第八話「美は動なり」
第八話「美は動なり」
「やあ、やっと見つけたよ」
夜もすっかり更けた頃、目的の人物を見つけることができた。彼らにニエと名乗ったらしい、やつれている男。
「・・・あんたか」
「随分やつれているね。今日も吸われたのかい?」
「・・・当たり前だ・・・」
「あと、どれくらい残ってる? 見たところ残り僅かみたいだけど」
「・・・一回・・・あって二回ってとこだな・・・」
「そうか・・・少し疑問に思うところがあるんだ。君が彼女の生贄になったのは自己犠牲心によるものだったけど、感情をほぼ失った今でも、それは残っているのかい?」
「・・・自己犠牲心・・・分からない・・・おれはただ・・・こうするものだから・・・」
「過去の君の思いが、まだ君の中に残っているのかな。それが本能のように、今の君を突き動かしている」
興味深い話だった。感情を失いつつも、確かに残っているものがある。
「・・・君に伝えておきたいこと、そして、君に聞きたいことがあるんだけど」
「・・・・・・・・・」
「今日大分に来た女の子が彼女に襲われてしまった」
「・・・」
「これは見逃せないよ。ついに君以外の犠牲者が出てしまったんだ。早急に対処しなければならない」
「・・・それでどうする・・・」
「結局、僕の方は結局何も見つけることはできなかった。君の方はどうだい? 何か、新たな情報を得ているんじゃないか?」
「・・・」
「・・・それに、君はまだ、僕に隠していることがあるだろう。すべて話してもらおうか。手遅れになる前に、ね」
ネイロが吸情鬼に感情を吸われてしまった日の夜。俺とムー、ネイロ、そしてここ大分で出会った写真家は旅館の一室にいた。とりあえず身を隠せて寝ることができるところに移ろうという判断である。
俺たちは情報交換を行った。
まず俺が写真家にトウソウの世界アップデート論とこれまで俺たちが体験してきたことを話す。彼は特に間に口を挟まず俺の話を聞いていた。
「なるほど、アップデート。そして、バグか・・・」
彼は少し引っかかるところがあるようだったが、特に何も言うことなく、次の話題に移った。次の話題、写真家からの情報。つまり、吸情鬼についてである。
「僕も多くを知っているわけではないけどね・・・話せる範囲で話そう。僕が彼女に初めて会ったのは四日前のことだ」
「アップデートからずっと大分にいるのか?」
「僕かい? そうだよ。そして四日前、あの吸情鬼に出会った。君たちも会ったニエと一緒にね」
実はニエに会ったのは君たち、ではなく俺だけである。まあ指摘するほどのことではない。彼について今俺が知っているのはやつれていたということと、写真家が会った時はやつれていなかったということ。ここから導き出される結論は・・・
「ニエは、吸情鬼の犠牲になったのか」
だからこその、あの反応の薄さ、感情の薄さ。
「ああ、その通りだ。一つ付け加えるとするなら、彼は自ら犠牲となった」
「自ら? なぜ?」
「自己犠牲心、ってやつかな。その理由が感情であることは間違いない。彼がもうほとんど失ってしまったであろう感情・・・」
同じく感情を失ってしまったネイロの方を見る。ネイロはここに着くなり眠りについた。ムーはこちらが何を言っても無駄なほど落ち込んでおり、ただ一心にネイロを見守っている。
「・・・ニエとネイロの例を見るに、感情を吸われても死にはしないみたいだな」
「うーん。少し違う。死ぬよ、感情を吸われれば。感情を完全に失ってしまえば、死ぬだろう」
「感情を失うと、死ぬのか?」
「ああ、死ぬというのは君が思っているような死ぬじゃない。バンクくん、この世界の人間たちを、生きていると思うかい。勿論、生物的には生きているんだろうさ。でも、人間として生きていると言えるのかな?」
