第四章⑧
午後四時を過ぎた頃からブロック・ガーデンの前には列が出来始めた。天神祭の招待状はメイド喫茶ドラゴンベイビーズに足繁く通ってポイントを溜めたものだけが受け取ることが出来た。若干、この手のイベントとしては割高なチケット代を支払って、入場することも出来るが、ドラゴンベイビーズの招待状はプラチナ・チケットというべきもので、ステージに近い位置に席が用意されているものだった。
占いの館、マシロの家の主のマシロは、ドラゴンベイビーズに足繁くというほど通ってはいないけれど、プラチナ・チケットを持っていた。それはマシロがオーナの天之河ミツキと懇意だからだ。マシロの家の本日の営業は終わりにして、マシロと、アルバイトの斗浪アイナと森村ハルカと、それから今日も白勝ちの桜錦を観察しに来ていたニシキの四人は錦景第二ビル三十二階のブロック・ガーデンの列の最後尾に並んだ。ニシキはここに来るのを嫌がった。姉のテラスが総合ブロデューサを務めるフェスティバルだからだ。ニシキは本当は姉のことが大好きなくせに、大嫌いな振りをする。テラスが女の子に見境なく手を出すから、テラスのことを独り占めできないから、嫌いな振りをして自分の気持ちをごまかしているのだ。大嫌いと言いながら、ニシキはステージの背景に絵を描いた。大嫌いと言いながら、いつも彼女のことばかり考えている。ただつよがっているだけなのだ。アイナはそう思っている。この推察は真実とほとんど変わらないものだと思う。そもそも、本当に嫌なら、ここに来るはずがない。チケットを握り締めるはずがない。その横顔に、僅かな笑顔さえも浮かぶはずはないのだから。
「……なによっ」ニシキはアイナを睨む。
「別にぃ、」アイナはぷいっと目を逸らし、右に立つハルカを見る。「こらこら、ハルちゃん、こんなときくらい、本を畳なさいな」
ハルカは顔を上げて、最近新調した、縁の太い眼鏡の位置を直す。眼鏡という道具の中できっと最もエキセントリックな形をしている。どういう規則のいたずらか、それが図書室に住まう魔女を気取るハルカにはよく似合う。ハルカは本を畳み、アイナを丸い目で見つめる。「師匠、新しい魔法を習得しました」
「あ、それ魔導書だったの?」
「ええ、羅針盤の」
「あらら、」アイナは驚いていた。「羅針盤なんて、凄いじゃない」
羅針盤というのは、周囲の見えない環境を探査する魔法のことで、英語圏では、デテクタと呼ばれる。この魔法の使い手はデテクティブ。つまり、探偵だ。世界中の記録に残る名探偵の八割は、この魔法を習得していたとか、しないとか。どこからともなく黒猫のスコールが現れ、ハルカの肩に乗り、「にゃは」と鳴いた。
「ハルカちゃんは優秀ね、」扇子で汗ばんだ顔を仰ぐマシロが振り向き言う。「アイナと違って探究心もあるし、こんな素晴らしい才能が錦景にあるなんて、奇跡だわ、それにしても、暑いわね、空調ぶっ壊れてるんじゃないかしら」
ふくよかな体型のマシロは本日、そのふくよかな体型を隠すこともなく、スパンコールで眩しい紫色のドレスを着ていた。
「開花が遅れましたから、」ハルカはニコリもせずに言う。「十一歳に目覚めるべきなのに、五年も遅れてしまいましたから」
「今の時代はそれでいいのよ、魔法を必要とする時代ではないから、そうね、芸術と同じね、もう芸術の力が信じられる時代ではないのよ」
「こういう時代だからこそ政治や経済と対決する姿勢が必要では?」
「あら、」マシロは愉快そうに笑う。「とっても鋭いことを言うのね」
「このままでは魔法は駄目になるでしょう?」
「そうかもしれないわね、でも私はそうは思わないわ、魔法は本質的に無用であり、そして輪廻するものよ」
「よく分かりません」ハルカはマシロを睨むように見ている。
「要は、回転よ、魔法とは、すなわち回転なの、回転そのもののことを言うのよ」
ハルカは黙ってしまった。アイナもマシロが言うことがよく分からない。
「要は魔法は、」ニシキが指を立てて二人に言う。「魔女の私たちは、世界に色を付けるローラってわけよ、分かった」
『分かりません』アイナとハルカの声はユニゾンした。
「え、コレ以上の例えって、ないと思ったんだけどな、」ニシキは助けを求めるようにマシロの方を見る。「マシロ先生、そうですよね?」
「なんか違う、なんか違うんだよな、」マシロは首を捻って、そして大きく息を吐いた。「っていうか、もういい加減並び疲れたわ、そもそもプラチナ・チケットなんだから、並ぶ必要あるわけ?」
「お祭りの興奮を味わいたいじゃないですか、」アイナは言う。「それにキンちゃんが一刻も早く箱庭の中に入りたいっていうオーラを出しているから」
「出してないしっ、」ニシキはアイナを睨む。「それからキンちゃんって言うなぁ!」
「ああ、もう駄目、限界だわ、」マシロは降参のサインだろうか、手を力なくアイナに振って、列から離れた。「篠塚に頼んで、楽屋に入れてもらおっと」
マシロはそのまま振り向きもせずに箱庭の裏に回った。
「でも確かにあの体だったら、」ニシキは言う。「立っているのも辛いかも」
