺った。
フィリックスを見上げたリーシャは、彼の瑠璃の瞳にとらえられる。金色の光がきらりと光る。
(あ……、やっぱりお星さまみたい。…………あら?)
リーシャは、フィリックスの瞳に既視感を覚えた。フィリックスが「またお会いできて」と言ったが、自分が覚えていないだけかもしれない、確かにこの瞳に懐かしさを感じる……と。
一方、フィリックスはリーシャの反応を見て、今はこれ以上踏み込まない方がよいことを悟ったのだった。
「はい。以前、わたしがペイレール領を訪れた際に。
もう、7年も前のことになりますから、リーシャ嬢が覚えていないのも当然のことです。」
「7年前……ということは、わたくしが5歳のころですね。」
「はい。」
リーシャがペイレール領に来たばかりの頃だ。あの頃の記憶は曖昧で……リーシャは記憶をたどるが、フィリックスと会ったことは引き出せなかった。それでも、フィリックスの瞳に懐かしさを感じるのであれば、その時に接点があったのだろうと思われた。
「あの……大変申し訳ないことに、わたくしにその時の記憶はないのですが……。フィリックス様の瞳を見て、なんだか懐かしい気持ちになりました。おそらく、7年前にお会いしたからかと……。」
申し訳なさそうにためらいつつも言葉を選んで答えてくれたリーシャに、フィリックスの心が躍った。この瞳は、フィリックスの家に代々受け継がれてきたものだった。それを、記憶を戻されていないリーシャが懐かしいと思ってくれている。
余談とはなるが、ここローリア王国のクライバー侯爵家に大恋愛の末に結ばれて嫁いだ数代前の祖先もおなじ瞳だった。フィリックスがクライバー家の養子となったのは、そういう経緯もあったのだ。――実際はこの瞳は直系以外は1代限りのもので、引き継がれることはないのだが、それは殆ど知られていない。
「私の瞳の色は祖先から受け継いだものなのです。この国では珍しい瞳ですが、懐かしいと言っていただけるのは嬉しいですね。」
「お星さまのよ――」
「お星さま?」
「あ……失礼いたしました。薄闇に輝く一番星のようなきらめきが素敵です。」
リーシャは、つい出てしまった言葉を飲み込んで慌てて言い直すが、今度はフィリックスの耳まで届いてしまったようだ。フィリックスに問い返されてしまった。
リーシャは学園に入り、貴族の子息子女とのお付き合いも頑張りたいと思っていて、今日のお茶会だって気合を入れてきたというのに、ふとしたところで甘さが出てしまった。
フィリックスは、リーシャの頬が恥じらいからか、ほんのりピンクに色づくのを見て笑みを深めた。気にしていないことを伝えようとして、以前も自分の瞳を「お星さまのよう」と言われたことがあったことを思い出す。
「お星さま……そういえば、以前にもそのように言われた――」
「リーシャ!」
フィリックスが記憶を探っていると、その思考を遮るように、前方からマティアスが名前を呼びながら駆けてきた。
「あ。フィリックス先輩、リーシャとお話し中でしたか。申し訳ありません。
あちらにたくさんのルラの花が咲いるのが見えて。ここ王都ではなかなか見ないだけに、早くリーシャに教えたくて、気が急いてしまいました。」
マティアスはフィリックスとリーシャの話の間に入ったことを謝罪し、フィリックスに頭を下げた。しかし、マティアスの心は穏やかではなかった。ローゼリア王女との話でリーシャから目を離していた隙に、フィリックスとリーシャが仲良く話していたのに気づいて、焦ってリーシャのところに戻ってきたのだった。しかも、リーシャは頬を染めているではないか。
一方、フィリックスは思い出しかけていた記憶が、声をかけられたことによって霧散してしまった。それは、とても大切な記憶だったような気がするのだが、つかみ損ねたものはフィリックスの手の届かない奥底へと沈んでしまった。
「では、リーシャ嬢、行きましょうか。」
「リーシャ、こっちだよ。」
フィリックスは残念に思う気持ちをしまい込んで、リーシャを先へとうながした。リーシャの手をマティウスが取り、ルラの花壇へと誘う。フィリックスに会釈して、マティウスの手を取ったリーシャを見て、フィリックスは伸ばしかけた手を引いた。どんなにもどかしくとも、今、フィリックスはリーシャの手を取る立場にはない。
マティアスに気の置けない表情を見せるリーシャに、フィリックスの心が騒めきたつ。
「今日のところは、これで良しとした方がいい。」
フィリックスの心の内を見透かしたように、気づけばアランがフィリックスの隣に立ち、そっとその肩に手をおいた。
「今、焦ったらリーシャ嬢に警戒されるぞ。」
「わかってる。」
そんなこと、アランに言われなくてもフィリックスはわかっていた。しかし、どうにもならないのがリーシャへの気持ちなのだ。そっけなくアランに返答して、リーシャ達の後を追う。
アランは、そんなフィリックスを見送りながら小さくため息をついた。
フィリックスは、幼き頃から徹底して訓練されていることもあって、アランなど心を許せる者の時以外は感情が表面に現れることはない。それでも今、アランしか気づかないわずかな変化だったが、フィリックスに抑えきれない感情の欠片を見出だしたアランは、やはりリーシャが関わってくるとフィリックスは冷静でいられないのだということを、改めて実感したのだった。