感情を失い、機械のようにただ動くだけの人間たちを、生きているといえるのか。難しい問題だった。俺には迷いなくどちらかを決めることはできなかった。
だが、そういえば彼は、俺たちのことを、この世界の感情のない人間ではないバグのことを、「生きている人」と言っていた。それが彼の死生観なのだろう。感情がないことは、死と同義であると。
「少し話が逸れるけど・・・僕の写真家としての持論の話になるけれど、人間は、感情があるからこそ美しいと僕は思うだ。その心に、揺れが、戸惑いが、「動き」があるからこそ美しい。美は動なり。僕の一番好きな言葉だよ」
そしてこう続けた。
「「動」なくして美はあり得ないんだ。例えば写真は、「動」の中の「静」を切り取るもの。「動」があるからこそ「静」があり、その奇跡とも言える一瞬に美しさが生まれるのさ」
その言葉には納得感があった。美しさがあった。
「閑話休題、吸情鬼についてだったね。バンクくん、吸情鬼はなぜ感情を吸うんだと思う?」
吸血鬼が血を吸うのはそれを栄養にして生きるため。ならば、吸情鬼が感情を吸うのも生きるためか? 生物としてでなく、人間として。
「おそらく、吸情鬼は感情を消費する生物なんだ。生きているだけで、感情がどんどん薄れていく。だから人を襲って感情を吸う」
「俺たちが会った時の吸情鬼はやけにテンションが高かったが、それは感情を吸ったからで間違い無いな?」
「そうだね」
「それで」
ここでムーが口を開いた。
「ネイロは・・・ネイロの感情は、戻るの?」
「ムー・・・」
「・・・ネイロちゃんは感情をすべて吸われたわけじゃない。吸情鬼が、いわゆる満腹になるためには、別に感情をすべて吸う必要はないらしい。吸った感情を体内で増幅させる仕組みがあるのか・・・理由は不明だけど。少なくとも、ネイロちゃんが感情を取り戻せる可能性はゼロじゃない、とだけ言っておこう」
そう言って写真家は立ち上がり、部屋の扉に手をかけた。
「僕たちはまだあの吸情鬼について知らないことが多すぎる。まずは情報を手に入れることだ」
「どこに行くんだ?」
「んー。写真を撮りに行くんだよ。僕は写真家だからね。こんな星空が綺麗な夜には、写真を撮りに行かずにはいられないのさ。明日までには必ず戻ってくるから安心してくれ」
そして今日を迎える。俺たちが大分に来て二日目、十月十二日。
「おはよう、バンクくん」
起きたら彼は部屋の隅にいた。ムーとネイロは、まだ眠っている。ネイロの眠る姿は昨日となんら変わりはなかった。感情が薄れているなど、嘘のように。
「・・・良い写真は撮れたのか?」
「そうだね。・・・ムーちゃんを起こしてくれるかい。君たちには話しておかなくてはならないことがある」
言われた通り、ムーを起こす。
「何か、新しいことは見つかったの?」
「一番の謎は、まだ解決してない。でも分かったことはある。ネイロちゃんが襲われた理由についてだ」
「理由? それは昨日・・・」
「もちろん、吸情鬼が人を襲う理由は感情を吸うことに他ならない。しかし・・・言葉が足りなかったかな。ニエが自ら吸情鬼の犠牲になったことは昨日話したと思う」
「ああ」
「これは僕を守るためだ。被害を受けるのは自分だけでいい、と彼は言った。そして彼女もその願いを受け入れたのさ。僕がまだ彼女に襲われていないことが何よりの証明だろう、彼女は彼だけを吸うと約束した」
「なら、なんで!」
「彼が死にかけているからだ。もう彼に感情はほとんど残っていない。彼女が満腹になるまで吸えば、死んでしまうほどしか残っていない。そのことに気づいた彼女は、吸う量を控えた。満腹ではなく、その場凌ぎの分だけ、生き延びるために吸った。彼が死ねば彼女も次のターゲットに困るからね」
