第二王子
「最近調子はどうですか、お兄様」
「問題はないが、殿下の様子を見ていると居た堪れなくなるよ」
王妃のお茶会に出席する為、バラク兄妹は王宮の廊下を歩いていた。
「そうそう、頼まれた件はやっておいたよ」
「殺虫剤の?」
「許可申請を出したから、次の休日に実施されるだろう。殺虫剤の後のお香で、ベリー嬢の匂いを消すつもりなのか?」
「一番の目的は『殺虫剤』の方です」
サモエドはシェパードを見上げる。
「学園が使う殺虫剤ですから、粗悪品ではなく名の知れた殺虫剤を使うでしょう?」
「何処の殺虫剤かまでは知らないな……。納品元を調べればわかるだろうけど。まあ、サモエドの言う通り、おかしな所の物は使わないと思うよ」
「一番有名な物は教会が作っているものなんです。殺虫剤の主な成分は虫が嫌う薬草なので、薬草を取り扱う教会の専門分野なんだそうですよ」
サモエドの話を聞いて、ああ、とシェパードは思う。
「つまり、その殺虫剤に『あの農薬』効果があるかもしれない、と考えたんだな?」
「ええ。教会の農薬は害虫駆除とお野菜に元気を与える二つの効能があるそうです。害虫駆除要素は殺虫剤と同じでしょう?」
「農薬と殺虫剤、成分量は違うかもしれないが同じ薬草は使っているだろうな」
農薬のうち、『毒』に効果があるのは『害虫駆除』の要素なのか、『野菜に元気を与える』の要素なのかをサモエドは知りたいようだ。
「まあ、要観察というところか」
まだ話す事は尽きないが、そろそろ王宮の中庭に着きそうなので、兄妹は物騒な話は一旦区切りを付ける。
「お兄様、王妃様とお話したことありますか?」
「それなりに。サモエドは挨拶ぐらいしか、ないんじゃないか?」
「はい……緊張します」
妹の様子に苦笑する。
「王妃殿下よりも第二王子殿下の方を気にした方が良いぞ」
「第二王子殿下はお兄様と学園についてお話するのではないのですか?」
「いや、今日の本当の目的は……あ、サモエド。王妃殿下がいらっしゃる、お喋りは終わりだ」
兄の目線を辿ると、中庭の中央に大きな木が見えた。その木陰にテーブルセットがおいてあり、そこには既に二人の人影があった。
サモエドは目を伏せがちにしてシェパードの後ろ斜めを歩く。
そして兄が止まり、定型的な挨拶をしたのを合図にサモエドも顔を僅かに上げてカーテシーをした。
「今日はわざわざ足を運んで下さり感謝します」
王妃の言葉に、シェパードもお決まりの言葉を返す。
「こちらこそ、素敵な席にお招き下さり、光栄です」
王妃に促され、兄妹は席に着いた。
王妃はおっとりとした性格で、髪の毛はサモエドと同じ銀色だ。
よく見るとバラク前公爵夫人…兄妹の祖母に面影が似ているとサモエドが気づいたところで、王妃は「緊張なさらないでね」と微笑みながら話し始めた。
「私の母は貴方達のお祖母様と姉妹だったのです。この……」
隣に座る男の子の背に手を当て、
「ファルトは、貴方達兄妹のはとこにあたるの」
ファルト…それがこの国の第二王子の名前である。
***
それから暫くは取り留めもない会話をしていたが、
「そういえば、この中庭の花壇に植えたお花達が綺麗に咲いているのよ?ご覧になって欲しいわ」
王妃の言葉を受けてファルトは席を立つと、サモエドの傍に来て手を差し出した。
「案内します」
「ありがとうございます」
サモエドはファルトの手を取ると、隣に座っている兄の顔を見上げる。
「行っておいで。私は王妃様と学園での王太子のご様子などをお話しているから」
「はい、お兄様。では王妃様、失礼致します」
王妃とシェパードに笑顔で見送られながら、サモエドは第二王子と二人で庭を散策することとなった。
サモエドはちらりと斜め前を行くファルトの横顔を見る。
