カーテンコール①
エクセル・ガールズのステージが終了し、本来はそのままフェスティバルのカーテンコールという流れだったが、総合プロデューサ桜吹雪屋藍染テラスにより、祭りの終りの前に、プログラムに強引に、安賀多タモツと斑鳩イオのキス・シーンの撮影がねじ込まれた。撮影をしたのはメイド喫茶ドラゴンベイビーズで働き、先ほどステージで昭和アイドル歌謡を歌い上げた谷崎モモカの妹の谷崎ユウカという中学生だった。彼女は小さな頃から、アイドル志望の姉のことを撮り続けてきた経験があって、カメラの回し方は本物だった。
紫色の向日葵の前に、安賀多と斑鳩は立ち、お昼の続きの撮影がスタートした。
俺と御崎ミヤビはフロアの後ろの方で、そのシーンを眺めていた。
オーディエンスは斑鳩のことを本物の女の子だと思っているようで、短いキス・シーンには歓声が上がった。
この歓声はキネマのクライマックスに相応しいと、俺は思った。
フェスティバルが終ると、エクセル・ガールズのサイン会が行われた。ステージの上に折畳式の長机が用意され、そこに向かって行列が出来た。
「おお、大人気だ、」いつの間にか隣に森村ハルカが立っていた。「でも、二人の初めてのサインを持っているのは、私なんだよね」
「ハルカ、どうして安賀多の場所が分かったんだ?」俺は聞いた。
「魔法を使ったのよ」
「魔法?」
「魔女になれってアドバイスをくれたのは丈旗だったよね、ありがとう、丈旗はやっぱり素晴らしいアドバイザだね」
「また、適当なこと言いやがって」俺はまた得意のハルちゃんジョークだと思った。
「ああ、しまった、」ハルカは額を押さえて言う。「また、キャラクタを忘れてしまったよ」
「図書室に住まう魔女のこと?」
「そう、」ハルカは声色をダーティに変えて言う。「キャラクタが定着するまでが難しいのだ」
「あ、丈旗、おーい、よかった、まだいたんだ、」人混みを抜け出し、藍染ニシキが俺に向かって手を振って近づいてくる。「まだ丈旗に言ってなかったよね、黒板係の丈旗君にうってつけの仕事のこと」
「仕事?」俺は首を傾げた。いや、確かに、そんなことを言われていたような気がする。「仕事って何ですか?」
黒板係の俺にうってつけの仕事、というのは、紫の向日葵の絵を消すことだった。
俺は何度も「先輩が描いた素晴らしい絵を、僕が消すことが出来ると思いますか?」とニシキの描いた紫色の向日葵と錦景市を表現した原色の走りを褒め叩き、「これは遺産ですよ、ずっとブロック・ガーデンに残しては置けないんですか?」と提案した。
しかし、ニシキは自分が描いた作品の保存には興味がないみたいだ。「一応、フェスティバルが終わったら綺麗にすることはここの店長との約束だし、キネマに絵も映ったことだし、それにあまり色が強すぎる絵が後ろにあったら、ライブでも演劇でもなんでもやりづらいでしょ? だから消さなきゃ、お願いよ、綺麗に消してね、丈旗君、頼んだわよ」
「何で俺が、」と思わなかったら嘘になる。水性ペンキで描いたというが、ペンキはペンキだ。ブラシで擦ってもなかなか綺麗に色が落ちてくれない。「何で俺が……」
「黒板係でしょ?」ミヤビが梯子の下から見上げて俺に言う。「文句言わないで、さっさと消す」
エクセル・ガールズのサイン会が終り、ブロック・ガーデンに残るのは、俺とミヤビだけになった。安賀多も斑鳩もニシキもテラスも薄情にも先に帰っていった。でも、ミヤビだけはずっと一緒にいてくれた。特殊な液体を用意してくれた。その液体がなかったらきっと、朝までブロック・ガーデンにいることになったと思う。とにかく、絵は消えた。
「終わった、」俺は声を出して、大きく息を吐いた。「今、何時?」
「夜の九時五十四分、」ミヤビは言って原色が溶けて渾沌となった水が入ったバケツを持ち上げた。「帰ろうか」
後片付けをして、俺とミヤビは錦景第二ビルから出て駐輪場に向かった。
当然のことながら、空は既に黒く、月はその存在を主張していた。
「ありがとう、帰らないでいてくれて」俺はミヤビに言った。
