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雅に痺れたね(A Brocade Scene Program)  作者: 枕木悠
第三章 エレガント・スクリプト
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第三章①

「なんだ、これ?」

 休み明けの月曜日、御崎ミヤビが脚本を書いてきたというので、丈旗ケンは一時間目の世界史の時間にそれを読んだ。百枚の原稿用紙に流麗な字でビッシリと物語が描かれていた。丈旗はミヤビがどんな物語を作るんだろうと思ってワクワクしながら読んだ。読んだ結果産まれたのが「なんだ、これ?」という声になった疑念だった。二時間目の国語の時間に斑鳩イオが読み、「なぁに、これ?」という疑念を発した。さて、三時間目の体育の授業を挟み、そして四時間目の数学の授業に安賀多タモツがミヤビの脚本を読んだ。

 昼休みの始め。

「御崎さん、」安賀多は眼鏡をわざとずらして言った。「なんですか、コレ?」

「なんですかって、」ミヤビはニコニコして鞄の中からお弁当箱と水筒を取り出した。「脚本だよ、脚本、」言って、ミヤビは「ふはぁ」と無防備で可愛いらしい欠伸をして男子三人を魅了してから席を立った。「気のせいかな? 男子三人が何か言いたげな目をしているように見えるんだけど、うん、気のせいだな」

 確かにミヤビが言うように、男子三人は皆、何か言いたげな目をしていた。というか、何か言いたかった。丈旗は口を開いた。「ミヤビ、あの、質問が沢山あるんだが」

「あ、何か言うのは放課後まで待ってよね、今からお昼なんだからさ、」ミヤビは笑顔でお弁当箱を両手で持ち上げる。「丈旗は今日も美術室で食べないの?」

「ああ、」最近丈旗は昼休み、美術室には行かずに三階の屋根のないスペースで安賀多と斑鳩と飯を食っている。「キネマのことで相談したいこともあるし」

「そっか、それじゃあ、私、美術室に行くね」

 ミヤビはなんとも言えない、寂しそうな、そういうジャンルの表情を見せ、教室を出ていった。きっと一緒にお昼ご飯を食べられないことが寂しくてそんな顔をするんだ、と丈旗は推測している。高校生のカップルにとって、まだ丈旗とミヤビの人間関係はそうじゃないけれど、一緒にお昼をともにすることは何よりも重要なことだ。だからミヤビはそんな寂しげな表情をするのだ。つまり丈旗がそんな表情をさせていることになる。心が痛まないことはない。ないんだけれど、でも、正直に言えば、ミヤビのことを愛していることは真実だし、毎日会いたい気持ちがあることもそうなんだけれど、いかんせん、朝から晩まで、ミヤビの近くにいることによって生じる、痺れ、のような緊張が、丈旗の精神を疲弊させるのだった。教室ではずっと隣にミヤビがいる。放課後は美術室で一緒に芸術に励む。だから昼休みくらいは、気の合う男子たちと実のならない話をする方が精神に優しい。もちろんキネマのことも相談しなければいけないことも本当で、重要なことだ。

 ミヤビの脚本が、男子三人にとっては理解不能意味不明に仕上がっていたから。

 ミヤビの渾身の脚本を手に、丈旗、安賀多、斑鳩の男子三人は教室を出て、三階の屋根のないスペースに移動する。

 この屋根のない場所は三人のお昼休みの所定の場所になりつつあった。他には誰も来ない。校舎の構造のせいで、この場所には風が強く当たるのだ。洗濯物はよく乾く。しかし突風にさらわれグラウンドの中心で発見されるリスクもある。ここで食事をしようとすれば、埃に台無しにされることもある。だからこの時間、三人以外に誰かが来ることは少なかった。いつも、静かな場所だった。しかし今日は少し賑やかだった。この屋根のない場所ではなく、隣接する会議室で何人かが楽器を弾いていた。同じ曲を演奏しているようだが丈旗の耳には、その練習曲は不協和音にしか聞こえなかった。