彼は小豆色のウェーブが掛かった長髪をエンジ色のリボンで一つにくくっている。
目の色は髪の色を少し濃くした感じだ。
髪色は国王陛下似だが、雰囲気は王妃に似ておっとりとしていて、第一印象は優しそう、である。
「サモエド嬢は僕の兄上を知っていますか?」
「アクリ王太子様ですか?勿論知っています。私がまだ幼い頃、一度だけこうして手を引かれて庭の散歩をしていただきました」
「そうですか。その時は何処を回りましたか?」
幼い頃…サモエドがまだ5歳かそこらの頃の話だ。
「湖?のようなところが印象に残っています」
「ああ、それはきっと王宮じゃないですね。綺麗な所でしたか?」
サモエドは無難に「きっと、美しい場所だったと思います」と答えた。
「覚えていないのですか?」
「申し訳ありません、当時は本当にまだ幼かったので……」
「ではその時の兄上の様子は覚えていますか?」
サモエドは一拍置いてから、申し訳なさそうに首を振った。
「本当に朧げにしか覚えていないのです。王太子様の事もよく覚えておらず……ああでも、兄以外の同世代の人に手を引かれるのは初めてで、ただただ戸惑っていた事だけは覚えています」
覚えていない事は不敬かもしれないが、誤魔化しのために嘘を言えば、どこかで綻びが生じる。それくらいなら、本当の事を言っておいた方が良いだろうとサモエドは正直なところを告白した。
「そうですか」
ファルトは気分を害した様子はなく、それどころか少し嬉しそうな声だった。
そして、サモエドの手を引く手に少し力が籠められる。
「ファルト殿下?」
「今日の庭の花々がもっと美しければ良かったんですが…」
連れてこられた場所は、王妃やシェパードから10メートルほど離れた場所だった。
そこには薔薇が植えられていて、綺麗に花を咲かせていた。
「とても美しいですわ」
「10年後も覚えていてくれますか?」
驚いてサモエドは薔薇を見ていた瞳をファルトに向ける。
そしてすぐに先程の『王太子と見た風景や王太子の様子などをよく覚えていない』と言ってしまった事を指摘しているのだろうと思い至った。
「あれは…幼い頃の事だったからです。今なら…今日の事は覚えていられます」
「うーん…」
シドロモドロに言うサモエドの返答にいまいちピンとこなかったのか、ファルトは少し考える素振りを見せ、そしておもむろに自分の髪を縛るリボンを解いた。
「失礼しますね、サモエド嬢」
一言謝り、サモエドの髪の右サイドの髪束を掬い、そのリボンを結いつけてしまう。
「で、殿下?あの……?」
父や兄以外の男性に髪を触られた経験がないサモエドは動揺し、顔が真っ赤になってしまう。
「このリボンは僕のお守りなんです。でも貴女にとても似合ってるから貰ってくれませんか?」
「そ、そんな大事な物を頂くわけには……!」
第二王子直々に結ばれたリボンを無下に解くわけにはいかず、サモエドは目線を彷徨わせながらそう言うと、その様子を見たファルトも少し慌てる。
「嫌なら解いて下さい。すみません、貴女の好みを考えずに……」
「い、いいえ!とても綺麗な色だと思います」
「な、なら……」
少し上ずった声色に、サモエドはまたファルトに目線を遣る。すると、彼の顔もとても真っ赤になっていた。
「貰っていただけますか?」
「は、はい」
その勇気を振り絞っている様子に、サモエドは思わず頷いた。
***
帰りの馬車に揺られながら、サモエドはぽやーっとした様子で窓から遠ざかる王宮を見ていた。
「第二王子は優しい方だったか?」
心此処にあらずの妹に、遠回しに今日の戦果をシェパードが訊ねる。
サモエドは「ええ」と頷いた。
「私、今日の事は絶対に忘れられそうにないですわ……」
そして、王家から正式にバラク公爵令嬢に第二王子との婚約を打診してきたのは翌日の事だった。