「どういたしまして」
「どうして帰らないでいてくれたんだ?」
「さすがに一人にするのは可哀想だったし、」ミヤビは小さく笑った。「それに友達でしょ? ああ、こんな恥ずかしいこと言わせんなよな」
ミヤビは俺の心臓を、グーで軽く叩いた。
そこがスイッチだったのか、分からない。
いや。
俺は決めいていたんだ。
「ミヤビ」
「ん?」
「俺はミヤビのことが好きです、愛しています、俺の初恋です、だから僕と付き合って下さい」
「え?」ミヤビは口を半開きにして、無理に笑う。「嘘、冗談でしょ?」
「冗談じゃない」
「笑えないよ」ミヤビは俺から眼を逸らす。
「だから冗談じゃない、」俺は歯切れよく言った。「真実だ、ミヤビ、もう一度言うよ、俺はミヤビのことを愛しています」
ミヤビは眼を大きくして、俺のことを見つめていた。
俺は鈍感だから、ミヤビの気持ちは全く、分からなかった。
でも。
頷いてくれると信じていた。
とてもゆっくりと流れる時間だった。
じっと待った。
ミヤビは下を向いた。
「ごめん」
ミヤビの声を聞いて、その声の意味を理解するまでに、凄く時間がかかったが、俺は理解出来た。
「ごめん、ケンのこと好きだよ、いい友達だ、だけど、ケンとは付き合えないよ、ごめん、ごめんね」
「……そうか」
声を出した瞬間。
視界が揺らめいた。
ミヤビの後ろに見える街灯の光が、ゆらゆらと揺れている。
俺はどうやら泣いているみたいだ。
とても悲しんでいるらしい。
涙が、止まらない。
これにはどうしようもなく、困った。
「ごめん、ケン、泣かないで」ミヤビの優しい声が聞こえて、余計涙の量が増えた気がする。
「なんで?」俺は理由を知りたがった。「なんで、俺とは付き合えないんだ?」
「……付き合っている人がいるから」
「え?」俺は蹌踉めいた。「付き合ってる? 誰と?」
「……言えないよ」ミヤビは横を向いて言う。
「誰なんだっ!?」俺はミヤビの肩を掴んで聞いた。
ミヤビは怯える眼をして答えた。「……先輩」
「先輩って、誰のことだよ!?」
「ニシキ先輩のこと!」ミヤビも怒鳴った。「生徒会長で、美術部部長の、藍染ニシキと付き合ってるの!」
「……は?」俺の思考は完全にストップしていた。「ミヤビ、お前は何を言ってるんだ、冗談か? 俺と付き合いたくないからってそんな冗談を」
「本当よっ、」ミヤビは髪を掻き上げ、不機嫌そうに腕を組んだ。「私、ニシキ先輩と付き合ってるの、気付かなかった? 今まで何度も隙を見せちゃったってドキドキしてたんだけど、気付かなかった?」
「なんでミヤビがニシキ先輩と付き合ってるんだ? おかしいじゃないか、変じゃないか、二人とも女の子じゃないかっ!?」
「アブなのよ、私もアブ、先輩もアブ、だから付き合ってんの、だからケンとは付き合えないの、」ミヤビは一気に告白した。「分かった!?」
「いいや、分からない、」俺は首を横に振った。「……分かるわけがない」
俺には分からなかった。
いや、理屈は分かる。
でも、感情が。
俺の感情は、ミヤビがアブだと分からない。
その事実は俺のキャパシティの限界にある。
「分かるわけないじゃないかっ!?」俺は怒鳴った。
「ちょ、ケン?」ミヤビは怯える眼をしている。「どしたの?」
「俺はミヤビのことを愛している、初恋だ、だからミヤビは俺の恋人になるべきなんだっ!」
俺は叫びながら、後ろに下がったミヤビの体を抱き締めた。
無理に抱き締めた。
最低だって思った。
それは分かっていた。
最低最悪なことをしているって分かっていた。
してはいけないことをしているって分かっていた。
でも、俺の感情は分からなかった。
抵抗するミヤビの細い体を力づくで抱き締めた。
そして、ミヤビの唇を奪おうとした。
その瞬間だった。
視界が紫色に染まった。
同時に痺れた。
思考は停止した。
俺はそのままコンクリートの上に倒れた。
「ご、ごめん、」ミヤビが慌てた顔で俺の横に跪き言う。「大丈夫? しっかりして、ねぇ、ケン!」
訳が分からないままそして。
俺の意識は消えた。