「吹奏楽部かな?」斑鳩が会議室の方を見て言う。「それにしては人数が少ないみたいだけど」

「そんなことより、」安賀多はフェンスを背中に座り、声のボリュームを上げて言う。「御崎さんの脚本のことだよ、なんなんだ、あれは?」

「ああ、そうだ、」丈旗は不協和音を耳から締め出し安賀多の隣に座った。「ミヤビの脚本についてだ」

「ああ、そうだった、」斑鳩は大げさに頷いて、安賀多の前に座った。「御崎さんの、恋の話の話だねっ!」

 ミヤビが創作した恋の話。

 それは丈旗と安賀多と斑鳩、三人の男子の間で繰り広げられる禁断の恋の物語。

 あらすじはこうだ。

 心は女の子、体は男の子の斑鳩は、同時に二人の男のことを好きになってしまった。イケメンの丈旗と不細工な安賀多のことを、好きになってしまったのだった。丈旗は斑鳩の幼馴染で、男の子であることを知っていて、意地悪なことを言うんだけど、最終的に怖い大人たちから守って抱きしめてくれる、そんな頼りになる男。一方、安賀多は斑鳩のことを本当の女の子だと思っていて、様々なアプローチを斑鳩に仕掛けてくる、ちょっと鬱陶しい男だった。イケメン以外に興味のない斑鳩は最初、安賀多のことを拒絶していたのだが、徐々に彼の純真な気持ちに心動かされていくのだった。彼の気持ちは斑鳩が自分が男の子であることを告白してもなお、変わらなかった。「そんなことが何だって言うんだっ」安賀多の熱っぽい台詞に胸を打ち抜かれる斑鳩。安賀多は斑鳩に告白を続ける。斑鳩はその告白に頷いた。そのタイミングで、どこからともなく丈旗が現れる。「イオ、俺だって、お前のことを愛しているんだぜっ」心が揺れる斑鳩。どうしよう。困りました。どちらかなんて選べません。というクライマックス。そしてその物語の結末であろう、最後の斑鳩の台詞は空白だった。そこで斑鳩がどちらかを選ぶ台詞を言って終わるのか、それともそこで幕引きなのかは、ミヤビに聞いて見なければ分からないけれど、ミヤビの脚本は掻い摘んで言えば、そんな具合だった。肝心のミヤビの登場は台詞にして四行。斑鳩に恋のアドバイスをする占い師としての短い出演だった。

 男子たちの禁断の愛以前に、丈旗はミヤビの短すぎる出演時間に納得がいかなかった。「コレには納得がいかない、このキネマはミヤビが映像として残ることに意味があるのに、それ以外にはまるで意味がないものなのに」

「おいっ、」安賀多は声を出した。「なんていうか、おいっ、もっと言葉を選びなさいよっ」

「丈旗、問題はそこじゃないだろぉ、」斑鳩はいわゆる体育座りで横に揺れている。「なんで、僕が二人のことを好きにならなきゃいけないんだよぉ、いくら演技でも、抵抗あるな、ボーイズ・ラブっていうのはさぁ、いや、僕は女の子の心を持った男の子役だから、厳密には違うのかもしれないけど、でも、ボーイズ・ラブっていうのはさぁ」

「ああ、そうだよ、なんで俺が、」安賀多は声をしゃがらせる。「男のことを好きになる? ありえない、なるわけない、ならない、絶対になっ!」

「まあ、演技だから、」丈旗は涼しい顔をして言う。「それは構わないとして」

「おっ、クールだなぁ、」斑鳩は言って頬を膨らませ、女の子みたいに艶のある前髪をいじりながら言う。「でも、嫌だなぁ、映像に残るのが嫌だなぁ」

「嫌っていうか、」安賀多は憎悪向きだし、という感じで歯をむき出しにして言う。「世界の理に反しているっ!」

「そうだな、」丈旗はさらっと言う。「まあ、演技だから、それは構わないとしてだ、やっぱり、問題はミヤビの出番が少ないことさ」

「おいっ、」安賀多は丈旗の耳の近くで声を大きくする。「なんていうか、おいっ」

「まあ、確かにそうだ、」斑鳩は横の揺れを止めて、女の子座りの姿勢になった。「御崎さんの出番が少ないのは致命的だよ、誰が僕ら男子の素人演技を見たいと思う? 評価をくれると思う? やっぱり、麗しく優美な御崎さんが最初から最後までスクリーンの中心にいてくれないと、話にならないよね、ボーイズ・ラブをやる以前にさ」

「斑鳩の言う通りだ、」丈旗は頷き、隣の安賀多を見る。「安賀多もそう思うだろ?」

「……ああ、そうだな、その通りだ、」安賀多は反応鈍く頷きながら、丈旗に視線をやった。眼鏡のズレを直して。「……なぁ、丈旗、人のプライベートなことをとやかく言うつもりもないし、俺の勘違いかもしれないし、先に丈旗がこのことについて疑っているなら今更なことかもしれないんだが、俺は一つの疑念を抱いてしまったんだが、……声にしていいか?」

「なんだ、急に?」斑鳩は首を傾げる。

「疑念?」丈旗も首を傾げた。「なんだ? 言ってくれ」

「御崎さんは、その、もしかしたら、」安賀多は唾を飲み込み、喉を鳴らした。「ボーイズ・ラブが好きなのかもしれんぞ、ボーイズ・ラブ・マニアなのかもしれんぞ、ボーイズ・ラブ・ジャンキィなのかもしれんぞ、物語にするほど夢中なのかもしれん、というか、マニアで、ジャンキィじゃなかったら、普通ボーイズ・ラブ・ストーリィなんて作らんだろう?」

 斑鳩は目を丸くした。「確かに、うん、安賀多、説得力があるよ、」そう言って、斑鳩は人差し指を立てて一秒止まった。「……いや、でも、御崎さんだよ」

「御崎さんだって、いや、御崎さんだからこそ、そういう秘密を持っていたっておかしくないだろう? 美人は何かと苦労が多いと聞く、その苦労によって溜まったヒステリィを吐き出すことが出来る秘密を持っているんだよ、今まで俺が好きになった美人の半分は変わった趣味を持っていたぞ、恐竜マニア、ペットボトルロケット博士、天才数学者に、ルンバを四匹従えた女王様」