それから十分くらい経ってから箱庭への入場が開始された。背後を振り返れば、三人の後ろにも長い列が出来ている。チケットと別にドリンク代五百円を握りしめて列が進むのを待った。そしてもうすぐで入場出来る、というところまで迫った時だった。
「会長、」と呼ぶ声が近くでした。「会長、ああ、もうどこ行ってたんですか?」
「すいません、会長、サブジェクトなんですが、この広くて複雑に入り組んだ迷宮と呼ぶに相応しい錦景地下街、探せるところはくまなく探しましたがしかし、見つかりません、僕のGPSは錦景第二ビルにサブジェクトがいると教えてくれるのですが、どの階にいるのかも分かりません、向こうもこちらが探していることに気付いているかもしれません、もしそうなら、エコロジーのメンバだけじゃキツイですよ」
この中で会長と呼ばれるのは、県で最も偏差値の高い中央高校で生徒会長を務めるニシキだけだった。
ニシキが声がした方に振り向いていた。
アイナもつられて振り向いた。
そこにいたのは、学生服を身に纏った、男子二人。
知らない二人だった。
別にイケメンでもなく、不細工でもない普通な男の子二人だった。
強いて特徴を上げるとするならば、一人の男の子は眉毛が濃い。
もう一人は、髪の毛がドライヤをし過ぎてそうなったみたいに茶色かった。
そんなあまり特徴のない二人をニシキはダーティなオーラを出して睨みつけていた。今日はずっと、ニシキは誰かを睨んでいる。「ごめんね、残念ながら、人違いよ」
眉毛と茶髪は罰の悪そうな顔をして、身を引いて言う。『す、すいません、間違えました』
「全く、あんたたち、あんたたち、ねぇ!」
どうやら可哀想なことに、男の子二人はニシキの押してはいけないスイッチを押してしまったようだ。ニシキは錦景第二ビル三十二階に響き渡るボリュームで怒鳴った。
「一体何度、私とテラスを間違えたら、気が済むわけっ、双子はね、自分のことを間違えられるのが一番嫌いなのっ、だっい嫌いなのっ、間違えられて平気な顔でいるかもしれないけれど、本当はすっごく傷ついているんだからっ、あんたたちだって誰かに間違われるのは嫌でしょ、双子だから間違えて当然、間違えても大丈夫、間違えても許してくれるよね、皆そう思ってる、でも、双子は傷ついているんだっ、こっちは間違えられないように、ここにホクロがあるのがお姉ちゃん、丸顔がお姉ちゃん、つむじがここにあるのがお姉ちゃんって沢山のヒントを上げてるのに、そのヒントを使って間違えないように問題を解いて正解してくれる人ってほとんどいないんだ、ほとんどの人があんたたちみたいに何回も間違えて、何回も平謝りして、何回もヒントを聞きやがる、もう、うんざりだわ、間違えられるはうんざり、十七年間我慢してきたけど、もう駄目、許せない限度ってある、ちゃんと問題を解いてよ、間違えるんじゃねぇよ、何度ヒントをプレゼントしてると思ってんだ、次、間違えたら、お前ら二人とも、死刑だからなっ!」
ニシキはそこまで一息で言った。呼吸が乱れている。
男子はドラゴンに睨まれたみたいに微動もしない。
「分かったかっ!?」ニシキはそんな二人にさらに追い打ちを掛ける。「分かったかって聞いてんだよ、返事しろよ、テラスの犬めっ!」
『は、はい、』二人は声を合わせて頷き、土下座した。土下座に慣れている、という感じの土下座だった。『もう二度と、間違えたりはしませんっ!』
「約束だからなっ、」ニシキは下座の前で腕を組み、いわゆる仁王立ちで二人を見下した。「その言葉、私は信じてやるからなっ」
そう言い放ち、ニシキの顔が綻んだところで、どこからともなく拍手が起こった。ブロック・ガーデンへの入場はストップしていた。双子について演説するニシキに、皆、釘付けだった。さずが県内一偏差値の高い中央高校の生徒会長だけのことはある。拍手はすぐに増えた。拍手喝采と表現するに相応しいシーンがここに広がった。
「なんだ、コレ?」ハルカは自分が演じるキャラクタのことを忘れて、アイナに笑いかける。
「さあ、なんだろう?」アイナは微笑み返す。「いわゆる一つの、予測できない未来ってやつだな、これは」
「え?」ニシキはポカンとした表情で周囲を見回す。「な、なに、なんなのよ、もう? え? アイナ、ハルカ、なんなの?」
アイナとハルカは同じように首を横に振った。この騒ぎの収束は、電気の力を使わなければ難しいと思われた。
「ちょ、ちょっと、あんたたちもいつまで土下座しているのよぉ、」ニシキの顔は真っ赤だった。生徒会長のくせに、注目されるのに慣れていないらしい。「もぉ、顔、上げてよ」
二人はニシキの命令に忠実に顔を上げた。まだ、その表情はニシキを恐れているという感じだった。頬がヒクヒクしている。そして何も言わない。そしてまだ正座である。
「ちょ、なんか、言いなさいよ、これじゃまるで私がドラゴンみたいじゃない、もぉ、」ニシキは弱々しい声を出しながら、足を畳んで二人の前にしゃがんで、声音を優しくして聞く。「あ、そうだ、ねぇ、誰かを探していたの? そう言ってたよね? そのこと、この私、ニシキに話してみなさい、なんとかしてあげられるかもしれないから、ね、そう、怖がらないで話してみなさい」