だから、ネイロが襲われたのか。感情が足りなかったから。
「ターゲットに困るって・・・あなたがいることは知っているはずでしょう?」
「彼女からしてみれば、僕がまだ大分に残っていることが予想外だろう。彼女は僕がもう逃げたものだと思っているはずだ」
その思考回路は想像に難くなかった。一人が犠牲になり、残った一人は逃げる。至極当然の帰結である。
至極当然の帰結だからこそ、疑問が生まれた。
「なぜお前は残ったんだ? ニエが死んだ後、見つかったら次に襲われるのはお前だろうに」
「・・・僕は彼女を人間に戻したいと思っている。その手がかりを探すためにこれまで大分中を回ってきたんだ。結局、何も見つからなかったけど」
「・・・なぜ彼女を人間に戻したいと思うの? 見ず知らずの吸情鬼を」
その質問に対し、写真家は何かをはぐらかすようにこう答えるのであった。
「そりゃ、僕は女の子が大好きだからね」
「ハハハハ・・・こんにちは・・・」
そんな昨日とは打って変わったテンションな挨拶で俺たちを迎えてくれたのは、ネイロを襲った吸情鬼である。
迎えた、というよりはこちらから出向いたと言った方が正しいか。ムーとネイロを旅館に残し、俺と写真家は吸情鬼との交渉に臨むこととなった。
「吸情鬼、君は・・・」
「キュウジョウキ? 何それ」
「君は血ではなく感情を吸う、だから吸血鬼じゃなくて吸情鬼さ」
「・・・なるほどね。ハハハ・・・そんなダサい名前で呼ばないでくれる? あたしも名前を考えたのよ。アカツキ。いい名前でしょう? ハハハハ・・・これからはそう呼んで頂戴」
それは取ってつけたような笑い方だった。笑い方を知らない子供が、書かれた文字を棒読みしているだけのような笑い方だった。
「・・・じゃあ、アカツキ。話し合いを、始めようか」
「話し合い? ハハハハ・・・私たちが今更、何を話し合うというの? もう、あの男は助からないわよ」
あの男とはニエのことだろう。もう助からないと言った。それはもしかしたら同じく感情を吸われてしまったネイロも・・・。そんな不吉な想像を振り払い、目の前の敵を見定める。
「話し合うことならいっぱいあるさ。さて、アカツキ、単刀直入に聞こう。君に、人間に戻る気はあるかい」
アカツキの表情が揺らいだ。
「人間に・・・戻る? 戻れるの?」
「それはまだ分からない。でも、君が話してくれないことにはその可能性すら生まれない」
「ハハハハ・・・私は何を話せばいいのかしら。話すことなんてないと言ったけど」
「君が話すべきことはひとつ。君がどうやって吸情鬼になったのか、だ」
「・・・教えてもいいけど。ハハハ・・・それを知ったところで私を人間に戻せるの? それができるならとっくに私はやってるわ」
そう言ってこちらを睨んだ。強かな、しかしどこかか弱い視線。
「僕はひとつ重大なことを知っている。ニエ、君の生贄となった彼から聞いたものだ。彼がずっと隠していたものだ」
「それが・・・?」
「とにかく僕を信じて欲しいな。・・・君が約束を破ってネイロちゃんを襲ったことを、僕は咎めてはいないだろう? それは君の本意ではなく、本能で、御し難いものだったと信じているからだ。だから君も僕を信じてくれないか。・・・ただし、くれぐれも勘違いしないでくれ。僕は君のことを許したわけではない」
一時の間があって、アカツキは語り始めた。
「私がこんな体質になったのは、あなたたちに会った日の前夜。夜空を眺めていると、そこに、いつもとは違うものがあった。おかしいとは思った・・・でも思っただけでその理由を考えようとはしなかった。この世界自体おかしかったから。でも、多分あれのせいでしょうね。夜空に浮かんでいた、あの青い月のせい」