「数学者は関係ないよっ、」斑鳩は素早く突っ込む。「それに女王様って何なのさっ」

 丈旗は黙って空を見上げた。

 曇り空が広がっている。

 心のざわめきは晴れない。

 風が強く、顔に当たる。

 どうやら、少し。

 いや、丈旗はかなりのショックを受けているのかもしれなかった。

 ボーイズ・ラブ。

 それはミヤビについて、まるで考えなかった一つのことだ。

「安賀多、それはアレだ、隙じゃない、違う、アレだ、そう、盲点だった」

「丈旗、大丈夫か?」安賀多は丈旗の顔を覗き込む。「いや、もちろん、御崎さんボーイズ・ラブが好きだっていうのは、推測で、真実じゃないかもしれない、ただの仮説だ」

「真実というのはもっとも信憑性の高い仮説のことだ、」丈旗は早口で言って深呼吸をした。「安賀多が言ったことには凄く納得できる、凄く納得できる仮説だ、つまり真実だ、違いない、全く正確なことだ」

「ねぇ、本当に大丈夫?」斑鳩が心配そうに覗き込む。

「大丈夫だ、」丈旗は顔を両手で覆って答える。「……問題ない」

「問題ないだって?」安賀多の声。

「問題大アリって感じじゃん」斑鳩の声。

 そして二人の声の後ろから聞こえるは。

 不協和音。

 ディスコード。

 小さく気にならなかったものが。

 体の中で。

 響き。

 響き。

 響き。

 巨大になり。

 心を騒がせた。

 駄目だ。

 深みにはまる。

 思考の深みだ。溝だ。深海に開いた穴だ。

 いけない。

 いけない。

 いけない。

 どうやら自分が受け止めることの出来る要領の限界が超えられてしまったようだ。

 自分の限界は自覚している。

 足を救われたら、もう戻れないっていうことも自覚している。

 戻る術は知らない。

 だから。

 丈旗は立ち上がった。

 安賀多と斑鳩の二人が丈旗を呼び止める声が背中の方にする。

 関係ない。

 それよりも、精神の過度なダメージを和らげることが、先だ。

 呼吸の乱れは激しさを増す。

 震えが恐怖を連れてくる。

 それは連鎖する。

 丈旗は会議室の扉を勢いよく開けた。

 外界の不協和音がピタッと鳴り止んだ。

 しかし、丈旗の中で響き続ける不協和音は消えない。

 会議室の中では四人の女子がいて、それぞれ別に楽器を奏でていた。

 サックス、ギター、ベース、ピアノ。

 丈旗は無理に微笑んで。

 笑えていたかどうかは、分からない。

 声を出した。

「すいません」さらに笑顔を意識した。

 四人の女子は丈旗を睨むように見つめる。

 当然だ。

 丈旗の登場は急すぎる。

 でも、こっちだって急だったんだ。

 丈旗はバランスを上手くとりながら、壁際のピアノに近づいた。

「ピアノを弾かせてくれませんか?」頼んだ。

 ピアノの女の子がぎこちなく頷いて、席を立った。強ばった表情で言う。「……どうぞ」

「ありがとう」丈旗は下を向いたまま言った。

 鍵盤を触る。

 触って音色を確かめていく。

 音色と同時に、呼吸を整える。

 記憶がある時から、そうだった。

 何か怖いことがあれば、ピアノの前に座り。

 音を鳴らした。

 奏でた。

 目を開ける。

 奏でる。

 何を?

 指は動いた。

 会議室の開いた扉の向こうで、不安そうにこちらを見る安賀多と斑鳩。

 同じような表情で、四人の女の子。

 丈旗は奏でた。奏で続けた。

 心の静穏。

 すぐに旋律に入り込めた。

 何もかもを、この瞬間に知らず、覚えず、祈らず。

 ただ、音に佇み、沈み、混じり、飛ぶ。

 その旋律に、サックスとギターとベースがゆっくりと音を混ぜてきた。

 小さな楽団の完成に、丈旗は少しの驚きを感じながら。

 フィナーレ。

 丈旗は指先を鍵盤から離し、自然と笑えた。手を叩いた。

「ありがとう、」丈旗はピアノの席を立ってくれた女の子に握手を求めた。「ありがとう、あなたのおかげです、あなたのおかげで、きっと全てが大丈夫になりました」

 女の子はなぜか顔をピンク色にして、丈旗の意味不明の握手に応じてくれた。サックスとギターとベースの人は変人を見る目で丈旗を見ていたが、別にそんなこと、なんとも思わなかった。

 関係ない。

 丈旗はそう、思うことが出来た。

 ミヤビがボーイズ・ラブ・マニアでも、ジャンキィでも関係ない。

 全て受け止める。

 大丈夫だ。

 キャパシティは、大きくなった。



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