70話
「ただいま……」
春の大型連休が始まり、超満員の新幹線に乗って1時間。そこから車で1時間半。ほのかと真木は千葉のとある場所に来ていた。
玄関の引き戸を開けると同時にバタバタと荒い足音が近づいてきて、姿を表すと同時にほのかに突進した。「やぁぁ!」と押し倒されるほのか。
「ちび丸! ダメェェェ!」
ほのかを押し倒して顔をべろべろ舐めようとしてくるが、それを必死で拒絶する。ちび丸と呼ばれた犬は嬉しそうにしっぽを振ってはいるが、その名前とはほど遠い大きなラブラドールだった。
「ちび丸おいで!」
呼ばれるとちび丸はほのかに構うのを止めて犬を呼んだ飼い主の元へと戻っていく。
玄関の中から犬を呼んだのはほのかとよく似た男性だった。その男性は倒れたほのかに手を貸している真木をじっと捉えていた。
「あなたが真木さんですね」
挨拶のタイミングをすっかり狂わせられた真木はほのかを立たせた後、もう一度姿勢を正して「どうもはじめまして」と会釈した後名前を告げた。
「はじめまして。兄の智之です。妹がお世話になってます」
簡単な挨拶をしていると、廊下を小走りで駆けてくる人がもうひとり。玄関先でふたりの顔を見るなりにっこりと笑って会釈した。
「はじめまして。母のさや子と申します。娘がいつもお世話になっております。さぁさぁ、中にどうぞ」
そうして中に案内されたふたりはリビングに入り、近所の出かけているという父が帰るのを待つ。4人で他愛もない世間話をしながら待っていると、すぐに父親が帰ってくる。部屋に入ってくるなり父親の視線が向かう先は当然真木だった。
「真木君、娘からいつも伺っております」
扉を開けてソファーに座ろうとした際に、扉に肩が辺りガンッと大きな音が響いた。そして腰を下ろすまでの間もひじ掛けに脚をぶつけたりとかなり緊張しているのが見受けられる。
「ちょっと、お父さん落ち着いて」
ほのかにまでそのようにアドバイスされる始末だ。ようやく椅子に座ったが、どことなくそわそわする父、見守る母。
ようやく口を開く決心をしたのか、「あのー」という小さな声が聞こえてきた。
「その、娘をよろしくお願いします」
「いやいや、お父さん! 挨拶しに来たんだからこっちから言わせてよ!」
ほのかの天然は父親譲りなのである。
そんなこと自分で気づかない彼女は隣に座る真木の顔を見ながら「ごめんなさい」と肩をすくめる。一方で真木は面食らったような顔したあと、くすくすと笑いが止まらない様子。
「すみません。ですが、快く受け入れて頂けてありがたく思います」
コホンと笑いを収めると、今度は真剣な顔に切り替えて改めて挨拶を始めるのであった。
「改めまして、真木悠介と申します。この度はほのかさんとの正式に婚約させていただきたくご挨拶に参りました」
こういった文言で話し始め、ざっくりといつから付き合い始めたのか、付き合っている間に挨拶が無かったことへのお詫び、そして結婚を決心した理由などが彼の口から話される。
ほのかの家族は相槌を打ちながら彼の話しを聞いた。
「えぇと……、それでは結婚を許して頂けるということで、ありがとうございます」
「そうね、ほのかはぼーっとしてるし、変な人に引っかからなければいいなと心配してたけど、悠介さんみたいな方で良かったです」
母親がほっと胸を撫でおろして真木を見る。
――なんか莉子にも同じこと言われたけど、私ってそんなに危なっかしいように思えるかな?
「慌てて悠介さんに迷惑をかけないようにな」
どうやら父も心配してくれているようだ。ほのかの性格は家族全員が分かっているので、いつ、どのタイミングで思いがけないミスをするのか分かったものじゃない。
「悠介さん、娘は僕に似て少しぼーっとしたところもあります。少し甘やかしすぎてしまったところもあるかと思いますが、どうか末永く一緒にいてやってください」
そして父は頭を深々と下げた。
「はい」
それに倣って、真木も頭を下げたのだった。
顔を上げた彼を見ると、どこか昔を懐かしむ表情を浮かべたように思える。
「悠介さんのご両親にはもうご挨拶はしたのか?」
ほのかの父親が訊くと、真木が一拍置いて口を開いた。
「僕の両親は大学時代に震災で亡くしておりまして、両親への挨拶といっても墓参りに行く程度ですが……この連休中に都内の霊園に行くつもりです。祖父母と、上に姉が3人おりますのでそっちには連絡を入れておこうかなと思っています」
「あら、そうなの……。じゃぁ、私たちの分までしっかりご挨拶してきてね、ほのか」
「任せなさい!」




