98話
ついにほのかが真木の家に引っ越す日となった。緊張もあるが、新生活に対する喜びがその不安をも遥かに凌ぐ。
本当は引っ越しの日までにある程度のものをまとめるつもりでいたが、結局仕事が詰まっていたのでパッキングする時間は木曜の午後からしかなかった。
そのため今日は朝7時から始まり、引っ越し業者が来る前に済ませてしまわなければならない。ほのかと真木のふたりはその作業に追われていた。
「ぱんつはどの箱に入れたらいい?」
「それは私がいれるので、触らなくていの!」
思いの外むきになる彼女を見て、冗談で言っただけなのにとしゅんとしてしまう。
友人やほのかの兄が10時から来ることになっていたので、それまでにおおかたの荷物は段ボールや袋に詰め込むことができた。
「この大きな家具は全部実家に持っていってもらうの?」
「そうです。白物家電は実家も置いてもいいって言ってくれたので置かせてもらうんですが、ロフトのマットレスは先輩のおうちでゲスト用として使ってもらえることになったので安心です」
将来的に引っ越すだろうということを見込んであまり荷物を増やすことなくいたが、こうしてまとめてみるとそれなりの量になったのには驚いた。
荷物を真木の家に運び終わったら、そこからまた荷解きをしなくてはいけない。長い一日になりそうだ。
「後は年内に清掃業者さんに来てもらって、完了ですね。年明けすぐに大家さんに鍵を返せると思います」
残りの荷物をまとめていると、玄関のチャイムを鳴らす音が室内に響いた。人が来るのは分かっていたので鍵はかけずにいたので「どうぞ」と言っていいながら玄関に近づく。
最初に現れたのはほのかの兄である智之だった。
2階のほのかの部屋から2トントラックが停まっているのが見える。荷物を運ぶために実家からわざわざレンタルして来てくれたのだろう。
「よ。進んでるか?」
相変わらず元気そうで何よりだと挨拶をしていると、作業している手を止めて真木も奥から挨拶に出てきた。
「ありがとうございます。年末の忙しい時期に手伝っていただいて」
「いいですって。気にしないでください」
「ありがとう、お兄ちゃん。もうすぐ友だちも来るから、そうしたら洗濯機とか、冷蔵庫の運び出しをお願いします」
玄関先で話している間に大学時代の3人も順番に集まった。
「おっす、久しぶりだな。元気してたか」
「春都ー! 超久しぶり。今日はありがとね」
真木と春都は初対面になるので、ほのかが間に入ってそれぞれの紹介をする。そしてやっぱり二言目には「コイツめちゃくちゃ天然なんで、迷惑かけてないか心配ですが、末永くよろしくお願いします」と付け加える。隣を見ると兄の智之も頷いて聞いていた。
――何? 私ってそんなに信用ないのか?
約束していた10時には莉子と幸也も来て、荷物をトラックに入れる作業を進めた。
実家に贈る荷物は智之のトラックに。新居に持っていく分は真木がレンタルしたトラックに運び入れる。男性陣が大きい荷物を運んでいるうちに、ほのかと莉子は掃除機をかけて片づけをした。
そうしてすべての荷物が運び出されると、がらんとした部屋をぐるりと見まわして入居を決めた高校3年の春を思い出した。
あれから6年。この部屋で作ったいろいろな思い出や、過ぎ去った日々を懐かしんだ。
「もうそろそろ車を出すけど、行ける?」
ドアから真木がほのかにそう話しかけると、遮るものが何もない部屋の中ではよく響いた。そのエコーが昨日まで”住んでいた”場所が、今はがらんとしているだけの”空間”になったのだと改めて感じさせられる。
「うん、大丈夫。行きましょう」
智之には改めて礼をすると今日はその場で別れて、残りを搬送する。ほのかは真木が運転する2トントラックに乗って、ほかの3人は春都の軽自動車で都内のマンションに移動するのであった。
「先輩んち、めっちゃ広いですね。ひとり暮らしで2LDKだったんですか?」
「あぁ、何年か前に上手く交渉出来て、割安で借りられたからそれ以来ずっとここを気に入って住んでる。会社からも近いし」
幸也が荷物を運びながら室内をぐるりと見まわす。クローゼットの中から本棚まですべてがきちんと整頓されて彼の几帳面な性格を表しているようだった。
世間がそろそろ暗くなり始めた頃、ようやく引っ越しが完了した。またまた男性陣が力仕事をしている間に女性陣は夕食のすき焼きの準備をしていたので、作業が終わると同時にぐつぐつと湯気が上がる鍋をテーブルの上に運んだ。
「今日はほんとうにありがとう。おかげさまで無事、年内に引っ越しが完了しました!」
ほのかの礼に合わせて真木も頭を下げる。
「真木サン、ほのかが入居してきた感想はどうですか?」
鍋を囲みながら莉子が悪戯っぽく訊くと、相変わらず不愛想な言い方ではあったが彼はふたつ返事で「うん、嬉しい」と答えた。
それはあまりにも普段とのギャップが激しすぎて、幸也はゴフっと飲んでいたビールでむせてしまうほどだ。
どうやら新生活に胸を躍らせていたのはほのかだけではなかったようだ。むしろ彼の方がそれを喜んでいるようにすら思えた。
◆◆◆
みんなが帰った後の部屋の中で、ふたり分のものが詰まった様を見回す。
「悠介」
「ん?」
「あの……不束者ですが、よろしくお願いします」
向き合って手を取りながらそう言うと、彼の方からほのかをぎゅっと抱きしめる。暫く何も言わずにいたので、どうしたのかと、背中をぽんぽんと叩くとようやく思い出したように動き出した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」




